第29話 新星のアラン
道なき森を走る。
太い幹、飛び出した枝。多くの障害物があるが強引に突き抜ける。
やがて危機感知が反応するほどの気配を感じた。
木々の間から、遠くに二人の子供が見えた。彼らは木に登り、そこから魔法や槍を使って地上にいるウルフを寄せつけまいと応戦している。
あの戦い方は時間稼ぎだ。彼らは信じているんだ、逃したマルスが必ず応援を呼んでくれると。
しかし長い時間そうしていたのだろう、木の上でミーナがよろめいた。彼女は魔法使いだ、もしかしたら魔力切れかもしれない。
落ちそうになるミーナの腕を、テッドが慌てて掴む。そのせいで彼が持っていた槍が地面に落ち、それを好機と捉えた一番大きいウルフが地面を蹴って高く跳ぶ。
危機感知が警戒しているのはアイツだ。
体長は三メートル程か。動物園で見たホッキョクグマと同じくらい大きいのに、強靭な四本足が驚くほど早くその身体を動かしている。奴がマルスの言っていたキングウルフか。
あの大きな口に噛まれたら、子供の足程度容易く噛み千切られるだろう。
走っていた俺は勢いをそのままに、思い切り跳んだ。
空中でキングウルフと視線が交差する。
その鋭い歯がミーナの足に噛み付くよりも先に、俺の拳が狼の横面を撃ち抜いた。
「キャウゥン!?」
ただのウルフだったら今ので絶命していただろうが、キングと呼ばれるだけあって、この狼は殴られながらも四本足でしっかり着地し、直ぐに俺を警戒する。
「り、リュートさん!? まさかマルスが?」
正直言うと自信がないし、怖かった。
キングウルフはオークジェネラルよりも強そうだし、おまけに普通のウルフも二十体くらいいる。迷宮では狭い場所に逃げ込めば大勢を相手にせず済んだが、ここはとにかく広く、全方位から敵が襲ってくる。
アランの言う通り無闇に飛び出すべきではなかったかもしれない。
でも、間に合った。
「そうだ。こんな敵に遭遇したのは不運だったが、近くに俺がいた事は幸運だったな」
無理やり笑顔を作る。
テッドとミーナは涙を流しながら喜んでいる。
死を目前にして怖かったのだろう。
それでもよく生き残ってくれた。
自棄を起こさず足掻いてくれた二人を安心させるために、俺は勝たなければいけない。
「ガァァア!」
キングウルフの雄叫びと同時に四体のウルフが飛び掛かってくる。
広いことを不利だと考えていたが、周囲に仲間がいない今なら暴れ放題と捉えることも出来る。二人が登っている木さえ倒壊させなければ良いのだ。
「はぁっ!」
地面に手をつき、土の棘を作り出す。四本のそれはウルフの胸を容易く貫き、辺りを血に濡らす。キングウルフがいることによって統率がとれているが、個の強さが変わっているわけじゃない。
両手に氷の剣を作る。刀身はとにかく硬く、そしてなんでも切り裂けるくらい薄く。
即死した四体の仲間を見て一歩下がるウルフ達。彼らを鼓舞するようにキングウルフが声を上げると、残り全てのウルフが前に出た。
円形に囲まれている俺は、行動範囲が狭まる前に走り出した。
低姿勢で襲いかかって来る狼には左手の剣を下に向け、上から襲いかかって来る狼には右手の剣を上に向け、そのまま走り切る。
刃を滑らせるように斬ると、まるで抵抗なくウルフの肉体を裂けた。
群れの後方に辿り着き、そこで我武者羅に剣を振るう。
振り上げられた前足を斬り落とし、開かれた口に剣を突き立て、両手が塞がっていれば足に炎を纏って蹴り上げた。
ウルフを蹴散らしているとキングウルフが怒ったように吠え、こちらに向かって走って来る。オークジェネラルは仲間を盾にするようなクズだったが、こいつは違うようだ。
周囲のウルフを斬り伏せてからキングウルフに肉薄する。
振り下された爪を左手の剣で防ぎ、右手の剣で喉元を突き刺す。
しかし体毛が硬すぎて深くは刺さらない。まるで無数の針金に覆われているようだ。
おまけに、氷の剣も刃こぼれをし、少し溶けてきた。魔力を込めるほど耐久性と溶けにくさは増すが、それでも限度がある。
その場に剣を捨てて後退する。直ぐに新しい氷剣を作ろうとするが、ウルフ達がそれを許さない。
一瞬の隙も与えないとでも言うように怒涛の攻撃が始まる。精巧な剣を作る為には集中しなければいけないのに、これでは使い慣れた土棘や氷槍くらいしか作れない。そして、それらの攻撃ではキングウルフにダメージを与えられないし、そもそも早くて当たらない。
