第14話 わたしの英雄
この村の人達は、俺たちにも優しい。
お父さんが言っていたその言葉の意味を、わたしはよくわかっていなかった。
村の大人たちとすれ違えば挨拶してくれるけど、他の人同士でするよりもどこかよそよそしい。子供達なんか、わたしと目を合わせようとしない。
だからわたしはいつも一人だった。
お母さんが家に持ち帰った仕事を手伝ったり、文字を教わったりする事もあったけど、暇な時間はお父さんの真似をして一人で木剣を振って過ごしてた。
そんななんてことない日常は、ある日唐突に終わった。
夜中、隣の部屋から両親が言い争う声が聞こえて目が覚めた。
ドアを少し開いて中を覗く。
「貴方がこの村を気に入ってるのは理解してます。私もここは良い所だと思いますよ。しかし、領主様が変わってしまった以上、ここに居続けるのは身を滅ぼす結果に繋がるとしか思えません。それとも、貴方はあの意地悪な新しい領主様に高い税を払い続けるおつもりですか?」
りょうしゅ?
そういえば今日は村に誰か来てた。わたしは森で遊んでたから会ってないけど。
「でも! 帝国でも亜人種を平等に扱うって宣言してるだろ? だから俺達だけ不遇に扱うアイツは必ず罪を償う事になるはずだ! それに、この村の人達だって、俺たちの味方だろ!?」
「罪などありませんよ。そういった法が出来たわけではないのですから。口で語られただけの平等に、いつまでも幻想を抱く事をやめて下さい。それに、村の人達は確かに私達を庇ってくれましたが、それは最後まで続きましたか? 結局、権力に対しては誰もが無力なんです。私達が頼れるのは自分達だけ……いや、あるいは同族なら助けになってくれるでしょう。だからこそ、自由都市リベルタへの移住を提案しているのですよ。あそこには貪欲な統治者はいませんし、貴方の狼族の友人だって永住を決めたのでしょう? まさに自由の名の通り、誰でも暮らす事が出来る街だという事です」
「確かに俺も昔はあの街を目指した事もあったさ……。しかし、俺だけならともかく、お前とミーシャをあんな治安の悪い街に住ませるなんて、俺は不安でしょうがない! そもそもリベルタまでの移動だって簡単じゃないだろう。徒歩で五日……いや、まだ幼いミーシャの体力を考えればもっと……」
その時、お父さんがわたしに気付いて振り返った。
「ミーシャ! 聞いていたのか?」
「聞いてたけど、よくわかんない」
素直にそう言うと、お母さんはしゃがんで、優しくわたしに問いかけた。
「ミーシャ、この村でずっと暮らすのは難しくなってしまいました。だからリベルタという大きい街に移住しようと思うのですが、貴女はどう思いますか?」
「ミーシャ! あそこは自由だが、だからこそ荒くれ者が沢山いるんだ。この村みたいに長閑じゃないんだぞ?」
「そうやってミーシャを困らせるのはやめて下さい。そもそも、リベルタの犯罪率は他の街とそれほど変わりませんし、犯罪に遭うのは身なりの良い富豪ばかりです。私達のような貧しい獣人は狙われにくいでしょう」
わたしはお父さんとお母さんを交互に見てから言った。
「こういう時、いつも正しいのはお母さんだから、お父さんは言うこと聞いて」
目に見えて落ち込むお父さんに、言葉を付け足す。
「それに、危なくっても、お父さんがわたしたちを守ってくれるでしょ?」
すると、お父さんはニッと笑って、「もちろんだ!」と胸を張った。その後ろでお母さんが呆れてたけど、二人が喧嘩にならなくてよかった。この時のわたしはそう思ってた。
でも今になって考えれば、わたしがこの時別の答えを出したら、二人は生きていたのかもしれない。
翌朝、わたし達は村を出た。
朝早くにお父さんが村長に挨拶しに行って、戻ってきてからすぐに出発した。そのお陰で誰にも会わずにすんだ。
お父さんは一番大きいリュックに沢山の食べ物と衣服を入れて背負っていたけど、一番元気だった。
わたしとお母さんに、こまめに「疲れてないか?」とか「お腹空いたか?」とか聞いてくれた。そうやってわたし達のペースに合わせてくれたお陰で、そんなに辛くない旅だと思った。
でも、その日の夜、全部が終わった。
