再会と第一歩
昼休みの図書室は程よい日差しが当たっていた。本棚は鏡のように磨かれていて、床の隅にも汚れがない。適当な本をとっても上に乗っていない。本に対する並々ならぬ想いがみられた。あれから何度か図書室へ足を出しているが、彼女以外にこもっている人を見かけない。きっと虫さんは帰ってきている。本棚の影を1つ1つ確認していく。
カウンター横に備え付けられた特設コーナー。『他人に手紙を送ってみよう』ポップ調に書かれた看板の周りに何冊かの本と封筒らが置かれていた。タイトルを見てみるとどれも手紙やメッセージにまつわるものとなっている。虫さんはコーナーの本の隙間にほこりが入らないように、丁寧にはたいていく。索引の順番に従って規則よく並べる。隣の棚の本の表紙を見て突然動きが止まった。瞬間見入るように本をめくり始める。
「これは斎藤君と進藤さんのやり取りが最高な作品じゃないですか。こんなところに浜去っていたとは驚きです。特に78ページの挿絵が素晴らしいんです! 問題を先送りにしようと試みる斎藤君に進藤さんが『中途半端が一番いけないんだよっ!』って声を荒らげるシーン。これです、これ。互いに眉毛が逆立ちいがみ合っていて仲が悪そうに見えるんだけど......相手の顔をしっかりと捉えていたり、指を相手に向けないように意識していたり、後ろのモブ同級生が呆れていたり、挿絵があることでいつも通りの小競り合いだと読ませる形になってて。地の文が微妙だって掲示板に書いてあったこともあったけど、会話文のセンスと絵師への指示の上手さは一流なんじゃないかなと思っています」
ぶつぶつと呟きながら目的のページを開いて、指で紙を撫でていた。ドットの1つにまで注目し触感を味わうような所作。放っておくと日が暮れても続けているんじゃないかと思わせる衝動だった。どう再会の挨拶をしようか、心臓が高鳴る音は勢いでしぼんでしまった。それでも出だしの言葉に詰まって、外で待っていようと振り返る。
「白石君......でしたよね。お久しぶりです」
目の前に虫さんが待ち構えていた。さっきの本は両手で優しく包まれている。
「大変お久しぶりです、虫――」
「虫? 虫がいるんですか。どんな奴ですか、ちょっと待っててください、今粘着トラップ取り出してきますから!」
焦って心の中の呼び名を出してしまった。司書室に直行しようとする虫さんの肩を慌てて掴んで過ちを訂正する。
「ごめんなさい、見間違いです」
「見間違いで本当に良かったです。もし虫を見つけたらここにある機材を使うか、私に教えてください。虫の撲滅は本の保存に大切なのですから」
虫さんは何度かあたりを見回してから落ち着いてくれた。図書室に貼られている古ぼけたポスターを指して教えてくれる。パソコンで打ち込まれた字体とデフォルメされたイラストは手書きが好きな虫さんのものではなさそうだった。
殺虫剤および粘着トラップ等完備、毎年機材点検しています。ポスターの文言から図書室が放置されていないことが読み取れる。人がほとんど来なくても、もし誰かがふと来たときに必要だから。その思いは虫さんに受け継がれていた。
これからは特にうっかり言わないように気を付けよう。強く心に決めた。
「同業者との伝説の本探しはどうなったんですか?」
「道半ば......ですかね。博物館を回ったり、遺跡の資料を目に通したり、途中で仲間が増えたり、大きな蔵書を見せてもらったり。色々やった後にリーダーが『そもそも伝説の本って何だろうな』と言い出して、みんなで原点に振り返っているところです」
あごに指をあててしばし間を開けてから教えてくれた。時折震えだす左腕を右腕で強くつかみ、胸に手を当てている。怪しげな動き以外は楽しそうな毎日を送っているらしい。もし喧嘩別れしていたらどうしよう、そんな悩みが杞憂で終わって安心した。まさか今日会うとは思っていなかった。ノートを取り出すことができないことが悔やまれる。下手ながら頑張って書いた感想を見せて話し合いたかった
「今日の白石君を見ていると、どうしても聞きたいことがあります」
