第3話 ゴブ太の回想
人があまり訪れない森の奥の集落で、ゴブ太は産まれた。
集落には木を組んで作られた簡素なテントが七張りあり、合計二十体のゴブリンがそこで暮らしていた。
ゴブ太も幼少期は、皆と同じようにそこで暮らしていた。
狩りをして、採取をした。大きな獣や、偶に襲撃してきた人間との戦いは、大人たちの仕事だった為、幼いゴブ太は安全に力をつけて行った。
そんな生活の中で数年間は何もなく過ごした。
幼いゴブ太の周りと違う点があるとすれば、それは皆んなと意思の疎通が出来なかった事。
ゴブリン達は「グギ」とか「ギガ」とかそんな発音で、同族同士で意思の疎通を行なっているが、ゴブ太にはどうしてもその音が理解出来なかった。
しかしそれは些細な問題だった。
音がわからなくても、身振り手振りの行動でなんとなく相手の意図を察することが出来るからだ。元々ゴブリン達は人間の様な会話をしない為、それだけで充分だった。
だがある日、集落に人間がやって来た。
人間がやって来るのは珍しい事だが、過去に一度、大人達が人間を追い返しているのをゴブ太は見た事があった。
しかしただの傍観者だったのは幼い日の話。
この時のゴブ太はもう子供ではなかった。
自分よりも大きい大人達に着いて行き、共に人間を追い出す事をアピールした。
大人達はゴブ太の勇気を尊重し、頷いた。
敵は二人の冒険者。
ゴブ太達の姿を見て剣を抜いた。
「敵は六体だ! 囲まれる前にやるぞ!」
冒険者の一人が叫ぶと同時に、ゴブ太は驚いた。
言葉を理解出来た。
幼い頃も人間の声を遠くから聞いた事があったが、あの時は理解出来なかった。
なのに、なぜ?
理由はわからない。
しかし、ゴブ太はこれを素晴らしい事だと考えた。
言葉がわかるなら、話せるはず。
話せるなら、戦わなくて済む。
食糧を得る為の狩とは違い、人間との戦いはただの殺し合いだ。そんなものはやりたくないとゴブ太は思っていたから、すぐに話しかけた。
「待デ。オデ達、戦ワナイ。ダカラ、帰レ」
やっぱり話せた。ゴブ太は嬉しくなった。
人間だけではなく、ゴブリンの大人達も驚いていた。
「くそ! ユニークだ! あいつには注意しろ!」
意味がわからなかった。
言葉が通じた筈なのに、人間達は戦いをやめない。それどころか、勢いを増している。
ゴブリンの大人達は冒険者の気迫に押され、一体ずつ斬られて行った。
自分が何か間違ったのだろうか。
自分のせいで仲間が殺されていく。
あまりの出来事に、思わず膝をついた。
助けなきゃ。
拳を振り上げる。
また一体斬られた。
「ヤ、ヤメロ!」
振り上げた拳を地面に叩き付けた。
その瞬間、地面から一本の土の杭が伸び、一人の冒険者の胸を貫いた。
「ひっ! く、くそ、くそが!」
もう一人の冒険者はそれを見て一目散に逃げ出した。
ゴブリンは三体が殺されていた。
傷を負いながらも生き残った二体が、ゴブ太を見ながら何かを話している。
ゴブ太は膝をついたまま困惑していた。集落から見ていたゴブリン達が、自分を恐れている。人間ではなく、ゴブ太を恐れているのだ。
今まで育ててくれた母も、仲良くしてくれた子供も。
やがて話が終わった二体はおもむろにゴブ太の腕を持ち、集落から離れたところまで運び、そこに投げ捨てた。
言葉がわからなくても、理解出来た。
自分は追い出されたのだ。
なぜ?
人の言葉を話したから?
魔法が使えたから?
仲間を守れなかったから?
