第二章 新人冒険者

第15話 目覚め

 

 歩く度に純白の髪の毛が揺れ、揺れる度に雪の結晶が舞い散る。

 真っ赤な瞳から流れた涙は頬を伝い、一滴ずつ床に落ちる。

 涙が床に落ちる度にその場所から霜が広がっていき、豪華な玉座はやがて氷に埋め尽くされる。

 少女の背中には剣が刺さっていた。

 しかし傷と共に剣まで凍らせているため、痛々しさはない。

 ならば何故泣いているのか。


「貴方にはわかるはずよ」


 声が聞こえる。この少女の声だけど、この少女から発せられたものではない。

 自分と同じように、この光景を俯瞰して見ている何者かだ。


「小さい企み、口に出すのも憚られる欲望、自らを満たす快楽。人は己の為ならペテン師さながらの演技で他人の懐に潜り込み、無関心のまま笑みを浮かべ、悪意も見せずに相手を裏切る。そういった人の醜さを知っていながら、貴方はいつまで他人事でいるつもり?」


 とめどない哀しみが溢れてくる。この部屋を覆い尽くす程の氷は、感情を制御できなかった為に暴走した魔力が原因だと、自分は知っている。何故なら、哀しみが全てを凍て付かせた経験があるからだ。そして、この哀しみが通り過ぎた先には、決して消えない怒りの業火がこの部屋を焼き尽くす事を、自分は知っている。


「私と同じ憎しみを知っている貴方が進む道を、私は観賞させてもらうわ、リュート・スザク――」






 ――目を開くと、知らない天井があった。

 俺が寝てる間に、俺の部屋がリフォームされたのか?

 いや、それは現実的じゃないか。頭がぼーっとする。夢を見てた気がするけど、何が夢だっけ。今が夢?


「もう目覚めたのか? 随分とタフな肉体だな」


 声がした方を見ると、ブルドッグみたいな少し垂れ気味の耳を生やした犬系お姉さんがいた。キモカワ代表のブルドックだが、そんなこと言ったら殺されるだろうな。そもそもこの人は美人系だ。

 なんてアホなこと考えてる間に意識がハッキリしてきた。

 そうだ、俺は迷宮に落ちてなんだかんだあって――


「――ミーシャッ!?」


 完全に覚醒した。

 死ぬ間際に守ろうとした少女の名前を呼んで起き上がる。

 自分が寝かされていたベッドを見て安心した。椅子に座ったままベッドに突っ伏して寝ていたミーシャを見つけたのだ。


「リュー!? よかった、本当に、よかった……」


 だが俺が起き上がったせいで目覚めさせてしまった。

 震えながら抱きついてくるミーシャの頭を撫でて落ち着かせる。心配かけてすまなかったな。

 ベッド脇の棚を見ると、その上に俺が着ていたジャージが畳んで置いてあり、ゴブ太のポーチも上に乗せてある。これも大事な物だ、すぐに身に付けた。


「おかしな奴だな……自分の傷より奴隷が心配か?」


 そういえば俺は殺されかけたんだよな。背中に触れてみると、傷は塞がってるようで痛みもない。

 しかし奴隷って、ミーシャの事か? それは決め付けが過ぎるだろう。


「アンタが手当してくれたのか? ありがとう、助かったよ。だけどこの子は奴隷じゃなくて仲間だ」


 犬系お姉さんは少し驚いたような顔をして、「それは失礼した」と素直に謝ってくれた。


「それと、貴様を助ける判断をしたのは私ではなく主様だ。今は眠っておられるが、明朝に挨拶をしてもらう」


 言われて窓の外を見ると、確かに夜だ……って、どうやって迷宮から出て来たんだ!?

 驚いてミーシャを見ると、何やら頷いている。


「悪いけど、ミーシャと二人で話してもいいか? まだ少し混乱しているんだ」


 犬系お姉さんに席を外すよう頼むと、じっと目を見られた。疑われてるのか? やましい事はないぞと見つめ返す。


「わかった。部屋の外にいる。明朝は主様と会ってもらうからな。主様は貴様との会話を望んでいた」


 つまり逃げるなって事かな。俺が頷くと、お姉さんは静かに出て行った。


「リュー、ずっと冷たいから心配した。いつもみたいにすぐ治るかと思ってたのに……」


「冷たい? そういえば哀しい夢を見てたような気がするけど……今はいいか。それより、あの穴に飛び込んでから何があったんだ? その辺から記憶がないんだ」


 小声で状況説明を頼むと、拙いながらも順を追って説明してくれた。

 俺たちが穴に飛び込んだら浮遊感の後、ここリベルタの街の池に落ちて来た事。そこをコーネルという商人に見られ、助けを求めたら犬の獣人、カルラが来て俺をここまで運んだ事。

