第9話:最後通牒

「大石様、どうされるおつもりですか!」


叫んでいたのは堀部安兵衛である。大石内蔵助は今、江戸にいた。用向きは浅野家の再興を願い出る一方で江戸にいる急進派たちを説得するため自ら乗り込んだのである


「何度が言うが、御家再興が最優先事項だ。それまでは待つのだ。」


「大石様、貴方は江戸での評判を聞いていないから、そのような事が言えるのです!」


「左様、江戸の町民たちは我等を腰抜けよ、阿呆侍よ、罵っております。」


大石の言い分に堀部安兵衛と原惣右衛門は江戸での自分たちの悪評を訴えたが大石は鼻で笑った


「ふっ、言いたい奴には言わせておけ、ワシなんか軽石なんて呼ばれているぞ。」


「大石様、ふざけている場合ではありませんぞ!」


「ふざけておらんよ。」


「大石様、仇討ちに賛同した同志たちは我等も下を離れていきました。これ以上、いなくなれば殿の御無念が晴らせませぬ!」


「寧ろ、いなくなって良かったではないか。所詮、口だけの輩がいても迷惑なだけだ。」


「なっ!」


大石からそのような言葉が出るとは思っていなかった安兵衛たちは愕然とした。すると原と岡島の兄弟が大石に食って掛かった


「大石様、貴方は浅野家再興に尽力しているようですが公儀からは何の沙汰もないではありませんか!」


「左様、吉良に対しては何の咎めもなく大学様の閉門も解かれていない。最早、浅野家の再興は絶望的かと・・・・」


「まだ分らぬではないか?」


「大石様、もしや貴方様は仇討ちをする気がないのですか?」


そこへ堀部弥兵衛が割り込む形で入り、尋ねてきた。弥兵衛の言葉にいた安兵衛や原たちも大石の方へ視線を向けた


「ワシを疑うのか?」


「貴方の評判はこの江戸にも聞こえてございます。我等とて大石様を疑いたくはない。だが何事にも限度がある。大石様、せめて大石様の御本心をお聞かせくだされ。」


弥兵衛がそう言い切ると堀部安兵衛や原惣右衛門たちは鬼気迫る表情で大石を見つめた。大石はというとこのままではまずいと肌で感じ取っていた。下手な言い訳をすれば間違いなく自分は殺されると心底、思ったが仮にも赤穂藩の筆頭家老の立場もあってここで弱腰になるわけにはいかず毅然とした態度で弥兵衛たちと向き合った


「ワシの事が信用できないのであれば、この神文はそなたらに返す。そなたらの我儘勝手にほとほと愛想が尽きたわ。」


大石がそう言うと風呂敷から神文を取り出し、弥兵衛たちの前に叩きつけた。それを見た安兵衛は「神文を返して貰いましょう」と言い、神文に手を出そうとした瞬間、弥兵衛が止めた


「待て、安兵衛。」


「義父上。」


「大石様、貴方様のお立場、よく存じております。貴方様は赤穂藩の筆頭家老、我等と違い責任重大なお立場、簡単に去就を明らかにされない事は重々、承知してございます・・・・ですがこれだけはお尋ねしたい。もし御家再興がならなかった場合は改めて我等と共に行動なさいますな?」


弥兵衛は大石の立場に同情しつつも安兵衛たちと同じく仇討ちに賛同するよう迫ったのである。安兵衛たちの視線も一層厳しくなり大石を見据えた


「わ、分かった。」


大石は年貢の納め時と言わんばかりに賛同するしかなかった。その後、大石は幕府の重役に浅野家再興の願いを出したが門前払いをされ、途方に暮れていたところ一人の儒学者に声をかけられた


「大石内蔵助殿ですね。」


突然、自分の名前を言い当てた人物に大石は「いいえ、私は池田久右衛門です」と否定したがその人物は「隠さなくても分かります」と返された。大石は警戒しているとその人物は名乗り始めた


