第13話 守り守られ

 

 ミーシャの戦闘センスは驚くほど高かった。

 俺が魔物に囲まれれば、俺の死角にいる奴に攻撃を仕掛けてくれるし、攻撃が通りにくい敵に対しては、俺が弱点を突ける様に猛攻を仕掛けて隙を作ってくれる。

 俺から何かを言ったわけじゃない。この子は仲間と敵をよく見て、自分で考えて、状況に応じた判断をしているのだ。ここまで手厚い支援を受けられるとは思っていなかったため、予想以上に順調に進めている。


 俺たちが出会ってもう五日目。

 自分の意思をあまり表に出さないミーシャに、俺は出来るだけ現在の状態を聞くようにしていた。

 お腹は空いてないか。疲れていないか。水は必要か。そろそろ休みたいか。魔法を使いすぎてないか。

 それらを聞くと、必ず正直に答えてくれるのがこの子の良いところだ。変に遠慮せずに、喉が渇いたとか少し眠いとかちゃんと言ってくれる。俺は彼女のペースに合わせて歩くことを意識した。特に、この子の荷物は俺のマジックポーチに入れてある為、食糧などを欲したらすぐに渡す様にしていた。

 この子がどれだけ強くてもまだ子供だ。慣れない環境で無理を続ければ近いうちに破綻してしまう。それは避けたかった。


「リューは、どこから来たの?」


『ト』が抜けているが、気にしない。

 それより、この子が俺に興味を持ってくれたのは初めてで、嬉しく感じる。反面、本当の事を話せない後ろめたさもある。


「俺は遠いところから来たんだ。ミーシャと同じで突然ここに落とされたんだよ」


 異世界の事は誰にも話さないつもりだ。

 もしもこの迷宮が地球に繋がってたとして、それをこの世界の欲深い人達が知ったら攻めてくるんじゃないか。そんな不安が俺の中にあった。


「帰りたい?」


「あぁ、帰るつもりだ。帰り方はまだわからないけど、必ず方法を見つけ出す」


 黙りこくるミーシャに一つお願いをしておく。


「そうそう、俺たちがここから出たら、状況の説明は俺に任せて欲しいんだ。ミーシャが何かを聞かれたら、俺に合わせて欲しい」


 ゴブ太の話だと、迷宮の入口はギルドが管理しているらしい。

 入場記録にない者が出てきたら騒ぎになるだろうから、上手く言い訳を考えておかないといけない。

 とは言え、今の所は正直に、道を歩いてたらいつの間にか迷宮にいた、とか言っておけばいいかなと思っている。それを信じてもらえるかはわからないけど。


「わかった。任せて」


 心強い返事だ。

 多分そろそろ迷宮を出られるんじゃないかと思う。感じる魔素濃度は確実に薄くなって来ている。本格的に外での生活を考える段階かもしれない。


 なんて考えてる間に、魔物の気配が一体近付いてくる。まったく油断出来ないな。


「曲がり角から魔物が歩いて来る。前に出過ぎないように」


 歩いていたミーシャを手で止めて、一歩前に出る。

 先制攻撃を仕掛けるか。

 走り出そうとした時、魔物の姿が現れた。

 その見た目を一言で表すなら、ライオンだ。大きさもライオンより少し大きい程度。

 だが当然、ただのライオンではない。

 赤く光る両目、口に収まりきらない程大きな二つの牙、筋肉で肥大化した前足と、その前足の半分ほどもある長い爪。

 しかもこいつの魔力は――


「固有魔法を使うぞ! 警戒し――っ!?」


 言ったそばから魔法が使われた。

 全身を襲う悪寒。恐怖で手足が震え、上から強い力で押さえつけられてるかのように身体が動かない。

 ダメだ。冷静になれ。

 自分に言い聞かせる。

 魔法の正体は重力か?

 いや、重さは感じない。動かないだけだ。

 本当に動かないのか?