「そろそろ野営地を探そう」と言ったお父さんが、何かに気付いてリュックを落とし、腰の剣を抜いた。
遅れてお母さんも短剣を取り出して構える。
「へぇ、白猫族が村にいるとは聞いてたけど、まさか逃げ出してる最中だったとはな。お陰で村まで歩かなくて済んだぜ」
そう言いながら、木の裏から大きな人間の男が出て来た。わたしはあの悪意に満ちた汚い笑顔を、一生忘れる事が出来ないと思う。
「聞いた? その情報は……」
お母さんが顔を顰めた。
「想像通り、あの領主の馬鹿息子からの情報だ……おぉっと、恨むなら俺たちじゃなくて領主様を恨んでくれよ? お前達獣人は仲間意識が強いからなぁ、復讐なんてされちゃあたまったもんじゃねぇ」
「なるほど、情報を得た貴方達が私達を捕らえて、売った金銭を領主と分ける。そういった契約なのですね」
「へぇ、頭が回るじゃねぇか。村から出る提案をしたのもお前か? 近頃は有能な奴隷の需要が高いらしいからな、こりゃぁ報酬に期待できそうだなぁ!」
笑ったまま男が襲いかかってくる。前に出た父さんが剣を交える。
「こいつは剣闘奴隷だな! お前ら! 男は少しやるようだが、商品に傷付けんなよ?」
次々と人間が出て来る。
「ミーシャ、隙を見て逃げなさい。私達が道を作ります」
お母さんはそう言いながら駆け出す。
ロープを持った男二人がお母さんに突進したけど、それを低姿勢で避けたお母さんは男達の首元にナイフを滑らせて、少ない動きで倒してた。
「おいおいおい! 女の方もただもんじゃねぇぞ!」
「チッ! お前ら武器を取れ! 殺さない程度に痛めつけていい! あの馬鹿息子め、何がただの村人だよ……」
リーダーみたいな大男がぼやいてる間に、お父さんはその場から離脱して、お母さんの近くの敵を斬る。
「ミーシャ! こっちだ!」
お父さんの怒鳴り声にびっくりして身体が動かない。
その時、後ろから人間が飛びかかってきた。
さっきまで遠くにいたお父さんが一瞬で駆け寄ってきて、人間の喉を剣先で突いた。
こぷっと嫌な音を立てながら血を吐いて倒れる人間に、わたしは怖くなって足がすくんだ。
「くそ! くそ! なんだよこいつら! お頭! このままじゃやられちまう!」
人間の一人が騒ぐと、リーダーは舌打ちしてからぶつぶつ呟き始めた。
「タリィ! 地属性の魔法だ!」
お父さんの呼び声と同時にお母さんはその場から飛び退く。お陰で直後に降り注いだ土の矢には当たらなかった。
でも、避けた先が悪かった。
お母さんの背後の木から小柄な男が降って来て、お母さんの頭に剣が突き刺さった。
「……タ、タリィ……?」
「お母さん!」
お父さんの目が見開かれるのと、わたしが走り出すのは同時だった。
さっきまで動かなかった身体が、驚くほど速く動いた。
「ミーシャ….ガラン……愛して……います……」
地面に倒れたお母さんから、血が流れ続ける。
信じたくなかった。まだ文字も教わってる途中だし、大きくなったら色んな服を着せてくれるって約束も果たしてもらってない。
「おい馬鹿! 殺すなって言っただろ!」
「ででで、でもお頭! このままじゃ俺たちが死――」
「ゥアァァァッ!」
仲間内で揉めてる盗賊も、味方であるはずのわたしも恐怖で硬直した。
お父さんの咆哮は森全体を揺らすほどの勢いがあった。
わたしがかたまってる間に、お父さんは小柄な男を切り刻んだ。両足、両手、耳を削ぎ落として片目を潰した。
痛みと恐怖で泣き叫ぶ男は、最後にその口の中に剣を刺し込まれて死んだ。
わたしは目の前の惨劇をただただ眺める事しかできなかった。
すぐに動けるようになったリーダーが剣を構える。そこにお父さんが畳み掛ける。
何度も剣を振り下ろすお父さんに対して、リーダーは防ぐことしか出来なかった。
でも、他の仲間達が動けるようになって、お父さんは人間に囲まれる。
「ミーシャ! 今の内に、走れ! お前だけでも、生きてくれ!」
敵はみんなお父さんを警戒してて、今なら確かに逃げられると思った。
でも、それは嫌だった。
お母さんを失って、哀しむ暇もなくお父さんもやられそう。
わたしはそばに落ちてる剣を持って立ち上がった。
一人で練習してた時と同じようにやればきっと出来る。
