3話 絶望と出会い
ファウストとリュドミラが生き別れる事となったあの日から、六年の年月が経った。
二人は未だ再会を果たしていない。
場所はフォルスター王国 王城の地下で眠る『アブソリュート監獄』
アブソリュート監獄は王城の地下に設けられた監獄という事から、多くの兵や騎士による厳重な警備と監視が行われ、脱獄は不可能などと言われている。
監獄は地下第一階層から始まり、地下第十階層に分けられ、下の階に進むほど殺人などの重い罪を犯した者が投獄される。
凶悪な面構えをした殺人者達の、狂気に満ちた怒号がひしめき合う最下層、第十階層の奥に鉄製で出来た扉が構えられていた。
その扉を開ける事が出来るのは、一部の限られた王族のみ。
監獄の中を巡回する騎士や兵達からは『秘密の牢獄』などと隠れて呼ばれている扉の奥は、灯り一つ存在しない暗闇が支配するだだっ広い空間が広がっていた。
そんな広い空間に、所々錆が目立つ牢屋が一つ。
その中に、見目整った美しい青年が幽閉されていた。
その青年の体は所々骨の形が浮き出るほど酷く痩せ細り、肉が痩け落ちた両手は鎖で拘束され、木の枝のように簡単に折れてしまいそうな細い脚には、自由に身動きが出来ないよう足枷が嵌められていた。
全てに絶望し、光を宿さない虚ろな目をした青年は気力を失い項垂れている。
そんな青年の元へ、血腥く汚れたネズミが多く蔓延るこの牢獄には似ても似つかわしくない上質な毛皮を纏ったフォルスター王国第一王子『アドルフ·フォルスター』が訪れた。
「檻の中での生活も明日で最期になるが、何か言い残す言葉はあるか?」
アドルフが手にしている蝋燭の灯りが、青年を照らす。
ぞんざいに扱われても尚、青年が生まれ持つ透明感を保ち続ける美しいブロンドの髪は、蝋燭の灯りを反射し煌めく。
「何か言ったらどうなんだ?」
「………………今度は、処刑される罪人になれって事か?」
青年は掠れた声で呟いた。
「あぁ。そうだ。お前ほど数奇な運命を辿る人間を見た事がない」
「数奇な運命って、お前達がそうさせたんだろう」
「……それを望んだのは誰か、忘れた訳ではないよな?」
アドルフは青年がいる牢屋の扉の鍵を開け中に入ると、項垂れている青年の髪を掴み顔を持ち上げた。
「初めて会った時は手癖の悪い盗みと、ヘラヘラ笑いながら腰を振る能しか無かったヤツが、襲来した魔族からこの国を護り、英雄として扱われるも裏切り者として処刑される。僕はな、悲しいんだ。父上の令でお前を手放さないとならないのが。なぁ……………ファウスト」
光が透き通るほどの透明感のあるブロンドの髪に、青みがかった空と同じ色の瞳。
青年の名は『ファウスト·ライウス』双子の妹のリュドミラと生き別れて六年が過ぎた今、青年へ成長したファウストは、監獄に幽閉されていた。
ファウストは、思わずアドルフから顔を背ける。
「…………命乞いはしないのか?」
アドルフは地に膝を付き、背かれた顔を掴み強引にファウストと視線を合わせる。
「そうしたところで、結局俺はいつもみたいに殺されるんだろ?」
「……お前の持つその特別な力なら、死ぬ事はないはずだ」
「どうだかな。さすがに首と胴が離れたら最後になるだろ。この力を過信しすぎなんだよ、アンタ達は」
反抗的な態度を続けるファウストに、アドルフはため息を吐く。
「まったく。僕は明日処刑されるお前の為にと思って、妹のリュドミラが死んだ事を報せに来ただけだというのに、このような態度を取られるとはな」
アドルフの言葉に、ファウストの身体がビクリと揺れる。
「…………今、なんて言った…………」
ガシャリと音を立てて鎖が動く。
「今、何て言ったんだよっ!」
アドルフに詰め寄ろうとするも身体が思うように動かず、ファウストは息を上げる。
そんなファウストをアドルフは、愛おしそうに見下ろした。
「お前の妹、リュドミラが死んだと言ったんだ」
「………………な、なんで。リュドミラの安全を保証する約束で、俺は……」
「仕方がないだろう? リュドミラは民衆の暴動に巻き込まれたのだから」
「暴動って、どういう事だよ……」
「魔女裁判。……お前も聞き覚えはあるだろう? 」
『魔女裁判』その言葉を聞いたファウストの顔色が、見る見るうちに青ざめていく。
「……なんで、リュドミラには関係ないはずだろ!?」
