一章

1話 兄と妹

 人間界で繰り広げられた魔族と人族の間で起きた長きに渡る大戦が終結し、数十年の年月が流れた。

 先の大戦の影響で人族が暮らしていた大陸は七つの陸地に分断され、生き残った人族はそれぞれの陸地で国を造り王を選出し復興に向けて歩みを進めていた。

 中でも甚大な被害に遭った陸地に国を起こしたフォルスター王国にもようやく復興の兆しが見え始め、フォルスター国民は平和な日々を少しずつ取り戻そうとしていたのだが、一つの大きな問題が浮き彫りになった。

 それは、国民の間で決して埋まる事の無い貧富の差による深い溝が生じてしまった事だった。

 復興の兆しと言っても魔族が放った魔法により一部の自然環境までもが影響を受けてしまった現時点では、全ての国民に平等な衣食住を施すのには限界があった。

 そこで三代目フォルスター国王のヒンツ・フォルスターは、フォルスター国復興に大きな影響を与えることの出来る、王族や貴族などの有権者を中心に生活の基盤を整わせる事を発表した。

 つまり、国を復興するには莫大な費用がかかる為、復興に協力できる者を中心にいつ再び襲いかかって来るか分からない魔族による脅威から国が責任をもって生活の保護と安全を約束する。

 そうではない者はこの状況を、自力で乗り越えろというあまりにも横暴すぎる内容だった。

 当然この政策に不満の声が上がったが対抗する事の出来る力や金が無い国民は、この狂った政策に従う他なく保護の対象から除外されてしまった一部の国民は、国の端でひっそりと身を寄せ合い厳しい生活を送らざるを得なくなった。

 国からの支援を一切受けられないその場所はやがて荒廃し、何者にも縛られない自由な暮らしの代償として、安全とは程遠い無法地帯と成り果てていった。

 そんな明日に希望を抱く事さえ出来ないような荒れ果てた街に、早くに両親を失った双子の兄妹が暮らしていた。

 兄のファウスト・ライウス。

 妹のリュドミラ・ライウス。

 兄妹共にならず者が住まうスラムの街には、相応しくない透明感のあるブロンドの髪に加え、見目の整った顔立ちと吸い込まれそうになる空と同じ色の瞳。

 小綺麗な格好をして貴族の者だと紹介されれば納得してしまうような整った容姿から、何か深い事情を抱えた兄妹なのではないのかと、この街で暮らす人達の間で名が知られていた。