ゴブ太は数日間、彷徨い歩いた。
腹が減ったら動物を狩り、喉が渇いたら川へ向かった。
寝る時は木の上で眠り、出来るだけ人にも魔物にも遭わないようにした。
だが集落から離れると、どうしても冒険者を見かけることが多くなる。
特に森の入り口付近では植物を採取している者が多い。
そういう冒険者に遭遇してしまったら、ゴブ太は普通のゴブリンみたいに「グギ」とか適当な声を出して逃げた。
言葉を話したら、また人間に警戒されると思ったのだ。
そんな日々を過ごしていたゴブ太。
自分はこのまま一生孤独に過ごすんじゃないか、そう悟り始めた時のことだった。
森を歩いている時、いつの間にか目の前に女性がいた。
あり得ないと思った。
人に遭わない様に周囲の警戒は怠っていなかった。
それなのに、音もなく、気配も感じさせず、彼女はそこに立っていた。
逃げようと思った。
だけど彼女から目が離せない。
その黄金色の瞳は、知らない事などない様な深さをしており、白銀の髪は、曲がった行動を嫌うかの様に真っ直ぐだった。
「言語を解し、魔法を扱うゴブリンを見たという者がいた。君の事だな」
その落ち着いた声と、全てを理解しているかの様な話し方に、ゴブ太は思わず頷いていた。
「見たところ十年は生きているだろう。小鬼族としては成人間近だな。何もなければあと五十年は生きられる筈だが、君は今後の生き方を考えているか?」
唐突な質問だった。
ゴブ太は答えるのが怖かった。
自分が喋れば人間達は襲いに来て、同族からは忌み嫌われる。
「少し回りくどいか。では簡潔に言おう。私は君に興味を持った。研究対象として、暫く私の家で過ごさないか? 無論、君に害を為すことはないと約束しよう、君が人類に敵対行動をとらない限りはな。また、君が望むなら研究の一環として、知識や力を与えても良い。それとは別に、研究期間に応じて報酬も支払うつもりだ」
暫く彼女の目を見つめていた。
表情をぴくりとも動かさず、淡々と語る人間。
言ってることは少し難しいが、要するに自分が珍しいから気になったのだと、ゴブ太は理解した。
人間はもう喋るつもりはない様で、まるで人形の様に静かに佇んでいる。
「オデ、も、イツカ、人間ミタイに、生活、デキルノカ?」
集落を出てから、ゴブ太は人の生活に憧れていた。
遠くに見える街は人間の知恵と技術の結晶に見えたし、それは冒険者が纏う装備も同じだ。
それに、ゴブ太は苦くて食べれない草を冒険者が採取していたのを見た事がある。彼らはそれの利用法を知っているから採取したのだろう。自分の知らない身近な物事を、もっと知りたい。
いつの間にかゴブ太は知的好奇心に満ち溢れていた。
だが――
「君の言う人間らしさが何を指しているのか不明瞭な為、正確な答えを出す事は出来ない。ただ、君が何を言いたいのか予測は出来る。その予測に答えるとすれば、君は人間らしくは生きられないと言える」
彼女は底抜けに正直だった。
「君は魔物だ。この世界の九割以上の人間は君とまともなコミュニケーションは取れない。例え君が、エルゼア大陸言語――この世界の共通言語を扱えるとしてもだ。人と関われないというのは、それだけで文化的な生活と遠ざかる事と同義だ。君の身を休める家は与えられない。人間社会の中で循環する食糧や情報は手に入らない。これでは人間らしさなど微塵も無い。そもそも、これらの話は君が人間に殺されなかった場合の話だ。君は人間らしさを模索し、人と関わろうとする度に、攻撃される覚悟をしなくてはいけない。この時点で既に人間とは乖離している。何故なら出会った途端に攻撃される人間など恐らくいないからだ」
ゴブ太は悔しくて何も言えなかった。
聞かなくてもわかっている事を自分は聞いた。
当たり前の答えが突きつけられた。
自分は一生孤独なのだ。
「悔しいのか? だとすればそれは、君が他者を模倣して生きようとしたからだ。いいか。生き方というのは誰かを真似るものではない。私は私の生き方をするし、他の者もそうだ。勿論、君も」
ならどうやって生きればいいのだろう。
ゴブ太の疑問に答えるように、目の前の相手は口を開いた。彼女は自分が話を理解するのを待ってくれているのだと、ゴブ太は気付いた。
「とはいえ、何もわからない君が何かを真似しようとするのは自然な事だ。人の赤子も親の真似をして成長する。だけど君には君の成長方法があるのだ」
成長。
今までは他のゴブリンと共に過ごす事で自然に成長出来た。
でも最近身体の成長は止まったし、これから自分に何が出来るのかもよくわからない。
何をすれば成長できるだろう?