「関係ない? お前がここにいる理由を忘れたのか?」
「……………俺が、裏切り者の英雄だからか……?」
リュドミラの死の原因に気づいたファウストは、呆然とし妹を失った喪失感に静かに涙を流す。
「………してくれ。俺を、殺してくれ。頼む……」
何度も「殺してくれ」と縋る惨めなファウストの姿を横目に、アドルフは牢屋の扉に鍵をかけた。
「つまらない。明日にはファウスト·ライウスという男は死ぬ。生まれ変わった後の名を考えておけ」
冷たく言い放ったアドルフは扉の奥へと消え、再び暗闇が支配する空間へと戻る。
リュドミラを失ったファウストの悲痛な叫びは、暗闇に吸い込まれ誰にも届かず残響と化した。
穀物の収穫時期を迎えようとする、フォルスター王国王都『クレスチナ』貿易の中心地と呼ばれるこの街は常に人で溢れているが、今日は一段と賑わいを見せていた。
それもそのはず、襲来してきた魔族の軍勢からフォルスター王国を護り、『英雄』と呼ばれていたファウスト·ライウスがフォルスター王国三代目国王ヒンツ·フォルスターの名の元に処刑されるからだった。
お祭り状態になっている酒場は、ファウスト処刑の話で持ち切りだった。
「ファウスト·ライウスって、たった一人で魔族の軍勢を相手にしたんだろう?」
「国王のお気に入りって噂だぜ?」
「アドルフ王子にも引けを取らない程の美形って聞いたわ」
「ヤツは例の事件の首謀者なんだろう?」
「この間、ヤツの妹リュドミラが魔法を使ってるのを見たって近所の婆さんが騒いでたな……」
「もしかして、この間の魔女裁判にかけられてたのってまさか……」
数々の嘘と本当の話が入り交じった話題は尽きること無く、処刑の時間を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
今から三年前の事。
突如として現れた魔族の軍勢が、フォルスター王国を襲い始めた。
比べるまでもない程の力の差と、魔族が放つ未知の魔法の数々にフォルスター王国の騎士や兵達は為す術なく塵となった。
被害は拡がり、多くの国民が無惨に殺され魔法の餌食となり、為す術なく歴史は繰り返されるのだと絶望の淵に立たされていたその時、一人の青年が魔族の軍勢の前に立ち塞がった。
その青年は剣一振で魔族の軍勢を薙ぎ払い、放たれる魔法に怯む事なく、反撃を繰り返す。
魔族の軍勢と一人の青年による闘いは三日三晩続き、ついに青年は魔族の軍勢から勝利をもぎ取り、撤退へと追い込んだ。
窮地に立たされていた状況を覆し、魔族からこの国を救った青年の名前は『ファウスト·ライウス』
ファウストはこの活躍を称えられ、後に大英雄と呼ばれる事となる。
元大英雄であるファウスト·ライウスの処刑場所として選ばれたのは、王城前にある時計塔広場。
普段その場所は小さな子供を連れた家族連れや、恋人達の憩いの場となっているが、今日は英雄と呼ばれていた男の首が飛ぶ瞬間を見たさに多くの野次馬が集まっていた。
鐘の音と共に、ファウストを乗せた囚人護送馬車が時計塔広場へ到着し、引き摺られるように護送車から姿を現したファウストを待ち受けていたのは、波のように押し寄せる野次馬達の罵詈雑言と、投げつけられる石の数々。
大粒の雨のように振る石の勢いに、一歩踏み出す事を一瞬ファウストは躊躇った。
「何をしている。さっさと歩け」
鎧を纏う騎士は投げつけられる石に怯む事なく、ファウストを繋げている鎖を強く引き、斬首台へ向かう。
多くの石が飛び交う中、無防備の状態のファウストの身体には一つ、また一つと傷が増えていき血が流れ落ちる。
傷が増えていくファウストに向かって嬉々とした表情で石を投げつける野次馬達であったが、次第にその表情は曇り始め、身体を硬直させ顔の筋肉を引き攣らす。
的であるファウストを目掛けて投げられていた石と数々の罵詈雑言は徐々に無くなり、カチャリカチャリとファウストを繋ぐ鎖が揺れる音だけが響く。
「悪魔だ…………」
「やっぱり、魔族の手先なんだわ」
野次馬達は記憶に刻まれた恐怖を引きずり出させられたのか、ファウストを避けるように後ずさる。
それもそのはず、つい数秒前までファウストの身体には確かに痛々しい傷がいくつもあったはずなのだが、その傷の全てがみるみるうちにキレイさっぱり消えて無くなっていくのだった。
「こんなの、人間じゃない……」