思わず歯軋りした。
ウルフの数は半分近く減ったが、奴らがテッドとミーナに近付かないように立ち回らなければいけないし、キングウルフは早くも俺の攻撃パターンに対応して来た。
せめてボスと一対一に持ち込めれば……。
そう考えた瞬間、俺が応戦していたウルフの上から石の盾が降って来て、その身体を潰した。
「ミーシャ!」
思わず顔が綻ぶ。あの子に助けられるのは一度や二度じゃない。仲間の存在はやはりありがたいものだ。
遅れてやって来たアランは、背負っていたマルスを木の上に押し上げる。無事に再会できた彼らは涙を流しながら抱き合っている。
「リュート! 君って人は……!」
ミーシャを警戒したウルフ達は彼女を狙うが、その前にアランが立ちはだかる。彼は勝手に飛び出した俺を怒っているようだったが、同時に笑ってもいた。
「二人とも、助かった!」
アランとミーシャがいれば、数体のウルフ程度どうとでもなる。
願った通り、キングウルフだけに集中出来る。
「お前はこっちだ!」
再び氷剣を作ってからキングウルフに斬りかかる。
新しく来た二人を警戒していた群れのボスは俺の剣を容易く避けた。
だけど剣は二つある。
飛び退いたキングウルフに、風魔法と共に左手の剣を投げる。魔法の追い風を受けた剣は高速で飛ぶが、その刃は針金のような黒い体毛に弾かれる。
くそ、本当に硬いな。
真新しい剣でも通らない事に対し、思わず舌打ちをした。
ならばオークジェネラルを倒した時の炎魔法を使うか……いや。高速で動き回る相手に当てるのは一苦労だ。それに、撃ちどころが悪くて森に燃え移ったら洒落にならない。
そうなると打撃しか選択肢はないな。体毛は硬くても、肉はそれほどではなかった。
しかしどのタイミングなら攻撃が当たるか。
キングウルフの爪を避けながら考える。
俺はキングウルフに攻撃が通らず焦ったく感じているが、それは敵も同じようだ。
キングウルフは大きな口を開けて俺の首目掛けて跳んだ。
その動きは今までより数段早い。
迷っている暇はない。即座に対応をしなければいけない。
いつもなら咄嗟に避ける所だが、今日アランと行動を共にした俺の頭には、違う選択肢が浮かんだ。
左手に石の盾を作る。
後ろに下がろうとしていた足を前に踏み込む。
イメージはアランがオークジェネラルの槍を弾いた時の動作だ。
キングウルフの鼻頭を槍の矛先に見立てて、そこに向けて盾を強く押し出す。
キングウルフの速度と俺自身の力がぶつかり合い、鈍い音が響く。
脳が揺れたのか、地面にひっくり返って無防備を晒す狼。
右手に硬く重い棍棒を作り出し、それをキングウルフの頭部に振り下ろす。
力任せの乱雑な攻撃。
だからこそ棍棒はキングウルフの頭部を砕き、地面を血に染めた。
振り返れば、アランとミーシャもウルフ達を殲滅し終えたようだ。
「今の動きって、僕を真似たのかい? 君の学習能力は凄いな……」
剣を鞘に仕舞いながらアランが歩いてくる。
ミーシャも石の盾や槍をリュックに片付けている。
「いや、それよりも……」
アランは少し沈んだ表情を浮かべた。
木から降りて来た三人組が笑顔で走り寄って来たが、アランが彼らに頭を下げた事により、三人はギョッとした表情で立ち止まる。
「すまなかった。僕はマルスから敵の詳細を聞いた時、直ぐには助けに向かわず、応援を呼ぼうと考えたんだ。ウルフの群れならまだしも、ボスであるキングウルフが加わるとなると、僕ら三人では勝てないと判断したからだ。犠牲者を増やさない事ばかりが頭に浮かび、冷徹な思考を行ったことを謝りたい」
子供達は慌てて首と手を何度も振るう。
「や、やめてくれよアランの兄ちゃん! 兄ちゃんは冷徹じゃなくて冷静だって、俺はちゃんと知ってるぞ! それに結局リュートのアニキを追ってここまで来てくれたじゃないか!」
俺も驚いていた。
アランが善人なのは疑いようもなかったが、それでも貴族だ。まさかそんな事で頭を下げるとは思わなかった。
「そ、そうですよ。リュートさんだって、アランさん達が来たとき嬉しそうでしたよ。だから、何も謝る事なんてありません。むしろ謝るべきなのは僕らです」
勇者の話を語ってくれた時のアランを思い出す。
