Episode16
さあ、瑠衣の夢を叶えよう。
瑠衣の幸せだった一瞬を、永遠(セカイ)に変えてみせる。
僕はまだありすほど長い付き合いじゃない。それどころか、まだ一ヶ月も経っていない。それでも、僕も瑠衣の友達なんだ。友達が困っていたら助ける、見捨てない、手を差し伸べる。友情って、そういうものじゃないかな。
べつに、殴り合いをするわけじゃない、だから、このか弱い体でも問題はない。
大人相手に論戦をしにいくわけでもない、だから、僕の足りない頭でも大丈夫。
勝利条件は“瑠衣から離れるように葉月大輝がありすに命令しなくなること”、ただひとつ。
瑠衣の視ている『痛み続ける苦痛のセカイ』は、きょうで、『痛みなき幸せなセカイ』に変わる。
葉月瑠衣を苛む問題は、ここで決着を迎えるからだ。
(37.)
午後九時、僕はリビングで大輝さんを待っていた。
ありすと瑠衣は近場に整形外科がないと知り、少しだけ離れた病院まで行き治療しているため、帰ってくるのはいつになるかわからない。しかし、出てから三時間は経っているはずだから、そろそろ帰ってくる頃だろう。夜間救急病院や大学病院にでも行ったのだろうか?
そして、どうやら僕は疲れているらしい。いつの間にか眠ってしまい夢の世界に旅立ってしまっていた。危うく説得以前の問題になるところだ。
「豊花、聞いているの? 後悔するハメになるんだーとか、説得しなければならないんだーとか、さっきからいったい何の話してるのよ?」
詳しい説明をしていない瑠璃は、僕の言動がさっぱり理解できていない。
そりゃそうだ、投身自殺未遂自体知らないのだから……。
とはいえ、ありすのバッキバキで傷まみれの姿を見て違和感を覚えないのかな?
瑠美さんは事情がわかったみたいで、なにやら説得するつもりなら好きに説得してくれてかまわないんだと言ってくれた。
「正直な話、大輝さんにそう言われているから、そうしているだけで、ありすちゃんと無理に引き離すだなんて酷いこと、私は反対なの。うふふ。あのひと頑固だから、私の言葉には耳を貸してくれないからね。ただ、娘を大切に思っているからこそ、いろいろと執着していることを忘れないでね?」
「あ、はい。むしろーー」
本当に娘を大切に思っているほうが説得しやすい内容だ。
娘を操り人形だと考えている場合、逆に応じない可能性のほうが高い。
娘が真に大事なら、自分の選択の間違いを自覚できるだろうし、まだ命令をしていないのだから十分間に合うはず。
と、解錠の音と共に玄関が開かれる音が聞こえた。
うっ、さすがに緊張する。
やることはひとつなのに、手汗でぬめぬめしてきて気色が悪い。
胸が高鳴りはじめる。足音が一歩ずつ近づいてくるのがわかりさらに緊張してしまう。
やがて、リビングのドアが開いた。
「ただいま、瑠美」
そこにはーーやつれた顔の包帯巻き巻きおじさんが立っていた。
体中のいたる箇所が包帯やら湿布やらで覆われてしまっている。
たしかに、ちょっとだけ怖そうな顔をしているけど、ヤクザというほどの恐怖な面構えをしてはいない。
想像していたようなヤの人たちとは違い、まさに研究者たちを纏める厳格な雰囲気のあるひとだ。
「おかえりなさい、大輝さん。うふふ」
「パパッ! 怪我は大丈夫!? どうして今まで黙っていたのよ!? 言ってくれてもいいでしょ? 心配したんだからね!」
大輝さんに瑠璃は駆け寄り怪我を確かめるように全身を見回しはじめた。
「瑠璃、ただいま。おや、もう知っているのかい? どこの誰が流した情報かはしらないが、とりあえず謝ろう。すまなかったね。でも、私は本当なら瑠璃が異能力者保護団体で働くのも反対していることは知っているだろう? ただでさえ危険に曝される可能性のある仕事なのに、研究所はさらに危険が伴うし、機密情報も多く存在するんだ。もしもきょう、私の身が危険だとわかってしまったら、瑠璃は関わってくるだろうと危惧しただけの話だよ。すまなかった」
いつ会話に割り込むべきか。
もっと横柄なひとなら気にせずはじめるつもりだった。だというのに、瑠衣の言うようなヤクザとはまるで印象から違っている。
これだけでは普通のおじさんと変わらない。
「おや、きみは……杉井豊花くんかい? いつも娘たちがお世話になっているらしいね、ありがとう」
「い、いえ……」
「知っているってことは、誰かに豊花の話を聞いたのね? 私は名前も能力も一言たりとも言っていなかったのに。でも、名前や能力までならデータベースを見るだけでわかると思うけど、どうして私や瑠衣の友達だってわかるの? そうそう、殺し屋に依頼されただなんてなにをどうすればわかるのよ?」
瑠璃がマシンガントークで質問責めにするせいで会話に混ざれない。
「杉井くんに関しては聞くまでもないだろう? それとも自分の仕事を忘れてしまったのかい?」