ファウストの、人間離れした業に震え慄く野次馬達。
そんな野次馬達で出来た壁を通り抜け斬首台に着くと、目を見張るほどの大量の宝石で装飾を施され、煌びやかに輝く甲冑を纏うアドルフが、剣の手入れをしながら待っていた。
「ようやく来たか」
この時を心待ちにしていたのか、アドルフは斬首台から降り立ち、ファウストを迎える。
「…………アンタが、俺の首を落とすのか?」
「他の奴にお前の首を落とされるくらいならな」
アドルフはファウストを連行していた騎士から鎖を受け取り、ファウストを斬首台へと上がらせる。
その場所は、やけに黒々とした大きな跡を残し、禍々しいオーラを放っていた。
いったい何人の囚人達がこの場所で首を落とされたのか。
ファウストはそんな事を思いながら、指示されたその場所に膝をつき、頭を垂れる。
どんな凶悪な囚人でも、命が絶たれるとなると冷静では居られなくなり、罪を認め泣き喚き命乞いをする。
だが、ファウストは気が狂れる事なく、ただ静かにその時を待っているだけだった。
まるで、こんな事いつもの事だと、慣れているかのように。
異様な空気が流れ、ファウストのその姿を野次馬達は固唾を呑んで見つめる。
そんな中、今回の執行人の役目を務めるアドルフがファウストにコソリと声をかけた。
「次の名は決めたか?」
「……アンタ達と交わした約束も、今日で終わりになるんだ。次の名前を考える必要なんてないだろ?」
その言葉を聞いたアドルフは、クスリと笑う。
「僕が執念深い人間だという事は良く知っているだろ? どんなに時間が過ぎたとしても、僕達は必ず再会する」
「…………だとしたら。約束通りアンタ達を殺した後に俺は死ぬ」
身震いするような冷たい空気が、ファウストどアドルフの間に流れる。
すると、二人の間に流れる冷えた空気を打ち消すかのように、この処刑を盛り上げる小太鼓と笛の音が響き始め、それに便乗するように野次馬達の叫び声が合わさった。
「時間だな」
楽器隊は軽快なリズムを鳴らしながら斬首台に近づき、ファウストが犯した罪が記されている令状を持った男が台に上がり、その内容を淡々と読み上げ始めた。
「ファウスト·ライウス。この者は我等人族を滅亡の道へと追いやった憎き魔族と手を取り国家転覆図り、多くの尊い命を奪った。悪意に満ちた許されざる行いにより、フォルスター王国第三代目国王ヒンツ·フォルスターの名のもとにこの者を斬首の刑に処す」
男が令状を読み終えると、楽器の音がピタリと止まった。
ファウスト達がいる斬首台の向かい側、広場の端の方に設けられた特別席に、国王ヒンツ·フォルスターと数名の貴族の家長が居並んでいる。
緊張感が走り静まり返った空気の中、ヒンツはファウストの首を落とす合図として挙げていた腕を振り下ろそうとしたその時、上空から巨大な何かが猛スピードで移動する音が王都を包んだ。
ゴゴゴゴッッッ――――。
「なっ、なんだこの音は!」
身体の芯にまでその音が響き、広場を囲む家々がカタカタと音を立てながら揺れる。
あまりにも突然な事に、アドルフや野次馬達のどよめきが会場を走った。
「っ…………まさかっ」
肌を凍てつくような緊張感を感じたファウストは、上空を睨み上げ巨大な物体の気配を目で追うと、分厚く浮かぶ雲にハッキリと影を映した。
「来るぞっ!! 頭を低くしろ! 時計塔からだ!!」
ファウストの言う通り、時計塔がある方向から分厚い雲を切り裂きそれは姿を現した。
爬虫類を思わせる巨大な図体には鱗と鋭く尖った棘がびっしりと覆われ、脇に伸びる双翼にはこの地を切り裂く爪が光る。
大きく裂けた口からは、密集した牙が顔を覗かせていた。
グゥォォォォオオオッッ――――。
それは、自身の存在を知らしめるかのように大地を揺らす程の咆哮をあげ、突風を巻き起こし、逃げ惑う野次馬や街の住民達をよそに斬首台に残るファウスト達の前へと上陸する。
この世界の生き物では無い事は一目で分かる。
恐ろしくも美しく純白に輝くその怪物の正体は、ドラゴン――。
かつて人間界で魔族と共に暴れ、多くの命を屠り後に伝説として語られているドラゴンが、ファウスト達の前へと現れた。
「……なんで、ドラゴンがここに」
「あ、あれは一体何なんだっ!」
静かに自体の把握を行っているファウストと、状況が飲み込めず右往左往するアドルフの姿が交互にドラゴンの青い瞳に映る。
