鏡合わせの変化【世界突入開始】

 薄く茜がかった青空の下で少年少女がグラウンドを駆けまわる。別館の一室では窓に向かって金管楽器を揃えて鳴らし、別の部屋では模型に向かってキャンパスへ筆を走らせる。カメラを構えている人や小型の車体を走らせている人もいた。どうしてか見慣れた校庭なのに、学校とはこうも活気づいたものだったのかと思わされる。


 依頼者が描いた過去の風景の一つかと思ったけど、日本人らしからぬ色彩が違うと告げていた。赤、緑、青、金、銀。折り紙の色よりも個性的で、鮮やかな髪が動き回る。彼らが仮想世界の住民じゃないのであれば、心は宿っていないことになる。けれどわずかに聞こえてくる話し声に感情が伴っていた。


 窓を通して廊下へ涼しい風が吹く。白銀の毛の束が視線をよぎった。現れた束は背後に隠れて、頭から引っ張られるようなかゆみが伝わってくる。束の先端に触れても、原因のものは見つからない。

 ならば後ろかと振り向くと、紅色の瞳をきらめかせた先輩が銀の束をしきりに触っていた。


「おおう……すんごくさらさら。こんなの、共用空間の技術をもってしても中々なしえないよ! どんなケアをすればこんなことになるんだろう」


 束の中に指を突っ込んでみたり、先端の数本を取り出してみたり。背が高くなった先輩が感嘆の声を漏らしている。見上げなくても興味津々な様子が伝わってきた。


「私はほとんどいつも通りなのにずるい。白石君が相当もっているってことなのかな」


 ポケットから端末を取り出して、先輩は不満そうな表情をからかうような笑顔に切り替える。いくつか操作してから僕へ差し出してきた。


 先輩の画面にいたのはおとぎ話に出てきそうな空想の人物だ。白磁のように滑らかな肌に、大きくて鮮やかな碧眼が目に映る。珍しいのは日本人離れした顔立ちだけじゃない。地毛との境目が見えない白銀の髪は腰ほどにまで達していて、焦げ茶のカーディガンとよく似合っている。

 1つだけ、先輩と同じ女子高生の制服を着ていることが気になった。


 先輩は写真を見せて何がしたかったのだろうか。首をかしげると、少女も同じように傾ける。手を差し出すと画面越しに手のひらが重なった。くるくると右の人差し指を回すと、少女の左指が円を描く。


 左側の項目を触っていると左へ碧の瞳が動いて、アプリケーションの一覧を出そうと下側をのぞくと、少女が小さくお辞儀をした。これがミステリーアートというものなのだろうか、何とか出し抜こうとしても何故か着いてくる。

 画面から目を離すと、笑いを殺そうとしている先輩と目が合った。向こうの世界の少女の眉が少し上がる。


「だ、だって白石君が面白いんだもん。……って端末の電源を落とそうとするのは止めて! 依頼者の位置の把握や管理部門の連絡といった他の用途もあるんだから」


 不機嫌そうな表情でも、少女から優しく儚げな印象は変わらない。ここで格闘していても無駄に時間を使ってしまう。電源を落とそうとすると、先輩に手首を包まれた。僕の手首は小さな手のひらで囲われるほど細かっただろうか。趣味の農作業で焼けた肌が白くなっていた。


 単純な問題なような気がするのに、根本的な所が答えを出すことを妨げているような気分。手首を通しても先輩の震えが伝わってきた。少女の眉間がより傾く。


「そろそろ限界、もう噴き出して笑い転げたって許されるんじゃないかぁ。…………落ち着いて聞いて。これがやけくそになった人がする可能性のあることなの。常識外れも、倫理違反も何でもありなんだよ!」


 先輩は息が切れるまで笑い続けてから、ようやく息を整えだした。何とか落ち着いたようで諭すような声色で告げてくる。答えをせかすように首肯すると何かが揺れる感触とともに銀の糸がちらついた。

 先輩は借りた端末を手に取って、角度を変える。紅色の瞳の少女と碧色の瞳の少女が画面に映った。紅の少女は随分と楽しそうな笑顔で、碧の起こっている現象に困惑した表情。


「どうして少女しか映らないんですか?」

「見たまんまを受け入れよう。現実じゃないからやろうと思えばこれくらいはできるんだよ」


 可愛げのある声で、僕たちは同時に先輩へ疑問を投げる。廊下には1つの声しか響かない。視界を下に持っていくと、焦げ茶のカーディガンを来ていて、長くて密着性の高い靴下が膝ほどに伸びていた。支給品の鞄は亡くなって、代わりに文房具などが入った直方体の鞄が近くに落ちている。