「え……ああ、もしかして担当者だから仲良くしたほうが便利なはず、みたいな予想なの?」
「それ以前の問題だ、仲が良くなければお家に上げないだろう? 殺し屋については、依頼が経由される中継地点にたまたま知人が関わっていたらしくてね、すぐに連絡をもらったんだよ。まあ、誰が何人か等や依頼された殺し屋の詳細なんかには干渉できないらしいから、ただ狙われているとしか言われなかったんだが……それでも命の恩人には違いないさ。そうだ、瑠美? そのひとがあとで来るんだ、いきなりですまない」
さらに話しづらくなるじゃないか、早く言わなければ……。
それを察してくれたのか、瑠美さんが口を開いた。
「気にしなくていいのよ、娘の命の恩人ですものね? それより大輝さん、豊花くんからお話があるんですって、聞いてあげて」
「うん? 話とはいったいなにかな? そうだ、瑠衣の靴が見当たらなかったが、まさかひとりきりで外出しているわけではあるまいな?」
「瑠衣はね、ありすちゃんとお出掛けしているところなの、うふふ」
ミシッ、と空気が軋む幻聴が聞こえた。
大輝さんの表情が一気に険しくなる。触れてはいけない類いの話だというのが、目に見えてわかる。
「瑠美、きみはそれを許可したのかね? 第一、河川(かせん)ありすには瑠衣に直接接触するのはダメだとキツく言っておいたのだが、まだ言い足りなかったらしいな」
「大輝さん!」少し大きい声で名前を呼び、意識をこちらに向かせる。「瑠衣とありすの件で、説明しなければいけないことがあるんです」
大輝は訝しい表情を浮かべた。
「説明? いったいなにがあると言うつもりだい? 河川ありすについてはきみより私のほうが詳しいはずだよ? 伝えるべき情報などありはせんよ」
「いえ、あります。大輝さんはこのあとありすを瑠衣から離そうと考えていますよね?」
「当たり前だ。本来なら頼りたくなかったが、あいにくすぐ依頼に就ける人物で対応できるのは二人しかいなかったのだよ。嘆かわしいことさ。河川ありすも清水刀子(しみずとうこ)も元・殺し屋だ。いまも対象が変わっただけで殺す仕事に就いているのには変わりない。まだ清水くんのほうが腕も常識もあるから頼んだのだが、断られてしまってね」
断られた?
清水刀子、刀子?
ああ、そういえば、ありすが師匠と慕っていたような気がする。
「清水くんは気難しくてね。私は清水くんに頼んでいたのだが、『私よりも適任者がいる。そいつに頼めばいい話だろ?』などと、要は河川くんに頼めとだけ言われてしまった。それだけの理由だ。本来ならそのような危険人物を娘の隣に置いておくわけにはいかないのだよ」
ありすは娘である瑠衣を守ってくれた命の恩人なのに、それは気にしないのか?
「それがダメなんですよ、大輝さん」
「やめてくれたまえ、わざわざ話す必要もない。きみに意見する権利はない」
「大輝さん、その選択をしたら、あなたは確実に後悔することになります」
「なんだと? 河川くんに頼んでしまったのは反省すべきところだが、後悔するようなことはなにもない」
「いえ、ぜったいに後悔します。だって、大輝さんは愛する娘がいなくなってもいいんですか?」
「なにが言いたいのか、私にはさっぱりわからんよ」
大輝さんは僕の遠回りな言動に苛立ちはじめ、口調がやや荒くなってきた。
瑠璃はその会話に混ざらないほうがいいのか、それとも混ざってもいいのだろうか、心配そうに僕と大輝さんを見守っている。
瑠美さんはニコニコしながらも沈黙に徹していた。大輝さんの味方にはならないようにしているのか、僕に協力まではしないという意思表示か、どちらかはわからないがありがたい。
そして、いまこの場でそれをきちんと伝えられるのは僕しかいない。
「実は、まえにありすが消えた理由、瑠衣は知っています」
「なに? 河川くんかい? お喋りな奴だ。情報漏洩とはつくづく信頼できぬ小娘だ」
「そして、大輝さんのせいで、再びありすと別れることになってしまうと推測したんです。さて、なにをしたと思いますか?」
「くだらん。なにをしようとかまわん、いずれ、わかってくれるときがくるはずだ」
やはり、わかっていないようだ。
わかってくれるときがくるはず?
いずれ?
それらは死ななかった場合という前提条件の下でしか機能しない。
「大輝さんは勘違いしている部分があります。その『いずれ』が永遠に来なくなることを迷わず行ったんですよ? 『いずれ』や『将来』が訪れなくなる行為を絶望のあまりに躊躇わずに行いました。本当、心臓が止まるかと思いましたよ。いや、大変でした、主にありすが」
主にありすが、というより、ありすがいろいろと大変なことになっているだけだけど……あれ、全治何ヵ月くらいかかるんだろ?
