第9話 普通じゃない迷宮
あの大部屋で魔法を習得してから七日経った。
あれから十階は上れたが、未だに外に出られる気配はない。それに食糧がいよいよ不安になってきた。肉のドロップ率が低すぎるし、そもそもここ暫く虫系の魔物ばかり見ている。
「早いところ次の階層に行こうぜ……もう蜘蛛と芋虫は嫌だ」
今俺たちは、草木の生い茂る森林階層にいた。
土と岩の洞窟を歩いてきた俺はここに来て驚いたが、階層ごとに環境が違うのはよくある事だとゴブ太に言われた。
ここが安全階層ならどんなに良かったか。あそこなら食べられる果実もあったが、ここにそれらしきものはない。魔物もウルフやウサギが出てくればいいのに、さっきから気持ちの悪い大きな虫ばかりだ。
「そうだな……リュートのおかげで、水には困ってないし、ここを探索する意味は、ないか」
階段なら既に見つけていた。
ここに壁があるのか気になり、端まで歩いてみたら階段があったのだ。因みに、壁は普通に岩だった。
それでも探索していたのは、食糧がありそうだったからだ。
草木はあるし、少なくとも洞窟階層よりは何か見つけやすいと思った……が、期待外れもいいとこだな。生えてるのは苦い雑草と毒キノコで、出現モンスターは今の所すべて虫。
早いところ階層を移った方がいい。
引き返した俺たちは階段を上った。
そこも森林階層たった。
「……ま、まぁ、ここには獣系の魔物もいるかもしれないしな、階段を探しながら探索しようか」
自分を励ますように言うと、ゴブ太も「そ、そうだな」と何度も頷いていた。
歩き始めて十分程だろうか。この階層もさっきと変わらない事に気が付き始めた俺たちは、早くも階段を見つけた。
「……」
そして無言で上った。
歩きながら俺は考える。
正直、かなり腹が減った。ゴブ太が研究者に貰った干し肉や、塩ですらも使い果たしてしまった。
最後に食事をしたのは三日前のサンドウルフの肉だ。固くて臭くてロクな物じゃなかったが、今ではあれすらも愛おしく感じる。
ただ、空腹で力が出ないなんて事はない。ゴブ太もまだ平気だと言っていたし、限界を迎えてるわけじゃないのだろう。それでも俺は平和で裕福な国で育ったクソガキだ。これほどの空腹に襲われるのは初めてで、滅茶苦茶キツイ。
「リュート、ずっと、聞きたかったんだけど、いいか?」
不意にゴブ太に話しかけられた。
考え事に夢中になっていてよく見てなかったが、階段を上った先は、仄暗い石畳の通路だった。もっと下の階層でもこんな所があったな。
この階層は魔物の気配が全然ない。ゴブ太の質問に頷いた。
「この前の大部屋で、魔法を暴走させた時、過去を思い出してたって、言ったろ? その時、辛そうな表情をしていた。リュートの世界の事はよくわからないけど、嫌な事でもあったのか?」
その時に聞かなかったのはゴブ太なりに気を遣ってくれたのだろうか。特に隠す事でもないため、正直に話した。
友人が自殺した事、俺は周囲のイジメに気付かず呑気に暮らしていた事。
中でも忘れられないのが、イジメの主犯格の女子が「竜斗くんが好きだから、あんな子と一緒にいるのが耐えられなかった」と言っていた事。あの日から俺は他人の好意が怖くなった。
それが全ての理由、というわけではないが、あれ以来髪を伸ばしてダサいメガネをかけたり、奇行を増やして人を寄せ付けないようにしていた。それでも仲良くしてくれた太一と空雅の事は、大切な友人だと思っている。
「俺はあの事件以降、一年以上引きこもってたな。でも、母さんと妹が必死に俺を立ち直らせようとしてくれてな……いつまでも家族に心配かけるわけにはいかないから、俺はまた学校に行き始めたんだ。まぁ、問題行動は起こしてたけどな……」
何もやる気が起きず、大好きなゲームにすら手を触れようとしなかった抜け殻の様な俺に、二人は色んなことをやらせ、色んな場所に連れて行ってくれた。
親戚に貰ったピアノを弾き始めたのもこの頃からだ。家にピアノの先生を呼んで暫く習っていた。そうやって何かに没頭している時間は不思議と穏やかでいられた。
やがて学校に行くようになると、沢山の人に話しかけられたが、俺は全て無視をした。あの時の俺は、ただ家族を心配させないためだけに学校に通っていた。人間の残酷さを知って、これ以上誰かと関わるのは嫌だと思っていた。「来てくれてよかった」と言った教師に、「お前が心配してたのは僕じゃなくて自分の事だろ」なんて言い返したっけ。
「まぁ、嫌な奴らは多かったけど、家族には救われたからな。だからちゃんと帰って無事を知らせないと」
ふと隣を見ると、ゴブ太は悲しそうに俯いていた。
「オデ、自分が不幸だと思っていた。人間が羨ましいと思っていた。けど、リュート、お前の方が、辛い人生だったんだな」
「やめてくれよ。不幸なんて他人と比べて優劣をつけるものじゃない。俺もゴブ太も過去を乗り越えて今を生きているんだ。哀しみは消えなくても、前に進むしかないだろ?」
そうだ、前に進むしかないんだ。一歩、また一歩と踏み出しながら、俺たちは出口に向かっている。
どんなに遠くても、どんなに辛くても、歩みを進めなければここから出られない。
それからは暫く無言で歩いてた。
この階層は魔物が出ない代わりに全く階段が見つからない。迷路みたいに複雑になってるわけじゃないんだけどな。単純に広いのか?