 更に妹のリュドミラは、病弱で貴重が故に高価な薬を飲み続けなければ余命幾許も無かった。

 唯一残された肉親の妹を助ける為に、兄のファウストは妹の薬代を稼ぐ為に、危険な仕事や盗みなどの犯罪行為を繰り返し生計を立てているという事も知れ渡っていた。

 金になるのならばと、自身のプライドさえも捨てて女に限らず男や老人を相手に日銭を稼いでいるというふざけた噂も出回っている。

 そんな噂をものともせず過酷な環境下で、互いに支え合う仲睦まじいこの兄妹の運命の歯車が狂い始めたのは、茹だるような暑い日の事だった。





 ファウスト達が暮らすスラム街には、王都から放棄される不要になった物で溢れかえしている。

 王都で暮らす人達の生活の一部で出たゴミや、建造物を建てる際に余ったのであろう木材、そして何かしらの機械の部品。

 この街で暮らす人達は、そのゴミの一部を改造し生活の一部を賄っている。

 板切れや錆び付いて所々塗装が剥げた金属板などで粗末な家を作り、継ぎ接ぎが目立つボロ布は服の一部に使う。

 直せば使えそうな物は修理を繰り返し、修理さえ難しい物は分解して商品として取り扱い、金に替える。

 ガラクタで出来上がったこの街は、王都の整頓された美しい街並みと比べると、いつ見ても不揃いで統一感を一切感じさせない。

 そんな不格好な街へ、ファウストは数日ぶりに足を踏み入れようとしていた。

「四日ぶり、か……」

 ファウストは肩に掛けている鞄の紐を強く握り締め、スラム街へと繋がるたった一つの出入口として使われている古びた検問所を見上げた。

「……ふぅ――。よしっ」

 ファウストは呼吸を落ち着かせ、気合いを入れ直す。

 スラム街はこの検問所を基点に金属板や木材などで作り上げられた高い壁に街全体を覆い隠すようにぐるりと囲まれている。

 また、一定の間隔で設置されている見張り台には監視役が常駐しており、街を出るのにも入るのにも全て許可証の発行と身体チェックが義務付けられている。

 基本的に誰でも出入りが自由な街だが、ここまでの厳重な警備と管理をされているかというのも、街の住人の殆どが警戒心が高くこうまでしないと身の安全が保証されないからだ。