 違う。怖くて動けないんだ。

 太い四本足で走ってくる魔物。

 おそれるな。

 動け。

 後ろに守るべき者がいるだろ。


「くっそがぁぁ!」


 無理やり左足を踏み出し、引き絞った右の拳でライオンの横面を殴った。


「ギャウ!?」


 動けるとは思っていなかったのだろう、まともに食らって吹き飛ばされる魔物。

 それと同時に魔法の効果も切れる。

 動けるようになったミーシャが斧を叩き付ける。

 魔物はそれを辛うじて避け、大きく距離を取る。そして再び魔法の行使。


「――っ!」


 俺は思わずその場から飛び退いた。

 だがそれは奴が攻撃してきたからじゃない。

 再び感じた恐怖にビビって俺が勝手に飛び退いただけだ。


「あぁ、くそ!」


 敵に威圧感を与える固有魔法だろうか。

 地味な魔法だが、精神に干渉してくるのは厄介極まりない。

 だがきっと、心を強く持てば抵抗できるはずだ。

 両掌で自分の頬を叩く。

 思い出せ。

 初めて会った時のゴブ太は、こんな奴よりよっぽど恐ろしかった。

 ゴブ太と共に戦った大蛇も、こんなライオン簡単に飲み込めるほど強かった。

 そうだ、彼らの威圧感はその強さから放たれていたものだ。魔法に頼らないと威圧感を出せない魔物なんて、たいした事ないだろう。


 足に風魔法を纏い、一気に駆け出した。

 すぐに体勢を立て直したライオンは僅かに前足を持ち上げる。爪で迎え撃つつもりか。

 ならばと土の棍棒を作り出し、その爪を受け止める。身体能力が強化されてるとは言え、俺の胴体程に太いライオンの前足には押され気味だ。

 しかしそんなこと想像の範疇だ。

 手に持った土の棍棒を魔力操作し、その棍棒の形を一部分変化させる。

 それは幾度も使ってきた棘の形。

 棍棒から高速で伸びた土の棘は爪の間をすり抜け、魔物の左の眼球を貫いた。


「グギャァ!?」


 そして痛みに悶えるライオンの背後から、首に向けて斧が振り下ろされる。ミーシャの援護だ。

 だが断ち切るには力が足りない。

 俺は低姿勢で右から回り込み、魔物の背後を取る。

 そして大きく跳び、振り上げた棍棒を斧の背に向けて振り下ろした。

 ミーシャと俺の力が合わさった斧は容易く魔物の首を落とし、地面に刺さった。

 後には巨大な爪と魔石が転がる。

 それらをポーチにしまってから振り向く。


「さんきゅー、助かった」


 右手を振りながらミーシャの元へ戻ろうとする。

 今回は傷一つ負わずに終えられた。こうやって何も失わずに勝てるようになっていきたい。

 そう考えていた時だった。

 突然身体の力が抜けた――いや、魔力が扱えなくなった。

 魔力で身体を支えていた俺は、思わず膝をつく。

 肉体が弱っているわけじゃないが、急に奪われた力に戸惑った。


「リュー!?」


 心配してくれて駆け寄ろうとするミーシャ。だが俺は腹から叫んだ。


「逃げろ!」


 魔力を操作できないせいか、危機感知すら反応しなかった。

 それでもわかる。

 肌がピリピリ痛む感覚、これが本当の威圧感だ。

 間違いなく今まで出会った敵の中で最も強い。

 足がすくんで動けない。それでもなんとか振り向いた。


「――っ!」


 あまりにも異形な姿に思わず息を呑む。

 体全体にいくつかの生物の一部を融合させたものをキメラと呼ぶが、まさにそれだろう。

 下半身――と言って正しいのかわからないが、地面に接している下部分は先ほど見たライオンに似た姿だ。だがその尻尾はまるでかつて戦った大蛇のもの。背中からは蝙蝠のような翼もある。