「……なに? まさか、友人ひとりを失う程度でそんなバカな真似をしたと言いたいのか、きみは!」
普通ならバカな真似としかおもえないだろう。
ーーそんなことするはずがない。
ーー死にたいというのは、生きたいという意味であって、本当に死にたいわけじゃない。
大抵の人間のイメージはこうなるだろう。
だけど、瑠衣は違った。
本気で空へ羽ばたこうと試みた。
俊巡せず、迷わず、躊躇せず、死の恐れより、ありすとの別れのほうが何倍も恐ろしいと言わんばかりに、まっすぐ踏み出し空に身を任せたのだ。
「急に窓を開けて飛び出したかと思えば、別れを叫びながら、迷うことなく柵の外へと身投げしたんです」
「はぁあああっ!? あの子、いったいなにやってるのよ!? ちょっとちょっと、大丈夫なんでしょうね!?」
瑠璃のほうが怒ってしまった。
大輝さんを心配していたときみたいに、今度は瑠衣を思い、同じように不安げな表情を浮かべている。
てっきりシスコンやファザコンだと勘違いしそうになったが、どうやら瑠璃はそれらとは違う気がした。
おそらく瑠璃は、瑠美さんが危険な立場に陥っても同じくらい心配する。不安げな顔で助けに行けるなら助けに行く、自分の身が危険に曝されるのを構わずに……。
家族に対する愛情が強いのかもしれない、と僕は感じた。
裕璃を助けに行ったせいで、瑠衣が要らぬ危険に曝されたと知ったとき憤怒したのを慮るに、多分、その愛情は他人に向くことはない。
家族が特別なだけで、それ以外は有象無象ーー。
僕は、僕はまだ、他人扱いなのだろうか?
なにやら瑠璃は、瑠衣とは別種の問題を抱えているように思えた。
「ならば、瑠衣は死んだというのかね? 出掛けていると言っていたではないか。嘘で脅そうなど甘い妄言は聞くに値しない戯れ言だ」
「いえ、本当です。正直、助かるか助からないかは五分五分だったんじゃないですかね。ありすも焦っていましたし、瑠衣を助けることには成功したものの、代わりに腕が大変なことになってしまいました。瑠衣も怪我をしている可能性があるので、仲良く二人でタクシーに乗って病院に向かったんです」
「ま、待て、待ちたまえ! 瑠衣を狙う殺し屋の件はどうなっている!? 知人のおかげで手に入った情報だ、無駄にして娘が殺されたら堪らんぞ!」
「大丈夫だとおもいますよ。一応、既に退けてくれましたから」
伝えていなかったのか……。
素直に本命の任務は果たせているのを明言した。
「いや~、あの二人、羨ましいくらい仲が良いですよね? もしかしたら自分も死ぬかもしれないのに、瑠衣を助けるために迷わず動いて、骨折しつつも瑠衣を引っ張り上げることに成功しましたからね。正直、自分なら躊躇って助けられませんでした。友達より親友と言っていいんじゃないですか? 友達として隣にいるべきなのは、僕じゃなくてありすだとおもいます」
「それは……依頼に従い」
「従ったところで自分が死んだら身も蓋もないじゃないですか。普通はしませんって。瑠衣もありすのことが本当に好きだということが痛いくらい伝わってきます。もしも大輝さんが、自分とありすが会えないようにするのであれば、家を出ると言い張っていました。ホームレスでもいい、援助交際で金を稼いでもかまわない。とにかく家を出るんだーって、本気で口にしていましたよ?」
「援ーーッ!?」
「はぁああ!? バカじゃないの!? ぜったい止める、そんな日が来たとしても私が許さない!」
いや、瑠璃さんはちょっと黙っていてくれませんか?
前もって話さなかった理由のひとつは、実はこの為なんだ。
これらを知った瑠璃は、善意の押し付けーーなにがなんでも瑠衣には自殺させない、援助交際なんてもってのほか、家出など笑止、など言い出して、それだけで問題を解決したと考え、話し合いを強制中断させようとするんじゃないかと予想できたからだ。
本気で阻止しようとする瑠璃の勇ましさは少し憧れる部分があるけど、実際には問題の解決には至らない。
今だけは単なる蛮勇にしかおもえない。
「そして……これをどうぞ」僕は薄い本を大輝さんに差し出した。「瑠衣がありすのことがどれくらい好きなのかわかります。部屋に隠し持っていました」
並べてある本の後ろに隠してあった、まえに一度だけ見せてもらったことのある物だ。瑠衣が純愛だと言い張る18禁オリジナル百合同人誌。
ありすに酷似したキャラが、瑠衣の体験と同じようなシチュエーションで主人公を助けて始まる純愛ストーリー(瑠衣談)ーー内容の半分以上がベッドシーンの同人誌を、果たしてエロ本ではないといえるのだろうか?