彼は心底楽しそうに、憧れを瞳に浮かべながら英雄の話を聞かせてくれた。
きっと彼は自分を許せないのだろう。英雄に憧れながらも、直ぐに助ける判断を下せなかった自分を。
でもそれは俺の問題ではないし、もっと重要な事がある。
「そもそもなんてお前らはこんな所にいたんだ? 森の深部は強い魔物が出やすいって、俺でも知ってるくらいだぞ」
こいつらのランクは知らないが、現に強敵に殺されかけていたのだ。彼らに深部を探索する資格は無いはずだ。
俺の質問に答えてくれたのはミーナだ。
「はい、その事を謝らないといけません。私達はDランクに上がった為、森の中部でアレド草を……薬草を採取しようと探索に出たのですが、そこかしこに生えている価値のある草花に夢中になり、気が付いたら奥まで入り込んでいたんです……。迷惑かけてすみませんでした」
「いいや、俺がコンパスを確認しながら移動すればこんな事にはならなかったんだ! リーダーとしてダメダメだ! その上、二人を置いて逃げるなんて……」
「何言ってるんだ! マルスが応援を呼んでくれたから僕たちは助かったんじゃないか!」
責任を被ろうとする子供達の間に割って入る。
「わかったわかった。反省はギルドに戻ってからだ。何が起こったのか説明する為にもウルフの素材は剥ぎ取るか。お前らも手伝え。アラン、キングウルフを収納するスペースはあるか?」
「え? あ、あぁ。うん、任せて」
ボーッとしていたアランにも指示を出してさっさと撤収する。
素材の剥ぎ取りは子ども達がやってるのを見様見真似で行ったが、ゴブ太のポーチに入っていたナイフを使ったら割と簡単に出来た。
帰り道は何事もなく進めた。
子供達は幸いにも怪我がなかったようで、足場の悪い森でもそれなりのペースで進んだ。死を目前にした直後だというのに真っ直ぐ前を見て歩けるのは、さすが冒険者といったところだ。
「マルス達には悪いけど、ここからは三人で帰れるかい?」
森の出口まで歩いた所で、アランが口を開いた。
「もちろんだぜ! ここまで送ってくれてありがとな!」
「私達は先にギルドに報告しておきますね!」
頭を下げてから去って行く三人を見送り、アランに視線を送る。
何か話したい事でもあるのだろうか。
彼は暫く間を置いてから話し始めた。
「……僕は昔からそうなんだ。今日みたいな危急の時に、身体が動くよりも頭で考えてしまうんだ。敵は何者か、どれくらいの強さの人が何人で救援に向かえば被害を最小限に抑えられるかって。でも、どんな物語にもそんな英雄は存在しなかった。彼らは考えるよりも先に行動したんだ。助けを求める人の元へ、真っ直ぐ駆けて行く……まるで今日の君のようにね。それを目の当たりにして、僕は自分の小ささを知ったんだ。こんなに身近に英雄がいて、その英雄は僕なんかよりよほど強く、それでいて目的の為に更なる高みを目指している。今まで周りに天才と持て囃され、『新星』なんて二つ名を喜んでいた自分が浅はかに思えるよ」
アランは間違いなく強い。
ギルドでもそう言われていたし、俺もそう思う。
そんな彼が弱みを見せた。
きっと他の人なら彼を慰めるのだろう。マルス達がそうしていたように。
でも自分を責めている時にそんな言葉を言われても何も変わらない。現にアランは森の奥からずっとこんな調子だ。だから慰めるだけ無駄というものだ。本音で話してあげた方が彼の為かもしれない。
「クソみたいにつまらない話だったな」
俯いていたアランが目を丸くした。慰めを期待していたわけじゃないのだろうが、口汚く罵られるとは思ってもみなかったのだろう。
「何が英雄だよ。お前の一番の過ちは、自分じゃない何者かになろうとしてる事だ。危急の時に頭で考えてしまう? 別にそれでいいだろ。トラブルが起きた時に冷静に考えられるのは利点だ。感情任せに突っ走る奴は二次災害を起こすだけの場合が多いんだよ。お前の知ってる英雄達は皆んな運が良かっただけだろ」
「でも、君だって……」
「それと、俺を英雄と呼ぶな。虫唾が走る。俺はいつも自分の為だけに動いてる。迷宮に入る目的だってそうだし、今日あいつらを助けたのも、俺が嫌な気分になりたくないから助けただけだ。ヒーローとか勇者とか、そういうのに憧れる奴の気がしれないね。自分の事で手一杯なのに、そんな状況で知らない奴のために尽くしたくないだろ」