走り出そうとしたその時。
木々の間から一本の矢が飛んできて、お父さんの左目に刺さる。
そして怯んだところに、リーダーが持っていた剣が振り下ろされた。
それに続いて人間達の剣が何本もお父さんを刺し貫く。
風に乗って流れてきたのは血の匂いと、掠れた声で「生きろ」と言うお父さんの最期の言葉。
「手こずらせやがって! くそ! 失うもんの方が多かったじゃねぇか……まぁいい。ガキだけでも捕まえるぞ」
悲しくて、苛立って、悔しくて。わたしの知ってる言葉だけじゃ表現できないほど色んな感情が溢れてきた。
その後の事はよく覚えていない。目の前が真っ暗になって、意識が薄れていった。
一つ確かなのは、この瞬間、人間はみんな死ねばいいって、心の底から願った事。
気が付いたら夜が明けていた。
人間の悪意に満ちた笑顔がわたしを襲う悪夢で目が覚めた。
辺りには血の匂い。周囲を見渡してみると、バラバラになった肉塊や人の骨が散らばっていた。
それらを見ても特に何も感じなかった。
昨日まではあんなに怯えてた死体も、今ではただのゴミにしか思えない。
それより、これはわたしがやったのかな?
地面に突き刺さってる剣になんとなく手を向けてみると、それは何の前触れもなく浮かび上がった。
そしてわたしの思うがままに宙を漂う。
試しに人間だった肉塊に剣を落とそうとしてみると、剣は簡単に突き刺さった。
こんなこと昨日までは出来なかったのに、何が起こったのかな。
もっと早くこの力を持っていれば、お父さんもお母さんも助けられたのに。
わたしは肉塊に向かって何度も何度も剣を振り下ろした。
でもそんなことしても面白くないから、すぐに飽きた。
「お父さん……お母さん……」
辺りを見回して見つかったのは、二人が着てた衣服と荷物だけ。わたしは大切な人達までバラバラにしちゃったみたい。
「これからどうしたらいい……?」
二人はわたしを助けて命を失った。
お父さんは最期に「生きろ」と言った。
わたしはもう死んでしまった方が楽だと思ったけど、お父さんとお母さんのために出来るだけ生きてみる。
そうだ、リベルタに行く途中だった。
そこでお父さんは冒険者になるって言ってた。
わたしもそうしてみよう。
わたしは血まみれの服を脱いで、辺りに散らばる荷物から自分の服を探して着た。
それから出来るだけたくさんの食糧を一つのリュックに詰め込んで、最後にお父さんが使ってた剣を持って出発した。
リベルタへの道はよくわからなかったけど、お父さんが進んでいた方角に向かって歩いた。
人間に会いたくないから、出来るだけ森とか整備されてない道を進んだ。
魔物に遭うこともあったけど、魔法みたいな力で剣を振り回せば倒せたし、倒せなくても逃げてくれた。お父さんが言ってた通り、森の浅い所なら強い魔物はそんなに出て来ないみたい。
寝る時は大きな木に登って隠れて寝た。
そして毎晩夢を見る。怖い人間の顔。暴力と流れる血。人間が何かを囲んで何度も剣を振り下ろす。わたしが近付くと、バラバラになったお父さんとお母さんがうつろな目でわたしを見てる。
そこで目が覚める。
目が覚めたらまた歩き出す。
そんな日を二、三日続けてたら、突然地面がなくなって、わたしは堕ちていった。
そのまま落ちて死ぬと思ったけど、着地する前に一瞬身体が浮いたから、死ぬ事は出来なかった。
そこは洞窟みたいな場所だった。地上より強い魔物が出て来ることもあったけど、なんとか倒せた。
落ちてきたって事は、上に向かえば出られるはず。
そう考えて一日くらい歩いてたけど、通路の曲がり角から大きな二足歩行の牛と出くわした。
見つけた途端に斧を振り下ろしてくるから、わたしは咄嗟に剣で防ごうとした。
でも、すごい力で押される感覚の後、剣は簡単に折れた。
反射的に後ろに跳んだけど、思った以上に力が出て、わたしの身体は吹き飛ばされたみたいに移動した。
さっきまでわたしがいた場所に斧が刺さってる。
牛は避けたわたしを見つけて、また歩いてきた。
このまま逃げるべきかも。後ろに逃げてもいいし、目の前には横に行く道もある。
でも、逃げる意味はあるのかな。
きっと強い魔物はたくさんいる。
それに出会う度に逃げるの?