ゴブリンからも人からも受け入れられない自分に必要なものは――
「知識だ。知性を持ち、思考を行う君に、これ以上重要なものはないだろう。人は世代を跨ぐごとに知力を磨いてきた。知恵を受け継いできた。あの街が見えるか? 今でこそあの様な立派な建築物が並んでいるが、かつての人間は木を組み立てた簡素な集落に住んでいた。それこそ君がいた集落と同程度の文化レベルだった。しかしそのレベルで止まらないのが人類だ。彼らは皆、知識によって成長してきたし、今後もそうである筈だ。重ねて言うが、君は人間の様に生きる事は出来ない。だが、人間が知識を付けて成長して来たのと同じ様に、君も成長出来る」
「オデも、成長、デギル……」
彼女にそう言われれば、絶対にそうなのだと思えてくる。
ゴブ太は既に決心していた。
「頼ム、オデに知識、教エテクレ」
彼女は一つ頷いた後、ポーチから黒いローブを出した。
「では、それを着て私の後を着いて来てくれ。認識阻害の魔道具だ。街中では絶対にそれを脱がない事、一言も声を発しない事、私から離れない事を約束してくれ。これらが守れない場合、私は君の身を守れない」
ゴブ太は既に聞きたいことが多かった。
小さなポーチから大きなローブが出てきた不思議や、認識阻害の意味など。
しかし、それよりも気になる事があった。
「オデ、魔物。街に入レバ、殺サレル」
「低俗な事を言うようだが、露見しなければ問題にはならないのだ。その為の認識阻害の魔道具だ。早く着たまえ。いいか、さっきも言った通り、人類とは知識によって成長してきた。私は君に対して知的好奇心を抱いている。だが、街に魔物を入れるのは処罰の対象だ。ルールとは、我々を守る為に存在する反面、我々の成長を阻む鎖でもあるのだ。私は今回ルールを破る事になるが、当然それに対する責任は負うつもりだ。私が街に招き入れた魔物が誰かを害そうとした場合、私は誰よりも迅速に魔物を――つまり君を処分する覚悟を決めている。君はくれぐれも変な気を起こさないでくれ。何も出来ずにその生を終わらせたくはないだろう? さぁ、そろそろ行こうか。時間は有限だ」
ゴブ太は頷いた。
自分が間違った事をしたら殺されると言われたわけだが、恐ろしさは感じなかった。最初から彼女の言う事をちゃんと聞くつもりだったからだ。
時刻は夕暮れ時、街に入ると人で賑わっていた。
冒険者の多くが依頼達成の報告をしにギルドへ向かう時間だと、彼女は教えてくれた。
ゴブ太は自分の正体が誰かにバレないかとビクビクしていたが、それは杞憂に終わった。
彼女もゴブ太も、誰からも絡まれずに家に辿り着いた。
そこは外壁に囲まれた屋敷で、周りの家とは明らかに違った。広いだけでなく、他者を寄せ付けないような高い外壁が印象的だった。
「さぁ、入りたまえ。門扉を閉めたら喋っても構わない。ローブを脱ぐのは家の中に入ってからにしてくれ。まあ、外壁を登ろうとする不埒な輩がいたとしても、壁に刻まれた魔術刻印がそれを阻むのだがな」
家の中はどことなく寂しさが漂っていた。
ゴブ太にとっての家とは、仲間が集まり身を寄せ合う場所なのだが、この広い家には彼女一人しか住んでいないらしい。
「君にはこれから私と同じ生活を送ってもらうが、今日はもう遅いな。シャワーを浴びてから夕食をとり、その後就寝としよう。魔道具の使い方を簡単に説明する。質問は明日以降にしてくれ、眠る時間がなくなりそうだからな」
こうしてゴブ太と研究者の奇妙な生活が始まった。
「君を連れて来た理由? そうだな、君の言う通り言語を操る魔物も、魔法を使う魔物も存在する。しかし小鬼族でありながら、言語と魔法の両方を扱う個体は君以外に見た事がない。私が気にしているのは、魔物の多くが君のような突然変異、或いは進化を遂げてしまわないか、という点だ」
「魔物が言語を習得するにはどのような条件が必要なのか、という研究を行なった人間がいた。彼はいくつかの仮説を立てた。中でも有力な説の一つが、この世界の大地から人々の声を聞き、最も多く話される言語を学習したというもの。これは地脈に魔力が巡っている事を知っていれば、簡単には否定できない仮説だ。何故なら魔力とは、見る者が見れば情報の濁流だからだ。ああ、わかっている、君は魔力など見えないと言いたいのだろう。だがそういう事ではなく……いや、長くなる上に理解不能だろうからよそう。因みにもう一つの仮説は、そもそも言語を解しているわけではなく、意思を送り合っているのだというもの。私は以前竜種に遭った事があるのだが、彼は私の脳内に直接意思を訴えて来た。つまりこの仮説は正しいという事だな。なに? 君は違う? ああ、その通りだ。私はこうして君と会話を重ねているが、既に確信している。君が言語を理解し、話す度に習熟していっていることに」
