第11話 暗闇の中の光

 

 壁に重心を預け、身体を引き摺って歩く。

 自分が発している荒い呼吸音が、やけに遠く感じる。

 目の前が霞んできた。

 足下の石につまずき、前に倒れ込む。

 あのオーク部屋で眠ってから、何日経っただろうか。いつからか日にちを数える事をやめてしまった。

 思い返せばあの時が俺の人間としての限界だったのかもしれない。

 もうずっと、何も食わずに過ごしている。水だけは魔法で出せるが、食料がどこにもない。

 腹が減った。

 飢えがこんなに辛いものとは知らなかった。自分が裕福で恵まれた暮らしをしていたのだと、今更実感している。

 もう身体の力が入らない。

 起き上がることも出来ない。

 こんな状態だから、魔物と戦えば被弾も増える。いつの間にか身体はボロボロだ。

 そんな事を考えてると、また魔物の気配がする。

 いっそこのまま寝ていようか。

 ここで死んでしまった方が楽なんじゃないか?

 本気でそう思う。

 顔を地面につけたまま目を閉じる。

 気配がどんどん近付いてくる。


『リュート、頼む。生きてくれ』


 あぁ、またこれだよ。

 俺が死のうと考える度に、ゴブ太が最期に遺した願いが脳内で蘇る。


「無茶、言うなよ……」


 重たい顔を上げる。

 白い狼と目が合った。


「は、ははっ……」


 涎が垂れた。

 あの狼は俺を捕食しようとしていたのだろうか?

 なら同じ事をされても文句は無いはずだ。


「にぐ、肉だぁ!」


 身体は相変わらず動かない。だから両手足から風魔法を放って狼に飛びかかった。

 俺の血走った目を見た魔物が狼狽え、逃げようとするが遅い。

 その首元を押さえつけた俺は迷わず噛み付き、そして食い千切った。

 口の中に毛が入ってモサモサするが、直ぐに血の匂いと生肉の味が口に広がる。

 僅かに残った理性が嫌悪感で吐き出そうとするが、ずっとエネルギーが不足していた身体が久方ぶりの食事に歓喜していた。

 だが、それらの事は一瞬で過ぎ去った。

 俺の口の中にあった魔物の一部は光となり消えた。

 それと同時に絶命した狼も消え、地面には魔石だけが残された。

 あまりの仕打ちに、俺は再び地面に倒れ伏した。

 もう嫌だ、こんな世界。

 ようやく食料が入ってくると錯覚した胃は、肩透かしを食らった不満でキリキリと痛みだした。


「なぁ……俺頑張ったよな……?」


 誰にでもなく問いかける。

 平和な世界から殺戮の世界へ放り込まれて、無力ながらも今日まで生きた。上った階数は覚えてないが、ただの高校生がここまで歩いてきたんだ、もう十分だろう。


 遠くの方から巨体が歩く足音が聞こえた。

 それは少しずつこちらへ近付いて来る。

 きっとこの足音の主が俺を殺す者だ。

 なんとなく顔を向けた。

 通路の先はT字路になっている。足音は左の道から近付いて来ているが、俺が顔を向けた瞬間、その左の道から右の道へ、子供が吹き飛ばされる瞬間を見てしまった。


「!?」


 なぜ子どもがこんなところに? 