いつか捕まって殺されると思う。
なら、もう諦めてもいいよね?
お父さん、お母さん、わたし、ここまで頑張ったよね?
もうそっちに行くことを許してくれるかな?
目を閉じると、あの時の残酷な光景が蘇った。
こんな世界で生きるくらいなら、もう――
「来い、よ、クソ牛がっ!」
その時、左の道から声が聞こえた。魔物を挑発するような言葉。
牛の魔物は声の方向を見て、斧を振った。
突然飛んできた人間が、斧を避けるように地面に激突する。
離れて見ていても、その人は既に死にそうだってことがわかる。
なのに、どうして……?
地面に這いつくばっている人間を殺すために、牛が斧を振りかぶった。
そして振り下ろす瞬間、地面から飛び出たたくさんの棘が、魔物を刺し殺した。
その人はわたしを見つけて「よかった」と呟いた。まるでわたしの無事を喜んでるみたいに。いや、本当にそうなのかも。
「どうして、助けたの?」
わたしの両親を剣で何度も斬りつけた人間の恐ろしい顔が、あの日から忘れられない。頭の内側にこびり付いたみたいに何度も思い出して、怖くなる。
人間が、怖い。
「助けられたのは俺の方さ。もう動かないと思っていた身体が、君を生かす為に動き出したんだからな。ありがとう、助かったよ」
でも、この人は怖くない。
なんでだろう。
それに、助けられたのはわたしなのに、なんでお礼を言ってるの?
この人は父さんを殺した人間よりもずっと強い。あの牛を簡単に殺せたから。
なのにまだ子どもで、優しそうな顔で、それが今は辛そうな表情をしている。
どうして、わたしを見て辛そうな顔をするの?
まるでわたしの記憶が見透かされてるような気分だった。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
その後、お腹が空いて死にそうなこの人に、わたしは自分が持ってる食べ物をあげた。この人は奪う力があるのにそうしなかった。その理由を聞いたら、逆にわたしに今まで何があったのかを聞かれた。
正直に話すと、自分は味方だって言ってそっと抱きしめてくれた。
服に染み込んだ血の匂いでくさかったし、傷だらけの腕はガサガサしてたけど、温かいと思った。
悲しいとか辛いとかそういう事はもう何も感じないと思っていたけど、わたしの代わりに悲しんでくれるこの人のせいで、今更になって胸が痛んだ。
その日から、わたしとリュート……長いからリューでいいや。二人の旅は始まった。
リューはこまめに「お腹空いてないか?」とか、「そろそろ休むか?」とわたしに聞いてきた。それがお父さんみたいで、少し面白かった。
リューは最初の宣言通り、本当にわたしの食べ物に手をつけなかった。パンを差し出しても、「また死にそうになったら食べさせてくれ」って微笑むだけ。この人は魔法のポーチに毛布とか色んなものが入ってるし、わたしのリュックと折れた剣もポーチに入れてもらってるけど、食べ物はもう一つもないらしい。
そのせいかな。迷宮を上って行く途中、草原の階層に来た時、リューは突然変なことを始めた。
「セーフエリアではないけど、色んな植物が生えてるな……ん? これは……萎びたレタス!?」
そう言いながら壁際に生えてる葉っぱの多い雑草を採取したリューは、水の魔法で綺麗に洗ってから齧り付いた。
「にっが!! なんだこれクソ苦いじゃねーか! ピーマン一兆個分の苦さって言われたら納得するレベルで苦いわ!」
そんな意味のわからない文句を叫びながらも、歩きながら食べ続けている。
その様子を隣で見てると、「食うか?」と差し出してきたから、「いらない」と首を振った。それより、毒とかの心配はないのかな。
「俺は強敵とか、毒とか、そういう危険なものに対して敏感なんだ。だから、毒があったら食おうとは思わないさ。ミーシャと出会う前、腹が減りすぎてポイズンバットの毒袋を焼いて食おうとしたんだ。でも、ポーチから出した瞬間に吐き気がしたんだ。他にも色々食おうと試して見たけど、ヤバいやつほど吐き気が酷かったな」
