第21話:本懐
時刻は開け六つ(朝6時)に近付き、空がうっすらと明るくなってきた
「間もなく開け六つになります。」
「うむ。」
「大石様、某は原殿と共に吉良様の探索を致します。」
「うむ、行け。」
「「ははっ。」」
原惣右衛門と間瀬久太夫は吉良邸に入り、表門には大石内蔵助しかいなかった。大石は最悪の事を想定した。万が一吉良上野介の首を取れなかった場合、同志一同、その場で切腹するのである。大石もその覚悟を固めていたが最後まで諦めるつもりはなかった
「(ここまで来た以上、意地でもやってみせる!)」
その頃、吉良上野介一行は休憩を取るため台所近くの炭小屋に隠れていた
「大殿、もう少しの辛抱にございます。ここから先を行けば目的の長屋にございます。」
「あぁ。」
「しっ!」
「誰か来たぞ。」
そこへやってきたのは間十次郎と武林唯七の2人であった。ふと武林は炭小屋に目をやった
「十次郎殿、ここは?」
「あぁ、先程確かめました。」
「そうか。」
その場を去ろうとした瞬間、十次郎はある事に気付き、炭小屋の方を向いた
「どうされた?」
「戸を開けといた筈でございます。」
「何?」
ふと武林と十次郎は炭小屋に目を向けた
「もう一度確かめるぞ。」
「はい。」
武林が力強く戸を開け、十次郎が龕灯(がんどう)を炭小屋に向けた。炭小屋を照らすが何もなかったが微かに殺気を感じたのである
「おい、一旦様子を見よう(ボソッ)」
「はい(ボソッ)」
炭小屋を去る振りをして2人が様子を探るとドスンと物音がした。2人は互いに顔を合わせているとそこへ堀部安兵衛、奥田孫太夫、勝田新左衛門、神崎与五郎、早水藤左衛門等の同志たちが続々と駆け付けた
「どうした。」
「中に気配が。」
「弓隊。」
すると神崎与五郎と早水藤左衛門等の弓隊が炭小屋に向けて矢を発射した。すると炭小屋から物を飛んできて、そこから刀を抜いた須藤与一右衛門と槍を振り回す鳥居利右衛門が出てきた
「どけ!」
弓隊が退いた後、堀部たちが一向二裏戦法で須藤と鳥居を取り囲んだ。須藤と鳥居は持ち前の剣術と槍術で堀部たちと互角の戦いを繰り広げたが須藤は背後を斬られ、残りの2人に突き殺された。鳥居は堀部の峰打ちで頭を叩かれ卒倒しその場で突き殺された。2人が倒された後、そこへ右肩に矢が刺さった清水一学が刀で応戦したが奥田孫太夫と勝田新左衛門によってその場で斬り殺された。十次郎と武林は直ぐ様、炭小屋に突入するとそこには脇差しを抜いて激しく抵抗する吉良上野介があった
「(このようなところで死んでたまるか!)」
吉良上野介は一心不乱に脇差しを振り回したが十次郎の槍に突かれ、武林によって止めを刺されたのである。吉良上野介は2人の攻撃を受け血しぶきが舞い、「ぐあっ」と悲鳴を上げた後、その場で絶命したのである
「武林、どうした!」
「来てくだされ!」
武林の叫びに堀部たちが駆け付けた。そこには白絹の寝間着を来た吉良上野介の姿があった
「どうした!」
「ひょっとしてこの年寄りではないでしょうか。」
「年寄りが高価な白絹の寝間着を着ているとすれば1人しかいない。」
「おい、額と背中を確かめろ!殿が斬りつけた傷がある筈だ!」
その後、「ピー!」と合図の笛を吹いた。大石たちは笛の吹いた場所へ向かうとそこには板戸に乗せらせた吉良上野介の姿があった。大石は初めて見る吉良上野介の姿に喜びよりも無常さを感じた。そこへ門番が連れてこられ、吉良上野介の前に引き据えられた
「間違いないか!よく見ろ!」
「吉良様だな!」
「は、はい。」
周囲の怒声に門番は委縮しつつ返答を返した。すると大石が門番に近付いた
「これはどなたかな?」
「ご、御隠居様です・・・・上野介様です。」
門番がそう言い終えると堀部たちは目的を達成した事でうれし泣きをし始めた。大石はというとこんな老人を討ち取るために今日まで生きてきたのかと内心、馬鹿らしくなった。双方の死傷者は、吉良側の死者は15人、負傷者は23人であった。一方の赤穂浪士側には死者はおらず、負傷者は2名のみであった
「てえへんだ、てえへんだ、赤穂の浪人たちが吉良上野介様を討ち取ったぞ!」
「「「「「おおおおおおお!」」」」」」