 そう思ったが、疑問を抱いている場合ではない。

 助けなきゃ。

 身体が勝手に動いた。

 一瞬で立ち上がる。

 だが、転ぶのも一瞬だった。

 もうどうしても力が入らない。

 俺が一人で転がっている間に、とうとう魔物は姿を見せた。

 体調五メートル程の二足歩行の牛。手には巨大な斧を持っている。多分、これがミノタウロスなんだろう。

 奴は右の通路に向かって歩いてる。

 目的は子供か。

 俺がここでうずくまっていれば、奴は俺に気付かない。何もしなければ俺だけは助かる。

 だけど、子供を見殺しにして勝ち取った生に価値などあるのだろうか。

 俺は間違いなく後悔する。


「ぅ……ごけ……うご、けよ、動け!」


 もう気力だけではどうしようもないほど弱った身体に、それでもムチを打つ。

 俺の声に気付いたミノタウロスがこちらを向く。

 それでいい。


「来い、よ、クソ牛がっ!」


 挑発と同時に風魔法を操る。

 さっきみたいに風だけで自分の身体を飛ばす。

 しかし先程と違い、敵まで距離がある。制御が効かずに壁にぶつかりそうになるが、その度に反対方向の風の出力を上げる。

 傍から見れば、壁にぶつかる直前に跳ね返るピンポン玉の様にも見えただろう。それくらいジグザグに飛び回っている。

 ミノタウロスも俺の動きが読めないのか、その場に立ち止まったまま目で追ってきている。

 そして目前に迫った俺を叩き落とそうと斧を振るう。

 避けようとした俺は地面に激突し、再び地に伏せる形になった。


「グモォ……」


 ミノタウロスが嗤ったように見えた。既に瀕死の獲物が目の前に飛んできたのだ、そりゃ可笑しくもなるだろう。

 だけど、他人を嘲笑う奴ほど自分の愚かさに気付いてないものだ。

 俺は地面に投げ出した四肢で、ありったけの地属性の魔力を操作した。


土棘アースニードル


 這いつくばる俺を叩き斬ろうと斧を振りかぶったミノタウロスは隙だらけだ。

 その腹に、胸に、脇に、そして首元に。無数の土の棘を作り、最大威力で貫いた。


「グモォォオォ!?」


 断末魔の悲鳴と共に、光の粒となって消えていく。


「あの子は……無事か?」


 重い身体を起こして、四つん這いで右の通路に向かう。

 だが俺が進むまでもなく、向こうから近寄って来てくれた。


「よかった……」


 擦り傷は所々見られるが、大きな怪我はなさそうだ。

 それを確認してから壁に寄りかかって座り、少女を見る。

 十歳くらいだろうか。身長は百四十程度。小柄な体躯に似合わない大きなリュックを背負っている。

 翡翠色の瞳で俺を見つめているが、俺は彼女の頭に目が釘付けだった。

 肩まで伸ばした薄水色の髪の毛はともかく、その頭に生えた白い猫耳は俺の常識では考えられない器官だ。

 この世界にはエルフや獣人などいろんな種族がいるとゴブ太に聞いてはいたが、実際に見ると驚きのあまり言葉を失ってしまう。


「どうして、助けたの」


 異種族に対する関心はすぐに消え去った。

 改めて少女の表情を見て、息を呑んだ。

 俺はこの表情をよく知っている。

 人間の残虐さを知り、この世の理不尽を恨み、無力な自分を呪い、全てがどうでもよくなってしまったあの頃。俺は鏡を通して何度もこの顔を見ていた。

 あの時は自分の表情など興味無かったが、俺の顔を見る度に母さんが辛そうにしていた事をよく覚えている。きっと今の俺も同じ感情だ。少女に何を言ってあげるべきかわからない。

 それでも何か言わなければ。この子は冷めた視線で俺を見つめ続けている。


「助けられたのは俺の方さ。もう動かないと思っていた身体が、君を生かす為に動き出したんだからな。ありがとう、助かったよ」


 偽りのない本心だった。

 一人ぼっちでこのまま朽ち果てていくのだと思っていた所にこの子どもが現れたのだ。この子を生かす為に自分も生きる、それはつまり俺はこの子に救われたという事だ。

 少女はしばらく無言のまま俺を見ていた。

 きっと身を切られるほど辛い事を経験してきたのだろう。じゃないと子どもがこんな目をする筈がない。この子には過去を受け入れるための時間が必要だ。

 だけどその時間はこんな迷宮の中で作ってはいけない。ここにいる時間が長引けば、その分辛い経験が増えるだろう。


「まずはここから――」


 あれ?

 視界がグルリと回って地面に倒れた。

 そういえば俺、瀕死だったっけ。


「怪我してるの?」


 気遣っているわけじゃないと思うが、気にしてくれている少女に答える。


「いや、怪我より……空腹で、死にそうだ」


 もう何日食べてないんだ?

 軽く三週間は超えていると思う。生きていることが不思議だ。これも魔力パワーなのか? とはいえ、そろそろ死にそうだ。

 眠れるわけでもないが、辛さから逃れるように目を閉じた俺の口に、何かが突っ込まれた。


「むぐ!?」


 あわてて目を開けると、黒いパンらしき物を咥えていた。

 リュックを地面に置いた少女が中から出した物らしい。


「食べて」


 遠慮する余裕などなかった。

 硬くて噛めないパンを柔らかくする為、震える手で温水を出し、口の中でふやけさせて飲み込んだ。

 あぁ、命が繋がった。

 そう実感できるほど久しぶりの食事だった。

 俺が食べ終える度に少女はパンを出し、偶に干し肉を出し、俺に与え続けた。

 人を信じられないであろう少女が、それでも優しさを持っていることに心を打たれた。

 理不尽で残酷な世界でも、出会いだけはかけがえのないものだと知ることが出来た。

 様々な感情が押し寄せて来て、俺は泣きながらパンを食べていた。

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