問題少女と天災青年
傷跡1つない白磁の扉は無機質な回廊に続いていた。側面から上部に至るまで、透明な壁の先には違った空間が散らばっている。風土の違った温帯の道、あるいは流氷が浮かぶ海、岩石群や吹雪に包まれた地平もある。薄そうな壁なのに押してみても全く動かず、どの壁も同じような感触だった。
世界を再現するつもりだったのだろうかと考えていると、それぞれの世界に黒の背と白の腹を持つ鳥が映った。真っすぐに立っているが、羽とくちばしがあるから鳥なはずだ。鳥にしては胴体が分厚く、硬そうな羽毛を有している不思議な奴。エリアごとに
「ここはペンギンエリアの予定だ。種類ごとに生息地を再現しようとした結果こうなった。質にはこだわいて、部屋に入れば現地と全く同じ季候を味わうことができる」
重原君の言葉を聞き、正体を思い出した。黒い背中を追っていると随分と過ごし方が違っていることが伝わってくる。暖かそうな土地では一列に移動しているのに対し、一番寒そうな吹雪の中では隙間なく密着していた。特段厳しそうな外郭の担当を他鳥に押し付けるように押し付ける様は、自然の厳しさを教えてくれる。
「あんな体格なのは水中で活躍しやすいように進化したからだといわれている。空気椅子しているような体勢のせいもあって陸上ではのろまだが、水中では見違えるぞ」
視線から気になっていたことを分かっていてくれたのか、はたまた機能を紹介したかったのか。楽し気に吹雪の空間の壁へコマンドを打ち込んでいく。映している場所が高速で動いていき、やがて陸地の果てに至った。先端に位置する鳥は流氷の塊が浮いている海へ、ためらいなく飛び込んでいく。彼らを追うように視点は水の中へ移り変わる。集団は時速数十キロの速さで魚群に突っ込み、小魚を一口で飲み込んだ。全てを頭から丸ごとにする、鮮やかな芸術であった。思わず拍手をしていると、英雄たちは陸地へ餌を届けに戻っていった。
「次のエリアは200メートル先を左折に……ってあいつ何してんだ」
ペンギンの回廊の道半ばに黒髪の少女がうつ伏せで倒れていた。背負っている鞄からハンマーの柄がはみ出し、彼女を小突いている。工具を持った右手は何かの文字を描こうとした跡が見られた。正体に気付くや否や、上靴が濡れるのを恐れず近寄る。
生物がしていい温度なのか、握った途端腕を鳥肌が駆け上がってくる。先輩の右手は雪玉よりも冷たかった。どうしてこんなことになったのか、もう片方の手で肩を叩くと、小さな声で返してくれた。
「誰……だったっけ…………そういえば、白石君、だよね」
淡々とした声だけど、無事に生きている。感慨に浸り切る前に勢いよく先輩が起き上がった。勢いを殺すことなく飛び掛かる。標的は重原君か。手を握ったままの僕ごと突っかかり、左手が重原君の胸に当たった。
「あそこまでもてあそばれたのは久しぶりだよ。なんてもん仕込んでるの、この天災児!」
表情は見えない。声を荒らげて肩を震わせて。相当怒っていることは間違いない。カウンセリング中至近距離に爆発を打ち込まれたエピソードを笑い話で済ませた先輩がこの怒りようである。重原君の仮想世界は先輩に何をしでかしたのだろうか。
重原君はどうなのだろうか。表情を見るために見上げると、眉毛が吊り上がっていた。
「厳重に封印していた機構がどうして働いているのか怪しんでいたが、やはりお前の仕業か、問題児。そもそも蓮に起こったバグもお前の所業によるものじゃないのか」
売り言葉に買い言葉。わずか3週間の付き合いでも次の先輩の言葉は容易に想像できた。先輩は面白そうだから、と絶対に自分の方に異常事態を持ってくる。
「そんなわけない。だったら私の方が良く分からない不定形になってると思うもの。あと専門家として見てもパッチの入れ過ぎが原因だから。勝手に人のせいにしないでくれる?」
ムカついている先輩の仕草は予想できなかった。言葉の端々に棘があって冷徹に刺してくる。今の僕にできることは沈黙だけじゃないか。心から送られた逃げの一言に乗り、中の席の奪い合いをするペンギンたちを見つめることとした。
「パッチの相互関係が原因なのは俺も認める。……。そもそもお前が踏んだ機構は立ち入り禁止に指定していたはずだ。……」
「……。バグが置くまで蔓延っていたんだよ。どれだけ放置してたんだか。……。修理部門には一定領域までの侵入が法律として認められてるの」
