第25話 弟子

 

 この世界の食材や調理技術は俺の知っているものと大体同じようで、つまり俺が知っている食べ物もちゃんとある。それはお菓子についても同じだ。

 南の門から帰る途中に、甘い匂いに誘われた俺は小洒落た店に辿り着き、窓から中を覗いてそこがお菓子屋さんだと知った。

 そこでマドレーヌやクッキーの詰め合わせを二箱買ってからホテルに戻り、一つをアニスに渡した。


「怪我の手当てをしてくれたお礼だ。口に合わなかったら他のスタッフに分けてくれ」


「まぁ! そんな、私は大したことしてませんのに。でも、ありがとうございます。これは南門の側にあるお店ですね? 私好きなんですよ!」


 喜んでくれたようでよかった。もう一つはミーシャと一緒に食べるつもりだ。


「あ、リュート様。食事の準備は出来てますので、お好きなタイミングであちらのレストランにお越し下さい」


 というわけで、俺は部屋に戻ってミーシャを連れてから再び一階のレストランに降りた。ミーシャは部屋で熱心に魔法の練習をしていたのだが、家具を浮かせていたお陰で配置が滅茶苦茶だった。まぁ、後で直せばいいか。


 白いテーブルクロスの上に並べられた銀のカトラリー、ナプキン、静かに料理を運んでくるスタッフ。

 こんな贅沢、日本にいた頃もそんなに多くはなかった。母さんがフレンチが好きで偶にレストランに連れて行かれる事もあったが、それだけだ。日常的にこんな豪華な所に泊まってる奴は一体どれ程の金持ちなのだろうか。

 ふとレストランの隣、ロビーの方を見ると、三名の女性スタッフが一人の客に愛想を振り撒いていた。

 その客を見て思わず息を呑む。


「絶世の美男子かよ……」


 背丈は百六十八センチの俺より少し大きいくらいだろうか。歳もそう変わらないように見える。

 だと言うのに、なんだこの差は。

 サラツヤの金髪と理知的な碧眼。白い肌はきめ細やかで、身体は引き締まった筋肉が逞しく、スタイリッシュな銀色の鎧がよく似合っている。

 あれが貴族ってやつか? 気品に溢れた佇まいは只者ではない。

 いや、しかしイケメンというだけでなく、どことなく強者の風格すらある。冒険者と言われても納得出来そうだ。

 そんなイケメンに目を奪われていると、彼に気付かれたのか、ふと視線があった。

 やば、気まずい。そう思ったのも束の間、彼は爽やかなイケメンスマイルで俺に微笑んだ。


「っ!?」


 なんて奴だ。目が合ったら脊髄反射で微笑むようなイケメン、生まれて初めて見たぞ。

 目を逸らそうとしていた自分が情けなく思えてきた。

 せめてもの意趣返しに、俺は口を「い」の形にして嫌な顔をする。


「いーっだ!」


 イケメンは少し驚いた顔をした後、クスクスと笑いながら二階へ上がって行った。

 なんだよ、どんな無礼も許しちゃう程寛大な心まで持ち合わせているのかよ。

 天は二物を与えるものなんだな。

 なんだか情けなくなってきた。あのイケメンと比べたら俺はなんてちっぽけなんだろう。


「はぁ……海の底で藻屑となって消え去りたい……」


 一人で喋ってる俺をミーシャは不思議そうに見上げている。


「何やってるんですか……」


 いつの間にか料理を持って後ろに立っていたアニスが呆れている。もしかして見てたのだろうか。


「リュートさんって黒髪黒目だし、最初はミステリアスというか神秘的に見えていたんですけど、今では残念な人というか、勿体無いというか……」


 あれ? 「様」から「さん」にグレードダウンしてる?


「気にしないで。リューは偶に変なことしてる」


「え? ミーシャにそんな風に思われてたのか?」


 なんかショック……でもないな。事実だし。


「ところで、お二人もアラン様に興味がおありで?」


「アラン? 有名人なのか?」


「暫く前からこの街に滞在しているBランク冒険者の方ですよ。生まれはフォーゲル男爵家のようですが、後継ではないため冒険者になったそうです。武芸に秀でた方なので色んな冒険者から誘われているそうですが、彼は一つのパーティに留まらず色んな冒険者と組んで経験を積んでいるそうです」


 本当にお貴族様じゃん……。

 しかも女性だけじゃなく冒険者からの人望も厚いようだ。


「完璧超人かよ。住む世界が違うね」


 俺が遠い目をしていると、ミーシャが珍しく口を挟んだ。


「リューの方が強いよ。実力はAランクってガイスト言ってたし」


「えっ!?」


「や、やだなぁ今日登録してきたばかりなんだから、そんなわけないだろう? ミーシャは冗談が上手いなぁ」


 驚くアニスを宥めるようにしらばっくれる。

 ミーシャは俺の事を慰めてくれたのかもしれないが、あのイケメンと張り合ってるみたいで嫌だ。イケメンとリア充と陽キャは好きではないが、だからと言って戦いたいとは思わない。


