巻き込まれただけの高校生、冒険者になる

木下美月

第一章 始まりの迷宮

第1話 タノシイ日常

 

 高校一年の秋。

 多くの生徒がクラスに馴染み始めた時期。

 決して公表される事のない、されど皆が同じ様な理解をしているスクールカーストがほぼ固定された時期。

 来月に迫った日帰り修学旅行のグループ決めを行う時期だ。


「……」

「……」


 俺の隣には肩身を狭くした二人の――その内の一人は肩身を狭くしても横幅が人より広いのだが――級友が座っている。

 協調性を発揮してグループを組む必要がある作業で、なぜ二人は無言なのか。

 それは二人に協調性が無いからじゃない。

 問題は人間社会にあると俺は思う。


「男女混合グループとかマジないわー。キモオタトリオと組むとかありえないっしょ」


 人は群れを成す生き物だが、その中で劣った物を排斥する性質がある。

 かつてはそれが正しかった。

 何故なら、昔は豊かではなく、常に皆が飢えていた。貧しい群れの中で食糧も獲れず仕事も出来ない者がいたとしたら、それは穀潰しと言うほかない。穀潰しを生活させてやれる程、昔は豊かではなかった。

 故に群れは群れの存続の為、そういった弱者を排斥してきたのだ。姥捨山うばすてやまなんかが良い例だろう。

 だが現代はどうだ?

 この国はこれほど裕福になり、多くの人間が肥満を心配するくらい食うに困らなくなった。

 ならば誰かを排斥する必要なんてないじゃないか。口減らしなど行わなくても皆が生きていける。

 みんな変わらなければならない。

 いつまでも昔の性質を引きずっているのは不合理だ。

 だけどそれは仕方ない事だと、俺はわかっている。

 人は簡単には変われないのだ。


「一日中一緒に行動するわけっしょ? 生理的に無理なんだけど。特にあの豚とか絶対臭いっしょ」


 俺の隣で、友人の太一たいちが強く歯を噛み締めたのがわかった。

 俺はその瞬間、机を蹴り倒す。

 ガタンと響く大きな音。周囲の生徒達がギョッとして振り返る。

 全部仕方のない事だとわかっているさ。

 それでも腹が立つのもまた、仕方のない事だろう。


「うるっせぇんだよブス! 臭いのはお前だろ!? なんで髪の毛茶色いんだよ! 毎朝頭にウンコ塗りたくってるからなんじゃねぇの!? 教室がウンコ臭いのはお前のせいだろ!? 今すぐ便器に流されてくたばれウンコ女!」


