手を引っ張って

「茜ちゃん久しぶり! 元気にしてた? 連日のように徹夜してたり、3食を栄養ドリンクだけで済ませてたりしないよね。……もしかしなくても、お客さん?」

 少女はノックをせず明るい声色で矢継ぎ早に質問しながら飛び込んできた。瞳はぱっちりと開いていて、黒の髪は肩にかかるくらいの長さ。最近では廃れた制服を珍しく着こなして、手入れされた紺色のカバンを右肩にかけている。柑橘類系の制汗剤の臭いと癖なくまとまった見た目は、虫さんと同じような体格ながら大きく違った雰囲気だった。

 僕に気付くと同年代の少女は上がりに上がったトーンを落とした。先生に近づこうとする足を止めて直立している。書類が入ったファイルを抱えて、奥の方から先生が戻ってくる。突然の来客に呆れた声を出していた。


「徹夜は週3くらいしかしてない。栄養ドリンクだけはカロリーが持たないから点滴水も飲んだ。ゆっくり質問しても嘘はつかないからちゃんとノックしてね。気のせいじゃなければ、先週も天青さんに同じようなことを言わなかったっけ」

「だって反応が遅れるくらい疲れ切っているときがあるから。ごめん、次こそ気を付けるよ…………って茜ちゃんも約束を守ってないじゃん!」

「分かってるって、次こそ努力するよ」


 小言も反省も軽くて日常的なやり取りなのだろう。手持ち無沙汰となった少女が、先生が持ってきた書類の中身をのぞき込んだ。プライバシーの侵害だとかわされるまでに情報をつかんでいるらしい。目を輝かせて僕の方へ駆け寄ってきた。先生の目の前の空いていた席に座って、左手を握ってくる。


「この部署にとって2か月ぶりの新入社員だね。配属先についてだけど、山西君は今どうしてるの」

「山西君も入れて先月には3人辞めていったよ。どこの部署も人手不足だけど、適正は修理部門だと思っている。一番大事なのは蓮君の判断と好みだけどね」

「なるほど、後輩ができるチャンスなのか。そりゃ一大事だ。君はどこの部門が好きとか得意とか目途が立っているかな?」

「蓮君は部外者からの紹介だったらしく、どの部門についてもほとんど知らないんだよ。だからこれから説明するんだけど……可哀想だからそろそろ手を離してあげて」


 4半期を挟んだとしても相当人員が足りない模様である。どんな部署があるのかこれから説明を受ける予定だ。答え方に困っていると、頭を抱えた先生が助け舟を出してくれていた。手短に今週の方針を伝える、2人だけの会話が続く。

少女は僕の経歴が乗ったページを動かして、空いた左の人差し指を小さく回してあごにくっつける。僕の左手をつかんだ手は放してくれない。


「決めた。私が直々に指導役を務めてみせよう。今すぐ預かっていくよ!」

「まだ了承のサインと希望調査を貰ってないから、勝手に持って行かないで」

「任せといてよ。今日中に『ぜひ修理部門に行かせてください』って言わせてみせるから! 彼のプロフィールを端末に送っといて」

 

 驚きの声が出るよりも早く、僕の右腕が強く絡まれていた。肘で肘を挟んで立ちあがらされる。解こうと思っても抜けない。

 先生が止める声を理解したうえで少女は無視していた。善は急げ、猪突猛進、即断即決。聞きかじった言葉を第一印象に追加していく。態度は無茶苦茶でも痛くないように配慮はしてくれていた。どうにでもなれ、諦めが反抗心を勝った。

 すべてを悟ったように先生がため息を吐く。

「彩葉さんは目標に向かって一直線で突っ走り過ぎるだけで、決して悪い人じゃないんだよ。だから頑張って。そして、何よりも初めての経験を楽しんできてほしいな」

 先生から僕に向けて優しく声がかけられた。職員準備室の奥にある扉が開けられる。

 閉じるまで先生は小さく手首を振り続けた。行ってきます、不格好な姿勢で頭を下げる。

「……これで一歩近づけたのかな」

 つぶやかれた宛先不明のメッセージはあっという間に消えてしまった。


 窓一つない部屋に高そうな筒形のポッドが3つ並んでいる。ポッドに連結している人数分のパソコンと奥に備え付けられた本棚でほとんど空きスペースがなかった。きっと物置を流用したのだろうと、コンクリートがむき出しの壁を見て思う。