「なにかね? 最近このような絵をいろいろなところで見かけるようになったが、なにかの作品なのかね?」
あ、はい。
たしかに最近、やたらと萌え系イラストが街中にべたべた貼られている気がする。
けっこう萌えとか美少女キャラクターとか流行っている気がしたけど、表情から察するに知識は皆無っぽい。
瑠璃も同人誌という物を知らないらしい。なんだろうこれ、といった目で見ている。
「なんなの? なんかやたらと薄い本ね。まったく、瑠衣の無駄な買い物は治りそうもないわね。まっ、どうお金を使おうと私が口を挟む……こ、と……ん? この表紙の右の子、やたらとあいつに似てない? あれ? え、あっ、ちょ、ちょっと、これ、まさか、ちょっと豊花、なにをパパに見せる気なの!?」
ようやく瑠璃は気がついたみたいだ。
瑠衣が見せてくれた同人誌の表紙にも、端のほうにしっかりR-18と明記されている。
表紙にいるのが二人の女の子だということを照らし合わせれば、さらに内容の予測ができるだろう。
瑠璃は非常に気まずそうな顔をしながら、
「ありすが好きすぎて好きすぎて堪らなくなり、おそらく探しに探し見つけ出した逸品です。どうぞご覧ください。ありすが大好きなことがわかりますから」
「ふむ、そこまで言うのであれば一読しようではないか。まったく、あの娘はどうしてこうもよくわからない変な物ばかり買ってくるのか……む、なに? なに!? エロ本ではないかぁああああ! なんのつもりできみはこのような物を私に見せた!? 未成年の娘が近くにいるのだぞ! 少しは気をつかいたまえ!」
大輝さんはパラパラとページを捲り見ると、いきなり慌てながら同人誌を押し返してきた。
いったんテーブルの上に乗せると、きちんと説明する。誰が、なにを、なんために買ったのか、を。
「瑠衣いわく純愛らしいですよ? 純愛。瑠衣はこれを純愛だからエロ本ではないと言い張っていました。そしてヒロインはありすに見た目が酷似しており、この主人公は瑠衣みたいにこの子に助けられましたよね? 主人公を自分に見立て、ヒロインをありすに当てはめながら読んでいるとしたら……こういうことをしたくなるほど、ありすが大好きになってしまっているわけです。大輝さん?」
「な、なななにかね? 女の瑠衣が、女と!?」
すごい、なんだか瑠璃みたいなテンパり方だ。たしか瑠璃も瑠衣が同性愛の気があると知ったとき、似たようにテンパっていたなぁ……やっぱり親子だわ、この二人。
そして、やはり瑠衣の父親でもあるのがわかる。瑠璃ほど似ているところはないけど、瑠衣にも大輝さんに似ているところはちゃんとある。説得するために使えそうだーー。
「瑠衣は絶望したら取り返しのつかないことを必ずやらかしますよ。断言できます。友人として関わってきた日にちは少なくとも、それくらいはわかります。やると決めたら意地でもやり遂げるまで諦めません。なんせ、ありすがいなくなってから今日までずっと、ありすと再会するのを諦めていなかったくらいです。それが叶わないなら死ぬほうがマシだと言いかねません」
「……忘れているだろうとばかり思っていたよ。思い出さないようにするため、近づかないよう配慮したのだが……すべて、無駄だったのか」
「大輝さんの娘です。そして、瑠衣と自身を重ねてみれば、似ているのがわかるかと。ほら、たとえば、どんな手を使おうが自分の主張を曲げずに押し通そうとするところなんて、大輝さんならわかるんじゃないですか」
「……ふぅ、私も歳かね? 意地を張るのにも体力が持たなくなってきたよ」
大輝さんは椅子にゆっくり腰を降ろして呟いた。
瑠美さんは最初から話そうとしている内容を、ありすの怪我などから察していたのだろう。全貌を話し終えたが、そこまで驚いている様子はない。
いつもどおりニコニコしたままだ。
瑠璃は、父親に妹が買った18禁のエロ本(レズビアン)を見せられたことで、ひたすらどうしようか戸惑っているらしい。なにかを言いかけ、すぐ手を引いたりと、奇っ怪な動作を繰り返している。
「……それか、たまたまきょう、無理を通される側の気持ちを思い出す出来事に巻き込まれたからかね。まあ、どちらもかわらない話か」
大輝さんはしばらく沈黙し、やがて眉間のシワを緩めた。
「礼を言うよ、杉井くん。私に言い聞かせてくれて……。危うく、大切なのは娘なのかプライドなのか、どちらなのかがわからなくなるところだったよ。これで、後悔せずに済みそうだ」
大輝さんは苦笑いをしながら、僕に礼を述べた。
どうすれば伝わるのかいろいろ試してみたけど、とりあえず、失敗ではなかった。
「は、はい! ありがとうございます!」
「きみはお礼を言われる側だろう? 不要なプライドを守るため無駄に意地を張っているのを、きみのおかげで自覚した。理不尽にプライドが破られた私は、先ほどまで」大輝さんは全ての指が折られている自分の手を見た。「プライドを取り返す方法ばかり思案していた。でも、きみが教えてくれたおかげかな? 少し、楽になったよ」
ホッと一安心した。
思っていたほど頑固じゃなかったようだ。
これなら、瑠璃や瑠衣とさほど変わらない。
会話が終わると、瑠美さんはようやく口を開いた。
「大輝さん、ビールは必要かしら。それとも、その人が来てからにして、お風呂にしちゃう? そ、れ、と、も、わ、た、し、にする?」
「ぶーっ!?」
大輝さんは唾を吹き出した。あれ、これまえ、もっとかわいい版のを見たことある気がするぞ?
