あなたの好きなように

「最初にNPCという仮説は否定する。似た髪色の少女のはいてもその姿になるようなデータはパッチで入れていない。次に偶然であるならば既存のパラメータが混ざる筈だ。最後にその姿と名前は適当なんてもんじゃない。…………出来過ぎている、非常に興味深い現象だ! 後生の願いだから観察させてくれないか?」


 声色がふざけていないことを教えてくれる。けれど驚いて反応してしまった。

突然の提案だけれども、解決するためであれば仮想世界の彼女も許してくれるに違いない。両腕をT字に開いて承諾の意を伝えた。


「おそらく俺の聞き違いだよな。俺は既知で満ちている仮想世界で発生した想定外の未知に惹かれている。パッチを無断で他人に適応することは法律で罰せられる。それだからこそ、如何にしてプロテクトを越えて適応していくかが効率化の追求において肝要なのだ。見立てが正しければお嬢さんは別の容姿になることを切望していないらしいし、俺は君の顔に心当たりがある。仮想世界の何かしらと共通点が合ったに違いない。どうして発生したのか、再現性はあるのか、確率は如何程か。考えれば考えるほど心の底から疑問が湧き上がってくる。こんなに恋焦がれることは何時ぶりだろうか。今を逃せば次に貴重な機会がやってくる気がしない。人類の発展の基盤とするために君のデータが欲しいんだ」


 青年の身体がせわしなく鼓動する。テンションが高揚して眼が光り輝く。虫さんも青年も目標に対して一直線で煌びやかにみえる。何事にも手を出そうとする先輩にも突き進みたい願いはあるのだろうか。


「あなたの好きなように調査してくださって構いません」


 その人の願いは一番素性をしていているように思えてならない。僕が過去の文庫が描いた友達像を理想としているのは、血がつながっているだけの人や同年代と隔絶された孤独感が原因じゃないかと考える。

 青年の側から願いを明かしてくれる。

『どんな人が分かれば良し、悩みが分かればもっと助かるかな』

 先輩の言葉を体現する好機だった。


 教室の中が静寂に包まれる。グラウンドの端で声を挙げている運動部の人の声が気になった。青年はこちらに寄ってこず、後ろの方に置かれていた机と椅子を持ち出して並べる。引きずる音が静まった教室に響いた。


「君の名にかけてデータを役立てることを誓う。そしてこの借りは必ず返す。俺はずっとここにいるから、もしアバターの変化以外の理由で悩み事があったら気軽に相談してくれ」


 青年は一筋の影を打ち消すくらい晴れやかな表情を見せた。一コマも逃すまいと感じられるほどの気迫で近寄ってくる。額が青年の喉仏とぶつかりそう。喉元を触ってみると体の違いがよく伝わってくる。

 タブレットをメモ代わりにして、僕の周りを観察し始めた。僕もまた普段受けている教室との違いを目線で探る。

 黒板に使われた跡が残ってるけど、5年前に壁に出来ていた傷が同じように残っている。窓から見える景色は活気づいていることを除けば、見たことのあるものだった。やはり僕はここを知っている。

 集中する2人を受け入れるように、外からの音はかき消えていた。


 紺色のスカートの肌触りを確認し、『min_ski_223a70_6e3』とアルファベットと数字を複雑に組み合わせた文字列を記録していく。青年は裏地も覗き細かいタイプの違いまで気にしていた。

 互いの名を告げるだけの簡単な自己紹介が交わされる。靴下の品種を観察していたり、股の下から天を向いて寝ころんでみたり。床の汚れを気にしない程の猛進ぶりは先輩たちを思い起こさせる。


 観察し始めて数分、観察に一区切りついたのか青年がぽつりとつぶやいた。


「そういえば名前を聞いていなかった。俺は重原樹だ」

「蓮の花の方の白石蓮といいます。普段仮想世界で何をして過ごしているんですか?」

 

 同年代の同性と話す貴重な機会なのだ。情報のためにももう一歩踏み込みたい。

 立ち上がって端末に記録している重原君に質問してみる。


「新作のパッチが好きで、配布されるたびにレビュー記事を書いている。意外性や安全性、その他諸々の評価は案外好評で金銭を循環させることに成功していてな」

「経済的に自立しているなんて凄いじゃないですか。最近入れたもので何が思い出に残っていますか」

「海中の現実性を上げるパッチだな。空気の泡だったり砂埃や墨といった粉塵だったりが、横波によって軌道が変わるようになった。パラメータが増えたのに容量が増えないことに驚かされ高評価で投稿したな。とはいえ今の興味深さと比べれば些細な感動といえてしまう」


 飛んでいたホコリを落とそうと互いの制服を叩くと、男女の服の触り心地の違いを実感させられた。

 きっと最終的に人のためになるのだろう。理解が追いつかないけれど、自分の得意を活かして生きていることが伝わってくる。さすが、すごい、そうなんだ。相槌を打ち続けていると、重原君がデータを整理している手を止めてうつむいてしまった。

 耳たぶが赤くなっていて僕の方まで恥ずかしくなってきてしまう。用意してくれた椅子に座ると、重原君も向かいの席に着く。髪も調査したいと言われたので、白色の髪の毛を机の上に乗せる。腰くらいの長さのおかげで、手を伸ばすだけで重原君が触ることができた。

 右手で端末を操作して、左手で髪の毛を手に取る。ときどき引っ張られて、むずがゆい感触が頭をよぎる。胸ポケットからポリ袋を取り出して、触っている間に抜けてしまった髪の毛をチャックで封じ込めた。


「そうだ、この後で水族館に案内してもいいか? 面白いパッチを組み合わせることで、気候を体験したうえで触れ合えるという理想の水族館を追求している。修理部門の人が来訪するたびに紹介しているんだが、中々訪れてくれないんだ。とにかく他人の感想が不足しているんだ」


 重原君は手のひらで机を叩いて自慢げに豪語する。水族館には生まれて一度も行ったことがなかった。川辺で小さな魚を見ることはあっても、海は本の向こうの世界に過ぎない。あれほどの熱量なのだ。パッチを通すことで数多くの水族館を見てきたに違いない。その中で至高だというものを見たかった。

 どうして学校に水族館を作りたくなったのか。修理部門としての仕事と僕の興味が重なった。


「外の海を見たことのない人で良ければお願いします。……どうして重原君は学校を模した仮想世界に水族館を作ろうと思ったんですか?」

「経歴まで話すと随分長くなるんだが……バグの根絶状況は問題ない、か。蓮のパートナーとやらはずいぶんと優秀なようだな。分かった、実験成果を踏まえながら説明させてもらう」


 先輩の状況を重原君のタブレット越しにみつめる。教室を利用した小さな水槽が並んだ部屋。それぞれの水槽に小さな海生生物が保管されていて、外敵から隔離されていた。部屋の隅に歪みを見つけると、いつもの得物で叩いて崩す。足手まといがいないだけあって順調な作業のようにみえる。

 

 通知を確認することなく、重原君は教室奥の棚へ何かを取りに立ち上がった。

 先輩を見る重原君の視線が、嫌なくらいに尖っていた。

 

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