第10話:決意

その頃、三次藩では主君の仇討ちをしない浪士たちへの陰口がささやかれていた


「結局、仇討ちをしなかったな。」


「主君の恩よりも保身の方が大事なんだろうな。」


「そういえば赤穂で思い出したが、新任の山奉行も元は赤穂だったな。」


「ああ、大沼様の妹婿という理由で仕官したのであろうな。」


「軽輩の身分から目をかけてくれた主君への裏切り行為だよな。」


「そうだな、ハハハハ。」


「・・・・ちっ。」


人目のつかない場所で自分の陰口を言う同僚たちに五十嵐は舌打ちした。元赤穂藩士だという理由でなんでこうまで悪し様に言われるのかが理解できなかった


「(忠義など所詮、人が作ったまやかしに過ぎん。)」


五十嵐は仕事を終え、屋敷へ帰ろうとしたところ、義兄である大沼とばったり会った


「十郎太ではないか?」


「これは義兄上。」


「これから帰りか?」


「はい。」


「なら、私も一緒に帰ろう。道中、世間話をしようではないか。」


「ははっ。」


五十嵐と大沼は共に帰る事になった。その道中で世間話をしつつ、大沼は五十嵐を気に掛けていた


「十郎太、そなたの陰口は私の耳にも届いておる。」


「その事にございますか。」


「あまり気にする必要はない、そなたは私の妹婿という立場から嫉妬する者がおった。今回の事で余計に拍車がかかっただけだ。」


「御気遣い感謝致します。」


「十郎太、そなたにとって忠義とは何だ?」


義兄の口から忠義とは何なのか尋ねてきた五十嵐は「御家を支える事」と答えた


「そうか、そなたにとっては御家が大事か。」


「御意にございます。没落した家に忠義を尽くしても意味がありませぬ。」


それを聞いた大沼の背筋が凍った。この男は仕える家があれば留まるが、もしその家が危うければあっさりと裏切ると感じ取ったのである


「(いや、元を正せばこやつは20石5人扶持の軽輩であったな。まともな士分の教育を受けたとは思えぬな。)」


大沼は改めて五十嵐という人間性を再認識した。そしてこの男とは距離を取るべきだと悟ったのである


「では私はこれで失礼する。」


「道中、お気をつけて。」


大沼は五十嵐と別れた後、自身の屋敷に戻る道中で・・・・


「(とんでもない男を妹婿に持ってしまったな。共倒れにならぬよう気をつけねば・・・・)」







「身籠りました。」


山科の屋敷にて大石内蔵助の妻であるりくが身籠った事を夫に知らせた


「そうか。」


「旦那様にお願いがあります。」


「言うてみよ。」


「実家の豊岡にて子を産みたいと存じます。」


実家の豊岡に帰郷したいという妻の願いに内蔵助は快く受け入れた


「うむ、それは良い。そうだ、子供たちは一緒に連れていけ。舅殿もお喜びになられるであろう。」


「はい。」


「ただし松之丞はワシの下へ置いていく、良いな。」


「はい。」


その後、りくは子供たちと奉公人と共に豊岡へ向かう事となった。夫の内蔵助と息子の松之丞は妻(実母)を見送ったのである


「では行って参ります。」


「うむ、気をつけてな。」


「母上、御達者で。」


りくたちを見送った後、内蔵助は松之丞を呼んだ。呼ばれた松之丞は父と共に私室へ入った


「松之丞、今年のうちにそなたの元服を致す。」


「誠にございますか、父上!」


「あぁ、そなたも元服をしてもいい歳だ。」


「はい!」


「うむ、そなたの元服した時の名も考えた。名は大石主税だ。」


「大石主税・・・・有り難き幸せ!」


「それともう1つ、御家再興は叶わぬかもしれんぞ。」


「えっ。」


「確かな筋から聞いた話だが最早、浅野家再興は絶望的だと・・・・」


父の口から御家再興が叶わないと聞いた松之丞改め、主税は「では!」と尋ねた


「主税、万が一となれば、そなたには死んで貰うぞ。」


「望むところにございます!亡き殿の御無念を晴らす事ができまする!」


「うむ、よう申した。」


主税は浅野内匠頭に対して深い恩義があった。内蔵助と共に浅野内匠頭と対面した時、浅野内匠頭から「欲しいものがあるか」と尋ねると主税は「馬が欲しゅうございます」と答えた。浅野内匠頭は「それでこそ武士の子じゃ」と主税を褒め称えた。子供がいない内匠頭は主税の事を殊の外、愛おしんだ。その事を主税は生涯、忘れなかったのである


