新たな感触【世界突入回】

 眼前に天を妨げるような巨大な直方体が連なっていた。たくさんの窓が各階に規則よく付けられている。どれも似たような形をしていて特徴が少なかった。当たり前のようにあった地面の土はアスファルトに埋もれて、季節感を醸し出していた雑木は見当たらない。人やロボットは道にいなかった。代わりに主役は自分とばかりに個性的な色合いの車が道の中心を走り去る。既視感があって探っていく。教科書に載っていた21世紀前半の都会の景色だと思いついた。非周期的にせわしなく流れていく光景は新鮮で惹かれる。故に中の人っぽい影の余裕のなさも感じとれてしまった。


「人によっては懐かしい景色らしいんだけど、私たちにとっては新鮮に映るって不思議だよね……もしかしてお気に召さなかった?」


 僕の表情に落胆の気持ちが見えたのか、先輩が謝ってきた。正直に感想を伝えると、なら良かった、と表情を取り戻す。

 そういえば先輩はヘルメットを付けていなかった。頭を触ると髪の毛の柔らかい感触が伝わる。付けているのに触れない。不思議な感覚だった。進んでいく先輩は膝くらいまでありそうなほど大きなリュックサックを背負っている。僕は何も持っていない。

 曲がったタイミングで金属がぶつかる音が鳴って、すぐに車が通る音でかき消された。


「リュックサックには何が入っているんですか?」

「目的地に着いてからのお楽しみ。けど珍しい光景になることは私が保障するよ」

 素朴な疑問はにこりと笑ってはぐらかされた。


 直方体と直方体の間を潜って進む。やがて高さが縮んでありふれたマンション街へ出た。けれど僕がときおり見ている廃墟のような光景と違って、生活感が垣間見える。ベランダには洗濯物が干されて、住んでいる年代が察せられてしまう。家庭菜園の植物が飛び出して、夏から秋だと季節を告げていた。外に集められているごみ袋にはハシブトガラスが穴を開けて、脂っこいものがないか探している。車の数もずいぶんと減った。


「どんな世界が思い出に残っていますか?」

 声が潰されないタイミングを見計らって雑談を切り出す。先輩は速度を緩めて思いつくままに応えてくれる。


「私の好みだと少しだけ物騒になっちゃうけど……自由に空を駆けて銃弾の雨をかいくぐったり、飛び交う魔法や剣戟を潜り抜けたり、ゲームの中に閉じ込められたゲームの中でモンスターと闘ったり、終わらない戦争を区切るための革命を助けたり。ブリザードが止まない未開の地点に旗を立てるレースをしたこともあったよ」

「本当に少しだけなんでしょうか」


 過激な思い出が並べられていく。嬉々として指を折っている姿からはからかう意思を感じない。果たしてどれだけの死線を越えてきたのか。純真そうな瞳の奥に見えている景色は同じものか、少し心配になる。

 僕の恐れに気付いていないのか、先輩はさらに掘り進めていった。


「ここ数ヶ月で一番驚いたのは10代半ばの少年の仮想世界かな。王道RPGに即した物語を舞台にしていたらしくて、横幅200メートルほど、1万人以上の亜人軍隊が国を襲ってきたんだよ。それに対して勇者が10秒ほどかけて呪文を唱えると、大地ごと吹っ飛ばして撃退するっていう筋書きらしかったの。でも患者の心の乱れからマナの集中技術が壊れていたらしくて暴発と破壊がループしていて、轟音が街に鳴り響いて。どうやって余波を躱すか、考えて確かめていたときはドキドキしたな」


笑い声が混じって教えてくれた光景は求めていた平和じゃない。ドキドキも興奮というよりも命の危機で、小市民が楽しむべきものでは決してなかった。

 学生向けの仕事とは。ステップをして語れるくらいメンタルが求められるのではなかろうか。虫さんや先生へ一言申したい。

 他の例えをいくつか挙げて、ようやく冷静になってくれた。

 バックステップで僕に近づいて隣に着地する。額の汗が空を飛ぶ。


「ちょっと過激な例ばかり出しちゃったから、3点認識を直しておかなきゃね。まず危険な仮想世界はそうそうないよ。みんなの願いが元だからバリエーションはすんごく豊かだけどね。今日来たところは過去の都市と街角を再現したものなんだけど、さっき出したような現実にはあり得ないファンタジーな世界もできてしまう。度合いも全然違うし、何を修理部門に求めているのかもバラバラ。なんたって修理部門の最大の魅力は色々な世界を直に体験できることだもん。だから君が好きになる世界もいずれ見つかるよ」