「さぁ、せっかくの料理だ。いただこうじゃないか」


 そんなことしてる暇があるなら、美味しいものでも食べていた方が幸福になれるというものだ。




 翌朝、俺は日が昇る前に目覚めた。

 睡眠時間はそれほど取れたわけじゃないのに、起きた瞬間から頭は冴えて身体は万全の調子だ。

 しかし妙だな。俺はショートスリーパーではないし、朝に強いわけでもなかった。

 やはり迷宮に落ちてから体調が変化したのか。

 今の所不調はないため、自由に使える時間が増えたと喜ぶことにする。

 隣のベッドで寝ているミーシャを起こさないように静かに部屋を出る。

 階段を上って屋上に行くと、昨日アニスから聞いた通り屋上庭園が広がっていた。


「あ、おはようございます! お早いですね!」


 昨日イケメンに愛想を振り撒いていたスタッフが花に水やりをしながら挨拶をくれる。

 軽く返事をしてから屋上の端に行き、木の柵を越える。


「あ、危ないですよー!」


 いい空気だ。

 人々がまだ寝静まっている時間の綺麗な空気が、俺は結構好きだ。

 空でも飛びたい気分、というやつだろう。

 そして今の俺にはそれが出来る。


「アイキャンフライ!」


「えぇ!? ちょ、えぇ!?」


 足に纏った風は未だ不安定だ。

 それでも昨日は暴走した魔力を制御し、夜にはミーシャの為に土魔法で色んな武器を作ったのだ。少しは魔法の扱いも上手くなってきた。

 屋上から飛んだ俺は、南門に向かって自分の身体を風で押す。

 真っ直ぐには飛べないし、体勢も崩れるから何度か家屋の屋上に着地した。それでもこの移動方法に慣れれば、地球での俺の愛車(通学用ママチャリ)より便利な移動法になるに違いない。出来る時に練習するべきだ。


 流石に無断で外壁を乗り越えたら門衛に怒られそうなので、門の側に着地する。


「うわっ!? どこから降って来た……東方人? なるほど、忍者って本当にいるんだな……」


 異世界にも忍者がいるのか……。勘違いされたけど訓練の為に外に出る事を告げて、街の外周を走る。

 こうやって普通に運動するのは久しぶりだな。だけど運動より過酷な戦いのお陰か、昔では想像出来ないほど体力がついている。


 南から時計回りに走る。大きな街だけあって、一周するのも大変そうだ。

 西門、北門と通り過ぎて、東門に辿り着いた時には朝日が森の向こうから顔を覗かせていた。

 そして昨日エモから聞いた通り、東門の丘の上に小さな女の子がいた。

 足を止めて丘の上を見上げると、少女もこちらを注意深く観察している。

 歳は十歳にもなっていないんじゃなかろうか。ミーシャより幼い。

 肩まで伸びた桃色の髪には白のメッシュが入っている。そんな髪色も特徴的だが、瞳の色はもっと珍しい。パッと見は桃色に見えるのに、よく見ると虹色に輝いているのがわかる。

 あの輝きは魔力か? まるで世界からの祝福を纏っているみたいな少女だ。「精霊に愛されてる」と言ったエモの言葉がとてもしっくりくる。


「おはよう、こんな時間から勉強してるのか?」


 丘に登りながら声をかける。大きな本を開いたまま、少女は不思議そうな表情で俺の目を見ていた。


「う、うん……魔法の勉強だよ」


 突然知らない人から話しかけられて驚いたのだろう、戸惑いながら少女は答えてくれた。


「俺も魔法の修行をしてるんだ。少し見学してもいいか?」


「うん……でも、マナはあんまり上手くないよ?」


 この子はマナというらしい。高校で自分の事を名前で呼ぶ奴をイタイ奴だと思っていたけど、幼い子がそうすると普通に可愛いのはどこの世界も同じだな。

 俺は「構わないよ」と言ってその場に腰を下ろした。緑色の柔らかい草が心地良い。


「ええっと……じゃあ。万物を洗い流す水の精霊よ、巨悪を穿つ一矢となり、その力を解き放て。ウォーターアロー!」


 少女の詠唱に伴い、かざした手のひらから魔法陣が構築され、詠唱の終了と共に一本の水の矢が放たれた。

 これが詠唱発動の精霊魔法か。

 初めて精霊魔法を使った時にも感じたが、精霊魔法は決められた道順――魔力回路と呼ぼう――を通って魔力を運搬し、それを精霊に届けることによって発動するものだ。

 詠唱、またはそれに伴う魔法陣というのは、この運搬作業を自動でやってくれるもののように感じる。

 だから唱えて魔力を通すだけで魔法が発動出来るのだ。


「えっと……どうかな?」


 でも逆に考えたら、その運搬作業を自分でやってしまえば長い詠唱は必要ないのでは?