「うむ、ではこれより元服の儀を行う。」


「はい!」


「大石様!」


そこへ現れたのは不破数右衛門である。突然、屋敷に侵入し襖を開けて現れた不破に内蔵助と主税は驚きつつもも何をしに現れたのか尋ねる事にした


「不破、何事ぞ!」


「大石様、改めて仇討ちの義盟に加えていただきとうございます!最早、浅野家再興は叶わぬとあれば残された道はただ一つ、吉良上野介を討つのみにございます!」


不破の口から仇討ちに加わりたいとの願いを聞いた大石は溜め息をついた


「仕方のない奴だ。」


「では!」


「不破数右衛門、仇討ちの義盟に加わる事を許す。」


「大石様・・・・有り難き幸せ!」


「早速だがそなたに仕事がある。江戸にいる堀部や原、そして片岡たちを呼び出してほしい。此度の裁決と仇討ちの事を伝えるためにな。」


「ははっ!」


それから月日が経ち、元禄15年7月18日にて幕府から処分が下された。浅野大学は浅野本家にお預かりとなったのである。浅野家再興が叶わなかった事で多くの脱盟者が現れ、中には大石内蔵助の叔父にあたる小山源五右衛門と親戚である大石孫四郎信興や奥野将監定良も含まれていた


「まさか大叔父上と孫四郎様と奥野様が・・・・」


「こればかりは仕方があるまい。全てはワシが至らなかった故の結果だ。だが悔いている場合ではない。ここからが本当の闘いだ。」


「はい、父上!」


大石はすぐさま江戸にいる堀部安兵衛、原惣右衛門、吉田忠左衛門等に説得されて義盟に加わった片岡源五右衛門等の同志たちを円山に呼び集めた


「よくぞ集まってくれた。皆も知っての通り、此度御公儀は浅野大学様を芸州広島浅野本家にお預かりの儀となった。これで浅野家再興は最早、露と消え申した。よって我等の残された道は只1つ、亡き殿の御無念を晴らすため仇討ちを行う。」


仇討ちを口にした大石内蔵助に堀部安兵衛たちは息を飲んだ。原惣右衛門は「我等の手で御公儀の片手落ちを正しましょう」と同調した。すると片岡が仇討ちを行うあたりの本心を尋ねた


「大石様、此度仇討ちを決められた御本心をお聞かせ下さい。」


「本心か・・・・ワシはこの世の流れに腹が立つ。我等の思いをいとも容易く潰すこの世の流れに、ワシはこの流れの濁流の中で藻屑になりとうはない!」


大石の断固たる決意に堀部安兵衛は1歩前に進み、こう答えた


「これで武士の面目が立ちまする。早速、江戸に立ち戻り、この事を同志たちに伝えまする。」


「うむ、ワシも江戸に向かうために諸々の準備を進める。そこでワシの名代としてここにいる松之丞改め、大石主税が江戸に行く。」


「おお、松之丞殿が。」


「元服されたのか。」


「皆様、未熟ではございますが精一杯、努めさせていただきます。」


「後、此度の義盟に不破数右衛門も参加する。」


「不破が。」


「不破、入れ。」


大石が合図を送ると不破数右衛門が入室してきた。不破の登場に面々が息を飲んだ


「某、大石様の御許しを得て仇討ちの同志として皆様と共に行動する事となり申した。何卒、宜しゅう。」


「おお、武闘派の不破が加われば百人力だ!」


「勿論、歓迎するぞ!」


「忝ない。」


大石主税と不破数右衛門が加わった事で士気が高まった同志たちに向けて大石は「抜け駆けはしないよう」と念を押した。こうして大石たちによる仇討ちの幕が開いたのである


「(必ずや吉良を討ち取る。)」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る