 何人かの生徒は「また発狂したよ」とか、「やっぱりあいつ精神病なの?」とか嘲笑混じりに呟いてる。


「お、お前……!」


 自分の外見を罵られたウン子本人は、顔を赤くして怒りだす。

 だが、周囲の取り巻き達は存外冷静な様だ。


「ミク、気にしなくていいよ。あいつ昔から頭おかしいらしいじゃん? そもそも外見からしてオワってるし。ロン毛眼鏡とか今時オシャレだと思ってんのかね?」


 奴らはそうやって自分達を庇い合い、敵を貶し続ける。

 でもそれで構わない。あいつらの標的が俺になった以上、あとは何を言われても興味が無い。

 未だ「精神科に通ってる」とか「IQ80未満」だとか、虚実入り混じった噂話を続けてるが、俺は無視して椅子に座った。

 周囲の人間にどう思われてるのか、どんな噂が流れているのか、全部把握している。

 でもそれを否定するつもりもなければ、否定できるほど自分がまともだとは思っていない。

 確かに俺は頭のネジが外れているのかもしれない。

 だけどそれの何が悪いのかわからない。

 そう思っているから、俺はいつまでも変われない。

 人は簡単には変われないのだ。




 俺の興味あることと言えば、今日の夕飯と、最近ハマってるゲームの攻略法だ。それを考えて過ごしていると、あっという間に学校も終わる。実に無益なスクールデイズ。

 因みに修学旅行のグループは、俺、太一、空雅くうがのいつもの三人と、大人しい(大勢の前で発言する勇気の無い)女子三人が組むことになった。

 ドンマイ俺と組む哀れな女子達。太一と空雅はいい奴だから安心しな。あ、でも、空雅は重度の厨二病だから会話は難しいかも。




「り、竜斗りゅうとくん。さっきはその、ありがとね。か、庇ってくれて」


 放課後、駐輪場で太一に礼を言われる。

 太一も空雅も優しい奴だ。俺がただ発狂しただけじゃないとこいつらは思っている。それどころか、俺の過去の噂なんて色々聞いてるだろうに、それでも仲良くしてくれる。

 でも、しんみりするのは好きじゃない。


「べ、別にアンタの為じゃないんだからねっ!」


 少しスベった様だ。二人は微妙な顔をした。

 気まずいからさっさと帰ろ。


「じゃあなー、二人とも。明日はちゃんとパンツ履いて来いよー」


「毎日履いてるよ!」

「まったくだ!」




 自転車に乗りながら携帯を見る。

 妹はもう帰って夕飯の用意を始めたらしい。


「そだ、今日アプデ日じゃん!」


 早く帰ってソシャゲのアプデをしてゲームをしよう。

 高校から家まで少し遠いけど、俺は自慢の健脚でスピードを上げる。帰宅部エース(自称)の速さを見せてやるぜ!




「ただいマーヴェラスなお兄様が帰って来たぞー」


 マーヴェラスとは素晴らしいという意味だ。俺の為の言葉かな。


「おかえりシャビーなお兄ちゃん」

「みすぼらしいとか言わないで!」

「なら伊達メガネとロン毛やめればいーのに。そんなことより早く手洗って夕飯作るの手伝って」


 妹のまいは失礼な奴なのだ。

 手を洗ってからジャージに着替える。もちろん携帯はソシャゲのアプデ処理して充電器に繋いでおくぜ。

 キッチンに向かうと、制服エプロンの妹が既に調理を開始している。


「今日の夕飯は?」

「酸辣湯麺」

「辛くて酸っぱいやつか……それ好きだな」

「甘い物も好きだよ?」

「なるほど、ただ食い意地がはってるだけ――痛い! 足踏んでるぞ!」

「わざとだよ?」


 妹からの虐待に耐えながら俺も手伝い始める。

 俺たちが幼い頃に父さんが死んでから、母さんはフルタイムで働くようになった。精神的にも疲れているだろうから、俺と舞は家事をできるだけ手伝うようにしている。

 朝食や弁当は母が作ってくれているが、夕食は大体俺たちで作る。


 母が帰って来たら三人で夕食になる。

 これがいつもの日常。


「お兄ちゃん久しぶりにピアノ弾いてよ」


 夕食後、舞は隙あらば俺に何かをさせようとする。

 昔はそのお陰で助かったが、今はもう自分の意思で行動できる。


「今日はソシャゲのアプデがあったから早くログインしたいんだよ」

「じゃあコンビニ行ってスルメ買って来て」

「話聞いてた? あとお前おっさんか」

「じゃあ私もクッキー買って来て貰おうかしら。気を付けて行っておいで」


 母も舞の味方らしい。


「まったく……釣りは貰うからな!」


 言いながら俺は千円札を受け取り、コンビニへ向かった。

 秋の夜は肌寒いが、澄んだ空気は結構好きだ。

 偶に思う。

 このままで良いのだろうか。

 俺は母や妹に支えられて今日まで生きて来た。

 学校では一人でいるつもりだったが、いつの間にか太一や空雅が側にいた。

 皆んなに心配されている。

 俺は大丈夫だと伝えたいが、何が大丈夫なのかわからない。

 こんな時は甘いものだ。

 コンビニに着いた俺はスルメとクッキー、それから自分の為にチョコレートと苺ミルクを買う。

 お菓子を食べながらやるゲームは最高だ。早く帰ろ。



「ただいマントヒヒが帰って来たぞー」


「あー、確かに似てるかも」


 玄関まで出迎えてくれた妹はまた失礼な事を言い出した。

 おい! とツッコもうとしたが、思わず息を呑んだ。


 家に入ろうと踏み出した左足だけが地面に触れている。

 だが重心はまだ右足に残っていた。

 その右足か確かに踏んでいた地面は、突然消失した。


「お兄ちゃん!?」


 こんなところに落とし穴掘ったの誰!? と思ったが、今起こってるのはそんな現実的なものではない。

 落ちる。

 確信と同時に視界が上を向き、俺は背中から穴に吸い込まれていく。


 妹の悲痛な声が耳に残って離れなかった.

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