踏み入れた音

 生徒が登校しないのだから、教員もリモートワークをさせて欲しい。子供世代が共用空間で登校するようになったことで、教員も現実に帰らなくて良くなった。だから職員はほとんど現実に残っていない。入口横のホワイトボードにはかつての名残である日程表が印刷されている。穴あきのシフト表がホワイトボードに貼られていて、扉の窓越しに無人の机が並ぶ姿が映った。

 「失礼します」と声を掛けて、職員室に入っても1人しか反応しない。30代にみえる男性は緑色の作業服を着ていて、机の下には工具箱が3個置かれている。無性ひげが生えた顔を無言で下げた。

 そういえばバイトの正体を教えてもらっていない。入らずに待っている虫さんを見ると、親指を上に向けて立てる。どうしようか。仕方がないので適当に誤魔化してたずねる。


「第11過程1組の白石蓮といいます。学生向けの仕事があると聞いてやってきました」

「学生向けの仕事……ね。どこかに共有してあるんかな。すまんな、こちとら週一で働いている非常勤なもんで疎いんだよ」


 突然の質問に首をかしげて眼が泳ぐ。張り紙でも探してくれているのだろうか。なかったらしく机の中から日記帳を取り出す。次の日の人へメッセージが残されている。グラウンドの電灯がまた切れたのか、とぼやいている彼を見つめる。ぺらぺらとページを幾つかめくって、ようやく動きが止まった。僕の方を向き直して、報告書の一部を指す。


「たぶんこれだ。仮想世界の修理業務。需要と供給のバランスが取れていないから人手が欲しいって書いてある......あんたの噂とあってそうだぞ」

 仮想世界と聞いて目を開く。虫さんは僕の事情を知って、この仕事を振ったのだろうか。振り返ると両手で大きな円を描いていた。共用空間に入れない体質でも大丈夫なのだろうか。表情が動かないうちに場所を聞く。


「それだと思います。どこに行けば受けられるのでしょうか」

「奥の職員準備室にいる先生に声を掛けるといい。我が強い感じじゃないし、君なら十中八九受かるんじゃないかな。オレの休日のためにも、是非とも受かってほしいよ」


 上から下まで全身を見つめられる。評価をくれると親指で奥の部屋の扉を指す。

 面接となれば虫さんの助けを借りるわけにはいかない。45度のお辞儀をすると『あとは君次第だよ』といった雰囲気で手を振ってくれた。


 別室の扉は重くガタが来ている。看板の一部が欠け取っ手の塗装が剥がれていた。授業で教えられた通り、等間隔に3回ノックをした。反応がなかったので30秒ほど時間を置いてからもう3回。甲高く幼そうな女性の声が入ってもいいことを伝える。上司といえば渋くて重い声の印象が強い。アルバイトの秘書だろうかと思い、一拍おいて扉を開く。


 寂れた扉の雰囲気と違って、室内は大量の物に包まれていた。仮想世界に入る用途の筒形ベッド2人分やパソコン、人くらいのサイズのサーバーに山積みされたディスプレイ。奥の本棚には分厚い書籍が並べられており、大方が日本語には見えない横文字の羅列であった。個人用の机にはプリントを入れたファイルが列を成しており、部屋の主に与えられた仕事と最良の多さを窺わせた。優秀で厳格な人なのかもしれない、突然過ぎて面接対策をしていなかったことを悔い始めた。


「礼儀正しいノックする時点で新入り君か依頼主だよね。名前と用件を教えてくれない?」


 書類の束の隙間から部屋の主は姿を現した。150前後の小柄な見た目と幼げな顔つきをしている。肩にかかるくらいの茶発はストレートに整えられているが、所々の白髪は染められていない。あどけない雰囲気に対してしわのないスーツを着こなす。年上なのか、年下なのか。名前も分からない以上、とりあえず先輩と扱うのが安全だと結論を出した。


「第11過程1組の白石蓮です。知人に仮想世界の修理業務を紹介してもらい、職員室の事務員によってここまで案内されました。担当の方へ声を掛けしてくださいませんか」


 暫定先輩の右腕が微かに動く。小さく咳払いをすると落ち着いた様相で着席を促してきた。


「修理業務の件であれば少しの間待っててください。四人掛けのテーブルの奥側の席でお願い。面接に際して粗茶を出すつもりなんだけど、君は苦手な食べ物や飲み物はあるかな」

「かしこまりました。苦手な食べ物は流動食とレーションです」

「うん、あれが好きな人は余程の物好きだよ。うちにもいたけど、私も味がなくて苦手だからね」


 柔らかく微笑むと押し入れの中をガサゴソと漁りだした。面接に必要なものを探しているのだろう。邪魔しては悪い。急な面接のわりに僕の心は落ち着いていた。

 物にあふれた部屋の中、テーブルの周りだけはゆとりのある空間だった。白一色の台にこれまた白一色の花瓶と造花が飾られている。周囲は白色のパーテーションで囲われて外の景色から隔絶されている。潔白で汚れのない空間は、僕に病室に似た印象をもたせた。

 5分ほど経って先程の少女がやってきた。白灰色のタブレットを脇に挟んで、こげ茶色のお盆をもう片方の手で支える。お盆には彩り豊かな袋の山とパステルカラーのコップが2つ乗っていて、左手ごと震えていた。なんとかテーブルに着地させて最も手前の席に腰を下ろす。

