第2話:二度目の裏切り

前回までのあらすじ:

 夜中、寒空の下で倒れた桜良を救ったのは、アルバイト先の先輩・及宮 美咲の夫である及宮 遥輝おいみや はるきであった。目を覚ますと、そこは美咲と遥輝の住むマンションだった。熱があったため、3日ほどマンションで休ませてもらう桜良。

 しかし、熱が下がった直後、桜良は2人の夫婦生活を邪魔しないためにも、マンションを出ていくことを決意する。それを呼び止める美咲。美咲はなんと、桜良がオーバードーズしていることに薄々気づいていたのだ。それを聞いた桜良は、自分の現状をすべて話す。母とのこと、紅仁のこと……。

 それを聞いて激怒したのは、遥輝であった。遥輝は、美咲の大事な人は自分の大事な人というスタンスであった。「桜良ちゃんが傷つくところも見たくない」そう言い放つ。美咲による涙の説得により、桜良は「自分が愛されていたんだ」と気づき、涙を流す。3人は、昼になるまで抱きしめ合って泣き合っていたのであった……。不穏な動きがあることにも気づかずに。


**********


 あの日から1週間たった。


 あの日から1週間の間は、私は普通に学校に行っていた。学校の荷物はあらかじめバッグの中に入れてきていたから、特に支障はなかったし、咲樹からも特に何か聞かれるようなことはなかった。


 そして、1つだけ……ほんとに少しだけ、変わったことがある。なんだか、心が前よりも温かくなった。前まであった暗い気持ちがゆっくりと薄くなっていくような感覚。


 だけど、薬はやっぱり癖がついてしまったのか時々学校内でこっそり飲むこともあった。でも、それも校内で周りにいい顔をして振る舞っている紅仁くんを見た時くらいだった。


 帰れば、遥輝さんか美咲先輩が「おかえり」と言ってくれる。そんなことすら言われてこなかったから、最初は照れくさかったけど、少しずつ「ただいま」と言えるようになった。


 「おはよう」から、「ただいま」、「おやすみ」まで、誰かと一緒に共有できるーーー。それが、ものすごくうれしかった。



 そして、今日……。


「え?!今桜良、美咲先輩の家にいるの?!」


「ちょっと空、声が大きい……!」


「あ、ごめん……」


 学食で、空は弁当、私は学食のメニューであるカレーを食べていた。そういえば、空に美咲先輩の家にいることを言っていなかったことに今更ながら気づいて、急いで言ったけど、間違いだったかな…なんて考える。


 今なんて、驚きのあまり箸を落として空はあわあわしてる。前に紅仁くんから助けてくれたときみたいに、空はすっかり眼鏡をかけなくなった。もともと整った顔立ちだなぁとは思っていたけど、眼鏡をはずすことで余計にそれが際立っていて……。


 なんだか、ドキドキする……。


「でも、実際どんな感じ?美咲さんの家って」


 箸を洗ってきたのか、箸をティッシュで簡単に拭きながら空が聞いてくる。


 私は、いろいろ話した。美咲先輩のご飯が美味しいこと、遥輝さんがゲームをするのが上手いこと。そして、遥輝さんのキュウリ嫌いが空と同じこと……。それを伝えたら、空は目を細めて笑った。


「―――そっか。ほんと、よかったな。桜良」


「……うん」


 本当に、美咲先輩たちにも、空にも、お礼を言っても言い足りないな、と思いながら、私は口角を上げた。


**********


 ご飯を食べ終わって、私たちは一緒に外に出た。夏が本格的に近づいてきたせいか、じりじりと暑い太陽が差し込んできていた。


「なあ、桜良」


 ふと立ち止まって、空が口を開いた。


「あいつの前で言ったこと、本気だから」


「あ……」



『一生懸命頑張って、努力して生きてる桜良に惚れたんだよ。』


 空のあの時の言葉が、頭の中に響く。驚いたけど、ものすごく驚いたけど……同時に、ものすごく嬉しかった言葉。優しい言葉。


 空の目を、見れなかった。答えを言わなきゃと思ったけど、頭の中がぐちゃぐちゃで、何も言えなかった。


「……答えは、急がないから」


「……うん」


「じゃ、また明日な」


 空はそう言って、私の頭を少しだけ優しくなでた。そして、走って去っていった。撫でてくれた時の、私の身長に合わせてかがんでくれた空の目があまりにも優しくて、しばらく暑い日差しの中、そのまま動けなかった。


