第17話 手探りで送る生活

 

「初めまして、私はコーネル商会の会長を務めるハイネ・コーネルと申します。これ程までにお早い回復、私は非常に喜ばしく思っております」


 目の前にいる男は、ミーシャにとっては太ったおじさんなのかもしれないが、肥満が多い日本で暮らしていた俺からしたら、せいぜい小太り程度という印象だ。

 だけどだらしなさは感じない。

 短めの青髪と綺麗な肌、にこやかにハキハキ喋るこの人は、多くの人に好かれるだろうなという印象だ。


「俺はリュート。東方からの旅の途中で怪我を負い、瀕死のところをアンタに助けて貰ったそうだな。ありがとう。大した物は持っていないが礼がしたい」


 丁寧に話した方が良いのだろうか、とも思うが、カルラは俺を貴族と勘違いしていたのに砕けた口調だったし、俺も口調に関しては冒険者っぽさを貫こうと思う。


「いえ、私は貴方とお話し出来るだけで光栄ですとも。さ、まずは食事にしましょう。失われた体力を回復させるのもまた重要な事です」


 流石に何かしらの目的はあるだろうが、助けたことにつけこんで何かを要求してくるつもりはないようだ。

 とりあえず促されるまま食事を開始する。席に着くのはコーネルと俺とミーシャの三人だけで、カルラはコーネルの斜め後ろに控えている。

 久々の食事は、木の皿に入ったサラダ、平皿に盛られたベーコンとオムレツに、白パン。豆が入ったスープもあり、栄養的にも量的にも満足出来そうな朝食だ。

 迷宮の中で萎びたレタスっぽい草を食べた時、苦すぎて異世界がメシまずなんじゃないかと心配したが、杞憂だったようだ。というかあれは多分食べ物じゃなかったんだな。サラダに手をつけてみると、野菜は瑞々しくて、上に乗った削られたチーズはまろやかで塩気があって、ドレッシングがなくてもサラダを楽しめる。

 オムレツは少し固めだった(俺は半熟が好きなのだ)が、スープは野菜の甘みが引き出されており、パンも柔らかい。

 あぁ、一体何ヶ月ぶりのまともな食事だろうか。美味しすぎて涙が出そうだ。


「食事は口に合いましたかな?」


 つい集中して食べ続けていた俺に、コーネルが問い掛ける。

 一応マナーには気を付けて静かに食べていたが、食事に夢中になるあまりホストを退屈させるのはよくなかっただろうか。異世界マナーがわからないが……チラリと横を見る。とりあえずミーシャには後でフォークの持ち方を教えてあげよう。


「あぁ、こんなに美味いものは久しぶりだ。助けてもらった上に、食事までご馳走になって、俺はいったいアンタに何を差し出せばいいのかビクビクしているよ」


 食事を終えた所で、少しおどけたように聞いてみる。

 そこにホテルの従業員が食器を下げに来て、別の者が飲み物を三人分持って来た。甘い。葡萄ジュースみたいだ。


「いえいえ、私は本当にリュート様に何かを要求するつもりなどないのですよ。えぇ、貴方様のような高貴なお方がなぜリベルタに訪れたのかも、何故怪我をしていたのかすらも問いません。ミーシャ様が隠そうとしたように、リュート様には人には言えない何かがあるのでしょう。私は貴方様を悩ませるような事は問いません。ただ、たった一つだけ教えて頂きたい事があるのです」


 マジか。いろいろ質問に対する準備をして来たけど、どれも不要になったようだ。

 だが、代わりに何を聞かれるのかと考えると、少し怖い。


「ずばり、リュート様が今まで着ていらしたあの服を、どこで手に入れたのか! それを知りたかったのです!」


 ……服?

