より良い世界を目指して

 僕たちは1つの学習机を挟んで座っている。小説で見た景色を少しだけ再現できていた。そうか、と喜ばし気な声色でシンプルな固形物のパッケージが手渡される。


 いつも見ている無機質で、食べなくても味が想像できてしまう。顔に出さないようにゆっくりと袋を開けると、想定していたものと全く違うフルーティーな香りがあふれ出す。口に含んでみても水が欲しいようなぱさぱさした食感でない。保存物にあるまじき瑞々しさと果物感が食べるたびに感じられる。美味しいといいつつ食べきるまで、重原君は清々しい笑みで見つめていた。


 食べきったことを見計らって、ぽつぽつと語り始める。


「覚えている限り最初に描いた願望は彩り豊かな花弁だったと思う。両親がベランダで家庭菜園をしていたんだが相当な凝り性だった。虫に食われないように、果実の色合いや食感が均一になるように。調整していく中で不純物が混ざらないように細心の注意を払っていた。変化させないように果実にばかり工夫していて、その他の部分は一緒くたに扱って注目してこなかったんだろう。俺はそれが気になって仕方なかった」


 僕は共用世界と現実の環境の違いを良く知らない。けれど近所の人に協力してもらって野菜を作っている身である。次の世代の種を選んで植えてを繰り返す。作物の形を統一することの難しさをよく知っているつもりだ。コンパニオンプランツを植えても害虫に穴を開けられたり、念入りに耕しても埋まっていた小石を避けるために曲がりくねったりしてしまう。会心の出来の一本が台風で墜ちてしまったこともあった。


 できる限りを目指す。両親が目指した先は僕にとって身近で親近感を覚える。


「とはいえ味や形を変えてしまえば元も子もなくなる。だから作物のパラメータに影響を及ぼさず色彩を変化させる術を探った。電子図鑑で調べているうちに色々な手段を見つけた。例えばチューリップは先天的に花弁の色を確定させていて、球根からおおよその結末が見当づけられる。アジサイは土壌のpHに色素が反応することで濃淡などを後天的に調整できる。両親に頼んで部屋で実験してみたんだが、上手くいかなかった。RGBを変えられても統一されていることには変わらないからだ。結局試行錯誤の回数が大切だと気付かされた」


 重原君は当時も現在も人生を満喫しているように映った。伝えたい言葉があふれ出して、当時の心境を声色の違いで語ってくれる。もっと聞いていたい。徐々に専門的になっていく話に、前のめりになって何とか着いていこうとする。


「個体差とでも言うべきなのだろう。何度か試して観察してみると、同じデータの植物なはずなのに花が開くタイミングが違っていた。この乱数を活かす術が欲しい。観葉植物の中には色素の生成や分解によって色素を変えるものがあることを知った。2つを掛け合わせることで彩豊かな花畑の実現ができるのではないか。共用空間ではありがたいことに促成栽培が充実していて、チャンスは年に数回じゃなかった。味と花弁を両立するために何世代も繰り返して、2年間かけてやっと期待していたものが抽出できた。両親に自慢するとかつてないくらいに喜んでくれて、自由研究の大きな賞にも選出された」


 小学生の頃の話だと、重原君は過去の栄光を楽し気に語ってくれる。昔から色への想いが強かったことが仮想世界に映し出されているのだろう。学校の雰囲気に合わないバリエーション豊かな髪の毛や瞳の色を思い浮かべる。


 机の上に乗っかった白銀色の毛先をレンズで細々と観察していた。重原君の成果はこんなことの積み重ねなのだろうと想像してみる。輝いた空想の経路の続きは下がったトーンによって打ち切られた。


「なんでもやり遂げられる。もっと凄いことをしてみせよう。当時の俺は大衆の共通観念を理解していなかった」


心の過ちを思い出すかのように、ゆっくりと教えてくれた。聞かれたくないはずの人となりまで伝えてくれる。思いに答えたい。目元を柔らかく意識して、重原君を見つめ直した。


「学校の長廊下にベルトコンベアを設置することで移動教室の焦りから解放されるのではないか。昼休憩の放送原稿を自動入力にすれば悩む時間を削減できないか。保健室の使用状況を教員が適宜確認や応対できるようにすれば急な貧血の人に対応しやすくならないか。色々なことを思いついたままに実行してみせた」