というか、瑠美さんはやっぱりまだエロく感じてしまう。
ポーズなどをしているわけではないのに、声だけで淫靡な気持ちにさせられてしまう。
「いっいいいきなりなにを言い出すつもりだきみは! 側に娘と娘の友達、未成年の女の子が二人も、ん、いやいい、女の子が二人もいるのだ、気を付けたまえ。第一、そういう歳はもう過ぎてしまったよ……」
おい、いまさらった流していたけど、女の子が二人を二回連呼する必要なかったよね?
言い淀んで、やっぱりいいや、と流していたよね?
スローセックスに関しての話は、二人きりのときにでもつづけてほしい。
「あら、私はまだまだ平気よ? 私、寂しい。一年以上ご無沙汰じゃないかしら? まだまだ私は女なのに、酷い主人(ひと)ね? しくしく……」
「あ、いや、そう言われてもだね……いろいろ、その、力が衰えてしまったから、できないんだよ……瑠美の期待には、どうにか応えてあげたいのだが、力が入らなければどうにもならない。すまないな」
あの、セックスレスやEDについての会話を始めないでくれませんか?
二人が18禁な内容を会話するのを、僕と瑠璃は近くで聞かされているんですよ?
瑠璃は居心地悪そうに目を逸らした。恥じらいだとか、頬が染まったりだとかは微塵も感じられない微妙な表情をするだけだ。
大輝さーん!
二人の会話がエスカレートするたびに、こっちの空気は不味くなっているんです。イチャイチャするのはかまいませんが、するなら娘が二人とも寝たあとにしてくれませんかー?
大輝さんは40代か50代ぐらい。
それに対して瑠美さんはまだ30代に見えなくもないから、歳の差がだいぶあるなぁ……瑠美さんって、いったい何歳(いくつ)なんだろう?
まあ、さすがに女性に年齢を聞くのはタブーと云われている。やめておこう。
「ほら、大輝さん、まだイケそうな肌をしているでしょう? 毎日、肌には気を使っているの、大輝さんの物が、いつ暴れん坊将軍になっても見合う相手になるようにね」
「うむ……力を入れたくても入らないのだよ。いまも萎れたまま変わらないようだ」
「ええ~、私って、やっぱり魅力なくなったのかしら? 昔ならすぐ反応してくれたのに、悲しいわ~」
「昔の私なら既に暴れているから安心するんだ、瑠美。原因は私だ。ちょうどいい。認めたくなかったのだが、杉井くんのおかげで素直に病院へ行く気持ちになれたよ。私も妻の喜ぶ顔が見たいし、頑張るよ」
悦ぶ顔が見たいらしい。
てか、なんだよ、暴れん坊って……なんだよ、どこの力が入らないんだよ。
僕の努力が勃起不全の治療に向くとは一ミリも思わなかった。
「パパもお母さんも卑猥なのよ……べつに子どもを産まないなら、そんな事する必要ないじゃない。まったく」
「……瑠璃、あの、もしかして夫婦に夜の営みは不要だとか思っていたりする?」
どうしても気になって聞いてしまった。
会話する時と場所を踏まえてくれさえすれば、べつに特別ああだこうだと言われるような事じゃない気がするのに、なんだか瑠璃の口調だと子作り以外の性交は必要ないーーとでも言っているように聞こえてしまう。
「そうに決まってるでしょ? どうして子どもを産まないのに性交するのよ? なにをしようと避妊は100%じゃないのよ、わからないの?」
「…………」
oh……僕の恋心はべつに性欲が発端ではない。
付き合うこと自体、奇跡でも起きなければ叶いそうにないだろう。
だというのに、たとえ奇跡が起きて付き合うことになったとしても、結婚するまで不純異性交遊は禁止なのだ。
頑張って瑠璃と結婚できても、子作り以外はノータッチ禁欲生活ーーセックスレスは離婚事由にもなり得る重大な行為だというのに。
瑠璃も瑠衣も外見は瑠美さんに似ている代わりに内面は大輝さんに似ているのは、見ていればなんとなくわかってくる。しかし、二人とも性に対してそこまでタブー視してはいない。
どうして、瑠璃はそこまで性の関わる行為が嫌いなのだろう?