頑張れ頭頂部が薄いペンギンC、滑り込め腹が広いペンギンF。そこで羽が大きいAが乱入してきて、怠けていた毛が特に白いBが外に追い出される。一部しか見えないD、EによってBは引っ掛けられて中ほどで止まるかと思えば、わざわざ隙間を明けて外へ誘導する。
マスコットたちによる殺伐とした同族戦争を観戦する時間は、新しい感触によって唐突に終わった。
「そんなに言うなら君の意図を見せてもらおうじゃない!」
包んでいたままの左手は、先輩の柔らかい右手によってより強固に握られ。
「ああ、望むところだ」
新しい感触に包まれた右手は、重原君の硬い左手によって優しく握られ。
自然と真ん中に位置した僕を見ることなく歩き出す。1番歩幅が小さくなった僕に合わせてくれているのは伝わってくる。だが傍から見た光景は青春ではなく、連行された宇宙人に近いのだろう。当分続きそうなペンギンの争いを心に仕舞い、引っ張られないようについていった。
次のエリアに着くころには両手は自由となっていた。冷静となった2人だが、真ん中に僕を挟んでいることには変わりない。世代の違った近所のけんかしか見たことがなく、仲介しようとしても遮られてしまった。同年代のものであれば何かできたかもしれない。
水槽エリアと名付けられた空間は、水の中にある通路だった。僕たちは地面に座り、滑るようにして円柱状の道を進んでいく。全方位に見える魚は食い争うことなく不思議と共存している。かと思えば天から鳥が落ちてきて、魚群の1匹をあの世に持ち去っていった。
今度こそ反応してくれるか、と筒を叩いてみる。見つめ合っていたと思っていた大きな魚は僕に気付くことなく去っていった。
「蓮は反応してくれる方が好みらしいな。なら次から右、左、3つ目の交差点を右に移動するとするか」
滑っているだけなのに右に曲がれるのだろうか。滑り台の常識に反した動きで視界が回りだす。横に下にと2人の方角が変わる。先輩のつむじから浮いて生えた髪の毛が見えるほど回っていた。あんな毛あっただろうか。重力の方向を僕たちの髪の毛が引っ張って教えてくれる。
「水槽エリアでは考えた方に回転する仕組みになっている。実験台が俺しかいなかった手前その問題には気づかなかった。感謝する」
衣装や髪の毛がひっくり返っている現象に関心を持ったらしい。親指をこちらに向かって掲げていた。重原君と隣にいたくないからか、彼の視線を覆うようにして「早く戻ってきて」と不機嫌そうに先輩が続く。右に右にと意識していると元の角度に戻ってきていた。
「どうすれば天災児の先程の事象を観測できるか。動摩擦係数を下げるか、否安全性に配慮した設計に反する。同じ理由で角度を調整するのもよろしくない……思いついた、誰が最初にゴールに着くか勝負しよう」
「問題児にしては面白いこと考えるじゃん。その対決乗ったっ!」
「一言多い。負けるつもりはないが全力で来い」
さっき知った一房の毛がぴんと立つ。先輩にも瞳以外の異常事態があったらしい。ゴール地点も反則行為も決まっていない不確かな賭けに、先輩は乗ったらしい。両端の2人が構え、息を合わせたように速度を上げた。少年はひたすら最短距離になるように一直線な軌道を描き、少女は世界を楽しむかのように螺旋を描く。速度を上げる術を知らず、後ろからゆっくりと滑る僕には互角の勝負に映った。
10秒もせずに2人は視界の果てに行ってしまう。果たして次はどっちに曲がるんだっただろうか。支給されて携帯しているタブレットもバグの影響で頼ることができない。途方に暮れていると特徴的な赤色の小魚が水槽の向こうに現れた。数百匹の魚の群れが不格好な矢印マークを作っている。重原君は迷う人のことも予測していたのか。前方に進むように意識すると加速した。景色が少し狭くなり、後ろ髪が風で自然と浮き上がる。でも赤色の矢印は消えない。待たせると悪い、彼らに感謝しつつできる限りの速度で駆け下りた。
滑り台の先は海の中だった。流れるままに水面に当たり飛沫を立てる。慣性を殺すことなく水中に潜ってしまった。思わず目をつむるが、目に水が入る不快感や息が吸えない苦痛がやってこない。恐る恐る開いた世界は、映像の先でしか見たことのない景色で。サンゴ礁の隙間に隠れるようにして水生生物が住まい、数十センチの大きな魚が目前を動く。今度こそ碧眼と碧眼があった。伸ばした僕の腕から逃げるように大きな弧を描いて通り過ぎていく。