「リュート、夢の中で、友達と知らない女の子が出て来たって、言っただろ?」
どうやらさっきの話の続きらしい。
ずっと考え込んでいたから、何か言いたいことがあるんだろうとは思っていたが、それは俺も疑問に思っている事だった。
「姿形は見えなかったけどな。声と気配でわかったよ。ただ、女の子の方はどれだけ記憶を探ってもわからなくて……」
「オデにもわからない。けど、確証はないけど、あの部屋で、リュートの中に何か入ってきたって、言ったろ? それに、リュートは魔力の成長速度が早いし、だから多分、もしかしたら――」
よほど自信がないのか、曖昧な言葉ばかり使うゴブ太の話は聞きたかったが、魔物のいないこの階層で突然危機を感知した。
「下がれ!」
言いながらゴブ太にタックルし、二人で床を転がりながらその場から退避する。
直後、天井を突き破って巨大な蛇が口を開けて落ちてきた。
全長は二十メートル程か。軽トラくらい丸呑みしそうなくらい太い。今のを躱せなかったら、俺たちはあの太い身体の中だったろう。
「アイツはなんだ!?」
「オデも知らない魔物だ! 大きさからして、階層ボス並の強さはあるかもしれない!」
くそ、もっと下の階層には通路が狭い場所があった。あそこならこいつをハメる事もできたかもしれないが、今いる石畳の洞窟は横幅も広く、天井も高い。大蛇が動き回るスペースがあるため、逃げるのは厳しそうだ。
「リュート、魔法で援護を! 効果がある属性を探せ!」
「……了解!」
戦うしかないとわかっていても、どうにか逃げる方法がないかと探してしまう。
だけどダメだ、大蛇は真っ赤な舌をチロチロ出しながら俺たちを睨んでいる。逃げる隙も与えてくれなさそうだ。
やるしかない。
「
俺は大蛇の顔目掛けて左手で火球を飛ばす。真正面に来た魔法は容易く躱されるが、右手で撃っていた二発目の火球は大蛇の首に直撃した。
「やったか!?」
言ってみたけど、全然やってなかった。
小さな爆発と共に炎が燃えるが、大蛇は煩わしそうに首を振るだけで、ダメージは無さそうだ。
ならば。
「喰らえ水鉄砲!」
左手で右腕を押さえ、手のひらから大量の水を放出する。
ダメージが通る程の水圧ではないが、狙いは奴の顔だ。口や鼻を塞げば呼吸は困難になるだろう。おまけに視界も塞げる。
案の定大蛇は水を避けるようにグネグネと動き回る。
「ガラ空き、だ!」
拳に岩を纏ったゴブ太が大蛇の白い腹に接近し、振りかぶった右手を放つ。
鈍い音と共に、大蛇の外皮が砕け散るのが見えた。
「キシャァ!」
硬い外皮に守られたお陰で大したダメージでは無いだろうが、傷付けられたことに怒ったようだ。
ゴブ太が殴った腹に向けて風の刃を放つ。目視しづらい攻撃ではあるが、大蛇は傷を守るように尻尾を前に出した。紫色の尻尾に阻まれた風の刃は外皮すら傷付けられなかった。
「ゴブ太! 一番有効なのは物理だ! 俺も前に出る!」
基本的にどの魔物も、あらゆる攻撃に耐性を持っていて、その耐性はバラつきがあることが多い。
主に魔法耐性、物理耐性、属性耐性の三種類に分けられているのだが、例えば植物系の魔物なら水属性に強く、火属性に弱い。これは想像に容易い事だ。他にもゴブリンやコボルトは魔法全般に弱かったり、ゴーレム系の魔物は物理耐性が極めて高かったり、種族によって違うらしい。
俺はゴブ太と組んで戦う時、初めに敵の耐性を見極め、有効な攻撃手段を用いて戦う事になっていた。
今回の場合、大蛇は魔法が効かないわけじゃないが、相当な火力が必要だ。火力を出すには魔力量も必要だし、魔力の制御能力も必要だ。だったら物理で殴った方が早い。