なにか、瑠璃の秘密がそこにあるような気がした。
「あら、帰ってきたみたい」
「ああ、そうみたいだ。さて、私は私の役割を果たすとするかね」
玄関が開いた音が聞こえ、二人の少女が帰ってきたのだとわかる。
待っていると、リビングに瑠衣と大輝さん以上に包帯ぐるぐる巻きのありすが入ってきた。
「あ、お、お父さん……ただいま……」
瑠衣は父親が帰ってきていることに気がついて声を潜めた。
成功するかわからなかった僕は、二人にはまだなにも話していない。つまり、問題が解決しているだなんて思わないのだ。
二人にはさきに伝えておいてもよかったかもしれないなぁ……。
「おかえりなさい、瑠衣。怪我は大丈夫かね?」
「う、うん……平気」
瑠衣は、どうやら軽傷で済んだらしい。見たところシップを一枚貼っているだけだ。
「そっちは洒落にならないレベルの怪我を負っているようだね? どうやら、杉井くんの言うとおりみたいだ」
大輝さんはありすを見ながら呟いた。
僕の説明が間違っていないことを確認するかのように数回頷く大輝さんの表情は、どこかすっきりしたような穏やかな気配を漂わせている。
「瑠衣、河川ありすのことは好きかな?」
「え? あ、う、うんっ、好き!」
真面目な顔で返答した瑠衣は、しかし、すぐさま好きというのは友情という意味での好きであって、決してべつの意味ではないことをあたふたと言い訳しはじめる。
それを見た大輝さんは苦笑した。
「どちらの意味なのか訊くのは、どうやら野暮みたいだね? さて、河川くん」
「すみません、依頼内容やっぱり無理でした。さすがにむずかしいですねー」
「気にしないでくれたまえ、最初から無茶を通そうとした私が悪いのだからね。これまでの無礼を詫びるよ、すまなかった。どうか、瑠衣と仲良くしてやってほしい。瑠衣も、そのほうが喜ぶだろう」
「え?」「ありゃ?」
瑠衣とありすは、父親の態度が予想と正反対だったことに驚き、お互いに目をあわせてぱちくりさせる。
しばらく間が空き、ありすは静かに手を挙げた。
「なにかあったんですかー、葉月さん? そんな藪から棒に急変しちゃって」
「いや、なに、杉井くんに少し喝を入れてもらっただけだよ。己の誤りを意固地になって認められないでいるのだと、自覚しただけさ」
普段は厳格な、特に歳を取るに連れ日に日に厳しくなっていく父親の豹変具合に圧倒されたらしく、瑠衣はこちらを振り向いた。
「え、いったい、なにしたの?」
「いや、単に、瑠衣がどれくらいありすのことを友達だと思っているのか伝えただけ。ただ、口にしないと伝わらないことがあるって話かな?」
間違ってはいないだろう。
恥ずかしいし、そもそもなんて言えば正解なのかわからない。
「よくわからない。でもッ」
瑠衣はいきなりの事態に驚きながら、緊張が解けたのか、涙で瞳を潤わせながら抱きついてきた。
「ありがとうッ、豊花……」
ま、まあ、今回は多少は動いたんだ。
このくらいは堂々と受け止めてもいいはずだ。
ああ、やっぱり瑠衣も女の子なんだな~。などと瑠衣の体臭を密かに嗅いでいる最中、ありすがテーブルの上を見ていることに気がついた。
なにを見ているんだろう?
ーーあっ、返しておくの忘れたまんまだった。
「なにこれ、私に似てない? なにこれマンガ?」
「…………え……うそ?」瑠衣はテーブルの上を確認すると僕から離れありすへ向かって突進した。「だめーっ! なんで、なんでここに!?」
「え、ちょっ、いきなりどうしたのさ? って瑠衣!?」
瑠衣は、ありすに取られるまえにテーブルの上からレズビアン同人誌を拾い上げると、リビングの端まで逃げていった。
……ごめん瑠衣、悪気はなかったんだよ。
ただ、ただ返しにいくのを忘れていただけなんだ。許しておくれ。
「瑠衣、あんた、その……やっぱり、そうだったの……?」
「なんで、姉さん、そう思ったの? ーー見たの? 中身、見たの!? 見たの!? 違う! 違うよ! たまたま、買った本が、これだっただけ、偶然ッ!」
言い訳が苦しい!
R-18のレズビアン同人誌(ありす似)を、どこをどうしたらたまたま購入する場面に行き当たるんだ。
「ねえ、杉井? どうして瑠衣、あんな焦ってんの? あれ、なにか関係ある系?」
「さ、さあー、なんだろう? 僕にはむずかしくて、よくわからないや……」
僕は知らないふりを決め込むことにした。
酷いと言われそうだけど、せっかく問題を解決したのに、その端から新たな問題をつくりたくない。
そんなに知られたくないものだなんて露知らず……いや、だって、ありすとイチャイチャしている時点で普通はバレバレなんだから、安心して開けっ広げていいじゃないか。
「豊花、ちょっといい?」
顔を赤赤に染め上げ恥ずかしさから震えている瑠衣を見ていると、瑠璃から呼ばれてしまった。
もしかして、妹をいじめていると思われた?
「な、なに?」
「悪いんだけど明日、異能力者保護団体に来て。第2級異能力特殊捜査官の権限をもって、明日は学校を休ませるって報告しておくから。いい?」
「え? なにかあったの?」
え、え、え?
なぜなにどうして?
なにも悪いことしていない気でいるんだけど……。
「一、反射時の悲鳴。二、働きすぎている直感。三、異能力霊体との不可思議な対話。みんなにチラッと聞いただけでも、こんなにもおかしな点があるじゃない」
「というと?」
「異能力霊体侵食率が上がっている可能性があるのよ……きょう、新規異能力者から連絡があったらしくて、急遽呼び出されたから行かなきゃならないの。それなら、それに合わせて豊花の診断もしたほうがいいじゃない」
マジで?
え、常に異能力を使いつづけている判定なの? 酷くない?
たしかに、ここ最近は嫌な予感が当たりすぎているきらいがある。それに、反射的に出す声が体に寄ってきている気さえした。
なにより、思考に割り込むような形で異能力霊体とやらが干渉してくるようになっている。
でも、早くない?