すると、ドラゴンの頭上からゆらりと長い髪を靡かせ仁王立ちする一人の人影がファウスト達を見下ろした。
「何とか間に合ったみたいね」
凛とした真っ直ぐ伸びた声が響く。
「お、女……だと?」
「…………どうして、女が?」
その声を聞いたアドルフとファウストは、共に目を丸くした。
それも無理は無かった。
天災として長年語られてきたドラゴンには人の姿があり、その化け物を操る主は女性ときた。
この二つの事実だけで、ドラゴンを思いのままに操っている声の主が、ドラゴンと同等レベルに厄介な人物だという事は容易く想像できた。
ドラゴンに加え、未知数な人物の登場によりアドルフとファウストの間に緊張感が流れ、嫌な冷や汗が伝う。
アドルフに至っては、剣を構える手が緊張と恐怖によりカタカタと小刻みに震えていた。
「お、おいっ! 何とかしろ!」
未知との遭遇に、恐怖で顔を歪ませ声を裏返すアドルフは、ファウストに剣を向けた。
「何とかしろって……。俺にはもう関係が無いだろ」
「関係がないだと? 主人の命が危険に晒されているんだぞ!」
ドラゴンを前にしても一切顔色を変えず、動きを見せないファウストに対し激昂したアドルフは、ファウストを拘束する鎖を斬り落とした。
「っ、この役立たずが!」
ガシャッ―――。
ファウストを拘束していた鎖が、音を立てて崩れ落ちる。
「僕はお前の主人で、お前は僕の命令には逆らえない! そうだろ!?」
アドルフは恐怖で感情が昂り、血走った目をファウストに向ける。
腰に忍ばせていた短剣を取り出したアドルフは、自身の掌に剣を突き刺すと、ニヤリと意地の悪い笑みを見せた。
「これは命令だ。死ぬのなら、僕を護ってから死ね」
傷口から溢れ出した血液をファウストの頭の上から浴びせた。
アドルフの血を浴びせられたファウストは突然呼吸を乱し、苦痛で表情を歪ませた。
「っ、クソッ――。グハッ!」
ドクリと音を立てて波打つ心臓の鼓動は激しくなり、血流が加速し血管が浮き彫り、ファウストは胸元を抑えながら蹲った。
「アドルフ·フォルスターの名のもとに命じる。僕の為に、早く剣を取って戦え」
「ッ、畜生……」
アドルフの下した命令の通り、自身の意志と異なる動きをするファウストの体は、足元に落ちていた剣を拾い上げるとアドルフを庇うようにドラゴンに向かって剣を構えた。
「……つまらない」
アドルフとファウストのやり取りを見ていた人影は呆れたようにため息をつくと、ようやく動き出しドラゴンの頭上からふわりと降り立った。
ドラゴンの頭上で立っていた人影は陽の光を背負っていた事で、姿がハッキリとよく見えなかったがドラゴンの影に降り立った今、ようやくその姿を見る事が出来た。
ただ一言、その姿は炎のように赤く、見る者全てを魅了する程美しかった。
腰の高さまで伸びた髪は、燃え上がる炎のように赤く、前髪の隙間から見え隠れする瞳孔は金色に輝き、真っ直ぐに伸びた筋の通った鼻とぷっくりと膨らむ唇。
華奢な身体を包む黒色のフォーマルなドレスはボディラインを強調するデザインが施されスタイルの良さが際立つ。
腰から入れられているスリットから、チラリと覗かせる細く色白い脚が一際目立っていた。
その美しさに思わず気が緩みそうになるも、気を引き締め直す。
ファウストやアドルフ、その他にも多くの騎士達に剣を向けられている中で、その女は一切怯む事なくゆっくりとファウストに向かって歩き出した。
ファウストの目の前に来ると、女はニッコリとどこか懐かしむかのように頬を緩ませると切れ長い口を開いた。
「私の知らないところでつまらない呪いにかけられて……。私の名はイリス·イェルムヴァレーン。魔界を統べる王」
自らを魔王と名乗るイリスはファウストに向かい手を差し出す。
「ファウスト·ライウス。お前を、魔界へ連れ去りに来た。私と、一緒に魔界に来い」
「………………ま、魔界?」
魔王イリスから差し出された手に、ポカンとした表情を隠しきれていないファウスト。
「死ぬのなら、こんな阿呆ではなく、私と共に死にさない」
元大英雄のファウストと魔王イリスの出会いにより、再びファウストの狂った運命の歯車が動き出し、それと同時に世界の歯車も狂い始める事となった。
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