 ファウストが検問所へ寄ると、胸元で槍を構えている男に止められた。

「おい、そこのお前。名前は?」

「第七区 ファウスト・ライウス」

「……またお前か」

 男はファウストの名前を聞くなり面倒な男が帰って来たと、あからさまに眉間に皺を寄せファウストを検問所の中へ連行した。

 腕を掴まれ押し入れられた狭い部屋には、右眼に黒革の眼帯を当て無精髭を生やした男が、退屈そうにテーブルに足を乗せながら使い古されたナイフの手入れをしていた。

「……よぉ、ファウスト。久しぶりだな」

 この男の名前はライ。

 ライとファウストは一回りも歳が離れているが昔からの仲で、ライは当時まだ幼かったファウストにこの街で生き抜く方法を叩き込んだ『先生』とも言える存在でもある。

 たがファウストは、ライに対し「信用はしているが、信頼はしていない」と常に言い続けている。

 それも全て、ライから教わった事やライの底知れなさからもきている。 

「ったく。俺はアンタにしばらくの間、街を出るって伝えた上に許可証も発行したのにこの扱いかよ」

 ファウストは肩にかけている鞄から取り出した許可証を、ライが足を乗せているテーブルに叩きつけた。

 ライはファウストと目が合うと、口の端を上げ含みのある笑みを見せる。

 そんなライに対してファウストは、掴まれた腕を態とらしく摩って見せた。

「そんな話したか?」

「………………」

「そんな顔すんなよ。仕方が無いだろ? あんな豚小屋で出稼ぎしてくるなんて、お前ぐらいしかいないんだからよ」

「……それは。アンタが、その方が稼げるって俺に教えたからだろ?」

「…………あぁ。そうだったな。すっかり忘れてた、そんな昔の話」

 ファウストの中で思い出したくもない程、嫌な記憶が流れたのか表情を曇らせる。

「そんな事より、俺はこれ以上アンタと同じ空間に居たくないんだから、さっさと済ませろよ」

 ファウストは王都から持ち帰った鞄をライに投げつけ、鞄を受け止めたライは面倒臭そうに鞄の中の検査を始めた。

 ライが鞄の中を物色している間、まるで首に手をかけられているかのような緊張感がファウストを襲う。

「っ…………」

 感情を、自分の異変を相手に悟られるなとライに教えこまれたファウストだが、この時間だけはどうしても慣れる事なんて出来なかった。

 それもこれも鼓動や呼吸の一つ、自分の全てをこの男に支配されていると、錯覚を起こすような強い威圧感をライが放つからだった。

「呼吸はちゃんとしろよ?」

「っ、黙ってろ……」

 小動物にでもなった気分だった。

 張り詰めるような重苦しい空気の中、ライは呟いた。

「あんな豚小屋に出稼ぎなんてほんともの好きだな」

 完全に遊ばれていると、ファウストは早々に察した。

 このお遊びにファウストはどう対応するのか、ライは楽しんでいる様子だった。

 一呼吸置き、ファウストはライのお遊びに応える。

「……だからいいんだよ。警戒心を失った豚はいい金になる」

「で? その豚からの収穫はどうだったんだ?」

「……見りゃ分かんだろ? 最悪だよ」

 王都でどのような時間をファウストが過ごしていたのか、荷物から取り出されたしょぼくれた巾着が全てを物語っていた。

「紹介人はあの爺さんか?」

「あぁ、そうだよ」

 小馬鹿にするような笑みを崩さないライから、ファウストは巾着を奪い取る。

「あの糞ジジイ、金になるって言うから話に乗ってやったのに」

「あの爺さんが持ってくる話には当たりハズレがあるからなぁ……。ま、今回は残念だったな」

 ライの雑な慰めに苛立ちを隠せないファウストは、ワザとらしく舌を打つ。

「チッ…………」

 スラム街には金になる仕事を斡旋してくれる『紹介人』と呼ばれる人達がいる。

 その紹介人は依頼主から仕事の依頼を受け、仕事を完遂する力を持つ人と繋げる役割を担っている。

 ただ仕事を繋げるだけの紹介人もいれば、スラム街と王都内の情報に精通している紹介人もいる。

 今回ファウストに話を持ちかけた紹介人は後者のタイプで、その紹介人が言うにはどうやら王都で大きなイベント事があり、大金持ち達が集まるとの事だった。

 根拠や証拠も無い不確かな話には乗らないファウストだったが、普段から何かと世話になっている紹介人からの話という事で、仕方がなく話に乗ったのが今回の災難の始まりだった。

