【番外編③】幸せだったあの季節(ころ)

 高校に入学してから初めての夏休み、その目前の日曜日。あたしは雛菊と春宮の二人と出かけていた。三人それぞれ自転車をこいで、目指すは大いなる水たまり。ありていに言えばプールのこと。利用期限が迫った割引券を使うという後押しもあって、連日の暑さを乗り切ろうとやって来た。


「いっちば~~~ん!」


 春宮がまっさきにプールの駐輪場に飛び込む。次いであたしが到着し……


「……ま、待ちなさぁぁい……」


 息も絶え絶えの雛菊が、だいぶ遅れてたどり着いた。その雛菊は呼吸を落ちつけようと水を一口含みながら、思ったことをつぶやいた――ようなのだけど。


「……何なのよ、あんたたちの体力は……」

「ん~~? 洋くんと、えっちするため~~?」


 そういえば経験者だって聞いてたわね……あたしより先に……


「――ぶーーーーっ!」

「ちょっとぉ雛菊ぅ、吹き出すなら居ない方へ顔向けてよ~~!」

「……小町が、変なこと、言うからっしょー!」


 交際経験のない雛菊が案の定の反応をした。あたしにも掛かりそうだったけど、上手く避けられたわ。それはともかく、本来なら洋一アイツと春宮はプールデートの予定だったらしい。けれど――


「棚橋はまだ合宿から帰れてないんだっけ?」

「そーなのよー。関東大会とかってのの代表になったから、延びちゃったってー」


 洋一アイツは中学からの部活にサッカーを選んだ。中学のうちから実力を示し、入学した高校でもベンチスタートながら一軍メンバーとして励んでる――らしい。おかげで小町は愛しい恋人と会えない日々が続くと嘆く。まあ、気持ちは分かるんだけどさ、その代表決定戦にあたる準決勝戦を大層浮かれて応援してたのは『どこのだれ?』と問いたい。このプールのお隣にある多目的スタジアムまで、わざわざやって来てたくせに。


「ま、さすがに出場校のレベルが違うでしょ。もうちょっとの辛抱だと思うけど」


 今日は期末テストの答案返却後の骨休めの日。気疲れなんてあまりしたくない。だから洋一アイツには悪いけど、小町をなだめることを最優先にさせてもらう。


「ダーーリン~~、早く帰ってきてね~~」


 お隣の多目的スタジアムに向けて春宮は声援を送っていた。そこは試合会場の一つではあるけど、合宿地じゃないだろうに。


「まあまあ。暑いから、さっさと中、入っちゃお?」


 雛菊の声に押され、あたしたち三人はプールの入場料支払い窓口へと歩み始めた。あたしは内心、これ幸いと先頭に立つ。お隣にある多目的スタジアムを見て、あたし自身が持っている、洋一アイツとの幸せだった季節ころの思い出を、胸の奥底から再び浮上させないために――――


   ◆◇◆◇◆


 中学生になって二度目の夏休み、その目前の日曜日。あたしは一人、大荷物を肩に出かけていた。自転車をこいで、目指すはサッカーの試合会場となった多目的スタジアム。中総体のサッカー部門、今その県大会が行われていて、スタジアムの外まで熱気が届いていた。


 スタジアムの駐輪場にたどり着き、あたしは一息ついて呼吸を整える。肩掛けバッグから洋一にもらったチケットを取りだし、スタジアム入場口へと急いだ。今日行われているのは二回戦。勝てばベストエイト入りを果たせる。入口でチケットにスタンプをもらい、観客席へと歩み進む。ゲートを抜けた先では、まさに洋一が出ている試合が大詰めを迎えていた。


 あたしは手近な空いてる席に座り、スコアボードを見た。得点は1-1で同点。残り時間は五分と少し、ロスタイムを入れても十分には満たないと思う。そしてピッチを見つめ、洋一を探し――――いた!――――相手チームが注視しているその逆サイドを静かに上昇する洋一の姿を見つけた。洋一のチームは一度後方に下げたボールを――下げたタイミングに合わせてゴール前に詰める洋一に、スピードのあるロングパスを放り込んだ。そして――


『ゴオオオオオオォォォォル!』


 会場にゴール実況のアナウンスが響く。洋一がノートラップで放ったボレーシュートは、見事に相手チームのゴールネットへと突き刺さった。絵に描いたようなゴールシーンに大きな歓声がする観客席。あたしも周囲の熱気に乗せられて――洋一、ナイスシュート!――と叫んでいた。


 試合はそのまま終了して洋一のチーム、大学附属中学校の勝利で幕を閉じた。あたしは興奮冷めやらずっといった趣で観客席の最前線へと移動、引きあげてくる来る洋一へと手を振り、大きく声を掛けた。