「凄いじゃないですか。どうやれば解決するか思いつきません」


 小さなように嘆いている成果の数々は、全部誰かのためになると思えるようなものだった。相槌を打つと、「蓮は優しいな」と微かな声がこぼれた。


「『学校に開発は望まれていない』『子供の成長を邪魔している』『お前のせいで隆二の役割が奪われた』『その発想力は学業だけに活かせ』ある日、同級生の親に糾弾された。廊下を移動する時間を考えることで時間管理を考える機会が、放送原稿によって人に伝える文章を書く機会が、保健室の管理によって率先して人を助ける倫理を育む機会が失われる……発明は絶対みんなを救うと思っていたから、親の非難へ返す言葉がなかった」


 過去の重原君を見て僕は何て思うだろうか。凄い人、賢い人だと普通の自分から切り離していたかもしれない。差し伸べられなかった手を握って開いた。


「最初は凄いって褒めてくれた友人も、そのときを境に腫れ物を扱うような視線に変わった。持て囃してくれた先生も非難するような視線を向けるようになって、クラスで孤立した俺の中で怒りと悔しさが膨らんでいった」


 固形物の袋を破って、押し出したものを勢いよくかみ千切る。はずれを引いたようで苦々しい表情が写った。断面から伸びたチョコレート色の餅が個性の豊かさを尊重している。無味無臭の昼ご飯を思い出すと、ぜひ現実世界に持ち込みたい。話を折らないように唾液を飲み込んだ。


「課題が小さすぎた。もっと壮大なことをすれば認め直してくれる。だから方針を再設定して、時間を手に入れるために授業が必要ないくらい教科書を読みこんだ。空いた時間に専門的な技術を習熟して機会を探り続ける。数少ない友達も離れて、両親とも疎遠になっていく。けれどこれさえ成功すれば問題ないと信じていた」


 メモ代わりに使っていたタブレットを慣れた手つきで動かしていく。コマンドを10、20と打ち込んでいくと、警告色で塗り潰されたページが映し出された。

 あなたは共用空間の使用権限を剥奪されています。人間味のないフォントが残酷な真実を告げていた。


「いつ見ても変わらない、失敗の烙印だ」

 

 淡々と右上の×ボタンを押す。見たことのないアドレスでも重原君にとってはとても思い一ページであるようにみえた。

 でも僕にとって知らない上層部の感想なんてどうでもいい。机に乗り出して思ったことを正直にぶつける。


「僕は失敗だなんて思いません。小さい頃から一つの事に熱中して、計画を立てて理論まで導いた。時間がたくさんあっても授業に付いていくのが精いっぱい。家に帰ってもやることがなくて呆けている。最近になってようやく目標へ歩き出しました。だから本当に重原君は凄いと尊敬しています……それに、まだ夢は続いているはずですから」


 アバターに起きたバグをまとめている熱意を目の前で見てきた。1つ1つを見つめてデータを集めていく。暑いくらいの熱が視線に込められていて、今もなお途絶えていない。何語か分からないメモは図式によって整然とまとめられていて、後々確かめることを想定されている。僕たちがいなくなった後、改めて関係性を調べ直すのだろう。

 どれだけ強く当たればいいか分からない。顔と顔の距離が手のひら二つ分くらいに縮まっている。当たって砕けろ。加減を間違えたかもしれない、仮想の心拍音が大きく響く。息が吸いにくい。胸に手を当てる。

 視線の多くを埋める重原君の表情は、随分と驚いているようだった。

 胸に添えていた手が力強く掴まれた。熱が仮想現実を越えて届く。瞳の炎が一層強まったように感じられる。言の葉の加減が違っていたと分かって、腕くらいの距離まで姿勢を戻した。

 口角が上がって、芝居がかるくらい声は弾んでいるように映る。


「未知を調べつくしたいという思いより、人に伝えたい、届けたいという想いが勝ったのはどれだけぶりだろうか。ありがとう。今すぐに蓮に成果を見せたい。一緒に来てくれないか!」


 一分も断ることを予期していない、確信めいた言葉だった。虫さんだったら、先生だったら、先輩だったらどう答えていただろうか。


「ぜ、ぜひよろしくお願いします?」


 初めてのお誘いにたどたどしく応える。掴んだままの左手を引っ張って、一歩前に進み続ける。

 重原君の背中は迷いを断ち切ったように、大きく真っすぐと感じられた。

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