 先輩は人差し指を空へ立てる。両手を開いて僕の方へ体を向けた。

訪れた世界をもう一度見渡してみる。煙草の吸殻や流れてきたビニール袋、壊された鳥の巣に流れる車由来の匂いと音。装置が徘徊して処理してくれている物が路上に残っていて、何もないと思っていた部分にも人が生きている証があった。


「その反応であれば、何個かあった候補からここを選んで正解だったかも。次は訂正っていうか補足だけど。修理部門の隊員って仮想世界じゃ死なないようにプロテクトが施されてるの。胸を刺されて、服ごと燃やされて、腕を折られて。ぼっこぼこにされることもあるけど、現実世界に影響は出ることはない。患者の許可がある限りいくらでもリスポーンはできるからね! 私の最高リスポーン記録は173回……あのときは最後の方になると患者の目が死んでって心苦しかったよ。でも最期はハイタッチで別れられたからいい思い出だね!」


 中指を伸ばしてピースサインを描く。先輩の背筋はピンと伸びていた。

 たとえ現実世界に影響はなくても失った気分にはなるだろう。人生でそう体感しない感覚に先輩は精通しているらしく、補足の言葉には重みがあった。

 おそらく173回の喪失に僕は耐えられない。次の選択を探り始めようとする心へ待ったがかけられた。


「茜ちゃんの苦労人気質と私の冒険心が招いたことで、危険な仮想世界に巻き込まれることはそうそうないからね。普通はバグが襲ってくることもなければ、空から重量物が落ちてくることもない。100個の依頼に2、3個あるかなってくらいだよ」


 薬指を真っすぐ立てて自然と微笑む。上に視線を向けたから僕も合わせる。白い雲の上を飛行機が流れていった。

 右に左に確認して、先輩は端末を動かし始めた。


「ごめん、一本前の道を曲がらないと相当な大回りになるっぽい。急いで戻るよ」


 恥ずかしそうな小さな声で、4つ目の間違い直しがなされる。

 もしこの部門を選ぶのならばしばらくは彼女の隣になるはずだ。ハチャメチャな先輩に明日以降も背中を見ていられるだろうか。

 重たそうな荷物を背負っているとは思えないダッシュで先輩は進む。手ぶらな僕は何とか追いかけていった。


 ところどころ塗装が剥がれてしまった鉄棒が2つと、鎖と座席を繋ぐ部分が錆びてしまったブランコが2つ。木製のベンチの端っこは腐ってささくれが付きそうな状態となっている。風で揺られた鎖と鎖が絡んで不快な音を鳴らす。


「本当に公園なんだろうか」

 先輩が指した目的地への第一印象が口を滑る。

 遊具が置かれたスペースは七階建てのマンションと10階建てのマンションに挟まれていた。看板によると看板によるとカラタチ公園と名付けられているが狭すぎる。近所の爺さんに連れられた場所とは全く違っていた。

 特に印象に残るのは、中央を陣取った幾何学的なまでに棘を生やしてしている樹木だ。根元まで棘だらけで子供の安全性がなっていない。桜の樹だったとしても宴会が出来なさそうなほど小さな空間なのに、余計近寄る気を無くしてしまう。

安全面を感じられないデザインだ。たとえ桜の木が並んでいても、足の踏み場も屋台の置き場もなく過ぎ去られてしまいそうなのに。より一層近づかせる意欲を失わせていた。


「街の中の公園だから。どれだけ小さくても緑が見られれば良いって考えたんだろうね」

「現実に帰ってこれば良いのではないでしょうか」

「患者にとってここは思い出の地なんだよ、きっと。あと田舎を不便だって感じてるのかもしれないしね」


 現実に残った物好きが手入れを欠かさないおかげで、公園は広々と整備されている。桜並木も銀杏・紅葉も見られるのに、それでもこの場所を選ぶ。考え方もずいぶん違っていた。

 僕にとって田舎と対極の都会は近所の人から聞いた伝聞でしかない。緑よりも灰色が多くて自然なんて名ばかりの管理されたものが並べられている。祖父に文句を言ったら『スモッグがないだけお前たちの世代は恵まれている』と返されたと愚痴られた。

 他にも高配の方々は色々な都会を教えてくれた。歩道の主役は人間で、今のようなロボットは希少種で注目の的で憧れだったこと。高性能なロボットのペットが欲しいと駄々をこねたら、クリスマスに本物の犬を送られて複雑な心境になったこと。夜遅くまで街の全面で明かりが点いていて、夜景といえば高い所から地上を見ることだったこと。一面の星空を見るために兄妹で旅行に行ったこと。