侵食率ってステージ4までしかなくて、4になる頃には手遅れだろうに……。
ーーピンポーン、ピンポーン……。
チャイムが鳴ると、瑠美さんが応対をはじめる。
「とにかく、明日は朝の9時に駅前で集合、わかった?」
「瑠璃、もう夜も深い。河川くんはしばらく五体満足には動けないだろうし、家にしばらく泊まっていってもらおうかと考えていたところなんだ。せっかくだ、杉井くんにも泊まっていってもらうといい」
「え!?」「なんでよ?」「は、葉月さん?」「……本当!?」
わーい、僕も含めリビングにいるひとたち全員がびっくりしていた。
瑠璃は疑問を呈し、ありすは珍しいものでも見たかのような顔をしており、瑠衣は顔を喜色で満たしている。
このひと、僕のこと男だってこと完全に忘れているんじゃなかろうか。
「まあ、うん。そうね、そうすれば朝から同行できるし、パパの言うとおりにするわ」
「ありす、泊まるの、いいの!?」大輝さんが頷くのを見て、瑠衣は羞恥心がどこかへ吹き飛んだみたいだ。「やったー! ありす! 私の部屋、泊まっていいよ!」
「あははー、なんだろう? うれしいんだけどさ、瑠衣と二人きりになると思った瞬間、なぜだか背筋に寒気を感じたんだけど……」
リビングに瑠美さんが戻ってきた。
「大輝さん、いらっしゃいましたよ、うふふ」
その後ろに、厳つい体をしている強面の中年の姿があった。
大輝さんと同輩くらいなんだろうけど……なんか、瑠衣の言う大輝さん=ヤクザ説より、明らかにこの御方のほうがTHE・YAKUZAといった雰囲気を放っている。
「葉月さん、具合どう? いやぁ、アニキが会って謝っておけってしつこいからさ、悪いね、いきなり」
「おおっ、そんな、今回は赤羽さんのおかげで助かりましたよ。おかげで、娘たちも無事です。ささ、座ってください」
……ん?
……あ……赤羽?
え、いや、そんなわけないだろう。
けど、そういえば裕璃って、決してひとを家に招かなかったから、どんな父親母親なのか、それどころか家族構成すら僕は知らない。
え、父親パターン?
なんだろう、言われたばかりなのに、いやな予感がしてたまらないんだけど……。
大輝さんは赤羽さんを椅子へと招く。
「無事そうでよかったよ、葉月さん。一応謝罪しとくぜ? だけどよ、俺の警告無視するからこうなっちまったんだし、肩入れするつもりはねぇからな。この件に関しちゃアニキが関わってくるからよ。ったく、拐うなら相手を選ばねぇといけなかったんだよ。あの嬢ちゃんはさ、アニキと……ていうより、大海(たいかい)組と10年以上の関わりがあるんだ。アニキが娘のように思ってるやつ拐っちまったら、アニキも黙ってねぇぜ、ったく」
「いえ、娘さえ無事なら私の怪我なんてあってないようなものですから。それより飲みましょう。おーい瑠美、ビール持ってきてくれたまえ」
「うふふ、はーい。ごゆっくり~」
赤羽さんが椅子に腰かける。
すると、父親と関わりがある人物だからか、瑠璃は頭を下げた。
「はじめまして、赤羽さん。助けていただけてありがとうございます。父の関係者ということは、研究職員の方ですか?」
待て、瑠璃。組とかアニキとか言っているのが聞こえないの?
どっからどう見ても、THE・YAKUZAじゃん。それ以外考えられないじゃん。
だいたい、なんか異能力犯罪組織が総白会へ金を払っている的な情報言ってたよね?
「いや、俺は異能力関係じゃねーな。言って良いのかわからねーが、まあいい。大海組の若頭、赤羽源吾(あかばねげんご)、知らねーか。ニュースになるようなことしてねーからな。いや、発覚してないからっつったほうがただしいか? がはは! 瑠璃ちゃんや瑠衣ちゃんが通ってる学校に娘も通ってんだけどよ、瑠璃ちゃんと同級生なんだけど、知らねーかい? バカ入ってる娘でよ、裕璃っていうんだ。最近元気なくてよ、でも俺が声かけてもなにも教えちゃくれねーんだ」
「え……私、一応知っていますけど……」
ほらねーやっぱそうじゃん!
しかも、大海組若頭ってモロのモロにヤクザじゃん!
異能力犯罪を取り締まる側が、どうして犯罪のプロ集団と繋がっているの!?
そりゃ、殺し屋に伝があったりするわけだ。
「裕璃? あっ、豊花が、助けたひと?」
「ちょっ!?」
待て、待つんだ、待ってくれ、瑠衣!
助けたのは瑠衣だし、それを言ったらヤバイことになる気配しかしないから!
もう少し、冷静に話そう?
オブラートに包んでくれよ。なんか割り込めなさそうだけど、オブラートに、遠回しに、直接的には言わず伝えて、頼むから。
そうしないと、またなんかヤバい事に首突っ込みそうじゃないか……。
「助けた、だぁ? なんだなんだ、あいつ、誰かにいじめられたりしてんのか? 俺が相手のガキにガツンとーー」
「なんか、三人に、強姦されてたよ?」
直球ストレートど真ん中コース!
