第2話 トモダチ

 

 例外はあるが、人は五十メートル以上の高さから落下すれば、ほぼ確実に死ぬらしい。もちろん落下地点の状況にもよるが、俺は地上から地下に落とされている。落下地点に草木が生い茂っているとは考えられない。

 底があるなら、そこは固い土だろう。

 終わった。

 もう地面とグッバイしてから何十秒経っただろう。

 一体いつまで俺は落ち続けるんだ?

 落ちるだけに懲りず、渦に吸い込まれる様に回転している気がする。

 穴は直径二メートルほどの、それ程大きくないものだったと思うが、壁にぶつからないのは何故か。

 暗くて……いや、黒いというべきか。周囲の状況が何も見えない。

 このまま死ぬのか。

 それも別に構わないか。

 過去には死を考えた事が何度もある。

 もう流れに身を任せてしまおう。


 覚悟を決めた時だった。

 一瞬の浮遊感。今まで加速しながら下へ向かっていた肉体は、突然静止した。

 死んだのか? 助かったのか?

 答えが出る前に、再び落下した。


「ふべらっ!」


 死んではないが、助かってもなかった。低高度からの落下だが、背中から落ちて変な声が出た。

 すぐに起き上がる。

 ここはどこだろうか。

 感覚が妙だ。

 辺り一面が土。まさに地下。地面の中といった様子。

 それなのに空気が濃い様な気がする。

 広さは俺の部屋と同じくらい。天井には、落ちて来たはずの穴はない。

 出口はあるのか?

 後ろを振り返る。


「……っ!?」


 なんだアレは!?

 驚きのあまり声を失った。

 身体の大きさは俺より一回り小さいが、その見た目は緑色の異形の生物……いや、怪物か。

 尖った耳と鉤鼻、エネルギーに満ちたゴツい肉体。

 さっきまで俺は「死ぬのも構わない」なんて考えていたが、生物としての本能はそうではないらしい。

 恐怖。

 心拍数が上昇し、呼吸が早まり、血圧が高くなる。より早く、より強く動ける様に、筋肉が緊張状態に入った。

 これが噂の『闘争、逃走反応』か。

 動物が天敵に出会でくわした時、闘うか逃げるかを決める為、肉体が即座に行動準備に入るという。

 いや、今はそんな知識どうでもいい。

 高速化した思考が現状を把握し、様々な考えを生み出す。

 敵は一人。武器は持っていない。だがあの肉体は見るからに強靭だ。

 対して俺はまだ成長途中の高校生男子。

 武器は無く、右手に持つコンビニ袋には食料しか入ってない。

 身体を守る衣服はポリエステル製のジャージ。耐久性は優れているが、身を守る防具というにはあまりにも心許ない。

 だがその反面、軽くて動きやすい。

 出口は敵の後ろだ。

 奴は突然現れた俺に驚いたのか、口を開けて呆けている。

 逃げるなら今だ!

 でも、どこに逃げればいい?

 目の前の道を進めばここから出られるのか?

 進んだ先にこいつと同じ様な化物がいるかもしれない。

 その度に逃げるのか?

 一体いつまで? どこまで逃げる?


 急に孤独感が押し寄せて来た。

 いい加減理解した。

 俺は一人だ。

 ここには誰も来れない。

 突然起こった非現実的な事象の数々。

 ここは俺がいた世界とは全く別の空間。

 目の前にいるのは、ゲームでよく見たゴブリンだ。

 ここが異世界なら、戦いを知らない俺はどうしようもなく無力だ。

 諦念が恐怖を上回り、緊張状態に入っていた身体の力が即座に抜けた。

 俺は何も出来ず、その場に座り込んだ。

 顔を上げれば、ゴブリンが心配そうな表情でこちらを見ている。

 もしかして俺を心配しているのだろうか?

 それはないか、と自答しながら、袋から自分用に買った板チョコを取り出す。

 バカみたいな話だが、最期に甘い物でも食べたくなった。


「食うか?」


 半分に割ったチョコを差し出しながら訊ねる。

 あまりにもふざけた行動だと思う。だけど、一人で食べ切るには少し甘すぎるホワイトチョコ。俺はよく妹と分け合っていた。

 妹にももう二度と会えない。そんな寂寥感を紛らわす行動だった。

 銀紙を外してから口に入れると、ゴブリンも同じ様にチョコを口に運んだ。


「ゴホッ、ァ、あまい!」


「ハハ、そうだよな、ビターチョコにすればよかったかな」


 でも妹はこっちの方が好きなんだよな。

 そもそもゴブリンは普段何を食べているんだ?

 果物より甘い物は食べた事ないんじゃないか。

 いや、こんな地下には果物すらないか。

 ……というか、今、何かおかしな事がなかったか?


「あまい、でも、うまい」


 ……ん?


「……えっ!? お、おま、日本語喋れるのか!?」


 大声を出してしまったせいか、ゴブリンは少し驚いた後、頷いた。


「ニホンゴ? の意味はわからない、でも、オデは共通言語を、喋れる、らしい」


 共通言語って異世界の共通言語って事だよな。って事は俺が異世界言語を習得したとか?

 はっ! これはまさか!