2人を探して深く潜る。水圧によって押し当てられる力が強まり、下からの浮力が感じられた。でも不快な冷たさも、暗くなる視界も、耳鳴りの恐怖もない。重原君によって現実味と娯楽を両立するよう仕組まれてたのだろう。首筋に手を伸ばすと白銀の髪由来のさらさらとした感触が得られた。
果たして彼らは海底付近を泳ぎ回っている。僕が来たことに気付いていないのか、鋭い視線で獲物を狩っていた。ふよふよと頑張って泳いでいる膨らんだ魚と目が合った。流線型の群れの中で孤独な体格と、虎柄を白黒にしたような目につく背中。自分を外から見るとこんな感じに映っているのだろうか、一方的な同情がふと湧いてくた。何とかして追いつかせようと、手で波を作って背中を押し出してみる。
大きな双子岩を回るように無限大の軌道を描いてしまっている間、2人の頭上を通り過ぎた。
「今度こそ……また規定以下か」
重原君は岩肌の隙間を覗き、何もいなさそうなところにあたりを付ける。小道具で穿つと貝が水中に舞った。凹の字型の装置で大きさを計っていき、すり抜けたものを丁寧に仕舞いなおした結果、誰もいなくなってしまった。
「中々やるね、でも得物の餌食にしてみせるよ」
先輩は銛を構えて宇宙人のような生命体と対峙していた。突き出した口と吸盤が付いた8本脚の生物。ノーモーションの突き刺しへ墨で応戦する。外したことに気付いた先輩が追うも、奴の方が明らかに速かった。
僕も何か捕まえていくべきなのかもれない。仮称虎魚と別れて双子岩の片方をにらむ。3センチくらいの小さくて丸っこいカニがいた。片手で掴んでみると滑らかな表面をしている。小柄だけど煮れば食べられるだろうか、思案していると目の前に突然現れた画面が警告を示した。画面を指でスクロールして説明を流し読む。
『毒性としてテトロドトキシンにゴニオトキシン、ネオサキシトキシン、サキシトキシンなどが含まれる。ゴニオトキシン以下三種は麻痺性貝毒の原因として知られ、植物プランクトンの一種である渦鞭毛藻から産生される。食物連鎖による濃縮によって二枚貝類の自然毒食中毒の原因となった。種類の多さと足一本から大人を殺める殺意の高さから、見た目に反して多大なる注意が必要』
何とかトキシンの名前の羅列から、毒があることだけは伝わってきた。絶対に持ち帰ってはならない。思い切り海中に投げた。
再び出てきた赤い魚の指示に従って、砂浜に辿り着いた。掬ってみるとかつて生きていた証が映る。いわゆる星の砂というものなのだろう。砂を踏み込む感触を味わっていると、不機嫌そうにバーベキューの機材を整えている2人に気付かれたらしい。猛烈に手を振って歓迎する姿は救助隊への反応を思わせた。のこのこと近づくと、間に位置する席へ座るよう促される。
「こいつと二人きりだと本当に辛いから早急に来てくれて良かった」
重原君によって海鮮が乗った皿が膝に置かれた。程よく焼かれて醤油のかけられた貝からは湯気が踊っていて、皿からほんのりと温かさが伝わってくる。
「引き分け続きで決着が着かなくって。2人とも疲れてバーベキュー体験をしてるの」
先輩からはノンアルコールのカクテルが送られてきた。赤色から空色にグラデーションのかかった色合いをしていて、水滴が海と違った冷たさを想起させる。
海鮮の串とドリンクをそれぞれ口に含む。見た段階で予想していた。どちらも美味しく仕上がっている。とたん両方から向けられる視線。何に期待しているのか。
「両方美味しいです。夕ご飯が液体栄養食だと考えると絶望に暮れるくらい」
僕の一言は重なった嘆息で返された。褒め言葉としては間違っていない自信があったのに微妙な反応。海面のテクスチャのリアリティがどうとか、エンターテインメントのために痛覚の遮断は云々。専門的な用語が入り混じっていて理解が追いつかない。できることとして、仕上がっていた焼き野菜をまとめ、2人の目の前に置いておく。近所さんに教えられたタイミングは間違っていないはずだ。
「助かった」「ありがとう」
無事に止まった口げんかと僕に向けられた微笑みが、僕の自信を支えてくれた。
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