第15話:準備

「そうか、大石が受け取ったか。」


弥一とお凛は大石内蔵助に例のものを渡した事を色部又四郎に報告したがお凛は浮かない顔をしていた


「如何した?」


「これで良かったのでしょうか。」


「お凛、無礼であろう。」


「良い、全ては上杉家のためだ。そなたらは上杉家のために動いただけの事だ。」


「・・・・出過ぎた事をして申し訳ございません。」


あくまで御家第一を考える色部に罰が悪そうに謝罪をするお凛、弥一は上司と部下の心情を理解しつつも中間管理職的な立場であるため、気まずい思いをしていた


「次の指示があるまで下がっておれ。」


「「ははっ。」」


弥一とお凛はその場を去り、隠家に到着するとお凛が弥一に謝罪した


「申し訳ございません。」


「・・・・過ぎた事を悔やんでも仕方があるまい、次から気をつけよ。」


「・・・・はい。」


「お凛、我等は忍びだ。闇に生き、闇と共に死ぬのが忍びの運命(さだめ)だ。ワシの弟・・・・お前の父はお前にそのような生き方をしてほしくない故、忍びになる事を反対した。」


「・・・・はい。」


「お凛、忍びから足を洗え。お前が生きていくには優しすぎる。即刻、米沢に帰れ。」


弥一から忍びを辞めよという最後通牒にお凛は「はい」と頷いた


「行け。」


「申し訳ございません、伯父上。」


お凛はそのまま姿を消した。弥一は亡き弟の娘(姪)の行く末を見届けつつ、闇へと消えていったのである





「まさかとは思ったがこれは・・・・」


大石内蔵助は例の文箱の中身を確かめるとそれは吉良家屋敷の絵図面であった。大石だけではなく息子の主税や他の同志たちも驚愕していた。事前に吉良上野介が本所に移設する前の松平信望(5000石)という大身旗本の屋敷の絵図面を手に入れていたが、まさか新築の吉良家の絵図面を寄越すとは思わなかったのである


「まさか吉良家の屋敷の絵図面を寄越してきたとは・・・・」


「何故、このようなものを我等に提供したのだ。」


「まて、この正確な絵図面を持っているとすれば・・・・米沢藩しかない。」


片岡源五右衛門の発言で周囲は「まさか」とか「あり得ない」とか「偽物」の声で溢れかえった


「それはないだろう、仮にも実の父を売るような真似は当主はしないだろう。」


「我等を嵌めるための偽物ではないか?」


「いや、こんな正確に描かれた絵図面が偽物とは思えぬ、吉良家屋敷だと名も記入されておる。」


「一体、どうなっているんだ。」


「まあ、偽物かどうか置いといて、我等にとって必要不可欠である事は確かだ。」


大石の鶴の一声で同志たちは一斉に静まり返った。例え偽物であっても屋敷の絵図面には変わりないので前原伊助や毛利小平太等、引き続き茶会の日取りと吉良家の内部を知っている者を交えて作戦にあたるのであった






「大殿、茶会はいつに致しまするか。」


「うむ、12月5日あたりにするか。」


「御意。」


吉良上野介は小林平八郎に最後の茶会に向けて準備を始めていた。今年最後の茶会とあって盛大に行う一方で赤穂浪士たちの襲撃にも神経を尖らせていた


「大殿、赤穂浪士たちの襲撃にも備えねばなりませぬ。」


「分かっておる。」


「警備として100名以上は備えておりますが、万が一の時には上杉にも援軍を弾正少弼様に頼まねばなりませぬ。」


「うむ、そうだな。」


平八郎は内心、上杉は援軍を寄越さない事を理解しつつも主君を不安にさせないように事実を伏せておく事にした


「大殿。」


「一学か。」


襖を開けて入ってきたのは清水一学である。一学は吉良の下へ近付いた後、そっと座り一礼した


「如何した?」


「はっ、四方庵殿が参られました。」


「おぉ、宗匠が参られたか!」


四方庵宗徧、寛永4年(1627年)に東本願寺末寺である京都上京二本松長徳寺の住職・明覚(長徳寺四世)の子として生まれ、最初は住職を務めていたが還俗し、18歳で千宗旦に弟子入りし承保元年(1652年)、宗旦の皆伝を受け、京都郊外の鳴滝村三宝寺に茶室を建てた。祝いに宗旦から千利休の伝来の品である四方釜を譲られた。また大徳寺の翠巌和尚からも「四方庵」の茶号を贈られている。その後、千宗旦の推挙で小笠原壱岐守忠知に30石5人扶持(100石格)で仕える事となった。吉良上野介は四方庵の弟子の1人である


