第6話:それぞれの思惑

「そうか、藩士たちが赤穂を去ったか。」


「はい。」


ここは吉良家鍛冶橋屋敷、赤穂城明け渡しが無事に完了した事を淡々と報告する吉良家四家老の1人である小林平八郎をよそに吉良上野介は訝しんだ


「まさかワシを討とうとして城を明け渡したのではあるまいな。」


「そればかりは・・・・」


「巷では赤穂の者たちがワシを狙っているという噂を聞いた。しかも此度の裁定はワシが上様に命乞いをして決まったものと見ている。ワシとしては心外じゃ!」


「大殿、落ち着かれませ。」


「落ち着けるか!ただでさえワシは世間では悪者扱いされている。ワシは被害者なのに・・・・」


吉良上野介は浅野家刃傷の後、吉良上野介は隠居し孫の左兵衛に家督を譲ったが安心してはいられなかった。世間から白眼視され針の筵の心境であった。こっちは大事な儀式を監督する立場として仕事をしていたにも関わらず浅野内匠頭が突然、発狂し襲ってきたのである。巷では付け届けが少なくて意地悪をしたとか、浅野が塩の製法を教えなかった事とか、火事の一件での騒ぎ等、様々な噂が入り乱れ、最終的には吉良が悪者という風潮が出来上がったのである。吉良にしてみれば火事の件はあったが他は身に覚えのない事をあたかも事実のように吹聴する世間に怯えていると小林平八郎が淡々と語り始めた


「大殿、仮に仇討ちを企んでいようとも、すぐには動きませぬ。御公儀としても将軍のお膝元で仇討ちが起きたとなれば、御公儀の評判に関わります。」


「う、うむ。」


「それまでの間に警護を増やし、身辺を厳重に致します。大殿の御嫡子であらせられる上杉弾正大弼【上杉綱憲】様に援軍を依頼致しましょう。」


「それだと良いが・・・・」


その後、吉良家はというと幕府の命で本所松坂町に屋敷を移転する事となった。親族たちの中からは「これでは赤穂の浪士たちに吉良を討て」と言っているようなものと不満の音があったが吉良上野介は黙って従うのみであった。上野介の弱気な態度に業を煮やした妻の富子からは「貴方も浅野内匠頭様と共に潔く腹を切りなさい」と発言した事が原因で2人は離婚したのである



一方、江戸米沢藩邸では上杉綱憲と江戸家老の色部又四郎がおり、赤穂城明け渡しが無血のまま完了した事が上杉側にも伝わっていた


「赤穂の者共は神妙に城を明け渡したか。」


「左様でございますな。」


「巷では赤穂の者共は父上を討とうとする噂がある。此度の城明け渡しも仇討ちを目的に行ったのではないか?」


「それは有り得ませぬ。」


「何故、そう言い切れる。」


「恐らくは浅野内匠頭の御舎弟である浅野大学を擁して御家再興を願い出るでしょう。」


「そうであればよいが・・・・」


「ただし、公儀が浅野家再興を御取り上げ下されなかった場合、赤穂の者共が何をするか分かりませぬ。」


「仇討ちをすると申すか。」


「その可能性はなきにしもあらず。」


「うむ、色部。赤穂の者共が仇討ちをするのであれば、我等は討ち果たさねばならぬ、父上と左兵衛【吉良義周】を守らねばならぬ!」


「殿、それはなりませぬ。」


「何故だ!」


「殿は吉良上野介様の御嫡男ですが上杉家の御当主にございます。将軍のお膝元にて、そのような事をすれば御公儀から必ず御咎めが参ります。浅野の二の舞は何としても避けねばなりません。」


「では父と息子を見捨てよと申すのか!」


「上杉家のためにございます。」


「くっ!」


綱憲は実の父と息子を救いたいという孝行心(親心)と同時に上杉家の当主としての立場もあり、板挟みに陥っていた。色部はというと吉良上野介の事を御家を救った恩人であると共に金食い虫と吉良上野介を忌み嫌っていた。松の廊下で浅野内匠頭に襲われた際は生きていた事を知り色部は内心、残念がっていた