「コイツ、思ったよりも動ける! 長い体に気を付けろ!」
ゴブ太の言う通り、大蛇はその柔らかい身体でこの通路を縦横無尽に動き回る。そのくせ外皮は硬く、低くない防御力を備えているのだから、反則だと罵りたくもなる。
だけどここは異世界だ。どんな理不尽があっても受け入れるしかない。乗り越えるためには強くなければいけない。
俺は大蛇に接近しながら両手で地属性の魔法を発動し、硬い岩で棍棒を作った。本当は切れ味の良い剣を作りたいのだが、今の俺にそんな技術はない。どうしても凹凸の激しい不恰好な棒が出来てしまうのだ。ただ、魔力を込めれば硬さは充分見込めるため、潔く棍棒にした。
一直線に走って来た俺に狙いを定めて、大蛇は鋭い牙で噛みつこうと頭を振り下ろした。
大きく後ろに跳ぶと、さっきまで俺がいた場所に牙が突き刺さる。躱した俺と、獲物を見るような大蛇の目が合う。
「らぁあ!」
勢いで恐怖を吹き飛ばし、両手で持った棍棒をフルスイング。
すぐにその場から離脱した大蛇だったが、棍棒は下顎を掠めた。僅かな手応えを感じると同時に、大蛇の頭が揺れた。
脳が揺れた大蛇に再び隙が生まれる。
壁を蹴って跳び上がったゴブ太が、大蛇の頭上から拳を振り下ろそうとして――
「危ない!」
俺は慌てて風魔法を放ち、ゴブ太を吹き飛ばした。
その直後、ゴブ太を掠めるようにして大蛇の尻尾が振り払われた。
「見えてたって言うのかよ……」
想像以上の視野の広さに辟易する。まるで戦場の全てが見えているかのようだ。
「助かった!」
蛇の身体の向こう側で吹き飛ばされたゴブ太が体勢を立て直すのが見えた。さっきゴブ太に撃った魔法はただの風圧だ。大蛇の尻尾に撃ち抜かれるよりずっとマシなダメージだろう。
俺たちは精一杯敵の攻撃を躱しているが、大蛇は俺たちが致命傷を負うような攻撃を絶え間なく行う。これでは体力がもたない。
大蛇は自分の身体の間にいるゴブ太を締め上げようとして長い身体を動かした。
跳び上がったゴブ太は大蛇の身体に乗り、拳を打ち付ける。ただ、蛇の背中の皮は硬い様で、腹を殴った時ほどのダメージはない。
「くそ!」
大蛇がゴブ太を一方的に痛ぶろうとしているのが見ていられなくて、牽制のため、手に持った棍棒を全力で投擲した。
それは真っ直ぐにゴブ太を見据えていた蛇の後頭部に当たり、大蛇は大きくよろめいた。
「シャァァ!?」
「え?」
投げてはみたが、当たるとは思わなかった。奴はさっき死角からの攻撃を見切っていたからだ。
では何故今の攻撃は当たった? 最初の魔法の様に脅威じゃないと判断したから避けなかった? いや、頭部に当たった棍棒は奴に確かなダメージを与えた。ならば何故……。
怒った大蛇がこちらを向き、その顔を見て思い出した。
そう言えば昔、テレビでナニゴロウ先生が言ってた。
蛇は目が悪い代わりに、熱感知能力が備わっているとか。確か目と鼻の間にあるあの窪み、あれがその役割を果たしているんだ。
今目の前にいる敵が普通の蛇の特性を備えているかはわからない。けど、そうだとしたら辻褄が合う。体温で生物と無生物を見分け、生物の動きにだけ注目していたから棍棒を避けられなかったのだ。
最初のゴブ太のパンチを避けられなかったのも、俺が水魔法で蛇の顔、いや、感知能力のある器官を塞いでいたからだろう。
「ゴブ太! 暫く時間を稼げるか? それと、合図をしたら匂いが強い物を持って暴れて欲しい!」
「まかせろ!」