わたしの疑問を見透かした様に答えるリュー。わたしが喋らなくても、この人はわたしの考えを予想して色んなことを話してくれた。
そうやって二人で過ごしてるうちに、わたしは少しずつあの日の光景を忘れていく事が出来たと思う。
特に、毎晩見ていた悪夢は、今ではもう見ていない。
うなされていたわたしの手を、リューがいつも握ってくれてるおかげだと思う。
リューと出会って五日くらいかな。この人について色んなことが気になっていたけど、一番大事な事を聞こうと思った。
「リューは、どこから来たの?」
遠い所と答える彼に、「帰りたい?」と聞いた。
「あぁ、帰るつもりだ。帰り方はまだわからないけど、必ず方法を見つけ出す」
その答えからは、まるで自分に言い聞かせているみたいな、自分を励ましている様な、普通じゃない決意を感じた。
もしかしたらわたしよりもこの人の方が大変な状況なのかもしれない。
だとしたら、わたしに何か出来ないかな?
わたしはあの時助けてもらったお礼すらまだ言えてない。
いや、恩返しとか貸し借りとかそういうのじゃない。
これはわたしの意思だ。
この人のために、何かしてあげたい。
そして、ここを出た後も、もう少しでいいからこの人と一緒にいたい。
遠い家族の元に帰らなくちゃいけないなら、その場所まで送り届けたい。
色々考えてると、リューが「魔物だ」と真剣な表情に変わる。
いつもは優しそうな顔だけど、命のやり取りをする時だけは真剣な目つきをする事に、わたしは最近気付いた。それと同時に、何も考えずに魔物を殺していた自分を最低だと思った。これじゃあ嗤いながら襲ってきたあの人間達とほとんど変わらない。
変な魔法を使う大きなライオンが相手だったけど、リューのお陰で怪我もなく勝てた。
でも、その後が問題だった。
色んな魔物の部位が混ざった恐ろしい魔物がゆっくりと近付いて来て、それと同時にリューは膝から崩れ落ちた。
慌てて駆け寄ろうとしたけど――
「逃げろ!」
あの日と同じだった。
お父さんとお母さんは、わたしを逃す為に必死に戦った。そのせいで死んだ。
わたしはまた繰り返すの?
嫌だ。もう大切な人を失うのは、絶対に嫌だ。
走って移動したわたしは、リューの前に立つ。
ライオンを仕留めたまま放置していた斧を呼び戻す為に手を向けたけど――
「え?」
斧はピクリとも動かない。
動揺した。
今までよくわからずに使っていた力が、突然使えなくなった。
魔法みたいな力がない自分は、なんて無力なんだろう。
目の前の化物は想像以上に早い攻撃をしてきた。
――死にたくない。
リューと出会って、そう思えるようになった。
そして、その願いを叶えるように、わたしの身体は抱きかかえられ、その場から跳んだ。
でも背中に強い衝撃と、嫌な音が聞こえた。
すぐに察した。リューが、あの爪で斬られたんだ。
離脱したわたし達は魔物から離れた地面を転がった。
「走れ」
背中を押されたけど、わたしはもう一人で逃げるつもりなんてない。
でも、地面に広がる血の量を見て息を呑んだ。
リューの背中を見て、斬られたなんて言葉は間違っていたと思い知った。
まるで肉を抉り取られたみたいに深い傷だった。
リューはグッタリしていて、目に光がない。
「嫌だ……死んじゃダメ、お願い、生きて……」
もうとっくに枯れたと思っていた涙が溢れてきた。
わたしの願いなんて届いてないかのように、リューはぴくりとも動かない、
魔物がまたゆっくりと近付いて来るのがわかった。
でもそんなのはもうどうでもいい。
リューを治して。
誰でもいいから助けて。
「アイス……エイジ……!」
驚いた。
魔法は使えないはずなのに、リューは使ってみせた。
魔物が氷漬けになる。
