Ⅰ.まずは偶然から始まる。

「何読んでんの?」


 休み時間、教室の外から声がした。窓際の席にいる俺を覗き込むようにして半田立椛が言った。


「本。」


 俺はぶっきらぼうに答えた。




 まさか再会するとは思ってもみなかった。小学三年生の時まで、立椛は俺の家のすぐ近くに住んでいた。いわゆる、幼馴染というやつだ。あの頃からずっと仲は良かった。というか、仲を悪くする要因が無かった。だが四年生になった時、立椛は引っ越した。このまま一生会うことは無い、と思うと寂しかったが、立椛のことなどすぐに頭を離れてしまった。


 しかし、高校に入学し、ふと他クラスの名簿を見た時には驚いた。そこには立椛の名前があったのだ。仲が悪かった訳ではなかったので昔のように挨拶をした所、どうやら向こうも気づいていた様で、そこからはとんとん拍子で話が弾んだ。ただ繰り返すが、特段仲がいい訳ではない上クラスも違うので喋る機会は少ない。それでも幼馴染とだけはあって、本音で語り合える数少ない友達の一人だ。


「それは分かりますー。こういう時は普通、本の内容を言うものですよ。」


 立椛が言った。


「普通、そんなものは俺に通用しない。」


 適当に答える。


「だから、ああ、めんどいって。」


 立椛は天を仰いだ。


 俺はこんな性格だから嫌われてもおかしくないのに、いちいち立椛は絡んで来る。正直言って、面倒くさい。でも、なぜかは分からないが、どこか憎めない。あんまり冷たくしすぎると嫌われそうなので、そろそろ答えてやる。


「相対性理論の本。アインシュタインのやつね。」


「うわ、ムズそー。やっぱり頭、良いんやな。」


 感心したような目つきで見られても困る。確かに頭は良い方だが、言われても特に何も感じない。頭が良いと褒められて嬉しい事は無い。むしろ頭が良いから損したことの方が多いばかりだ。


 昔から、自分が頭が良いことには気づいていた。集団生活を送るうえで段々と、頭の回転が速い部類に入っていることを自覚するようになった。頭いいね。すごいね。そうやって言われれば言われる程、自分が頭がいいということを嫌と言う程自覚させられるのだった。


 しかし、それはいいことだけではない。周りの人が皆、下らなく思えてくるのだ。小学生の頃はまだ良かった。だが段々と年齢を重ねるに連れて、自分と他人との違いが広がっていくのを感じた。愛想笑いで偽りの友情を取り繕って孤立を防ぎ、脆い自尊心で壊れかけた心を無理矢理縛り付けてきた。


 仮面を被っていれば空っぽの自分はまるで、月のように神秘的な存在になれる。自分を大きく見せるのだ。そうやって生きて来た。虚しさだけがただ心に響く。


「あ、立椛じゃん。」


 声の主は同じクラスの五十嵐優花だ。立椛の中学時代からの友達らしい。明るい性格で、誰とでも喋るタイプ。人間不信の俺とは正反対だ。


「また神川君と喋ってるの?」


 五十嵐は色々な人に話しかけるため、自分から他人と関わろうとしない俺でもたまに話す、数少ない人間だ。


「通りすがりに、ちょっと、ね。」


 立椛は言った。


「仲いいよね、あんた達。」


 五十嵐優花は俺たちの方を見て、クスッと笑った。


「そう見えるか?」


 低い声で俺は答えた。仲が悪いわけではない。でも良くもない。そう、その筈だ。


「だってさ、立椛、最近毎日神川君のとこ来てるでしょ。」


「俺は別に何もしてない。立椛が話し掛けるから話すだけだ。」


「誰とも話せないぼっちなんだから、私が話してあげてるの。」


「ぼっちじゃねーよ。言葉を交わすくらいの友達はいるから。今は本を読みたい気分なんだ。」


「喋ってるとこ見たことないけど。」


 当たり前だよ。あんな低俗な奴らと喋ってたまるか。孤立を防ぐために表面上の付き合いをしてるだけだからな。そう反論したい。だが、五十嵐がいるから、下手なことを言ったらクラス中に広まって全員から嫌われる。流石にそれは嫌だ。


「あんた達、いいカップルになるんじゃない?」


 五十嵐が笑いながら言った。


「え?」


 その時だ。チャイムが鳴り響いた。


「あ、私行かなくちゃ。じゃね。」


 立椛は逃げるようにして走っていった。俺は五十嵐に尋ねた。


「さっきの、どういうこと?」


「何でもないよ。えっと、次の授業何だっけ?」


 五十嵐は何事もなかったかのように話を切り替える。コミュ力が高いのが羨ましい。


「数学だよ。」


 答えてやる。


「マジかぁ。」


 五十嵐は上を向きながら席に戻っていった。


 俺は数学は好きだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る