**********


 その日の夜―――。


「それ空くん、完全に桜良ちゃんにべた惚れしてるよね」


 私の顔を見て、真顔でそう言う美咲先輩。顔を真っ赤にして帰ってきた(らしい)私を見て焦った先輩に、昼の出来事をすべて話してしまった。


「やっぱり、そうなんですかね……」


「絶対そうだよ!むしろ、それで惚れてないです、ってことはないと思うよ?!」


「は、はぁ……」


 いまだに実感が全く湧かなくて、中途半端な返事しか出ない。


 ずっと、「空が私のことをほんとに好きなの?」「もし好きだとしてもなんで?」という、疑問しか出ない。


「桜良ちゃんはさ、どう思うの?」


 と、私の顔を覗き込んで、美咲先輩はそう言った。


 たしかに、私は空をどう思ってるんだろう……。そう思って、どう思っているのか、目をつぶって考えてみた。


「空を見ると、ドキドキしちゃって…、なんだか胸のあたりがチクチクする感覚がして…、あと、前は目を見て話せてたはずが、直視すらできなくなっちゃって……」


「ああ、それは恋ってやつだな」


 と、ドアに寄りかかりながら、いつの間にかお風呂から上がってきていた遥輝さんが言う。あまりにも急に声が聞こえたもんだから、びくっと体が震える。


「ハルくん、桜良ちゃんがびっくりしちゃってるからやめてもらってもいいかな?」


「ごめんごめん」


 そう笑いながら、少しだけ濡れた髪をガシガシと拭いて、私の真向いの椅子に座った。ちゃっかり先輩の隣も陣取っている。本当に大事にしているんだなぁなんて、自分のことを棚に置いて考えてしまう。


「でもそっか…」


 さっきまでにこにこしていた顔から、急に冷静な顔になる遥輝さん。


「桜良ちゃんのことを大事にしてくれる人が、俺たち以外にいてよかった」


「…うん、ほんとだね」


 遥輝さんの言葉に、美咲先輩もうなずく。


「それで、桜良ちゃん」


「…はい」


「自分の気持ちはね、ちゃんと伝えた方がいいよ」


「……」


「いつか伝えておけばよかった、って後悔するよりも、何倍もいいでしょ?」


「……たしかに、そうですけど……」


 何が私の中で渦巻いているのかは、ちゃんとはわからない。だけど、今本当の家が奪い取られて、居候になって、まだオーバードーズだって完全にやめられたわけではない。そんな自分が、空に気持ちを伝えてしまってもいいんだろうか。そんな思いが、自分の中にあるのだけはわかっていた。けどーーー。


「桜良ちゃん、大丈夫……?」


 気がつけば黙ってしまっていたようで、美咲先輩が私の顔を心配そうに覗き込んできた。


「はい、大丈夫です。…すみません」


「ううん。全然、桜良ちゃんが大丈夫なら安心だよ。ただ……」


「何かあったら、絶対言ってってわけではないけど、助けにはなるからね」


 そう言う遥輝さんと、その隣にいる美咲先輩の顔は、申し訳なるくらいに優しかった。



 ―――空き部屋があるから。と譲られた部屋に戻って、ベッドの上に転がっているスマホを手に取る。


「やっぱり……」


 そんな言葉が漏れてしまうほど、メッセージ機能の通知が、大量に届いていた。最近……、いや、シェルターの件をお断りしてから、以前と別人のように冷たくなってきているこの人。もちろん差出人は……


「Ifさん……」


 暴言ともとれる大量の言葉に、思わず顔をしかめる。


『しっかり代償は払ってもらう』


 その言葉の意味を知らずに、私はその日眠りについた。


**********


「いってらっしゃい」


 遥輝さんと美咲先輩に見送られて、この日も学校に向かった。


 だけど、いつもよりも廊下が騒がしく感じたと同時に、人だかりができていた。そこに集まる人達の声を聞いていると、どうやら校内新聞が貼りだされているようで…。


 正直、あまり気にしたことはなかった。ずっと廊下に「新聞部、新入部員歓迎」のポスターが貼られているのは知っていたけど、縁のない話だと思ったから。


 だけど、こんなに人だかりができるということは、何か衝撃的なことが起こったんだろうかと気になって、人だかりの中から覗き込んでみる。だけどその数秒後、私は見たことをひどく後悔した。そこには……