そうだ、誰か、なんて期待しちゃダメだ。
ここにはわたしとリューしかいない。
リューはわたしを助ける為にこんなに頑張ってくれた。
それなら、今度はわたしが助けるんだ。
血まみれのリューを背負うと、僅かに抵抗されたけど、すぐにグッタリとしてしまう。
きっとわたし一人で逃げて欲しいんだ。でも、そのお願いだけは聞けない。
少し歩くと階段が見つかったけど、魔物が氷を砕く音が聞こえた。
背負ったリューの手が右を指差す。そっちを見ると地面に小さな黒い穴が空いていた。
あの大きな化物は通れない大きさだ。
わたしはそこへ飛び込んだ。
多分あの魔物から離れれば魔法が使えるはず。
わたしの魔法は人を浮かすことは出来ないけど、お父さんみたいに魔力で身体強化することは出来る。あまり得意じゃないけど、着地の為に全力で――
「っ!?」
落下の衝撃に備えていた時、突然宙に浮くような感じがした。
これは、あの時と同じだ。この迷宮に落とされた時と。
直後、わたし達は水の中に落ちた。
深さはないから、直ぐに水底にぶつかる。
立ち上がると頭が出るくらい浅かった。
着地は無事に済んだけど、水が赤く濁って行くのを見て焦った。
すぐにリューを地面に引っ張り上げようとした時、地面の上でわたし達を見ている人に初めて気付いた。
その人は少し太ったおじさんで、突然現れたわたし達に驚いてるみたいだった。
「お願い! リューを助けて!」
自分で助けるって決めたばかりなのに、結局他人に頼ることになっちゃった。
でも、そんなこと言ってられない。リューが助かるならわたしはなんだってする。
「カルラ! いますか!? こちらの東方人をホテルまで運び、直ぐに手当を!」
びっくりして固まっていたおじさんが、急に大きな声を出した。
それに応えるように、犬の獣人のお姉さんが駆けつける。
「し、承知しました。しかし主様、彼らは一体……?」
「今はいち早く手当を! 私は後から行きます」
おじさんの命令で、お姉さんはわたしが背負っているリューを抱っこして走り出した。
わたしは急いで着いていく。この人達を信用しないわけじゃないけど、意識を失ってるリューを預けてしまうのは心配。
おじさんは太ってるからゆっくり後ろから来てるみたい。
「速いな。しかしお前もかなり衰弱しているように見える。無理をするな」
走りながら声をかけてきたお姉さんに首を振って応えた。
少し呆れたような顔をされた。少ししたらお姉さんは止まって、綺麗な建物の中に入った。
今更だけど、ここはもう迷宮じゃないんだ。夜だから暗いとは言え、全然周りが見えてなかった。でも、どうして出て来れたのかな?
「怪我人がいる! 手当できる者はいないか?」
建物の中に入ると、綺麗な格好をした人間が何人かいて、その中から女の人が出て来た。
「お医者様程の心得はありませんが、消毒薬や薬草などはある程度揃っていますので……」
「それで構わない! 瀕死なんだ、一刻も早く手当を頼む」
傷の治し方も知らないわたしと違って、ここの人達は布を持って来たり道具箱から色んな薬を出したりして、手慣れたように動いてる。
ボーッとしてると、別の女の人が近寄って来て、思わず身構えてしまう。
「そう警戒するな。お前たちを傷つける者はここにはいない」
獣人のお姉さんの言う通り、ここの人間たちは嫌な目で見て来ない。少しだけ肩の力を抜いた。
「お嬢ちゃん、あなたも少し休んだ方がいいわよ?」
近付いて来た女の人に言われた言葉に、首を振る。多分親切で言ってくれてるんだと思うけど、リューがちゃんと治るまで離れたくない。
獣人のお姉さんが肩をすくめて女の人を見ると、女の人は微笑んでから去って行った。
「なぜお前はそれほどあの東方人を慕う? 単なる隷属関係ではないのか?」
東方? レイゾク?
よくわからないけど、そんなにおかしいことかな?