ゴブ太が大蛇の身体の上を走り回りながら攻撃する。こっちを見ていた大蛇の注意がゴブ太に向いた瞬間、俺は天井が崩れたせいで出来上がった瓦礫の山に身を隠す。それと同時に、氷魔法を使った。
魔物もそうだが、人間にも魔法耐性というものがある。自身が扱える魔法の属性は効きにくく、更に、自分が放つ魔法にはかなりの耐性がある。だから手から炎を出しても自分の手が焼けることはほとんどないのだ。
とはいえ、強い魔法は自分の身を滅ぼすこともあるし、長時間耐えられるものでもない。
だから俺は急いで体内の魔力を操作する。
身体の表面だけを冷やすのではダメだ。身体の内側、芯まで冷やす。それと多分、体温が低すぎても周囲の温度との違いで見つかる可能性がある。
石畳の床に触れてみる。大体二十度くらいだろうか。体温をこれくらいまで下げるのはかなり危険だ。しかしやらなければ勝ち目はない。
自分の体温がかなり下がって来た事を確認してから、今度は手先の魔力を土属性に変換し、槍を創造した。
ゴブ太と比べて魔力量には自信があるが、緻密な制御は苦手だ。やはり凹凸はあるし、持ち手も綺麗な直線ではないが、矛先はある程度鋭く作れた。これならば力でねじ込むことも可能だろう。
大蛇の目がこちらを向いていない事を確認してから、俺は飛び出した。
俺に気付いたゴブ太が大蛇の視線を操作し、俺を視野に入れさせないよう上手く立ち回ってくれる。それと同時にポーチからポイズンバットの毒袋を取り出した。あれは先日のドロップ品で、臭いから捨てようと言った俺は、ポーチの中なら匂いは出ないとゴブ太に諭されたのだ。ゴブ太の言う通り拾っておいてよかったな。
やはり嗅覚は機能しているのだろうか、大蛇はゴブ太が持つ異臭の原因を避ける様に頭を上げ、尻尾でゴブ太を迎撃する。
それを目で確認しながら俺は壁際を走り、大蛇の背後に迫る。
「喰らえ! 岩鉄拳!」
俺が近付くにつれて、ゴブ太の攻撃も勢いを増し、普段はしていない詠唱を叫ぶ。これで大蛇の聴覚もゴブ太を意識せざるを得ない。
戦闘中の短いコミュニケーションでも、ゴブ太は俺の意思を汲み取って最適な行動をとってくれる。それがわかっているから、俺はゴブ太を信じて自分のやるべき事に専念できる。
来た当初は地獄の様に思っていた迷宮だが、ゴブ太がいる限り、俺はずっと安心感を抱いていられる。きっと、いや、絶対にこの強敵にも勝てる。二人なら。
大蛇の長い身体に触れない様に近付き、その後頭部が見えた所で俺は跳躍した。
魔力が通った肉体は常に強化された状態だが、意識して魔力の巡りを強くすれば、それに比例して肉体も強くなる。
宙高く跳んだ俺の下には大蛇の頭があり、その下の地面でゴブ太が俺を見て頷いた。
両手に構えた槍を下に向け、上に向けた両足から風魔法を放つ。
勢いをつけた槍は狙い通り大蛇の頭部に刺さる。
だが、硬い。矛先は浅い場所にしか届いていない。
「く、そがぁぁ!」
熱感知にも反応せず見失っていた俺からの攻撃を、大蛇はまともに喰らった。
それでも致命傷には至らない。直ぐに尻尾を持ち上げようとする。
俺も冷やしていた体温を元に戻し、風魔法の出力を上げ、ここで仕留めようと両手に力を込める。
「一気呵成、ダ!」
ゴブ太も俺が教えた四字熟語を使いながら地面を蹴り、振り上げた拳で大蛇の顎を撃ち抜いた。
その攻撃が決定打となった。
上下両方向から強い力を加えられたお陰で土の槍は大蛇の頭部を貫通し、俺を打ち抜こうと迫っていた尻尾は力無く地面に落ちた。
それと同時に大蛇は口から紫色の血を吐いた。
――いや、なんだこの匂い、これは血なのか?