「ようこそおいでなされた、宗匠。」


「吉良上野介様にはお変わりなく。」


「宗匠もご壮健でなにより・・・・」


互いに挨拶を済ませた後、12月5日に今年最後の茶会を行う事、来年からは米沢に移住する事を伝えると四方庵は吉良上野介を気遣う言葉をかけた


「吉良様の御心中、御察し致します。」


「なあに、田舎の趣もまた風流でござる。」


「吉良様・・・・世間が貴方の事を悪し様に申されようとも私は貴方がそのような御方でない事はよく分かっているつもりです。どうかお心を強く御持ちなされ。」


「宗匠・・・・お心遣い、忝のうござる。」


吉良上野介は四方庵宗徧に頭を下げた。茶の師匠であると同時に人生の師匠である四方庵への最大限の礼儀であった。四方庵は「どうか頭をお上げくだされ」と促すと吉良はそっと頭を上げた


「吉良様、茶会は盛大にやりましょう。」


「そうですな。」


これが本当の意味で最後の茶会になるとは2人は知る由もなかったのである







「12月5日か。」


「はい。」


四方庵宗徧の弟子となった大高源吾は大石内蔵助たちに報告をした。大石を始め、同志たちも身が引き締まる思いで聞いていた


「御家老、その日にしましょう。もうすぐ資金が底をつきまする。」


「左様、同志たちも満足な食事を頂いておりませぬ!」


「そうだな、瑤泉院様からの御化粧料も使ってしまったからな。」


大石の言う化粧料とは瑤泉院こと阿久里が浅野内匠頭に嫁ぐ際の持参金であり、瑤泉院を説得して仇討ちの資金としていたのである


「よし12月5日に討ち入りを決行する。」


12月5日に決行、それを聞いていた同志たちは武者震いをした。すると2人の男が同志たちの前に名乗り出た


「旦那様、どうか私も同志にお加えください!」


「「お願いでございます。」」


名乗り出たのは大石内蔵助の家来である瀬尾孫左衛門、もう1人は吉田忠左衛門の配下である寺坂吉右衛門、そして原惣右衛門の配下である矢野伊助である。亡き浅野内匠頭からすれば陪臣の身分であるため、同志たちから反対の声が続出した


「そなたら、身分をわきまえろ!」


「第一、主らは大石様と吉田殿と原殿の所属する足軽ではないか!」


「戦は我等、浅野内匠守の家来が行う。お前たち、陪臣が出る幕ではない。」


「足軽風情がしゃしゃりでるな!」


「待て、ただでさえ数が少ないのだ。」


「その通り、一人でも多くの同志は必要だ。」


反対する声があがる中で数が少ない事を理由に身分に拘っている場合ではないと唱えるおり、喧騒としている雰囲気の中、大石の鶴の一声で決まった


「各々方、我等の目的は吉良家の断絶、即ち吉良上野介と吉良左兵衛の御首(みしるし)を取る事にござる。最早、我等は浪人の身、身分等に拘っている時ではない。」


「「「では。」」」


「3名の加入を認める。」


「「「有り難き幸せ!」」」


「良かったな、吉右衛門。」


寺坂吉右衛門の主人である吉田忠左衛門は加入に喜んだが、矢野伊助の主人である原惣右衛門は複雑な面持ちであった。そして12月5日に向けて鍛練に励んでいた。今日も堀部安兵衛が経営する剣術道場で実戦さながらの稽古が行われていた


「ウオオオ!」


「キエエエ!」


「どうした、そんなへっぴり腰では先に斬り殺されるぞ!」


不破数右衛門は12月5日に向けて同志たちをビシバシしごいていた。それを見ていた堀部安兵衛は不破に待ったをかけた


「数右衛門、少し遣り過ぎじゃないか?」


「堀部殿、敵は我等が襲撃する事を想定して迎え討つ構えだ。同志の大半は人を斬った事のない者たちばかりだ。」


「まぁ、確かにそうだな。」


この頃の武士は泰平の世が続き、人を斬る機会がなく堀部安兵衛が行った高田馬場の助太刀が稀であった。仮に人を斬る機会があってもいざという時に及び腰になってしまう事がある。仮に斬ったとしても切捨御免(きりすてごめん)という法律があり、ちゃんとした理由であれば認められるが、不当な理由であれば切腹の上、御家断絶という厳しい処置が取られるため、刀を抜く事自体、躊躇してしまう武士が増加したのである


「いざというときに怖じ気づいてしまう可能性がある。そうなってしまえば仇討ちどころではなくなる。」


「まぁ、気持ちは分かるが程程にしてくれ。これ以上、仇討ちする前に本当に使い物にならなくなるぞ。」


「うむ、そうだな。」


堀部と不破は同志たちに手加減しつつも12月5日に向けて稽古に励むのであった

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