『雪中 空(1年)、薬の過剰摂取常習犯?!』


 この見出しが、顔写真と一緒に大々的に貼りだされていた。


「薬の過剰摂取って………あれだよな?精神的に病んでるやつがするやつだよな?」


「そうそう!こんな大真面目な顔してそんなことやってるとか終わってんだろ」


「うわぁ……やだぁ……絶対関わりたくないよね」


「うん……たしか同じ授業取ってるけど……」


 記事を見てそう話す人の声が、嫌でも耳に入ってくる。


「……え……?」


 そんな中で、私はただ一人パニック状態になっていた。


 空もオーバードーズしてた、ってこと……?でも、そんな様子1ミリもなかった……。まず、どういう目的で誰がこんな記事を……?


 そんな考えが、私の頭の中をぐるぐると回る。


「おい、あいつじゃないか?!」


 私の近くにいた人がそう叫んで、周りの人がザワザワし始める。後ろを向くと、記事を遠目から見て、口の形だけ「なんで」と動く空がいた。その顔は見たことがないくらいに真っ青で、私はすぐに駆け寄ろうとしたーーー。


 けど、たくさんの人が空に視線を向けるせいで、空の顔の青さはひどくなって、その場から逃げ出してしまった。


「空!!」


 思わずそう叫んだけど、その言葉は届かなかったようで、空はずっと、こっちを向いてくれなかった。


**********


『しっかり代償は払ってもらう』


 昼休み。その言葉が、私の頭の中に急に浮かんだ。昨日送られてきた、Ifさんからの言葉。


「まさか……」


 そう思って私は急いでメッセージを開いて、頭の中にある言葉を、そのまま打ち込んだ。


『空が、何をしたっていうんですか?!』


 自分が打ったと思えないような、感情のこもったメッセージだけど、今はそんなこと、どうでもよかった。ただただ、自分でも不思議なくらいに必死だったから。


『さすが、勘がいいね』


 ……意外と、すぐに返信は返ってきた。


『いいよ、教えてあげる』


「えらそうに……」


 そう思っていたら、次々とメッセージが送られてきた。


『僕と会ってくれれば、全部、教えてあげる』


 たくさんの人がザワザワと騒ぐ声が、遠くから聞こえてくる。その中に空を傷つける声があるとしたら、いてもたってもいられない気持ちになった。


『わかりました、会います』


 答えは、これしかない。そう思いながら送信ボタンを押して、帰路についた。


**********


 待ち合わせ場所には、ただの公園が指定された。


『ここに来て』


 と、写真とメッセージが送られてきて、時間も指定された。


 いたって普通の公園だけど、周りが家に囲まれているせいかあまり日が差し込まなくて、うす暗い。気味が悪い……というのが第一印象だった。


「やあ、清水 桜良ちゃん」


 周りを見渡していると、急に背後から声がして、振り向いた。


 そこには……


「ゆうひ、くん……?」


 私がそう言うと、ニコッと怖いくらいの笑顔が向けられた。


「え、なんで……?」


「あれ、まだ気づかない?」


 まだ頭の中が整理しきれない私に対して、錆びた柵によりかかりながら、私の言葉にかぶせてそう言う優日くん。


「Ifは、俺。西丘 優日」


「……っ…」


「いつ気づいてくれるかなぁなんて思ってたけど、遅かったね」


 ずっと敬語だったし、とくすくすと笑いながら、彼はそう告げる。


 頭の中が、真っ白だった。まるで、紅仁くんが私のことを裏切った時みたいに……。


「なんで、優日くんが……?」


 唯一絞り出せた声が、それだった。


「雪中 空が邪魔な存在だから」


 私の方を向いて告げる優日くんの顔は、「」だった。


 だけど、どこか怒りのような、悲しさがあるような……。


「だって、空は、優日くんの……」


「俺が今日できる話はここまで」


 きっぱりと、私に背を向けて言う。


「3日後、この場所、夜9時。」


「……え?」


「雪中 空を連れてきて。当然、君も」


「……なんで」


「もし連れてこなかったら……わかるよね?」


 私の言葉を無視するように、そう続ける。私をにらむように見るその表情に、うなずくしかなかった。うなずいた私を見て、またさっきと同じような怖い笑顔を向けて、去っていった。


 真っ暗な頭の中、私はバッグに入ったままだった薬を15錠くらい出して、久しぶりに水と一緒に流し込んだ。


 その時見えた空は、分厚い雲がかかった夕焼け空だった。

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