 現実離れしたエピソードを押さない僕はおとぎ話のように聞き流していた。当時の田舎からここに引っ越してきたとき依頼主はどう感じたのか。思いが描いた仮想世界を通して目の当たりにすると、全部本当の事だったと気付かされる。


 上を見て空想にふけっていると後ろから右肩を握られた。思わず振り返ると、先輩の頬が膨れている。右手で上半身くらいのサイズのハンマーが支えられていた。


「何回か声をかけても反応してくれなかったんだもの。面白い現象を見せてあげようって準備してたら、あらぬ方に視線を向けてくるくる回ってたんだよ。バグに巻き込まれたんじゃないかって心配してたけど、その様子だったら大丈夫かな」


 軽い掛声と共に空に向けてハンマーを振ってみせる。背負っていた鞄が開いたままで、何かが落ちそうになるのを慌てて受け止めていた。


「これで叩くことによってバグを修復するんだよ。ちゃんとドライバーとかペンチとかも入ってるんだ」


受け止めた工具箱をそのまま鞄から取り出した。ホームセンターに陳列していそうなデザインの工具が並んでいる。唯一ハンマーだけが常識外れの大きさをしていた。


「どうしてそんなにハンマーだけ大きいんですか?」


 人を潰せそうなサイズに向けて個人的な質問を投げかけた。

 自慢げに胸を張ってもうまく言葉が出てこなかったらしい。ろくろを回すような腕の動きをして文章を紡いでいく。


「すごく簡単に言えばそれだけ修正データを詰め込んでいるから。空間が歪んでいたり、黒いもやのようになっていたり、意味不明な挙動を始めたり、あからさまに壊れそうなほどぼろぼろだったり……とにかく、そんな感じのバグを叩けば直せるの」


 そういえば空想にふけっているときにちょっとした異常があった。景色の先が捻じれて、透明な螺旋を描いたような見た目のものが見えたのだ。


「バグって例えばあそこのようなものでしょうか?」

「どこ、どこ。それだよ! あの位置であれば飛ばなくても届くかな」


 指で指した方に先輩が注目すると声が高鳴った。バグと言うよりも歪みと説明するようなもの。先輩は勢いよくバグに向けてハンマーを振り下ろす。最初は拮抗していた歪みも次第に力を失って、割れるような音で弾け飛んだ。



 目の前の景色が急激に移り変わっていく。遊具の塗装が補修されて、ベンチに防腐処理が施されていた。シンボルの樹は子供の手が届く位置の棘が取られていて、小さいながらも配慮の行き届いた公園へと見違えていた。

 驚くべき光景の違いに感嘆の息が零れる。


「今回は老朽化を直すためのお手入れを依頼されていたの。1つ1つ原因を潰していってもいいんだけど、大本の原因を叩いた方が何倍も速く済むよね。見つけてくれて助かったよ」


 先輩は鞄を地面に下ろして、得物のハンマーを片付けていた。得物で遊具や樹木を叩いていく光景を思い浮かべる。シュールさと衝撃は間違いないだろう。


「地味な作業でちょっと手間取るから、暇つぶしにどうぞ。しばらく覚えなくてもいいようなものだから。じゃあ行ってくるね」


 先輩の前言に納得していると、ポケットから1冊のハンドブックを取り出して手渡された。『大人からやり直す 逆上がりのいろは』と名付けられた10ページくらいの冊子である。どうしてそんな本がリュックサックに入っていたのか、足早に木陰に行ってしまった先輩に聞いてみたい。

 せっかく鉄棒があったので逆上がりに挑戦してみる。数年ぶりだと案外足が上がらない。

 悔しいのでハンドブックのアドバイスを読んでもう一回。片足を後ろに引いて体重をかけ、後足を勢いよく振り上げる。そうすると視界が綺麗に1周した。

久しぶりにできたことに内心喜んでいると、背後からぱちぱちと拍手が響く。


「満足するまでやってから帰る?」

 何回か回ってみて体が慣れたことを実感した。先輩もリュックサックを置いて挑戦すると一発で足が上がる。

「流石です。ハンドブックがあって助かりました。お返しします」

「これが練習の成果ってやつだよ!」


 地上に降りてからポケットに入れていたハンドブックを手渡す。鉄棒を掴んだまま器用に取って脇に挟んで飛び降りる。そういえば聞き忘れてた、と呟いて先輩はリュックサックを背負い直した。


「白石君にとって最初の仮想世界はどう映ったかな?」

 驚きと満足感に満ちあふれている。そんな僕の回答に満足したのか、先輩は上機嫌でログアウトの申請をしていた。

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