「……まさか葬式だなんて思わねぇだろ」

「なんだその話! 面白そうじゃねぇか!」

 ファウストは王都で過ごした数日の事を思い出しため息混じりにボヤき、ライは思わぬ展開に声を上げて笑いだした。

「葬式って、誰が死んだんだよ」

「そこそこ影響力のある、貴族の家長」

「貴族の家長の葬式なら、それこそ稼ぎのチャンスなんじゃないのか?」

「………あのな、アンタ。王都の葬式を見た事あるのか?」

「実際に見た事は無いけど、話なら聞いた事はあるぜ」

 ライの言葉にファウストは再びため息を吐く。

「なら教えてやるよ。俺達スラムの人間は人が死ぬとソイツが持ってた物を奪い合うけど、王都の人間は誰かが死ぬと弔うんだよ」

「弔う?」

「死んだ事を悲しみ嘆いて、次の世でもまた会える事を祈る。そんで生きた証を形として残す儀式の事だ」

「なんだそれ。祈ったところでソイツはもう死んでんだろ? 死んだ奴に対して祈ったって無駄じゃねぇか」

 ライは腑に落ちなかったのか、納得していない様子だった。

 これが王都で平穏に暮らす人間と、死と隣り合わせのスラム街で生きる人間の大きな違いだった。

「……俺達に悲しむ余裕なんて無いからな」

 この街では毎日たくさんの人間が死ぬ。

 病気、飢え、殺し。

 死に方は様々だが痛みも苦しみも無く、眠るようにして生を終えられるのは奇跡に近い。

 この街で生きる人間は必ず苦しんで死ぬ。

 そして、遺された側の人間に悲しむ時間さえもこの街は与えてくれない。

 他人に弱味を見せれば、自分の死と直結する。

 例え家族や恋人同士だとしても、自分が弱っている姿を見せてはならない。

 物心着く前からそう教え込まれているこの街の人間は、死んだ人間に対し祈る事も、弔う事もせず遺体に火を付け塵一つ無くなるまで燃やし続ける。

 『死』は伝染する。

 死という現実を受け入れる事が出来なかった者は後を追い、死を放置すればやがて別の種類の死を招く事になる。

 この街で生き残るには、この地で生きていたという証を全て消し去る事だった。

「……もう検査はいいだろ? こっちは疲れてんだ。早く帰らせてくれ」

 いつまでもこの話に付き合っていられなかったファウストは、未だ荷物検査を続けるライを急かす。

「急かすなって。この場所の意味、分かってんだろ?」

「………………」

 ライは、ファウストが王都から持ち帰ってきた荷物の底を弄り始める。

 そして、目当ての物を見つけたのかピタリと動きを止める。

「ほらな?」

 ライはニヤリと笑い、鞄の底から鋭く尖ったナイフを取り出した。

「いやー、今回はヒヤヒヤしたぜ。なんせこの俺の勘が全部外れたんだからよ」

 ライは慣れた手つきでナイフをくるくると宙に舞わし、ファウストに向かってナイフを投げる。

 投げられたナイフは、ファウストの頬を掠り反対側の壁に突き刺さった。

「ま、及第点ってところだな」

「さっきの話の流れもただの時間稼ぎだったのかよ…………」

 不自然な流れで振られたあの話は、ライの作戦だったと気づきファウストは肩を落とす。

「俺を欺こうだなんてお前にはまだ早いんだよ」

 ライはファウストを挑発するかのように、口角を上げた。

「んじゃ、あのナイフは没収な」

「なんでだよっ!」

「なんでだよって、俺がここにいる意味分かって言ってんだよな?」

「っ………………」

 ファウストが住むスラム街は治安維持の為、第一区から第十区のグループに分けられそれぞれの地区で代表者を選出し、その地区の代表者は住民の管理などをおこなっている。

 ファウストが暮らす第七区の代表者はライが務めており、ライはその第七区の代表者だけではなく、このスラム街の検問所の責任者も担っている。

 ライが地区の代表者と検問所の責任者も兼任しているのかは、ただシンプルにライにはそれだけの頭脳と力があるからだった。

 ライに関して、いくつかの噂話が流れている。

『たった一人で数十人の男を相手に、首の骨を折り再起不能にした』

『ライにナイフを持たせると必ず、血の池ができる』

『ライに扱えない武器はこの世界に存在しない』

 他にも似たような噂話が流れているが、スラム街の住民の半分はふざけた噂話だと笑う。

 だが、ライの本当の実力を知る者は街中に流れる噂話は本当だと心の中で信じ、ライの顔色を伺っている。

 この街で生き抜く為の全てをライから教わったファウストも、ライの顔色を伺うその内の一人だった。

「この街の鉄則を俺はお前に教えたよな?」

「……、外からの危険物の持ち込みを禁じる」

「この街で人を殺すのも自由。盗みも自由。だが、自分の力だけで実行する事。お前が持ち込んだあのナイフは豚共が使った物なんだろ? ナイフなんて自分で作ればいいじゃねぇか」

「……分かってる。けど、時間が無いんだ。見逃してくれよ、ライ」

 ライの言う通り、この街でもナイフや他の武器の調達は可能だが、それにはかなりの時間と金を要する。

 ファウストが稼いだ金の大半は、妹リュドミラの薬代に充てている為、武器の調達をする程の余裕などファウストには無かった。

「あのな、散々教えたはずだがよ。お前はもっと交渉術を磨け。この街で同情なんて通用しないぞ」

 ライは獲物を狙い定める強者のような視線を、ファウストへ向ける。

「……アンタの狙いは初めからコレだったんだろ。普段は仕事サボって見逃してくれんのによ」

 ファウストは服の内ポケットから宝石が着いた指輪を取り出し、渋々ライに手渡す。

 他にも宝石や装飾品を隠し持っているが、これらはファウストが王都で出稼ぎをしていた際に、貴族から盗み出した物だった。

「お前が初めから渡すを物渡してれば、無駄な時間を過ごさず済んだんだからよ。指輪一つで手を打ってやるんだから安いほうだろ」

 ファウストから宝石が着いた指輪を受け取ったライは、マジマジと指輪を見つめる

「これが玩具だったらお前の手を斬り落とすからな」

「盗みの技はアンタから教わったんだ。俺がそんなヘマする訳ないだろ」

 そう言いながら、ファウストは壁に刺さったナイフと鞄を回収し検問所から出ようとした時、ライから呼び止められる。

「なぁ、ファウスト。この後どうだよ」

 向けられる笑顔には欲が含まれており、ファウストはそんなライに向かって中指を立てた。

「………散々言ってんだろ。俺はアンタが嫌いだって」

 そう言い、ファウストは今度こそ検問所を後にした。

 

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