 そして驚いたのは、ミーシャは彼らに何一つ説明をしていないらしい。俺たちがどこから来たのか、何故怪我をしてるのか、それらを知らずに助けてもらったと言う。


「状況説明はリューがするって言ってたから、話したらまずいと思った」


「そうか……ありがとうミーシャ、何から何まで助かったよ。ただ、何も知らずに助けてくれたコーネルって人は何を考えてるんだろうな……。純粋な善意なら素直にお礼をしたいけど、何か企んでいたりしないよな……?」


「あと、コーネルさんもカルラも、リューのこと東方人って呼んでた。そうなの?」


「……そもそも東方ってなんだ? 東にある大陸か? 東にある国か?」


「……さあ?」


 なんてこった。俺はこの世界じゃあ本当に常識知らずだな。

 でも東方人か。東方がどこかはわからないが、多分髪の毛が黒いのが東方人の特徴だったりするんじゃないだろうか。ミーシャは薄水色だし、さっきのカルラは明るい茶色だった。


「ま、わからない事は適当に流すか……そうだ、コーネルってどんな人だった?」


「……太ったおじさん?」


「ただの悪口じゃんか……いや、裕福さの象徴でもあるか……?」


 まあいい。今の時点では考えても仕方のない事ばかりだ。

 とりあえず振る舞い方としては、横柄な冒険者っぽくしようかな。

 海外――海の外どころか世界の外だけど――って治安悪いイメージだし、舐められたらカモにされるからな。強気でいこう。まぁ学校での振る舞い方と同じか。


「それと、これからの話だけど、俺はいつか再び迷宮に潜るつもりだ。もちろん、それまでに準備をしたり、会って話を聞きたい人もいるから、直ぐにとはいかない。とりあえず明日コーネルにお礼をしたら早速冒険者ギルドで情報を集めるつもりだ。ミーシャも最初の目的通り、ギルドに行くだろ?」


 俺が何故異世界に落とされたのかはわからない。

 でも、始まりはあの迷宮だ。

 多分、帰る方法も迷宮に眠っているんじゃないかと予想している。迷宮からリベルタに落ちた……いや、転移して来たのもきっと手がかりの一つだ。

 とはいえ、その前にゴブ太が言ってた研究者にも話を聞きたいし、そもそも迷宮はギルドが管理してるらしいから、入場方法も確認しないとダメだな。


「……わたしも、もう少しリューと一緒にいちゃだめ?」


 伏目がちのミーシャの質問にハッとした。

 この子は目の前で両親を殺されたんだ。いきなり一人で生きろなんて酷過ぎる。

 俺はあの迷宮で、自分の意思でこの子を助けたんだ。その行動には責任が伴う。


「あぁ、そうだな……冒険者の仕事を何度か二人でこなしてみようか。でも、自分勝手で申し訳ないんだけど、俺はどうしても帰らなきゃいけない場所があるんだ。その為に迷宮に再び潜る必要があると考えている。ただあそこには……俺一人で行きたいんだ。だから俺たちはずっと一緒にはいられない」


 あんな地獄にこの子をもう一度連れて行くなんて考えられない。危険な旅は俺一人でするつもりだ。


「……わかってる。でも、わたし、強くなるよ。そしたらリューも、わたしを頼ってくれる?」


 その瞳を見て胸が苦しくなる。

 出会った頃のような全てを諦め、自分の生死すら興味がなさそうなあの目とは違う。

 今、この子には自分の意思があって、強くなるという目標があって、ちゃんと前を見ている。


「……あぁ、期待している」


 でも、例えこの子がどんなに強くなったとしても、俺が誰かに頼る事は無い。

 ――ごめんな。

 心の中で呟く。

 これは俺の弱さなんだ。

 もう二度と、あんな――目の前で大切な仲間を失うような事、耐えられないんだ。


「少し外の様子を見てくる。すぐ戻ってくるから、ミーシャはちゃんと休んでいてくれ」


 この子を騙している罪悪感から逃げるように、俺は一人で部屋の外に出た。

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