4話 魔王と希望

 凍てつくような冷たい風を当てられ。目を覚ますファウスト。

「んっ…………。ここは……」

 全く見覚えのない牢屋に閉じ込められているようだ。

 緑色の光を放つ炎の灯りが所々に散りばめられ、人の気配さえ感じない静かな空間。

 ファウストが閉じ込められているその場所には、戦場にいた頃に感じていた、負の力が充満されここが人の世界ではない事が分かった。

「ここは、魔界……か? なんで俺が、魔界に……」

 記憶の断片を掻き集め、状況と頭の整理を行うファウスト。

 処刑場所。

 斬首台。

 時計塔。

 純白のドラゴン。

 魔王イリス·イェルムヴァレーン――――。

「…………魔王、イリス」

 記憶の断片を繋ぎ合わせ、状況の整理を終えたファウスト。

 死ぬ寸前に、純白のドラゴンと共に現れた魔王イリスに「魔界へ連れ去りに来た」と宣言され、気づけば牢屋の中。

「やっぱり、魔界だったのか……」

 状況の整理は出来たものの、何故魔界へ連れて来られたのかその理由が全く身に覚えの無いファウストは、再び頭を悩ませた。

 すると、膨大な力を纏う何者かがこの檻に近づいて来た。

「っ…………」

 カツ、カツ、カツ――――。

 踵の高い靴が床を踏む音が徐々に近づき、ファウストの身に緊張が走る。

 ゴクリと固唾を飲み込むと、燭台を持った長く伸びた赤い髪の女が現れた。

「あら、目が覚めてたのね」

 忘れられるはずもなかった。

 記憶に深く刻み込まれた、炎のように赤く美しい魔王イリス·イェルムヴァレーン。

 イリスは持っていた燭台を魔法で宙に浮かせ、じっとファウストを見つめる。

 そんな中、ファウストは魔王イリスに問う。

「……俺を魔界に連れて来て、どうするつもりだ」

 すると、イリスはファウストの質問に答える事なく深いため息をついた。

「やっぱり不愉快ね……」

「は…………?」

 その次の瞬間、ファウストは口から大量の血を吹き出し、胸に違和感を感じた。

「ッ、ゲホッ! なに、をっ!」

 違和感を感じた胸元にファウストは視線を移すと、イリスの白く細い腕が深々と突き刺さっていた。

「痛覚に異常あり。この魔力は……私と同じ?」

「ッ、ゲホッ! グハッ……! 何してんだって、聞いてんだろ!」

 血を吐き出しながらも、ファウストは抵抗しようとするが頑丈に拘束されている為太刀打ちが出来ず、声を荒らげる事しか出来なかった。

 そんなファウストを他所に、イリスは何かを探っているのかファウストの胸を手で突き刺しながらブツブツと独り言を呟く。

「人間に私と同じ魔力が流れている? いや、それだけじゃない……。二種類の魔力?」

「っ、いい加減に、離れろって言ってんだろ!」

 せめてもの抵抗として、ファウストは足を地面に強く打ちつけ、全盛期と比べると微々たるものだか衝撃波をイリスに食らわした。

「っ、ちょっと! 危ないじゃない!」

 まさか抵抗する力がファウストにまだ残っていると思わなかったイリスは、ファウストを睨みつけた。

「危ないじゃない! じゃないだろ、お前は何してんだよ!」

「見れば分かるじゃない! 調べてるのよ!」

 身体にイリスの手が突き刺さっているファウストと、ファウストの身体を突き刺している張本人のイリス。

 この状況で、言い合いが繰り広げられるという何とも摩訶不思議な時が流れる。

「……アンタ、本当に人間?」

 さすがの魔王イリスでさえも、ファウストの生命力に顔を引き攣らせた。

「普通、致命的な傷を負ったら人間は持って数分で死ぬ。なのにアンタは死ぬどころか、この私に衝撃波を与えた。魔族殺しの大英雄だから出来る事で、説明がつかない……」

 イリスはこの状況を飲み込もうとしているのか、説明する事の出来ないこの自体に対し、答え合わせをおこなった。

「生命力? いや、そんなんじゃない。もっと、何か別の力……。私と同じ力? いや、常時発動しているから魔法とは別の種類……」

 魔王であるイリスでさえ、理解する事の出来ないファウストの力にイリスは一旦考える事をやめた。

「…………そんな事より。身体に腕が刺さってんのに、なんで冷静でいられるのよ……」

 突き刺している張本人が言うような言葉ではないが、ケロリとしているファウストを気味悪がり、イリスは眉を顰めた。

「なら、早くその腕を抜け」

「ハァー。もういいわ。調べ物も済んだし」

 ブチリ――――。

 ファウストの身体の中で嫌な音を立てながら、イリスは腕を引き抜いた。

 ぽっかりとファウストの身体に穴が空き、そこから滝のように血が流れ出した。

「っ………お前、何をした」

 ファウストの身体の中で、何か異変が起きていた。

 やけに静かなのだ。

 聞こえてくるはずの音が、鎮まる。

 ――――鼓動が、聞こえない。

「不愉快だったから、アンタの心臓を引き抜いたのよ」

 そう答えたイリスの手には、ファウストの心臓が握られていた。

「お前、何のつもりだ」

 全く意図の読めないイリスの行動。

 理解しようとしたところで、相手は魔界の王。

 人の常識が一切通用しない相手に、ファウスト今まで感じた事のない緊張感が走る。

 そんなファウストを知ってか知らずか、イリスはファウストの心臓をじっくりと観察していた。

「刻印が刻まれた心臓……。これは一部の魔族が知っている所有の魔法。魔力を持たない人間が出来る訳が無い」