吉良上野介討ち死にの知らせは江戸中に広まった、身分を問わず赤穂浪士の義挙に賛美の声を上げた
「流石は赤穂の浪士だ。」
「まさに武士の鑑だ。」
「我等は大石殿に詫びねばならぬ。」
吉良上野介が討ち取られた事は米沢藩邸にも届いた。実父の死亡と実の息子が失踪した事を知った上杉弾正少弼綱憲は怒りに震えていた
「おのれええええ、赤穂の田舎侍共!すぐにでも討ち取ってやるわ!」
「それはならぬ!」
そこへ吉良上野介の遠縁である畠山下総守によって止められた。畠山は「幕命により赤穂の浪人を討ち取ってはならない」と伝えると綱憲は怒り狂い、刀を抜き障子を切り裂いた。突然の凶行に畠山は恐怖で立ち尽くしたが、綱憲はその場で膝をつき号泣した
「ぢ、ぢぢうえええええ、お、お許しくだざりまぜ・・・・ウワアアアアアア!」
吉良上野介が討たれた事は葬式中の色部又四郎の耳にも入っていた。色部は実父が亡くなり、悲しみに暮れていたが吉良上野介が死んだ事で心が晴れやかになった心地であり、米沢藩が存続できた事を殊の外、喜んだ
「(大石、礼を申すぞ。貴殿は米沢藩を救った大恩人だ。)」
「終わりましたね。」
「ああ。」
吉良上野介が討ち取られたのを確認した弥一とお凛はホッと胸を撫でおろした。捕縛した斎藤宮内を起こし、吉良上野介が死んだ事を伝えると宮内は取り乱した
「お、大殿が討たれた・・・・そんな事、信じられるか!」
「まあ、信じるも信じないも貴殿の勝手だ。だが吉良上野介様はもうこの世にはおらん。貴殿は主君を見捨てた不忠の臣として後世に語り継がれるであろう。」
「何を!」
「「「「「エイエイオーーーーー!」」」」」
淡々と話す弥一に大変な剣幕で睨みつける宮内であったが吉良邸から赤穂浪士が勝鬨を上げた事で宮内は主君が討ち死にした事を知り、愕然とした
「赤穂浪士たちの勝鬨だな。」
「そ、そんな・・・・」
「後は好きになされよ・・・・お凛、縄をほどいてやれ。」
「はい。」
お凛が宮内の縄をほどいた後、音もなく気配を消した。残された宮内はその場で号泣するのみであった
「そうか、吉良の隠居が・・・・」
「めでたいですわね。」
「はい。赤穂の浪士たちは本懐を遂げました。」
吉良上野介が討たれた事は真っ先に柳沢美濃守吉保の下にもたらされた。柳沢はご満悦な様子であり、正親町町子と細井広沢も骨を折った甲斐があったと心底、ホッとしたのである
「(これで世間の目は赤穂浪士は忠義の臣、吉良上野介は悪人として世に広まる。公儀に批判や非難を向けられる事もなくなった。)」
何もかも上手くいき、柳沢美濃守は意気揚々と江戸城に出仕するのであった
「寺坂、話がある。」
「はい。」
赤穂浪士たちは怪我人を広間に集め、火事が起きないように火の用心を欠かさず行った。そんな中で大石は寺坂吉右衛門を呼んだ。呼ばれた寺坂は大石からある命を受けた
「お知らせせよと、私に?」
「そうだ。」
浅野内匠頭の妻である瑤泉院、浅野内匠頭の弟の浅野大学、そして同志の家族に本懐を遂げた事を報告するよう使者をしてほしいと命じた
「亡き殿の無念を晴らした事を瑤泉院様、浅野大学様、そして同志の御家族に知らせてほしい。」
「な、何故、私に?」
「うむ、そなたは元は吉田忠左衛門殿の配下だ。浅野内匠頭様と縁もないそなたが討ち入りに加わったとなれば世間の物笑いになる。彼の世におられる殿の名に傷がついてしまう。そなたにとっては不本意かも知れぬ。だが我等の生きた証を伝えられるのはそなたをおいて他におらんのだ、どうか分かってくれ。」
大石の言い分に寺坂は改めて身分の壁の厚さを痛感し何も言えなかったが特例で仇討ちに加えてくれた大石に恩義があり不服ではあったが胸にしまい、役目を引き受ける事にした
「承知致しました。」
「うむ、では行け。」
「ははっ。」
寺坂吉右衛門はそのまま吉良邸を離れた。怪我人である原惣右衛門と近松勘六等は駕籠に運びつつ、大石たちは吉良上野介の御首を掲げ、亡き主の墓所である泉岳寺へと向かうのであった
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます