第6話 成長

 

「リュート! 酸のブレスに気を付けろ! 連続では吐けないから、攻撃を避けた後がチャンスだ!」


 この迷宮に落とされてから、早くも一週間が経とうとしていた。

 アシッドバットと戦うのは初めてだが、酸じゃなくて毒の粘液を吐くポイズンバットなら何度か倒した。そろそろ蝙蝠系の動きには慣れてきた。

 俺はゴブ太の助言通りにブレスを交わし、壁を蹴って高く跳ぶ。

 攻撃後の硬直が解けていない蝙蝠に、上から拳を振り下ろす。


「キィッ!」


 魔物が絶命する時に発する悲鳴は何度聞いても良いものじゃない。

 安らかな眠りを祈るばかりだ。


「動きが、かなり良くなってきた。こんなに成長が早いとは、思わなかった」


「魔拳士ゴブ太様の指導の賜物さ」


 おどける俺に、カラカラと笑うゴブ太。

 ここ数日、魔物とは出来るだけ俺が戦う様にしてきた。

 生命を奪った後の体調不良はもう起きていない。身体が魔力に慣れてきたのだろうか?

 明確に、これが魔力だ! という様な力は今のところ感じられない。だが、俺の身体能力は間違いなく向上しているし、肉体の強さもそうだ。

 また、空気――いや、魔素を吸う事によって、持久力も補ている気がする。

 ただ、ゴブ太は魔素を意識して身体に取り入れるなんて出来ないと言っていたので、俺の気のせいかもしれない。


「それにしても、いま何階層だぁー? いい加減日光を浴びないともやしになりそうだ……」


「もやし……? オデたちは、まだ二十階しか上っていない。この迷宮が、どれくらい深いかはわからないが、最も深い迷宮は、百八十階層あるらしい」


「うっそやん……何日かかるんだ……? てか、迷宮なのに転移魔法陣とか無いのかよ! くっそ不便だな!」


 そもそもこの世界には転移魔法という概念が無い(少なくともゴブ太は聞いた事がない)らしい。

 でも転移魔法なんて、もし本当にあったとしたら、それはそれで怖いよな。身体がバラバラになってあちこちに飛ばされたりしそうだし。

 同じ魔法でも、手から火が出る方がまだ現実味がある。いや、こんな事考えている時点で、俺はもう現実を見失っているのかもしれない。


「まぁ、運良くホーンラビットの肉を、手に入れたんだ。そろそろ飯にして、落ち着こう」


 そう、昨日、ついにこの迷宮で初の肉ドロップを体験した。

 今のところ使い道が無い素材や魔石よりも、直ぐに役立つ食糧のドロップは非常にありがたい。

 因みに、魔石は魔道具のエネルギーとして使えるが、自らの魔力で補えるゴブ太にとっては必要ない。俺も魔力を操作出来れば魔道具を自力で動かせるのだが、それはまだ修行中だ。

 魔素の存在はわかるのだが、それを体内で魔力に変換して魔道具に送り込むという作業がどうにもわからない。

 ゴブ太は魔法を扱える様になってから、この技術が身に付いたと言っていたが、それは言い換えれば、この技術が上達すれば、魔法を扱える様になるという事ではないか。そう考えた俺は、毎晩瞑想してから眠る事にしている。注意力のコントロール、意識の操作、そういった所にヒントがあると考えたのだ。