「失礼、私は細井二郎太夫広沢と申します。」


「や、柳沢美濃守様お抱えの・・・・」


「ここでは人目もあります。私の行きつけの茶屋にてお話しをしましょう。」


細井広沢、柳沢出羽守保明改め柳沢美濃守吉保お抱えの儒学者であり、江戸急進派の堀部安兵衛とは同じ堀内道場で剣術を学んだ友人である。広沢は大石を連れて、行きつけの茶屋に向かった。茶屋に入ると部屋に案内された後、広沢は茶屋の主人に「誰も入れないでほしい」と願い出た後、部屋には大石内蔵助と細井広沢の2人だけとなった。大石は警戒を解かずにここへ呼んだ理由を尋ねた


「何故、某をここへ?」


「まあ、有り体に申せば・・・・浅野家再興は叶わない事を伝えるためです。」


浅野家再興が叶わないと聞いた大石は呆気に取られたが広沢は話を続けた


「上様は浅野内匠頭様の暴挙に今でもお怒りは解けず、浅野家再興にも否定的です。柳沢様を始め、周りが動いても上様がお許しにならない限り、無理な話です。」


それを聞いた大石は妙に納得してしまった。細井広沢の主君である柳沢美濃守は徳川綱吉の側近中の側近である。将軍の裁決には必ず関わっている柳沢美濃守にも説得できないとなれば最早、浅野家再興は絶望的になったのはいうまでもない


「さて大石殿、仇討ちはするのですか?」


「な、何を急に・・・・」


「どうなのですか?」


「畏れ多くも仇討ちをする事は即ち御上に弓を引くようなもの、それに吉良家には米沢藩がついている。」


「大石殿、もし仇討ちをお考えであれば、私が柳沢様を通じて御支援致します。」


「し、しかし・・・・」


「主君の仇を討てば世間は拍手喝采、流石の上様も無視はできませぬ。もしかしたら浅野家再興は叶うかもしれませんよ?」


浅野家再興、大石にとっては願ったり叶ったりではあるがこの人物を信用していいのか迷っていた


「何が目的ですか?我等を支援するなんて・・・・」


「目的ですか・・・・強いていうなら上様にお灸を据えるためですね。」


「上様を・・・・」


「ええ、あの御方は稀代の学者肌ではありますが理想に拘る頑固者、我が主君でさえ止められませぬ。此度の浅野内匠頭様の裁決についても強引に決められました。ただでさえ生類憐れみの令もあるから尚更、我が主は常に胃の薬は欠かせぬ毎日にございます。」


「は、はあ~。」


「そこで大石殿には仇討ちをしてもらいます。もし断れば、貴方は堀部安兵衛たち江戸急進派の方々に斬られる可能性がありますね。堀部安兵衛が武士の面目に拘る男ですから・・・・」


「堀部と知り合いで?」


「ええ、同じ堀内道場で剣術を学んだ仲でした。あの男の考える事は手に取るように分かります。」


それを聞いた大石は殺気立つ堀部たちを思い出していた。あの時は神文もあってか渋々、受け入れたがここにきて本格的に仇討ちに乗り出すしかなかった


「美濃守様は誠に我等に支援を・・・・」


「ええ、御懸念あれば誓紙をもってお誓い致します。」


「わ、分かり申した。」


後日、大石は柳沢美濃守から仇討ちの許可が下りた。大石は最早、背に腹は代えられない思いで江戸を立った。その様子を見ていた弥一とお凛は色部に報告をした


「細井広沢、柳沢美濃守の・・・・」


「柳沢美濃守が大石に接近したとなれば最早、御家再興は絶望的かと・・・・」


「うむ、これはウカウカしてはおれんな。」


「如何なさいますか?」


「引き続き監視せよ。」


「「ははっ。」」


「(ここが正念場だ。)」


柳沢美濃守が大石の後ろ盾となった事に色部は戦々恐々しつつ思案に暮れるのであった

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