 思わず素っ頓狂な声を出しそうになるが、どうにか我慢した。

 そうか、言われてみれば、俺が着てたジャージはポリエステル百パーセント。化学繊維オンリーって事は科学技術の結晶だ。この世界では作り出せない物なのかもしれない。


「確かにあの服は珍しい物だって俺も思う。でも、コーネルが用意してくれたこの服も変わった生地を使っているだろ? これはなんだ?」


 服について詳しいわけじゃないが、俺が今着てるものは明らかに麻や綿といった一般的な素材ではない。となるとおそらく――


「ええ、それは魔物の毛皮を加工して作られたものです。普段着とは言え、大怪我をしていたリュート様を見ているため、ある程度耐久性に優れた衣服を用意してみたのです。お気に召されませんか?」


 やはりそこだ。

 技術とは需要があるからこそ発展していくもの。

 化学繊維がいつ頃から使われているかは知らないが、人口の増加により天然繊維の生産が追いつかなくなったため、安価で大量生産できる化学繊維が作られるようになったと、家庭科の被服の授業で聞いた事がある。

 だが、この世界には魔物がいて、冒険者がいる。

 地球でも動物の毛皮を服に加工した会社はあったが、色々と非難されて最近では聞かなくなった。

 しかしこの世界では魔物は沢山いて、倒すべきものだ。そしてその倒したものから得られる素材を有効活用する技術が発展していった。

 だからこそ化学繊維が不要な技術とされ、発見、いや、考案すらされなかったのだろうな。

 こう考えると、異世界の文化が遅れてるとか、そういう問題じゃないのだとわかる。地球にあって異世界に無い物は沢山あるが、その逆も然りなのだ。


 で、話を戻すと、コーネルはこの世界に存在しない未知の衣類について知りたがってるのだ。しかし、衣服の生産量に困ってるわけじゃないだろうに、何故それほど興味を持っているのだろうか。


「いや、この服はとても気に入った。魔力の通りも良いし、普段使いだけでなく、戦闘でも不自由しなさそうだ」


「戦闘!? いえ、流石に魔物の攻撃を防ぐほどの防御力はありませんので、あまり無理をなさらないよう……」


 やべ、変なこと言ったかも。

 そうだ、普通は鎧とかで身体を守って戦うものだよな。ジャージで戦ってたせいで感覚がおかしかった。


「あぁ、冗談だ、気にしないでくれ。それで、コーネルの知りたがっている事についてだが、残念ながら俺もあの服がどこから来たのか知らないんだ。俺が幼い頃暮らしてた、東方の田舎に来た旅人に貰った物だからな。家に泊めてあげたら、宿代がないからって、あの服を置いて行ったんだ。あの旅人が今どこにいるのか、生きているのかすらわからない。力になれず申し訳ない」


 大嘘だけど、異世界産の服ですなんて言えるわけがないので、どうか許して欲しい。


「そうでしたか……いえ、どうかお気になさらず。しかし……でしたらリュート様。どうか、どうかあの服を売っていただけはしませんか? 大切な物だと存じておりますが、どうしても諦めきれず……。いくらでも払うと言えるほど余裕はありませんが、どうか納得できる金額を申してみてください」


「待て待て。まずどうしてそこまでしてあの服を欲しがるんだ?」


 正直に言うと、あんなボロボロのジャージ、もう着るつもりがないからタダであげてもいいくらいだ。しかし、この世界にとって珍しい物をそう簡単に手放すのは不自然だろう。もう少し話を聞いてみる。


「はっ、私言いそびれていましたが、コーネル商会では主に、寝具などの休息を充実させる商品を取り扱っているのです。今回リベルタに訪れたのも、この街に第二店舗を出店しようかと考えている所でして……。やはり冒険者が多い街だけあって、より効率的な休息が求められるかと。このホテルにも商品のサンプルを渡すことついでに滞在していたのです」


 なるほど、話が見えてきたぞ。


「ふむ、確かにあの服はトレーニング用かと思っていたが、寝巻きとしても適しているかもな。適度な伸縮性があり、洗ってもシワになりにくい。更に速乾性が高いのは汗の不快感を大きく軽減してくれる」