「お待たせしました。急な展開になって申し訳ありません。念のため次の講師へ連絡を入れておきましたが、昼休憩が終わる前に頑張って終わらせます」

「その前に1つ質問をさせてください。ここは支部長とか職員ではなくて、先達が面接する形式なのですか?」

「…………教育実習中の新人とはいえ、一応この支部を任されている先生だよ。とはいえ蓮君と1~2歳しか変わらないから気軽に接してね」


 どうやら暫定先輩が仕事を管理している先生だったらしい。アルバイトの人と間違えていたことを謝罪する。虫さんの思いと僕の夢がかかっているのだ。真摯に接することを心掛ける。

「申し訳ありません。面接よろしくお願いします」

「分かったよ。……絶対に聞かなくちゃまずい質問からいきます。どうしてこの仕事に応募しようと思ったんですか?」

「私が志望した動機は目標の近道になり得るからです。クラスで一人だけ現実にいる寂しい思いの中小説に感化され『屋上で友達と弁当を食べ過ごすこと』を目標としました。しかし友達なし、金銭なし、屋上閉鎖の三難状態です。知り合いに相談したところこのバイトを薦められたため面接に来ています」


 先生は二度三度うなずく。練られていない回答で自信はない。

 即断で否定はされなかった。見つめられて次の質問へ。

「蓮君の特徴と急な応対から元同業者からの紹介ではないと推測されます。業務内容についてその方からどんな形で聞いていますか?」

「学生向けの需要がある点、特殊なスキルが必要ないことくらいです。後職員室にいた方のメモを見た限り、全国規模で大量募集しているらしいとは知っています」

「具体的な内容については全く知らない、と……面接中だからって遠慮しなくても構いません。他部署からの貰いものなので食べてください」

 全く知りません、と言わなければならない形でなくてよかった。これから契約関係になることを目指しているのだ。正直に答えられる質問で助かった。

 先生は端末には触らない。頭の中に全部記憶しているようだった。ケリを付けると赤色と緑色にきらめいた袋を手渡してくる。両手で受け取って隣の席へ避けて置く。今すぐほおばる勇気はなかった。


 先生は両手を上げて体を伸ばす。コップをそれぞれの前に置いてから、お菓子の山から黄色の袋をつまんだ。年輪のような模様をした洋菓子が出てくる。一口でくわえるとすぐさまコップに手を付け、一息に飲み込んだ。

「私からの質問はこれだけだよ。じゃあフィードバックと合否判定に移ろっか」

 どうぞどうぞと手で促されたので手元の袋を開ける。サイコロ状のチョコチップが散りばめられたクッキーが2枚。手相と同じくらいの大きなサイズであった。割って食べるのも忍びなくかぶりつく。

「最初に、私は正式に採用したいって思ってる。蓮君が事務員から聞いたように需給が釣り合ってなくてね。実は受け答えがなっている段階で保留以上にはしてるんだよ」


 驚きを声に出さないように意識する。どうして通すつもりなのか、どこが高評価なのか分からなかった。バツが悪そうに理由を伝えるとタブレットを手元に寄せる。やっとの出番と電源を付けられると1枚の履歴が映された。

『共用空間に入れない人の中でも珍しく、常時通学している。仮想世界を作ることができず不自由な生活を送っていると疑われるが、当人は自己を卑下することなく授業に出席していた。同過程における学力は平均以下で、特に情報や数学は赤点補習の常連である。しかし地元の老人との付き合いは良く、感想文を見た限り聴く才に優れている。また農業実習の際は経験を活かしクラス内で最も活躍し奨励賞を与えた』

 毎年のように担任から受け取って、誰にも見せることなくゴミ箱に突っ込まれるデータ。間違いなく第1過程から続く僕の通知簿だった。


「さっき読み込ませてもらって色々知っていたから、最低限ルールで定められた質問で良かったんだ」

 先生は申し訳なさそうな表情で美点だけ読み上げる。片手で数えられる人しか知らない成績の秘密も初めから筒抜けだった。

「私は比較的平均的な子で嬉しいの。どうしてか個性強い人しか来なくて……」

 苦々しい反応が出てしまったのかもしれない。褒められているのか、貶されているのか。よく分からない励ましが返ってきた。


「ここでならお金は稼げる、同年代に会える、鍵を貸せるほどの信用が得られる。私たちは人材が増えるし、蓮君は目標を達成できる。両方の利になるし、紹介してくれた人はきっと蓮君をよく知っているんだと思う」

「こちらこそ是非宜しくお願い致します」

 利益を聞いてはやるように快諾の意思を伝える。一石二鳥以上で、想定外にとんとん拍子に進んでいる。怪しい仕事でないことは虫さんが証明してくれた。たとえ大変な仕事でもやってやる。他の候補はないのだ、相手方が認めているうちに承諾してしまいたかった。 


 しかし、ちょっと待って欲しいと止められた。慌てた気持ちを落とさせるように、ゆっくりと指で数えていく。

「時間外労働のおそれがあるかもしれない。危険性が少ないと言っていない。詐欺の片腕を担がせるだけなのかもしれない。私が嘘を話していないか君は疑っていない。自信を持って紹介してるけど1回落ち着いて考えようね」


 顔を近づけて何度も念押ししてくる。苦い思い出があったのかもしれないが、忠告はありがたかった。

 思いが早まっていたかもしれない。今一度視線を天井へ外して、目標の進展具合を確認する。利点と不安がぐるぐると頭を回って、聞かなきゃ分からないという答えになった。

 先生に向き直して内容を質問しようとした、矢先横から爽やかな匂いの風が吹いてきた。


 









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