第22話:忠臣と不忠者

「よっ!武士の鑑!」


「よくやった!」


「よっ!日ノ本一の武士!」


大石たちは江戸の町民から拍手喝采を送られた。大石を初め浪士たちは威風堂々と行進していた。大名の中には浪士たちを召し抱えたい家も現れており、徳川綱吉も無視できる状況ではなかった


「浅野内匠頭の切腹は早計であった。」


浅野内匠頭を切腹させた事が軽挙だったと気付く綱吉の様子を内心、ざまぁみろと柳沢美濃守はほくそ笑んだ


「御心配には及びませぬ。浪士たちは本懐を遂げ、泉岳寺にて全員切腹致します。我等は浪士たちを武士の鑑と褒め称えます。更に吉良家は当主の吉良左兵衛が敵前逃亡した事で吉良家の名声が地に堕ちました。これを機に吉良家も断絶にすれば世間の批判を避ける事ができまする。」


「うむ、流石は吉保だ。」


「畏れ入ります。」





一方、赤穂浪士は泉岳寺に到着し吉良上野介の御首を備え、全員刀と脇差しを置いて平伏をした


「殿。我等、赤穂の浪士一同、殿の御無念を晴らしました。どうか御心を安らかに成仏される事を願い奉りまする。」


大石たちが浅野内匠頭の菩提を弔っているとそこへ脱盟した高田郡兵衛が祝い酒を持って現れた


「大石様、御一同、御久しゅうござる。」


何食わぬ顔で現れた郡兵衛に堀部安兵衛が中心になっえ郡兵衛に罵声を浴びせた


「何をしにきおった、この裏切り者!」


「殿と我等を裏切った奴がよう来れるな!」


「その手に持っているものは何だ、まさか酒じゃないだろうな!」


「貴様ごときの祝い酒等、いらぬわ!」


「吉良の首と共に備えてくれるわ!」


「踏み殺してやる!」


「待て!」


堀部たちが殺気立ち、今にも斬りかかろうとする堀部たちを大石が止めた


「亡き殿の墓前で見苦しい真似をするな!」


「し、しかし・・・・」


「ここはワシに任せよ。」


大石がそう言うと郡兵衛の下へ向かった。郡兵衛はまさかこれほど自分が恨まれているとは思っていなかったようで愕然としていた


「郡兵衛、すまぬがそれは受け取れぬ。皆も気が立っておるのだ。今日の所は帰ってくれ。」


「は、はい。」


郡兵衛は大石たちに会釈した後、そそくさとその場を去った。郡兵衛を見届けた大石は浅野内匠頭の墓前に戻り再び菩提を弔った。それも大石が脇差しを持つと周囲は切腹の準備をしたが大石は刀と脇差しを腰に差し立ち上がった


「ち、父上?」


「何をしておる、これより出頭するぞ。」


「「「「「えっ!」」」」」


てっきり切腹すると思っていた主税と同志たちは呆気に取られた。すぐに我に返った片岡が真っ先に問い詰めた


「大石様、この期に及んで御公儀に出頭するのですか!」


「我等は御公儀の定めた法に背き、徒党を組んで吉良上野介の首をあげたのだ。出頭するのは当然であろう。」


「父上、仮に御公儀に出頭したとして、これからどうされるおつもりにございますか!」


「それは御公儀次第だ。」






「申し上げます。」


「如何しました?」


柳沢邸にて絵巻物を見ていた正親町町子は家臣の知らせに耳を傾けていると家臣から赤穂浪士が大目付屋敷に出頭した事を報告した。町子は目を丸くして再度、尋ねた


「出頭・・・・浪士たちは切腹しなかったのですか?」


「左様にございます。」


「殿様にも伝えましたか?」


「はい。」


「・・・・面倒な事になりましたな。」


赤穂浪士が出頭した知らせは徳川綱吉と柳沢美濃守吉保の下へ届けられた。2人は赤穂浪士たちが泉岳寺で切腹すると思っていたようでまさか出頭するとは思わなかったのである。特に柳沢美濃守は大石が出頭した事に想定していなかったため完全に計算が狂ってしまったのである


「(大石め、昼行燈と呼ばれていたがこれほど狡猾な男だったとは・・・・)」


「吉保。」


「は、はは。」


「如何致す。」


「ま、まずは浪士たちを大名4家に預けましょう。」


「うむ。」


その後、大石たちは細川越中守綱利、松平隠岐守定直、毛利甲斐守綱元、水野監物忠之の4大名家のお預けの身となった。大石内蔵助は細川屋敷、大石主税は松平屋敷と親子離れ離れとなったのである


「主税、そなたとは今生の別れになるやもしれん。」


「仮にそうなったとしても彼の世で会いましょう。」


「そうだな、亡き殿の下へ参ろう。」


「はい。」






赤穂浪士討ち入りの報は遠く離れた三次藩領内にも届いた。官民問わず主君の仇を討った赤穂浪士たちを称賛する声が後を絶たなかった。そんな中、針の筵となっていたのは何を隠そう五十嵐十郎太その人である