 話しながら、俺はなんでジャージのセールストークをしてるんだろうとふと我に帰るが、コーネルは俺の反応に喜んでくれた。


「そう! そこなのです! 学術都市スクオロのリーバイ学園の研究結果でも、人は寝ている間にコップ一杯分の汗をかくと言われていますので、この速乾性については私が今最も重視してる性能です!」


 へー、学術都市なんてもんがあるのか。そしてコーネルは寝汗に悩んでると。

 いや、それはどうでもいいか。

 ともかく、この人が必要に駆られて未知のものを求めているのではなく、理想のために未知のものに興味を持っているって事がわかった。

 夢を追う人は応援しないとな。


「わかった。コーネルの熱意は伝わったよ。俺自身、あの服が世に出回ったら嬉しいから、コーネルに渡して複製してもらいたい。それと金銭についてだが、命を救ってもらった上に、色々と気を遣わせてしまったからな、本当なら金銭の要求などしたくはない。ただ、恥ずかしながら色々あって、俺たちは今日の宿代どころか、小銭一枚すらも持っていない貧乏人なんだ。だから、俺たち二人が二、三日安宿で暮らせるだけの金額であの服を売ろうと思う」


 冒険者として働くつもりだが、その報酬がどれくらいかわからない以上、数日分の生活費くらいは恵んで欲しい。それと、曖昧な表現をしたのは俺がこの世界のお金についてしらないからだ。


「でしたら、帝国金貨十枚でいかがでしょうか?」


 金貨十枚で数日分の生活費……? そんなバカな。

 今コーネルが出した金貨って、あれ純金じゃないのか? 混ぜ物が入ってたりするのか? あるいはこの世界では金の価値が低いのか?

 いや、価値が低いなんてことはないだろう。多分これはコーネルの厚意だ。


「いや待て、流石に多すぎるだろ。そんなに受け取れない」


「いえいえ、逆にリュート様の要求が少なすぎるのです。いいですか? あの服は明らかに私達の知らない技術が使われています。これを解明出来れば大きな発展に至る。本来なら、そんな貴重な物に値段などつけられないのです。ですので、リュート様はもっと要求しても良いくらいなのです。例え命の恩があったとしても、ですよ」


 そう言われると素直に受け取るべきかとも思う。しかしゴミ箱行きの筈だったジャージが金貨十枚か。騙してるような気はするが、金が必要なのも事実。


「わかった、ならその値段で売るよ。あ、ただ、あの服を売ったら俺は裸で新しい服を買いに行かなきゃいけないんだが……」


「もちろん今着ている服と、昨夜着ていた寝巻きも差し上げますとも! これらは大した価値ではありませんので、どうかお気になさらず」


「ありがとう、助かる。じゃあ、上の階に戻ったらアンタの部屋に……」


「は、申し遅れましたが、私この後ホテルから出て、いくつかの用事を済ませたらそのまま帝都へ戻るつもりなので……」


「そうか、忙しいのに俺のために時間を割いてくれてありがとう。じゃあ、部屋に戻って持って来るよ」


 そうして俺はジャージを持って来てコーネルに渡し、そのまま出発するコーネルをエントランスまで送った。


「ではリュート様、ミーシャ様。どうかお元気で。それから、お二人が宿泊している部屋は十日分、食事付きで支払い済みですので、ごゆっくり体をお休めください」


 な、なんだと!?


「いいのか? こんな立派なホテル……いや、何から何までありがとうコーネル。この恩は決して忘れない。カルラも世話になったな」


 手を振りながら朝の賑わう街に消えていく二人。

 そうして異世界で初めての出会いと別れを経た俺とミーシャは、顔を合わせた。


「金貨十枚って何が買える?」


「えっと、パンが一つ、二つ、八つ、うーん、千個? 二千個?」


 指を折りながら混乱するミーシャを見て、俺は金貨袋を大事にポーチにしまった。

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