「以前に貸してもらったシリーズの感想でしょうか? 時間だけは沢山あったので読み込んで準備してきましたよ」
「感想や考察はもの凄く聴きたいし、展開の是非について議論はしたいんです。でもそうじゃありません」
虫さんからの質問から切り出したけれど違った。衣食住や三大欲求よりも本を優先しそうな虫さんにしては珍しい。歯切れが悪そうに恐る恐る問われた。
「しきりに頭を傾けて何か人生に悩んでいるようにみえました。お姉さんで良ければ相談に乗りましょう」
八方ふさがりの状況にとってありがたい手が差し出される。知識豊富そうな虫さんであればもしかしたら。弁当を買う金銭がない。屋上を開放する信頼もない。友人候補すらいない。きっかけを隠して三重苦の末の夢物語を明かしてみた。
「なるほど。目標はできたけど手掛かりが全く掴めないという状況でしょうか」
虫さんのまとめにうなずきで肯定する。そうですねと呟いて悩むことおよそ10秒。虫さんは僕の堂々巡りは何だったのかと思うくらい早く結論を導いてみせる。
「まずはお金を稼ぐべきでしょう。白石君の状況にぴったりな仕事を知っていますよ」
人類が地上を支配していた時代ならばともかく、現代の現実世界でお金を稼ぐ方法は少ない。最低限の配給は最低限の国家を維持する人工知能から保障されているのだ。減った仕事も趣味でどうこうしてしまうため中々なかった。仮想世界にいる人に向けたパッチを造り上げたり、人手の足りないところに駆けつけたりするくらいしかない。他には犯罪手段に出るくらいだろうか。
そんな懸念を払しょくするように、いともあっさりと案を出そうとする。変な仕事じゃないか、質問をぶつけてみる。
「正直なところ学力に自信がありません。中途半端な学生でもできるような業務でしょうか」
「白石君くらい素行が良ければ大丈夫です。何だったら学内でも募集しています」
「金銭は十分に得られるんですか」
「具体的な自給まで確認していませんが、需要はあるので大丈夫じゃないですか」
「ヤクの材料でも作る仕事でしょうか。近所のおじさんの前科があるそうで、最終手段として考えとけと教えられました」
「確かに大麻栽培に高度な設備は要りません。書籍には大量の電灯と室温調整さえ行えばできると書籍には書いてありました。重労働ですが一応可能でしょう。でも紹介すると思いますか」
「まさか臓器を得るような闇営業ですか。腎臓は2つありましたよね」
「どうして臓器販売の在処を知っていると思うんですか! ……冒険の最中に業者さんに会ったことはありますが、知り合いには決して紹介しませんから」
1つずつ疑念を払っていく。徐々におかしな方へ進んでしまい、肩を勢いよく掴まれた。学内でできて、お金は入って来て、合法的。何か裏があるんじゃないか、方向を正して何とか反論をひねり出す。
「職場でご飯を食べても怒られませんか」
「言い訳を諦めない姿勢は評価します。けど無謀な反論になっていませんか?」
猫背の虫さんに見上げられて、優しく諭されてしまった。ハイライトの薄い目からも慈しみが感じられる。
自分に合うかはわからないけれど、教えてもらった貴重な手がかりである。挑戦してみる価値はあると考えた。
「ぜひ紹介してください」
「わかりました。善は急げというように職員室に向かいましょうか」
どうにか胸を張って答えてくれた。棚に避けられていた本を正しい位置に戻すと僕の背中に手を当てる。つんつんと図書室から押し出して、隣に並ぶ。
「どこまで押す予定なんですか?」
「何事も初心が肝要です。目的地の職員室まできっちり連れていきます」
利き腕は僕の背中を押さえ続けていた。指を曲げて横からも脱出できないようにされている。一応尋ねてみると想像通りの答えが返ってきた。虫さんがどんな笑顔をするか僕は知らない。借りた小説の冒頭で、部活動に主人公を入れようと案内したヒロイン。彼女ほど感情豊かな方じゃないし答えも知る術はないけれど。
リズム良く足取りをせかしてくる横顔は、とても浮足立っているように感じられた。
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