「……?」


 不意に肌がピリつく感じがして立ち止まる。

 またか。

 俺とゴブ太は息を殺して来た道を戻る。

 これは俺が唯一ゴブ太より優れている能力と言ってもいい。危機感知能力だ。

 強敵に近付くと、肌が過敏になったかの様にピリピリ痛み、胸の内から恐怖が湧き上がってくる。

 この感覚はもう五回目だ。


 来た道を戻り、選ばなかった方の分かれ道へ進む。ここまで来たらもう強敵の気配はしなかった。


「リュートには、何度も助けられたな。オデじゃ勝てない魔物も多いから、戦わなくて済むのは、良い事だ」


 多分俺に危機感知能力が備わっているのは、弱いからだ。

 初めてゴブ太を見た時にも恐怖を覚えたし、勝てないと本能で理解させられた。だから自然に逃げの姿勢がついたのだろう。


「にしても、弱い魔物が深層にいるだけじゃなくて、強い魔物が浅層にいるって事もあるんだな」


 今俺たちがいる階層が浅いかわからないが、少なくともここより深い場所で見た魔物よりずっと強い魔物もいる。


「そういう意味でも、この迷宮は変だ。もしかしたら、冒険者が調査に来てるかも、しれない」


「そしたらまずいな……ゴブ太は姿を隠さないと攻撃されるよな」


 そもそも迷宮を出る時も気を付けなければいけない。ゴブ太の話では、発見済みの迷宮はギルドが管理しているそうだ。

 未登録の人間と喋るゴブリンが出て来たら大騒ぎだ。


「魔素がもう少し薄くなったら、ローブを羽織ることにする。今はまだ、出口は遠いだろう」


 出口が遠いと聞いて少し気が重くなる。

 流石に疲れも取れなくなって来たし、食糧も心許ない。


「ん? そういえば魔素って迷宮の外だと薄いんだよな? って事は外の魔物は弱いのか?」


「そんな事はない。迷宮の魔物は、迷宮を循環する魔力を糧に生きている。糧がたくさん必要な強い魔物は、魔素が濃い深層に行き、糧があまり必要ない弱い魔物は、魔素が薄い浅層に行く。でも、外の魔物は、この習性が当てはまらない。何故なら、外の魔物が糧にしているのは、魔素だけじゃなく、食糧や水なども含まれるからだ」


「それってつまり、迷宮の魔物は飲まず食わずでも魔素があれば生きられるって事か?」


 俺の質問にゴブ太は頷く。なんて燃費のいい生物だろうか。

 しかし本当に生物なのか? 迷宮が産んで、迷宮が生かしている魔物。普通の動物みたいに父と母を持つ外の魔物とは、まるで別の存在みたいだ。


「やはり、早く研究者に会わなくちゃ、だな。オデがリュートに教えられる事、どんどん減ってきた」


 落ち込むゴブ太を励まそうと思ったが、また危機感知に敵が引っかかった。でも大分遠いようだ。


「さっきの道と繋がってたんだな。向こうにさっきの強敵がいる。でも丁度階段を見つけたから今の内に上ってしまおう」


 小声でやり取りして、息を忍ばせて次の階層へ向かう。


 見知らぬ異世界に来たと言うのに、驚くほど順調にことが進んでいる。

 大半はゴブ太のおかげだが、俺自身も成長を感じている。

 例えば、身体能力。細かく言えば瞬発力や反射神経、持久力に柔軟性も増した気がする。

 だが最も嬉しいのは生存能力が上がったことだろう。

 化物が闊歩しているこの迷宮で、危険は避け、勝てそうな敵は倒し、なけなしの食糧をやりくりする。

 ここ数日、俺は今生きているんだと強く実感している。

 日本で暮らしていた頃より生活レベルは低くなっているし、むしろ毎日命懸けの日々だが、自堕落に過ごしていた日々よりも圧倒的に濃密な時間を過ごしている。

 楽しいなんてとても言えない。魔物の命を奪っているわけだし、それを楽しむ様なサイコキラーではない。

 だけど俺は、自分の足でここに立っている感覚が、久しぶりに感じたものの様で、たまらなく興奮していた。



「……あれ? ここは……?」


 階段を上った先は、薄暗い大広間だった。

 体育館ほどの広さがあるのに、ここには何もない。魔物もいない。

 ……でも、なんだこの感覚。


「ボス部屋か? でも、何もいないな。そもそも、ボスみたいに強い魔物が、普通の階層を歩いてるんだから、ここにいるべき魔物も、どこかを歩いてるかもな」


 カラカラと笑うゴブ太に応えてやる事はできなかった。

 彼は何も感じないのか?

 俺はさっきから全身に鳥肌がたってしょうがない。

 危機感知、なんて生温いものじゃない。

 明確な死の気配だ。

 どこだ?

 どうして?

 何もないじゃないか。

 だけど気のせいで済ませていいほど曖昧な感覚じゃない。

 何かがあるとハッキリとわかる。

 逃げるか?

 どこに?

 下の階に戻るのか?

 でもここを通らなきゃ上にはいけない。

 そもそも動けるのか?

 ダメだ。

 足が硬直して動かない。


「――ュート? リュート、どうした?」


 怖い。

 死ぬのが怖い。

 けど、もっと怖い事がある。

 隣の友人が殺されるのが怖い。


「に、逃げろ。今、すぐに」


 掠れた声でそれを言うのが精一杯だった。

 せめて、せめてゴブ太だけでも、生きてくれ。

 俺はもう二度と友人を失いたくないんだ。


「な、何を言って……?」


 ゴブ太が困惑するのと同時に、どこからか笑い声が聞こえた様な気がした。

 でもこの声は酷く曖昧で、俺の幻聴だったのかもしれない。


 ただ、次の瞬間に俺の胸は何かに貫かれた。


 姿が見えない何かに、何をされたのかもわからずに、俺はその場に倒れた。

 痛みも苦しみもなく、一瞬で目の前が真っ暗になった。

 最後に感じていたのは途方もない哀しみだけだった。

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