「(吉良のせいで上杉家の財政は悪化した。更に本所松坂町で新しい屋敷を作る際に米沢から大工を派遣せざるを得なかった。これ以上、吉良に振り回されたら間違いなく上杉家は共倒れになってしまう。)」


「で、では屋敷の警備を増やす事はできよう。」


「それくらいなら・・・・」


「うむ、では任せたぞ。」


「ははっ!」


色部又四郎は吉良家の警備や米沢から派遣された大工の手配等をする一方で独自で動いていた


「弥一、お凛。」


「「ははっ。」」


色部の呼び掛けに気配なく現れた2人の軒猿と呼ばれる忍び、見た目からして親子ほど年の離れた2人の男女が現れた


「これより赤穂へ向かえ。」


「赤穂へ。」


「あぁ、筆頭家老である大石内蔵助を監視せよ。」


「斬らなくて宜しいので?」


「今は監視だけで良い。」


「「ははっ。」」


色部の指示の下、弥一とお凛は音を立てずに姿を消した。それを確認した色部は先の事を考え、思案を重ねるのであった






「上様、赤穂城の明け渡し、無事に完了致しました。」


「うむ・・・・おう、よしよし弁丸。」


江戸城中奥にて柳沢出羽守保明の報告を聞いた徳川綱吉は弁丸と名付けた狆(ちん)を可愛がっていた。柳沢出羽守は言おうかどうか迷っていると綱吉は「他にはあるか」と尋ねた


「あ、はっ・・・・実は赤穂から浅野家の再興と吉良上野介の処分を願い出ておりますが・・・・」


「・・・・ほお~。」


それを聞いた綱吉の表情は能面のように無表情になった。長年仕えていた柳沢出羽守は綱吉の表情を見てそれ以上、何も言えず黙りこくった


「赤穂の田舎侍どもが・・・・おう、よしよし。」


綱吉はそのまま紅丸を可愛がると「弁丸は赤穂をどうするか」と話し掛けた。弁丸はというと普通に「ワン」と鳴くと綱吉は「お、そうかそうか」と頷いた。柳沢出羽守は「また悪い癖が出た」と表情にこそ出さないが面倒が増えたと心の中で愚痴をこぼした


「出羽。」


「はっ。」


「弁丸がな、赤穂をからかってやれと言うておるわ。」


「はっ。」


「取り敢えず待たせておけ。」


「畏まりました。」


「ふふふ・・・・おう、よしよし。」


「(胃が痛くなって来たわ。)」


赤穂城明け渡しの後、渦中の人物である大石内蔵助は家族と共に山科へ居を構えていた。また名前を池田久右衛門と変えて浅野家再興に乗り出したのである


「さて、ここからだな。」


それからの大石はというと病というべきか趣味の延長ともいうべき女遊びに現を抜かしていた。今日も馴染みの遊女と遊んでいた


「大石さんったら御盛んね♪」


「まだまだ若い者には負けないぞ♪」


この時の大石は40代前半、男盛りの真っ只中である。家老時代は正室であるりくの他にも愛人がおり、子供もいた


「(反本丸(へんぽんがん)のおかげでワシもまだまだ現役だわい♪)」


反本丸とは近江国彦根藩で作られている近江牛の味噌漬けであり、大石は密かに購入していたのである。仏教の伝来以降、日本で牛肉を食べられる事は御法度であり、更に徳川綱吉が制定した生類憐れみの令もあって益々、牛肉を食べる事が制限されていた。しかし大石は牛肉の魅力に抗いきれず、家族に内緒で食べていたのである


「今日のワシは夜の征夷大将軍だわい♪」


「いやん♪」


そんな夫の女癖の悪さにりくは頭を痛めていた


「はぁ~、あの人の女好きは病だわ。」


徳川、吉良、上杉、そして赤穂浅野家の面々による駆け引きが水面下で行われるのであった




【架空の人物】

・弥一「米沢藩に仕える軒猿」

・お凛「米沢藩に仕える軒猿」

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