 左腕の圧迫感がなくなった。1メートルほど距離を取って、扉側のパソコンの前に位置どる。

「天青彩葉というの。天の川の天に青色の青で天青、彩りのある葉っぱで彩葉だよ。かれこれ修理部門でお仕事をして4年以上かな。改めてこれからよろしくね」

「面接を受けに来た白石蓮といいます。今日はよろしくお願いします、先輩」


 互いに名前を伝える。見た目は同年代だけど4年以上のベテランだったらしい。先生への馴れ馴れしい態度にも納得がいった。

 先輩は手際よくスリープモードのパソコンを起動して、データベースから情報を得ていく。周辺環境やサイズ、異常確率といったパラメータが人名の横に何個も並んでいた。英数字の羅列は僕には分からない。


「早速だけど手続きは私の方でしておくから、白石君は真ん中のポッドに入ってて。もしポッドについて分からないことがあったら、先輩にちゃんと伝えて」


 促されたポッドは2メートル以上の長さがあった。一家に人数分あるような機体だけれども僕の記憶では入ったことがない。蓋を掴んで開けようにも隙間がなかった。どうやって開けているのか。早速先輩に聞くと、ほほ笑みながらスイッチの場所を指し示してくれた。

 上靴を脱いでからおそるおそる中に入る。中身を埋め尽くしていた白色系の素材は弾力性が低かった。試しに入れてみた手が沈む。シングルベッドよりやや小さめの横幅は寝返りを打つには不十分だった。眠るためであれば硬さが切実に欲しい。少数派の布団派閥として譲れない点である。反発性の低さは意味のある仕様だと信じて、内側側面にもあった開閉スイッチを押す。

 蓋に備え付けられている端末が立ち上がった。他のポッドや患者の使用状況や連絡機能が付いているらしい。今日の目的地の欄が患者未承認と表示されていた。


 先輩の手続きを待つ間、僕は低弾力の空間と格闘していた。沈んだ腕を勢いよく横に動かしてみる。壁に当たる前に跳ね返された。タッチパネルの弾力性調整のボタンを操作する。体が浮き上がって蓋との距離が近くなった。自動的に蓋が開いて先輩と目が合う。小動物を見るような笑顔で応じられて居たたまれなくなった。すぐに開閉スイッチを押して中に戻る。端末の使用履歴が確認できるらしく押してみた。この端末は月に3、4回ほどの利用で、使用者の名前はばらばらである。患者の情報はプライバシーの都合でほとんど見られず、参考にはならなさそうだった。


「私は準備できたよ。今からお客様の仮想世界に入るから、白石君の丁度良いタイミングでタッチパネルの承認ボタンを押して」

 Player Aの端末表示と共に先輩の声が横のスピーカーから届く。いざという時の脱出手段はさっきやってしまった。動作確認は多分大丈夫。承認ボタンを押すとアラートが鳴る。『ヘルメットを着用するか頭部を指定の位置に移動してください』

 警告メッセージはPlayer Aにも行ったらしい。少し申し訳なさそうに先輩からの音声指示が届く。


「ごめん、さっきのタイミングで指摘するのを忘れてた。白石君は端末を後頭部に埋め込まれてないから、ヘルメットを被る必要があるの。タッチパネルを操作して弾力性を上げて欲しい。一度蓋を開けた方が分かりやすいかも」

 今度はぶつからないように調整して弾力性を上げる。警告を出すことなく蓋を押し上げた。


「頭頂部側に収納スペースがあるから開いてもらって。そう、そこ。ヘルメットのサイズが全然合わないようだったら交換しなくちゃならないからマイクに声を掛けて」

 出てきたのは自転車のヘルメットよりも厳重な作りをしていた。直径2~3センチありそうな太いケーブルがポッドと繋がれている。両親や弟が四六時中被って仮想世界と繋いでいるもの。少し大きいと思ったが、あごを止めると自動で調整された。

 忘れないように収納スペースの扉を閉めて、もう一度セッティングし直す。端末にはデフォルメキャラクターがOKマークをしているスタンプが送られていた。どう返信するべきなのだろうか。準備完了しました、と呟いてから承認ボタンを押す。今度は『Player Aを待っています』と輪っかが画面中央を回転し出した。


 家族が熱中して同級生の興味を年中無休で離さないとうわさの仮想世界。麻薬以上の依存性だと思う場所を目の前にして僕はどんな気持ちになるのだろう。先生は『楽しんできてほしいな』と残してくれたが、僕の興味を惹くものが見つかるのだろうか。夢を叶える近道が見つかってくれるのか。薄暗くなった天井に視線を向けて、頭の中の疑問が膨らんでいく。


 端末はいつの間にかハムスターが輪っかの中がいて、回すように前へ前へ走り出す。

「白石君にとって最初の仮想世界、いい思い出にしてみせるよ!」


 先輩の言葉ははつらつとしている。後頭部の痺れるような刺激によって僕の意識が暗転した。

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