「(ま、まさか大石様が討ち入りなんて・・・・)」


争い事を殊の外嫌う大石がまさか討ち入りをし吉良上野介の御首を取るとは思っていなかったようで五十嵐はかつて自分が大石に進言した事を思い出した


「(くそ、赤穂から離れるための方便だったのにまさかこんな形で果たされるとは・・・・)」


【策士策に溺れる】とはまさにこの事であり、五十嵐は今になって後悔し始めたのである


「(不味い、三次領内は赤穂贔屓が加速している。ワシは討ち入りに参加しなかった卑怯者として後ろ指を指されてしまう。)」


五十嵐は嫌でも自分の立場が更に危うくなる事を身を持って感じていた。義兄な伝で今の地位にいるが周囲から陰口を叩かれるのは日常茶飯事であり今回の事で更に拍車がかかったのである


「おぉ、これはこれは誰かと思えば五十嵐ではないか。」


そこへ現れたのは三次藩の重役である。五十嵐はその場で挨拶をすると重役たちが赤穂浪士の話をし始めた


「江戸では赤穂浪士の義挙が持て囃されているそうだ。」


「殿も此度の浪士たちの忠義にいたく感銘を受けておいでだ。」


「左様にございますか。」


「元赤穂藩の武士であるそなたにとっても鼻高々であろう。」


「そうだな。まぁ、これからの人生のためなれば亡君の恩等を言っている場合ではないからな。」


「まぁまぁ、それでは五十嵐が可哀想だ、アハハハハ!」


上役たちが然り気無く詰ってきたが五十嵐は反論せずに苦笑いを浮かべるしかできなかった。上役たちは言いたい事だけ言った後、高笑いをしながら去っていった。五十嵐は内心、屈辱に震えながらも役目に向かうとそこへ同僚の武士たちと鉢合わせとなった。同僚たちは開口一番に五十嵐を罵り始めた


「五十嵐。貴様、恥ずかしくないのか?」


「恥ずかしいとは?」


「惚けるな。赤穂の浪士たちは亡君の無念を晴らしたにも関わらず貴様はのうのうと今日まで生きている。貴様は武士の風上にもおけぬ卑怯者よ!」


「今の私は三次藩の藩士です。今の主君に奉公する事も立派な忠義だと思います。」


「屁理屈を抜かすな!」


「大沼様に泣き付いた奴がほざくな!」


「貴様のような輩がいては我等、三次藩は卑怯者を召し抱えたと世間の笑い物になる!」


「貴様に武士の誇りがあるのであれば潔く腹を斬れ!」


散々にわたる罵倒に五十嵐はどう対処するか考えているとそこへ大沼が「何をしておる」と五十嵐たちの下へ駆けつけた


「お前たち、何をしておる。」


「大沼様、こやつは元赤穂藩の武士であるにも関わらず主君を見捨てた卑怯者にございます!」


「左様、このような不忠者を召し抱えたとなれば三次藩の名誉に関わります!」


「それはワシの対しての発言と見なしてよいか?」


大沼がそう尋ねると同僚たちは罰が悪そうに黙りこくった。流石に上司相手にこれ以上、意見が言えずにいると大沼は続けた


「お前たちが五十嵐を卑怯者となじるがお前たちは何だ?1人相手に集団で罵るお前たちも卑怯者ではないのか?」


大沼がそう言うと同僚たちは顔を真っ赤にした。大沼は溜め息をついた後、同僚たちに「行け」と言って下がらせた。同僚たちは五十嵐を睨みつけた後、そそくさと立ち去ったのである


「義兄上、忝のうございます。」


「十郎太。お前もこれ以上、余計な事はするな。」


「・・・・はい。」


仕事中でも五十嵐の悪口は絶えず続いた。中にはわざと足をひっかけて転ばせ、桶の水をわざと五十嵐に浴びせる者もいた。それでも五十嵐は耐えに耐えた。仕事が終わり、屋敷へ帰るとそこには傷だらけの菊丸と介抱をする登代と太吉とそれを見守る千代と加代の姿があった


「菊丸、如何した。」


「ううう。」


「「「旦那様。」」」


菊丸に何があったのか尋ねると太吉曰く、上役の子息たちが菊丸を「不忠者の息子」と罵り暴行を受けたのだという。まさか子供相手にも容赦しない武士の世界に五十嵐は背筋が凍るほどの寒気を覚えた。すると菊丸は父である五十嵐に尋ねた


「父上、不忠者って何?」


「うっ。」


「教えて、教えて、父上!」


「辞めなさい。」


「菊丸様、それ以上、申してはなりませぬ!」


「だって、だって、僕、何も悪い事してないのに・・・・ウワアアアアア!」


「菊丸様、よしよし。」


号泣する菊丸に五十嵐は自分の判断が間違っていた事を痛感するのであった。その後、五十嵐家には味噌や醤油等も売って貰えなかったのはいうまでもなく、五十嵐家の家運に暗雲が立ち込めたのである

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