 今まで訪れた経験の中で特に印象に残るのは間違いない。もうひとつの現実に気付くと、質問が山ほど思いつく。


「私の方ももっと分かりやすい変化だったら、感覚の違いについて語り合えたのに」


 先輩は現実と変わらない方ほどの長さの黒髪をいじる。奇妙な現象に慣れているから出てくる文句だった。

 

 仮想世界は可能性に満ちている。僕は今日も新しいことを学んだ。



「なんとなく原理は分かっても理解できません。渡された鞄が無くなっちゃいましたけど、どうしましょうか?」

「白石君の意識だけこの世界のNPCに連動させているんだと思う。だから鞄は無くなったんじゃなくて、修理部門の端末から仮想世界に持ってこれていない。現実に影響はないから、今を受け入れて楽しもう! それでこの後なんだけど、私がバグの起こっている場所に向かってくるから、白石君は患者とコンタクトをとって欲しいな。どんな人が分かればOK、悩みが分かればもっと助かるかな」


 先輩は冷静に鞄から得物のハンマーを取り出して、くるくると柄を回す。これくらいの異常は想定内とばかりに方針を定めていく。透き通った紅の瞳で見つめてやるべきことを託された。

 分かりましたと言う間もなく廊下を駆け出す。時間制限があることを忘れていた。


 少しでも早く接触しようと動き出す。体の持ち主に謝って、鞄へ腕を入れる。手鏡や櫛が入っていた小物入れや、シンプルな文房具が2人分入っている筆箱。電子ロックを解除するための学生証には、この少女のプロフィールと『白樫 向日葵』という名前が刻まれている。猫のストラップのついた家の鍵や自転車のの束を隅に避けて候補を絞っていく。黒色の財布入れの隣にようやく端末は見つかった。

 その人しか通さないはずの認証は何事もないように通ってしまう。個人情報を見ないように、最短距離で指定のアプリケーションを起動した。無事に動くことに安心して息がこぼれる。髪の毛の先が動いて、聞き馴染みのないかすれ声が耳に伝わった。


 仮想世界のマップは僕の学校を模しているもので、10年以上の知識が活かせそうだった。ここから依頼者までのルートは簡単に思い描ける。目的地は奇しくも毎日通っている教室の位置と同じだった。


 小さな見た目ながらも運動はしているらしい。一段飛ばしで階段を昇って行って、息を切らせることなく4階まで移動できた。ノックをしてからゆっくりと扉をスライドさせる。

 日頃は無人の教室の真ん中で、青年が仁王立ちをして待ち構えていた。


「君が今回やってきた修理部門の片割れか。ここまで来ることを待っていた」


 170後半はあろう引き締まった肉体に、長方形のレンズの眼鏡をかけている。

 僕の風貌に細目を見開いて、動揺を隠すように端末を手に取る。手慣れた動きで端末を動かす様は体育会というより秀才という印象を受けた。


「バグは先輩が対処しています。あなたに尋ねたいことがあるのですがいいでしょうか」


 青年は端末を開いてうなずく。端末は僕たちが使っているものと同じようにマップを映し出す。青の点が小さなドクロを通り過ぎて、爆破させた。


「随分と手際が良いな。人の出入りが激しい修理部門にしては珍しい」


 何度か依頼を受けているのか、組織を知っているような物言いである。端末から視線を外して僕を見つめる青年へ問う。先輩は大丈夫だと言ってもやはり心配だった。


「実はこの仮想世界に入って全く姿が違う人物になっていまして。先輩が言うにはこの子はNPCの一人らしいのですが、原因や解決策に心当たりがありませんか?」


 鈴の音のような高音が冷静さを欠いてまくしたてる。鼓動の音がやけに大きい。

 青年は驚くように目を見開いた。現実として五感の違いを体感してしまっている僕でも意味が分かっていないのだ。青年にとって信じられるのだろうか。根拠を出そうにも手元に証拠がなかった。


 青年の視線が何度も動いてから、意を決したかのように切り出される。


「最初にNPCという仮説は否定する。似た髪色の少女のはいてもその姿になるようなデータはパッチで入れていない。次に偶然であるならば既存のパラメータが混ざる筈だ。最後にその姿と名前は適当なんてもんじゃない。…………出来過ぎている、非常に興味深い現象だ! 後生の願いだから観察させてくれないか?」

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