 イリスは指をくるりと回すと光を発生させ、ファウストの心臓を照らした。

「……アドルフ·フォルスター」

 イリスが呟いた人物の名前に、ファウストはピクリと反応する。

「お前が、何でその名を……」

「そう。フォルスター。あの変態王族がアンタの主人なのね」

 フォルスターという名を見たイリスは嫌悪を剥き出しにし、イリスの身体の内側から負のオーラを強く漏れだした。

 そのオーラは、ファウストが戦場で相手にしていた魔族から感じていたものよりも何倍も濃く、全身が強張り冷や汗が流れ落ちる。

 我に返ったイリスは、さっとオーラを鎮め次にファウストへ視線を移した。

「……妹の身の安全を約束に、所有の刻印を受ける。妹は死んだと告げられる……」

 ポツリ、ポツリと暴かれる真実に、ファウストは声を荒らげる。

「お前は、どこまで知ってるんだ!」

「知っている。じゃないの、今読んだの」

「……今、読んだ? どういう事だ」

「忘れたとは言わせないわ。私が誰かなんて」

 するとイリスは、ギュルリと両目の瞳の色を七色に変化させた。

「私は魔王イリスよ? 魔眼だって自由自在なんだから」

「…………魔眼?」

「膨大な魔力を封じ込ませた眼の事を、魔界では魔眼と呼ぶの。私は相手の記憶を読む魔眼と、他にも数種類の魔眼を持っていて、この七色に光る魔眼でアンタの記憶を読んだのよ」

「…………何でもアリかよ」

 理解の範疇を超えた力に、ファウストは全身の力が抜けた。

「そんな事より、アンタの存在自体かなり異質なのよ?」

「異質……?」

「人間の生命力から並外れた、瞬時に回復する力。魔法とは言い難い、神に近い力……」

「神に、近い?」

「今だって、私に心臓を奪われているのに、死ぬ事もなく普通に息をして立っている。しかも、アンタの身体の中で少しずつ、心臓を復元しようとしているの」

 イリスの指摘通り、ファウストは心臓が身体の中から欠けている状態でも何とも無さそうに立ち、息をしている

「異常。異質。この私でさえ、アンタの力が何なのか全く検討もつかない」

 まさにお手上げ状態だった。

 すると、またギュルリと音を立てて、七色に光る魔眼から次は深紅色の魔眼へと変化した。

「…………おかしい」

 イリスは眉間にしわを寄せながら、深紅色に輝く魔眼をファウストへ向けた。

「今度はなんだよ……」

「感じる」

「……はぁ?」

 短い言葉で呟くイリスは、首を傾げた。

「アンタの妹は、死んだはずなのよね……?」

 疑問符の着いたイリスの問いに、ファウストは強く反応した。

「リュドミラが、どうしたんだよ!」

「この魔眼は、相手の魔力を探ったり行方を探す事が出来るの。この魔眼が、アンタの妹の魔力に反応した……?」

「反応したって事はどこかで、リュドミラは生きてるのか!」

 微かに湧いた希望に、ファウストはイリスに詰め寄る。

「分からないわよ! でも、確かにアンタの妹は死んだ。なのに、この魔眼が反応してる……。でも、ハッキリとじゃないの。何かの膜に覆われていて確証が持てない。どういう事なの?」

 イリスの曖昧な答えに、ファウストは苛立ちを隠せず声を荒らげた。

「どういう事なんだよ! 分かるように言ってくれ!」

 そんなファウストの態度に、気の短いイリスも苛立ち強い言葉をぶつける。

「だから! アンタの妹はどこか遠くで生きているかもしれないって事!」

「…………それは、本当か?」

「私の力を疑っているの?」

 嘘では無い事を知ったファウストは、ポロリと静かに涙を流した。

「……リュドミラが、生きてる……」

 記憶を読む魔眼で、ファウストがどれほど妹のリュドミラを大事に思っているか既に知っているイリスは、ファウストに提案を持ちかけた。

「アンタの願いを、何でも叶えてあげるわ。永遠の命や、世界を救う力。妹を見つけ出す事にも協力を惜しまない。アンタが望むもの総て叶えてあげる」

「…………願いの、総て?」

「そう。アンタが望むもの総て。その代償として私の願いを一つだけ叶えてほしいの」

「………アンタの願いは?」

「それはまだ、内緒。どう? いい話だと思わない?」

 ファウストは、イリスが持ちかけた提案に強く頷いた。

「リュドミラの為なら、俺はなんだってする」

「…………交渉成立ね」

 するとイリスは、手に持っていたアドルフの名前が刻まれたファウストの心臓を燃やし、自身の血液で再び心臓を作り上げた。

「交渉成立の証として、この心臓をファウスト、アンタにあげるわ」

 そう言ったイリスは、ぽっかりと穴の空いたファウストの胸に新しい心臓をはめ込み、修復された骨と肉で封じ込まれるのを待った。

「魔王である私の血で作って私の名前が刻まれた心臓は、人でもなく魔族でもない、私と同じ中途半端な存在へとアンタを変える」

 すると、ファウストの新しい心臓は突然暴れだし、まるでファウストの力を試しているかのように、荒々しく波打ち始めた。

「最初は苦しいかもしれないけど、私の作った心臓。ずっと大切にしてね」

「うっ……クッ!」

 意識が遠のきかけるなか、ファウストは幼少期に出会ったとある少女の姿を思い出した。

「あぁ、そうか…………。イリス、お前が…………」

 ずっと記憶の奥に眠っていたが、その少女もイリスと同じ、燃えるように赤い髪をしていた。

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