「洋一! 勝利、おめでとう!」

「咲依! 来てくれて、ありがとう! 通用口を出たところで待ってて! 少し時間掛かるかもだけど! 絶対行くから!」


 手を振り返して応答をくれる洋一。待ち合わせ場所も伝えてくれる。だから、あたしももっと大きな声で応えた。


「分かった! 待ってるね!」


 笑顔で首を縦にふる洋一に掛けられるチームメイトの恨み言。上手に切り返しながら観客席の下の選手控えに立ち去る洋一が、完全に見えなくなるまで目で追って。そして、あたしは待ち合わせ場所へと急いだ――――


   ◇◆◇


「はー、お腹いっぱいだー」

「ふふ、おそまつさま」


 あたしが携えてきた大荷物の正体、それは洋一のお弁当やお茶のポット、それとレジャーシートやお手ふきなんかのピクニックセットだった。多目的スタジアムのお隣には広い芝生の公園があって、家族連れが数多く集まることもあるとか。その公園の一角、ちょうど良い木漏れ日を産む樹木を日除け替わりにレジャーシートを広げ、洋一にお弁当を振舞っていた。


「美味しかったよ。こうして届けてくれて、ありがとう」

「うんん、小母さんから頼まれただけだから」


 洋一の家もあたしの家と同じ、夫婦共働きの家だから――本来なら小母さんがお弁当を届けるはずだったらしい。けれどお仕事のシフトの変更があったのだとか。それで帯同するだけだったあたしに、お弁当の全てを託してくれたんだっけ。


「かあさんから、咲依の作ったおかずも入ってるって、先に連絡あったんだよね」

「えっ! ウソでしょ!」


 今日洋一の家にお呼ばれした時間は確かに早かった。多目的スタジアムまで届けるだけなら、自転車移動といってもものスゴイ時間がかかるわけじゃない。まさか、おかずを一品作らされるとは、あたしだって思ってもみなかったこと。それが前もって伝わってる、その意味は――


「『咲依ちゃんのおかずを美味しく食べたかったら、死ぬ気で勝ちなさい』とかメッセージ送ってきたからさ」


 朗らかに笑う洋一に、あたしは顔向けできなくてうつむいた。とっても熱を帯びるほほは真っ赤になってるだろう――そう思えて洋一に顔を見せられなくなった。要するにあたしは照れてしまったのだ。


「咲依が作ったのは卵焼きだよね。いつもの家の味付けと違ってたからさ。ボクの好みだったよ。ありがとう」


――当ててくれた! うれしい!! お礼も言ってくれた!!! 大好き!!!!


 胸中では洋一への好意が張り裂けそうなほど膨れ上がり、表情を上手に作れるか分からなくなるほどで。だから――ついソッポを向き、口走ってしまう。


「こ、こっちこそ、当ててくれて、ありがとう。お礼に何か一つしてあげる。あ、あたしにできること、だからね!」


 洋一は少し驚いた表情を見せたけれど、すぐにちょっと意地悪そうな様子を見せて――


「じゃあ、少し横になろうかな。だから咲依には、まくらになって欲しい」


 洋一の言葉に、あたしはポカンっとした顔つきになった。まくらの意味をすぐに飲み込めず、固まってしまう。その様子を察したのか、洋一はあたしのひざかしらを指さして――


「ひざまくら、お願い」


 あたしに聞こえるだけに声を絞り、あまくささやいた。あたしの鼓動はもっと激しくなって声が出なくて。コクコクうなずくのが精いっぱいで。なんとか足を伸ばした座り方に変え、用意はできたと太ももをたたいた。そこに頭をゆっくり載せて、洋一は――


「ちょうどイイよ。ゆっくり休めそう……」


 そう独り言ちて、目をつむった。その眠ったような顔がかわいく見えて、つい優しい気持ちになり、洋一の頭をなでた。その様子は周囲に散らばる洋一のチームメイトにばっちり目撃されたみたいで。


――ああっ、試合会場に駆けつけてくれる恋人がいるなんて恨めしい。

――ちっ、ちょっと顔がいいからって、見せつけることないじゃないか。


 時おり聞こえる、あたしたちをうらやむ声。それはあたしの心にさざ波を立てる。だからかな――その声は洋一にも届いていたようで、洋一がポツリとつぶやいた。


「咲依、外野の言うことなんて、気にしなくていいからね」

「……うん」


 洋一の気づかいが私のイラ立ちをおさめてくれた。あたしは感謝して、今の一時ひとときだけはと、洋一との二人きりに集中することにした。それからは、あたしの顔つきも普段より優し気になっていただろう。だからかは分からないけど、周囲のやっかみはいつの間にか途絶えていた。


 そしてひざまくらは、洋一のチーム監督が集合の合図を出すまで続いた…………



――――これは、あたしが心の奥深くに封じ込めた想い出のかけらたち、その中の一つのエピソード。

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