呆然と立ち尽くすアラン。話が終わりなら帰るか。
「行くぞミーシャ」
そう言って歩き出そうとするが、ミーシャはアランの横に立ったまま動かない。
この子が俺の言うことを無視したのは初めてだ。でも、俺はこの子に命令できる立場じゃない。だから俺も止まるしかなかった。
「それでも」
困惑した俺の目を見てミーシャが呟く。
「それでも、リューはわたしの英雄だよ」
出会った頃からは想像出来ないような強い眼差しを向けられ、言い返す言葉が見つからなかった。
「初めて会った時も言ってたよね。わたしがいたから、動くことが出来たって。だからありがとうって。リューは助けた人に対して本気でお礼を言っちゃうような変人だから、だから自覚がないんだと思う。でも、助けられたわたし達は知ってる。あなたが誰よりも強くて優しいってこと」
そう言ってから、ミーシャは薄く微笑んだ。
初めて見るこの子の笑顔に思わず胸が詰まる。
ミーシャみたいな不幸な子どもが、なんの憂いもなく笑える日が来ればいい。この子に出会ってすぐの頃、そう考えたことがある。
そう考えるくらい大きな憂いを抱いた子が、こんなにも早く笑顔を見せてくれるなんて思わなかった。
「あなたは変わりたいと思ってる。だからパーティに入りたいんでしょ?」
隣のアランを見上げてミーシャは問う。
今までミーシャがこんなに喋った事はあっただろうか。
黙って頷いたアランを断ろうとすると、ミーシャが「怖いから断るの?」と聞いた。
「今朝、赤い髪の人と話してたよね。また大切な人を失うかもしれないって。わたし、知らなかった。リューはわたしに会う前に、大事な人を失っていたんだね。また同じ思いをしたくないから、一人で迷宮に行こうとしてたんだね」
ミーシャの言う通りだった。
訂正する箇所がない。
「わたしの英雄は誰よりも強いのに、優しすぎるせいで臆病なんだよ。頼りになるのに、どこか危ういの。そんな英雄を一人にしたくないから、わたしはリューについて行く……ううん、わたしだけじゃない」
今まで無口だったミーシャが俺をこんな風に評価しているのだと知って、複雑な気分だ。
出来る限り安心させてあげようと思っていたのに、心配させてばかりだ。
「ガイストが言ってた通り、誰も死なない為にパーティを組むべきだと思う。わたしはもっと強くなるけど、それでも足りない。だからアランも入れて欲しい」
ミーシャが喋り終えると、アランが一歩前に出た。
「僕も強くなるよ、君を不安にさせないくらい。だから君たちと共にいさせて欲しい」
落ち込んでいた時の長ったらしい話と比べたら、とても簡潔な言葉だった。
しかし迷いを捨てた彼の瞳を見れば、それだけで意思の強さが伝わった。
「わかってると思うが、俺の旅は俺の目的の為だけに行うものだ。そして、このパーティの最終目標は災禍の迷宮に入る事。それが叶えば解散となる。おまけに、俺には話せない事が沢山ある……例えば、なぜ迷宮に潜るのか、とかな。それでもいいのか?」
「もちろん構わない。君の事を知りたい気持ちは強いけど、聞くなと言われれば聞かないし、他言するなと言われればそうするよ」
二人にここまで言われて断れるわけがない。
俺の異世界生活は、ミーシャを迎え入れた時点で俺だけのものではなくなっていたのだ。
「このパーティのルールは絶対に死なない事、危険な時は必ず自分の身を守る事だ。これが守れるなら……歓迎するよアラン」
俺が差し出した右手を、アランは笑顔で握った。
「約束する。この盾に誓って、僕は仲間を死なせないし、自分の身も守り通すと」
横でミーシャがホッとしたような顔をしている。
ただ、俺にはこの子にすら言っていない……いや、この世界で生きている誰にも言っていない秘密がある。
それも俺がパーティを組もうと思わなかった理由の一つだ。
それは――どれだけ親しくなったとしても、誰も死ななかったとしても、俺はいつか彼らと永遠に会えなくなるって事。
地球にいる家族の元に帰る以上、これだけは変えられない。
そして、異世界の存在を隠し通す以上、俺は彼らに何も言わずに別れる事になる。
それがどれだけ不義理な行為か……。
今はまだ、考えなくてもいいよな。
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