刹那の思考と同時に嫌な予感。直ぐに叫んだ。
「ゴブ太! 退避しろ!」
一瞬風魔法でゴブ太を飛ばそうかと考えたが、それではこの紫色の液体まで飛ばしてしまう。
いや、そもそも俺たちの攻撃が決まった時点で、もうこれは手の施しようがなかったのかもしれない。
大蛇が吐いた血液らしき液体を、真下にいたゴブ太は大量に浴びてしまう。
「ゴブ太!!!」
大蛇の身体は直ぐに光になって消えた。後に残されたのは大きな牙が一本。討伐した証だ。それと同時にゴブ太にかかった大蛇の血も消える。だが、その血が与えたダメージは消えない。
着地の姿勢も取れずに地面に堕ちようとするゴブ太の元へ、俺は風魔法を使って全力で移動した。
制御が効かずに俺自身が地面に激突するが、ゴブ太の身体を受け止める事は出来た。
「おい! しっかりしろ! ポーチを貸してくれ、薬草があっただろ」
俺はゴブ太の顔を見なかった。
自分の頬を伝う涙に気付かないフリをした。
何も認めたくなかった。
直ぐに治る傷だと思い込みたかった。
だけど、力無いゴブ太の手が、俺の手を止めた。
「リュート、ごめんな……お前を、ここから出して、やりたかった……」
もう生きる事を諦めてしまった様な言葉に怒りが湧く。
「じゃあそうしてくれよ! こんな傷早く治して、俺と一緒に来いよ!」
「オデを、見てくれ……」
ゴブ太は言った。
その言葉の意味はわかっている。
だけど、見てしまったら、俺まで諦めなくちゃいけないじゃないか。
「頼ム……」
「……っ!」
どんなに嫌な事でも、ゴブ太の願いを無碍にすることも出来なかった。
俺は見た。
右半身が溶けて爛れている痛々しい友を。
それと同時に見せつけられたのは、目の前に迫ったゴブ太の死という残酷な現実。
爛れた指先から少しずつ光の粒になって消えようとしているゴブ太に、俺は何を言えばいいのかわからなかった。
「そうだ! 高位の神官なら治癒魔法が使えるって言ったよな! 俺が祈るよ。全ての魔力を代償にしてでも、神に祈って、お前を治す! だから――」
異世界には回復魔法があり、それは特別な人間だけ使える神聖魔法に分類されるらしい。噂では致命傷すら治せるとゴブ太は話してくれた。きっと俺がそれを使えれば、ゴブ太も大丈夫だ。
頼む神様。
俺の全てを代償に、大切な友達を助けてくれ。
だがそんな願いも虚しく、ゴブ太は指先からどんどん消えていく。
「リュート、お前と出会えて、本当に、幸せだった。初めて、友達が出来て、嬉しかった。自分の生を、呪ったこともあったけど、お前に会えただけで、生きてて、よかったと思った」
どんなに祈っても、どんなに魔力を操作しても、それは何もない空中で霧散するだけ。
俺の願いは神に届かない。
「リュート、聞いてくれ」
縋るような言葉に、思わず硬直した。
もう時間がないのだと悟らされた。
「お前は、魔法を受け継ぐ者、マギアテイカーだ。だから、出来たら、研究者に会いに行って欲しい。彼女は、お前の力に、なってくれる筈だ」
大蛇に遭う前に話そうとしていた事だと即座に理解した。
俺は何度も頷いて理解を示した。
途中で遮りたくない。一つでも多くの願いを聞き届けたい。
「リュート、頼む。生きてくれ。決して、諦めないでくれ。お前は、無事に家族に会える。だから、ちゃんと、歩んで……」
ゴブ太の瞳から光が失われていく。もう既に右腕まで消えていた。
「あぁ、リュートが受け継ぐ者で、よかった……オデの力が、リュートの中で生き続ける。きっと、まだ、お前の役に、立てる……」
言葉が出て来なかった。
何を言うべきかもわからず、嗚咽だけが漏れていた。
「リュート、いつまでも、泣いてちゃダメだ。ちゃんと、前に、進むんだぞ……」
その言葉が最後だった。
溶けた身体の真ん中から深緑色の魔石が落ちて、それと同時にゴブ太は光の粒子になって消えた。
「ぁ、ぁあぁ……」
神聖魔法は発動しなかった。
俺の願いは届かなかった。
「う、うぅ」
本当に神がいるのなら教えてくれよ。
どうして俺の大事な人ばかり奪うんだ。
一体俺が何をしたって言うんだよ。
どうして世界をこんな残酷にしたんだよ。
「うわぁぁあぁぁ!」
どんなに泣き叫んでも、この声はもう誰にも届かない。
笑って俺を励ましてくれた友には、もう二度と会う事は出来ない。
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