瑠衣に期待した僕が間違っていた。
ヤバいって、赤羽さん顔が一気に変わったじゃん。夏なのに寒気がしてきたし。
ああ、僕はなにも知らない存じない……。
「あ、ああっ!? 誰がやりやがった!?」
ビギビギビキッーーと空気に巨大なヒビが入る音がする。
明らかに聞こえた。幻聴じゃない。ぜったい音がした。間違いなく聴こえた。
源吾さんは顔に青筋を浮かべ、堅気ではないのが一目でわかる表情に変わってしまった。怒りが外に溢れ出ているんじゃないだろうか?
そんな、そんなどストレートに伝えないでほしかった。
「瑠衣ちゃん、と、豊花ちゃんってのは、嬢ちゃんのことだな?」
『瑠』ファミリーのなかにひとつ『杉井』ファミリーが混ざっているからか、ひとりだけ似ていないからか、すぐに『これが豊花だな』とわかったのかもしれない。
「悪いぃけどよ、教えてもらうぜ? 裕璃が、誰に、なにを、どうされたのかーーきっちり、教えてもらおうじゃねーか」
「あ、は……はい、あはは……」
やっぱり、そりゃそうなるよね。
異能力問題だけでも精一杯なんだ。裕璃については気にしないことにしよう。
集団強姦したヤツらが悪いわけで、僕が悪いわけじゃない。全部話して楽になろう。だいたい、親に相談していないのかよ、アイツ……。
(38.)
説明をすべて終わらせた僕と瑠衣は、ようやく解放された。
金沢という三年生、始まりから事件までの流れ、仲間の二人の名前は知らない。瑠衣が頑張ってくれたから助け出せた等々、すべて洗いざらい説明してようやく離してくれた。
「なるほど、だからあのバカ落ち込んでやがったんだな。ありがとうよ、嬢ちゃんたち。俺はちょっと急用思い出したから帰らないといけねぇ。おいとまするよ、悪いね大輝さん」
「赤羽さん落ち着きましょうよ、ここは警察に任せたほうがいいですよ。ね? お気持ちはわかりますが、どうか落ち着いてください」
大輝は源吾を落ち着かせようとする。だが、娘が弄ばれたうえ仲間連れてきて性玩具みたいな扱いを受けさせられたんだ。落ち着いてくれるわけがない。
「安心してくれ、殺(バラ)すわけじゃねー、ただ懲役はおとしまえにゃならねー、5年付きゃいいとこだ。つまり、俺が金沢って野郎たちにおとしまえってのはどんなものか教えてやらねーとダメじゃねーか。だいたい、瑠衣ちゃんに逆恨みして殺し屋差し向けたんだろ? つまり、そいつは死ぬ覚悟できてるってわけだ。命(タマ)取られても文句は言えねーことやらかしやがって」
大輝さんも、誰がなんで殺し屋なんて差し向けようとしたのか知らなかったらしく、説明している最中驚いていた。
てっきり、瑠衣が中学時代やらかした相手か、また学校で瑠衣がなにかやってしまい、それらの復讐だと思っていたらしい。
しかし、蓋を開けてみれば、瑠衣に落ち度はほとんどない逆恨み。
ナイフを取り出しておきながら、いざ自分がやられると大騒ぎする。僕でさえ小物だとわかってしまう奴。
自分がやるのはいいけど、やられるのはダメーーなんというジャイアニズム。
「殺し屋と連絡とれるのは姉の金沢叶多(かなざわかなた)のほうだけどね。弟の金沢(かなざわ)紅一(こういち)にはなんの力もないわ。姉に泣きついて頼んだだけでしょうね」
瑠璃は一応付け足した。丁寧な口調で赤羽さんに接していた瑠璃だったが、次第に崩れていき普段の言葉遣いに戻っていた。
「とりあえず裕璃を傷物にしやがった野郎が発端だ。9割殺しでおとしまえつけたことにしてやるよ。自分がなにをやらかしたか、男を捻り千切って尻(ケツ)の穴ぶちこめばわかるだろ。たっぷり時間をかけて後悔させてやらねぇとな?」
血管を浮かび上がらせたまま、赤羽さん……いや、ひとりのヤクザは夜闇へと帰っていってしまった。
ああ……東京湾に沈んだな……。
「金沢のヤツ、死ぬみたいね?」
瑠璃も同じ意見だった。
というより、死なないで帰還できれば奇跡だろう。
なんか、男を捻り千切るとか、ケツの穴にぶちこむとか言っていたし、少なくとも男としての人生は幕を閉じられることだけはわかる。
まあ、同情する気持ちは微塵も湧かないのが救いかもしれない。
今までの悪行が回り回って返ってきた、それだけの話だ。
「どこに、埋まるの? 奥多摩? 富士山? コンクリの中?」
「……さあ、わからないや」
こうして、瑠衣の問題が解決した直後に、新しい問題が二つほど姿を現したのだった。
とりあえず、異能力問題は僕が発端だから関わらざるを得ない。
……でも、よかった。
もう、痛まないだろう。
ありすが現れてから、刃物を見ても暴れないことから察するに、痛みがあったからこそ狂気に身を任せていただけで、痛みがなくなれば変貌もしないはずだ。
瑠衣の幸せそうな笑顔を見ながら、僕はそう思うのであったーー。
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