 全ての魔法にパターンがあり、その魔力回路のパターンを覚えてしまえば無詠唱で発動できる筈だ。

 それはつまり、詠唱によって生まれる隙をなくす事が出来るし、相手に魔法の発動を予感させずに攻撃が出来る、というアドバンテージにもなる。

 ただ、問題はその魔力回路のパターンだ。

 これらの仮説は全て俺の感覚から生み出されたものでしかないため、魔法を使いながら覚えるしかない。

 試してみるか。

 さっきマナがやっていたみたいに手を正面に翳す。固有魔法の場合は自分の魔力を体内で属性に変換するが、精霊魔法は無属性のまま魔力を回路に流して――


「えっ!? すごい! どうして!?」


 直後、魔法陣が生まれ、一本の水の矢が真っ直ぐ森の中に飛んでいった。

 妙だと思った。魔法の構築が上手く行った感じがしなかったのに、流した魔力が自然と引っ張られて、半分自動的に魔法が発動した。

 もしかしてこれが精霊に愛されてるという事なのだろうか。

 そして、エモは俺だけじゃなくこの子も精霊に愛されてると言っていた。


「なぁ、マナも同じ様に出来るんじゃないか? 詠唱しなくてもさ、ほら。いつもやってるみたいに魔力を流すんだ。イメージしづらかったら、心の中でウォーターアローって唱えてもいい」


「え? でも……うん、やってみる」


 マナは目を閉じて集中し始める。

 横で見ていても魔力が昂っていくのを感じられた。やっぱりとんでもない子だ。こんなに幼い子がこれほどの魔力を持っていたら、危険じゃなかろうか。魔法でうっかり人を殺してしまった、みたいな事件が起きそうで怖い。

 そんな事を考えている内に、少女は無事に魔法を完成させ、俺が作ったよりも大きく、速い矢を森に放ち、手前にある一本の木を倒壊させた。


「わぁ! 凄い! 自分にこんなこと出来るなんて知らなかったよ! ねぇ師匠! 他の魔法でも出来るかな!? あのね、家にまだ魔導書があるから、それ持って来たら全部無詠唱で出来るかな!?」



 興奮するマナを宥めて、今日の所は手持ちの魔導書を練習することにした。

 ウォーターボール、ウォーターカッターなどの初級魔法は、一度詠唱発動して感覚を掴めば、二回目からは無詠唱で発動できた。

「こんなに容易く習得出来るのに、マナはどうして今まで試さなかったんだ?」と聞いた所、「そんなことが出来るとは思わなかった」と言っていた。

 多分教えてくれる人がいなかったから、一人で魔導書を読んで反復練習を繰り返すしかなかったのだろう。



「マナは魔法が好きなのに、学校とか行かないのか?」


 もうとっくに朝日が昇り、俺とマナは丘を降りて帰ろうとしていた。


「お父さんとお母さんが生きてたころはね、学校に通うつもりだったの。でも、二人がしんじゃったから……お姉ちゃんは冒険者でマナを育ててくれてるから、マナもお姉ちゃんだけに無理させたくないから、だから冒険者になりたいなって……」


 この子も両親を亡くしているのか……。だからだろうか、こんなに幼いのに姉の負担にならないようにしっかりと目標を持っている。


「でも、お姉ちゃんはマナに学校行かせたいみたいで……。お父さんとお母さんも凄い冒険者だったから、お金はあるから学校に行けって何度も言うの。でも、だからって、マナはお姉ちゃんと離れ離れになってまで学校に行きたくない。マナはお姉ちゃんにとって邪魔なのかな……?」


 自分の中の不安がポロッと溢れてしまったかの様に呟くマナ。

 この子は姉の負担になりたくないし、何よりも両親を失って寂しいのに、姉とまで離れるのは嫌なんだ。


「俺も妹がいるからわかるけどさ、妹が賢いと、この子は俺のために自分がやりたい事を我慢してるんじゃないか、って思う事がよくあるんだよ。きっとマナのお姉さんもそう考えてるんだ。君は今でも学校に行きたがっているけどそれを我慢している、そう思ってるんじゃないか? 君を邪魔なんて微塵も思っていないはずだ」


 多分それでこの姉妹はすれ違っているんじゃないかと思う。


「だから、マナはちゃんと話せばいい。学校に行くよりも、お姉さんと一緒にいたいって事を。そしたらきっとお姉さんの本心も聞けるんじゃないかな」


 終始俯いていたマナだったが、話を聞き終えてパッと笑顔を浮かべた。


「ありがと師匠! ちゃんと話してみるね。マナ、師匠に強くしてもらうから、お姉ちゃんと一緒に冒険者になりたいって! じゃあまた明日ね!」


「え? いや、さらっと巻き込むなし!」


 俺の言葉も聞かずに家に走り帰って行くマナ。

 弟子にするとは一言も言ってないし、俺はいつまでもこの街にはいない。

 でもまぁ、この街にいる間は毎朝あの丘に行ってみるとするかな。

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