悩んでると、入口の扉が開いた。
さっきのおじさんがハンカチでおでこを拭きながら入って来た。
「この時間だと治療院はどこも寝静まってますね……容態はどうですか?」
「コーネル様。傷の手当は終わりましたが、何故か体温が低く……いえ、異様に冷たいのです。しかし脈も呼吸も正常。何が原因なのか……」
わたしはリューに近付いてその首に触れた。
確かに生きてるけど、氷みたいに冷たい。でも、これは心配いらないってわたしは知ってる。リューは炎の魔法を使った後は熱くなるし、氷の魔法を使った後は冷たくなる。迷宮の中でもそうだったから、時間が経てば治ると思う。
「お前、さっきより落ち着いているな。この症状について何か知っているのか? 放っておけば治るものなのだろうか」
いつの間にか隣に獣人のお姉さんがいた。後ろからおじさんも歩いて来る。
「ふむ、回復の傾向にあるなら安心しました。そう言えば自己紹介もまだでしたね。わたしはハイネ・コーネル。コーネル商会の会長を務めており、リベルタには仕事の為に短期滞在しておりました。時間が出来たので散歩に出かけたところ、貴女達に出会したというわけです。彼女は私の専属護衛のカルラ」
コーネルさんが丁寧に挨拶してくれて、獣人のカルラは紹介されて頭を下げる。
獣人のわたしにこんなに丁寧に挨拶してくれるなんて思わなかった。でも、わたしはこの人達が知りたがる事のほとんどを言えない。
迷宮の中で、リューは「状況の説明は俺に任せて欲しい」と言った。前から思ってたけど、リューは多分大事な何かを隠してる。それが何かはわからない。そもそもわたしは、リューがどこから来た何者なのかも知らない。「遠い所から来た」としか答えてくれなかったから。
だからわたしはリューについての事は一つも話さないつもり。
「わたしは、ミーシャ。助けてくれてありがとう。でも、ごめんなさい。それ以外の事は、何も言えない」
そう言うと、カルラは顔をしかめた。
「ミーシャ。貴様達は主様に助けてもらったことを理解しているのか? 理解していても、奴隷契約で情報の開示を禁止されているのか?」
やっぱりこの人はコーネルさんの護衛だから、わたし達を疑う気持ちが強い。
「まぁまぁ。私は構いませんよ。元からこちらの東方のお方と話をしたいと思っていましたから、そこで改めて自己紹介をすれば良いでしょう。今はこの方の目覚めを待ちましょう。おっと。すみませんが、私の部屋の隣にもう一つ部屋を借りられませんかな? 今月末まで、前払いしておきましょう。それと、先ほどの治療費も……」
「いえいえ、私に出来たのは単なる応急処置だけです。特別な技術も、貴重な薬も使っていませんので、お構いなく……」
コーネルさんと手当してくれた女の人が話してるのを聞きながら、カルラはリューを抱っこして階段に向かった。わたしもついてく。
改めて見ると綺麗な場所だ。
広くて、明るくて、特に床が軋まないのが凄く良い。わたしたちが住んでた家は床が軋んだから、お父さんに「太ったら床が抜けるぞ」とよく脅かされた。
「この部屋だ。暫くの間滞在を許可された。お前もその主人も、早く体調を回復させるんだな」
三階の隅っこの部屋に案内されて、わたし達はそこに入る。
カルラはリューをベットに寝かせてから閉じたドアに寄りかかってこっちを見てる。
ベットは二つあったけど、わたしはリューが寝てる隣に椅子を持って来てそこに座った。
少し離れてるとは言え、ずっとこっちに視線を向けてるカルラが気になる。
「戻らないの?」
「見張りだ。お前達が主様に危害を加えないとは言い切れないからな」
「……」
まあいいや。この人はコーネルさんを守る為にここにいて、わたしはリューを守る為にここにいる。それだけのこと。
リューのほうに向き直る。
思い返せば、この人がこんなに無防備に眠ってるのは初めて見たかもしれない。
いつもわたしが起きた時には目を覚ましてるし、目を閉じていても周りに注意を払ってるのがわかるくらいピリピリしてる。
そうやっていつもわたしを守ってくれてたんだ。
今度はわたしが守る。
だから、せめて今だけはゆっくり休んで欲しい。
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