「ステータスオープン!」


 しかし何も起こらなかった! 当然だな。少し空雅の厨二病に影響されてしまったようだ。

 ゴブリンは俺の奇行を眺めて首を傾げている。


「えっと、お前は俺を殺さないのか?」


「お前じゃ、オデを、殺せない。だからオデも、お前殺さない」


 ふむ。「殺さない」と「殺せない」じゃ意味が全く違う。このゴブリンは優しい奴だな。どうやら俺の死期は今じゃないらしい。


「ゴブリンって皆んなお前みたいな感じなのか? あ、そもそもゴブリンで合ってる? 名前とかある?」


「オデは、ゴブリン。でも、皆んなと違う。皆んなは、喋らない。魔法も、使えない。人を見たら、殺す。オデは、そうしなかった。だから、追い出された。オデの名前は、無い」


 やはり魔法もあるのか! だが話の腰を折ったらゴブリンも混乱するだろう。受け答えはしっかりしているが、思考が忙しそうで、喋るのが遅い。細かい質問は後で聞くことにする。

 話をまとめると、こいつは頭が良い特別なゴブリンって事だな。

 しかし本来共にいるはずのゴブリンの群れから追い出された。知能が低いゴブリン社会でも、人間社会の様な迫害が起こるんだな。

 最初は怪物と思って恐れていたが、急に親近感が湧いてきた。


「よし。お前の名前はゴブ太だ! 名前が無いと不便だろ。ゴブ太には聞きたいことが沢山あるからしばらく付き合ってくれよな。あ、俺の名前は竜斗な」


「名前、アリガトウ。よろしく、リュート」

 嬉しそうに笑みを浮かべるゴブ太。

 適当に名付けた罪悪感が襲ってきた……。


「あ、苺ミルク飲むか?」


 チョコを食べ終わったゴブ太の為に紙パックを開けてやる。罪悪感を消す為ではない。

 ゴブ太は興味深そうに凝視している。


「リュート、どこから来た? オデが、休もうとしたら、背後に、急に、落ちてきた。でも、天井、穴空いてない。それに、リュートが持ってる物、全部、初めて見た。お前、絶対に、変ダ」


 変って……。よく言われるけど、ゴブリンに言われるとなんかショックだな。

 しかし何をどこまで話すべきか。

 多分ゴブ太の言う通り、俺はこの世界にとって異常な存在だ。無闇に秘密を曝け出すのは危険だろう。

 だが俺はここについて何も知らない。

 この世界の常識、地球との相違点、それに、帰る方法があるのかどうか。

 ゴブ太になら、話しても良いだろうか。

 彼はゴブリンの群れから追い出され、当然人との関わりも無さそうだ。秘密が漏れる心配は限りなくゼロに近い。

 その割に知能はやや高く、この世界の事を聞くには充分なほどだ。


「リュート、迷って、いるのか? 心配、いらない。オデは、リュートの、味方をする。食べ物の、お礼」


 そう言って子供の様に無邪気に笑うゴブ太を、俺は信じる事にした。






「えっと、つまり、リュートは、違う世界から、来た? 帰り方、わからない?」


 知能が高いと言っても、あり得ない様な話を聞いたゴブ太は少し混乱してしまった。


「あぁ。それでこの世界の事色々聞きたいんだけど、今度は俺が質問していいか?」


「少し、待て……」

 そう言いながらゴブ太は額に手を当てて唸っている。


「全部、理解出来たわけじゃ、ない。でも、だいたい、わかった。リュートが帰ること、協力する。なんでも、聞いてくれ」


 この何もわからない世界で、ゴブ太は本当にありがたい存在だ。

 俺は一つ礼を言ってから質問を……。

 いや、聞きたいことが多すぎて、何から聞こうか悩むな。


「あ、そうだ」


 まずはさっきまでの会話の中で気になった事を聞く事にする。


「ゴブ太は世界共通言語を話せるって言ってたろ? この言い方だと、誰かに『それは共通言語だ』って指摘された様に捉えられるんだが、もしかして仲の良い人間がいたりするのか?」


 ゴブ太は驚いた顔で「よく、気付いたな」と呟いた。


「でも、仲が良いわけじゃ、ない。人間は、オデを、魔物として見る。だから、仲良い人、いない。ただ、一人だけ、オデを見て、興味を持った人に、出会った。この人の話をすると、凄く、長くなる」


 それでもいいか? と問うような視線を向けるゴブ太。

 そういえば俺はこの世界のことばかり気にしていたが、目の前にいるゴブ太の事も何も知らない。


「もちろん。それから、ゴブ太が今までどう生きて、どうしてこの……迷宮? にいるのかも、全部話して欲しい。友達の事、ちゃんと知りたいしな」


 同族から追い出され、人間からも敵対されてきたゴブ太。それでもこいつは優しくて、俺の味方をすると言ってくれた。

 ならば俺は友としてゴブ太の話を聞きたい。


「トモダチ……。ああ、わかった!」


 最初に出会った瞬間は恐怖したゴブリンだったが、今嬉しそうに笑っているゴブ太は、暗闇の中の光そのものだ。

 俺は真剣に彼の話を聞き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る