「魔法について? 普通の人間が最も多く触れる魔法は、精霊魔法だ。四大精霊に魔力を提供する事によって魔法を具現化させる術だな。だが君の場合は違う。魔物が扱うのは固有魔法だ。それは精霊の力に頼るものではなく、魔法を自分の腕や足のように自在に動かす事ができる。当然、動かす為の力は必要になってくるが、それこそが魔力だ。魔力を鍛えれば、君は今よりもっと魔法の扱いが上手くなるだろう。そういえば君の固有魔法は地属性だったな? まずは簡単な地形操作から始めるといい。この地面を操り、土の棘を創るのだ。何もない場所から土を生み出すより楽な筈だ」
そうやってゴブ太は様々な事を学び、実践していった。
「私の名前? 君は私の名前を知らないことで今まで不便に思った事はあるか? 名前というのは記号に過ぎない。他者を交えて話す場合は記号があった方が区別しやすいが、ここには私と君しかいない。無意味な事を知りたがるようになったな。それよりレシピを反芻しながら調理するんだ。料理の上達は生活を豊かにする。人がこれほど多様な調理方法を考案したのも最近の事だ。人類の進化というのは生活のあらゆる場所に散見される。それらを参考にするのは効率的な学習といっていい」
時には街の市場に買い物へ行ったり、街の外で魔物を倒した事も何度かある。迷宮に潜ることもあった。
当然外出時のゴブ太はローブを被り一言も喋らなかったが、人間の営みを間近で見る事が出来たのは貴重な経験だった。
だが、そんな新鮮な日々は唐突に終わりを迎える。
「私の研究は済んだ。今日から君は自由に過ごすといい。街の外まで送ろう。ローブは被ったままでいい、餞別だ。報酬は君には使えない金銭ではなく、実用的な魔道具にしたのだが、不満はあるか?」
彼女と出会って半年が過ぎたある日、昼食を食べながらそう言われた。
「もう、終わりか? オデ、まだ、知らない事、多い」
ゴブ太は名残惜しかった。
彼女から沢山の事を教えてもらえて楽しかったし、自分が成長している事を実感できて嬉しかった。
しかし彼女の目的は最初から一つ。研究だけだった。
「知らない事が多いのは悪い事じゃない。どんなに博識な者でも、この世の全てを知っているわけではないのだ。ただ、自分が何を知らないかを知っていれば、君は多くの困難をやり過ごせる。それを忘れるな」
わかっていた。自分が何を言ったところで、彼女の決定は覆せない。
学んだ言葉をどんなに尽くしても、彼女は考えを変えない。
ゴブ太も別れを受け入れた。ただ、一つだけ後回しにしていた疑問が残っている事に気が付いた。
「最後に、一つだけ、教えてくれ。お前は、オデみたいな変異種が、増えないかと気にしてた。でも、それは、とっくに結果が出てたんじゃないのか? 何故、半年間、オデを育ててくれた?」
「君が知る必要は――」
目の前の女性は少しの沈黙の後、言いかけた言葉を訂正した。
「いや、情報も報酬になり得るか。君の言う通り、君から採血を行って数日後に、君が先祖返りの魔物だと気付いた。君の祖先のどこかに人間がいたのだろう。ゴブリンの血は濃いため、こういう事は滅多に起きない。いや、起きた例を知らないくらい稀な事だ。つまり、君のような特殊な例は偶然生まれただけで、種としての進化ではないことが明らかになった。人類にとっては安心すべき結果だな」
それじゃあ何故? と問うような視線をゴブ太は向けた。
「私はある固有魔法を持った者を探している。『
彼女の言動一つ一つに意味があったのだと、ゴブ太は改めて感じた。
「もし、オデがその固有魔法を持ってたら、どうした?」
「その質問に意味があるとは思えないが……まずは力の扱い方を教えただろうな。それから、その力が孕む危険性についても。まぁ実際にマギアテイカーと出会わなければどうなるかはわからない。さぁ、旅立ちの準備を始めようか」
こうしてゴブ太は再び一人の旅へ出る事になった。
孤独なのは変わらないが、集落を追い出された時とは違い、色んな事が出来る気がしていた。
何故なら研究者から沢山の事を学び、報酬として不思議なポーチや、生活に役立つ魔道具、それに何冊かのノートを貰ったからだ。
南に向かえば食べられる植物も多いし、冬でも寒くないと聞いた。
だからゴブ太は南に向かった。
この先何十年生きるかわからないが、色んな場所に行ってみよう。
そんな思いを抱いていたゴブ太だが、その旅は僅か三週間で行き詰まってしまった。
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