 それだけじゃない。

 ライオンの首元から生えている巨大な頭部は、ゲームでよく見るグリフォンを想起させる。

 それら全てを含めると、かなりの大きさだ。グリフォンの頭部など見上げる高さで、この迷宮の通路が一気に狭くなった。


 逃げなければ。


 何度もそう考えているのに身体が動かない。

 いや、違う。

 俺は足止めしなくちゃいけないんだ。

 この命が尽きようとも、ミーシャだけは逃がすんだ。

 そう考えると、手足の感覚が戻ってくるようだった。

 だが――


「リューは、わたしが守る!」


 そう言って俺の前に躍り出たミーシャは、右手を斧の方に向けた。

 だけど斧はピクリとも動かない。


「え?」


 そこで初めて魔法が使えない事に気付いたミーシャは呆然とする。

 ゆっくりと近づいて来ていたキメラは、攻撃のモーションだけは早かった。

 奴の前足が振り上げられる瞬間、俺は走り出した。

 魔力を使わずに走ったのは久しぶりだ。こんなに身体が重いなんて忘れていた。

 全てがスローに見える。

 自分の遅さが焦ったい。

 今度こそ俺は守るんだ。

 その一心で無我夢中に走った。

 勢いに任せてミーシャの小さい身体に飛びつく。

 少女を抱えて半回転しながらその場から跳び退いた。

 同時に、自分の一部が削り取られるほどの痛みが背中に走った。

 痛くて、熱くて、気が狂いそうな程苦しかった。

 ミーシャを抱えたまま倒れ込む。

 だけどすぐにミーシャの背中を押し、「走れ」と言った。声は掠れたけど、聞こえたはずだ。

 ミーシャはダメとか嫌だとか言っていたようだけど、うまく聞き取れない。

 それより、俺には最期にやる事がある。

 死に際だからだろうか、思考が明晰だ。


 奴が近付いて来てから魔法が使えなくなった。そういう能力なのだろう。

 一定の距離を取れれば再び魔法が使える可能性はあるが、そんな隙も無ければ体力ももたない。

 ならば今この場で、俺に出来ることは何か。

 魔力をもたない俺の肉体ではキメラに傷一つ負わせられない。

 ならばやはり魔法だ。

 本当に魔法は使えないのか?

 いや、魔力は俺の身体に満ちているし、周辺の魔素濃度も変わっていない。

 魔法が使えないのは、俺の中の何かが雁字搦めに縛られているからだ。

 この束縛を破る事が出来れば……違う。破らなくても、拘束の緩い場所を縫うように魔力を流せれば……。


「アイス……エイジ……!」


 詠唱は自然に出て来た。

 それはいつもの様な自分で勝手に名付けたものではなく、自然とそうするべきだと感じた結果だ。

 キメラのいる場所を中心に巨大な魔法陣が生成され、広範囲の地面が凍り付いていく。

 自分から魔法が放たれるのではなく、望んだ場所に魔法が具現化するのは初めてだ。魔法陣も初めて見た。

 その氷はライオンの身体を凍らせ、大蛇の尾を凍らせ、グリフォンの首元まで凍り付かせた。

 だがそれだけだ。

 残ったグリフォンの瞳が俺を睨む。

 それでいい。

 俺だけを見ていろ。

 そして今のうちに――


「……っ!」


 俺の体が持ち上げられた。

 ミーシャが小さい身体で俺を運ぼうとしている。

 無茶だ。

 ここでは魔力が使えない。さっきのは俺自身もよくわかっていない、奇跡みたいなものだ。

 使えたとしても、ミーシャの魔法は生物である自分や俺に対しては発動しない。だからこの子は、自分の小さな身体だけの力で俺を運ぼうとしているのだ。

 当然そんな時間はない。

 既に氷にはヒビが入って来ている。

 すぐに振り解こうとするが、思いの外力が強い。いや、俺の力が弱っているのか。


「もう、大切な人を、死なせたりしない……」


 気付けば少女の頬には涙が伝っていた。それを見て自分の過ちに気付く。

 俺はこの子さえ生き延びれば良いと考えていた。それが救いなのだと本気で思っていた。

 けど違った。

 この優しい子は既に俺の事を慕ってくれていたのだ。そして大切な人を失う辛さは俺にもよくわかる。

 本当にミーシャを助けたいなら、二人で生き残らなければいけない。

 そう考えると、途端に背中の痛みが強くなった気がした。

 生き延びるには、キメラから逃げきって、自分で傷を治さないといけない。

 生きるって本当に辛い事だな。

 俺を背負ったままミーシャは曲がり角を曲がる。

 正面に階段だ。

 この迷宮では階段を上っても魔物は追いかけてくる。

 ミーシャだけならともかく、二人でここを上ってもすぐに追いつかれる。

 もう氷が割れる音が聞こえてきた。

 階段の手前、右側に通路がある。そこはすぐに行き止まりになっていて、地面に小さな穴が空いている。人二人入れる程度だ。

 俺は右の道を指差した。

 どれくらい落ちるだろうか。

 キメラから離れられれば魔法は使える。着地の心配はあまりない。

 それより、また下の階からやり直しか。

 傷は治るかな。

 生き残れるかな。

 違うか。

 この子のためにも生きなきゃダメなんだよな。

 ミーシャが俺を背負ったまま飛び込んだ。

 守るべき存在だと思っていたのに、今は俺が守られている。

 あぁ、もっと強くならなきゃな。


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