第6話:ようやく見つけた光
前回までのあらすじ:
空といつも通り学校への道のりで会ったものの、冷たい態度を取ってしまう桜良。自分がオーバードーズをしているという秘密を誰かに話されているのではないかと思うと怖くなってしまい、親友である咲樹ともまともに話せなくなってしまう。紅仁にも「誰にも言ってない」と言われつつも、信用できなくなってしまうほど、人のことを信用できなくなってしまっていた。
そんな中、SNSで唯一信用できるIFから、ある連絡が届いていた。それは、数日前に送られていた内容が関わっていた。その内容とは、「IFの友人がシェルター的なところを経営しており、手配までに数週間かかるが連絡してみるか」というものだ。当然桜良はそれに了承していた。IFは、メッセージ上で友人からOKをもらえたことを桜良に伝える。その返答に、桜良はわずかな光を感じたのであった。どこかで、その時を待ち望んでいる人間がいることを知らずにーーー。
**********
家を追い出されるまで、残り1日になった。この前IFさんから返信をもらったばかりのはずなのに、そこから5日も経っていることになる。
「こんなに、時の流れなんて早かったっけ……」
だけど、この日までの5日間、何をしていたのかすらよく思い出せない。1つ思い出せるとしたら、誰とも極力関わらないようにしていたことくらいだった。もちろん同じ学校だから、空とも廊下とかではすれ違っていた。空が、私の方を見ていたことも知っている。だけど、何も知らない、見ていないふりをして、その横をいつも通り過ぎた。
あとは、部屋の隅っこに置いてある大きめのバッグの存在が、私が5日間で何をしていたのか示してくれている。ほぼ無意識のうちに、家を出て行く準備はしたんだろうなと、頭が理解してくれる。
明日には、この家を嫌でも追い出される。目の前のテーブルには、お母さんが置いていったと思われる手紙があった。
『明日には追い出すからね。邪魔なんてしたら許さないから』
「…言われなくても、わかってるよ……」
誰もいない空間に、自分の声が静かに響いた。そして、手に持っていたスマホには、ある人からメッセージが届いていた。目線だけ向けて確認してから、ゆっくりと外に出た。
**********
呼び出された場所は、私たちが通う専門学校の裏庭のようなところだった。学校内に入ってからじゃないと行けない場所。いつも通り土足で踏み入って、その場所にゆっくりと向かう。
一応休日だから、人はほとんどいない。だけど遠くから、運動サークルの人達の声がうっすらと聞こえてくる。だけど、今はそんなことどうでもよかった。だって……
「待ってたよ。桜良ちゃん」
裏庭に着くと、すでに彼が待っていたから。
「紅仁くん……」
「はは、元気なさげだね。また薬飲んできたの?」
私の方を見て、口角を上げながら語りかけてくる。そんな紅仁くんに、言葉が一つも出ない。
「それで、答えは出た?」
そんな私のことを無視するかのように、立て続けに聞いてくる。なんだか意味が分からないくらいに怖くなって、紅仁くんに顔向けすらできなかった。
「だ、出せてない……」
顔向けは相変わらずできなかったけど、せめてもの抵抗をするようにそう言った。だけど、返答がない代わりに、わかりやすすぎるほどのため息が聞こえた。
「あのさ、俺、1週間あげたよね?」
さっきよりも声が低くなってることが嫌でもわかって、体が硬直する。気がつけば後ずさりもしていて、背中が壁とぶつかっていた。
「ご、ごめん、なさい……」
「別に、謝ってほしいわけじゃない。俺はただ、桜良ちゃんと付き合いたいだけ。…好きだから。でも……」
そこまで言って、私の方にジリジリと寄ってきた。
「もし付き合わないって言うなら、オーバードーズしてることを俺の周りの人たちにばらす」
顔を見なくても、紅仁くんは本気で言っているんだ……。そう思った。
だけど、この紅仁くんの態度、見覚えがある……。
パッと出てきたのは、お母さんだった。昔から、私がいいことをしても、褒めてすらくれなかった。「頑張ったね」の一言すらくれなかった。ただ私の容姿を非難するばかりだった。…思えば、オーバードーズを始めたのだって、お母さんのせいだったーーー。
**********
まだ私が、中学3年生の頃のこと。いや、正しく言うとその前からすでに、「他の子より可愛くない」だとか、太ってすらいない、むしろ標準体重だったのに、「もう少し痩せてみたらどう?」と言われていた。
それを、私なりに挽回させる方法を考えた。その方法は、唯一ピアノ以外で得意だった勉強を頑張ることだった。必死に頑張って勉強して、毎回テストで学年トップ5位に入るくらいにはなった。これで少しでもお母さんは、「頑張ったね」の一言を言ってくれるだろうと思ってた。
だけど、ある時……。
「はあ?テストでいい点数取ったからなんなの?」
「あんたみたいなのがいい点数取ったところで、男からモテるとでも思ってるの?」
「…別に、男子にモテたいからテストで頑張ってるわけじゃない……」
「あんたごときが口答えするなっ!」
そう言ってお母さんは、リモコンを投げつけてきた。ガシャンと音がして、電池が外れているのが視界の隅に映る。
「はあ……あんたと話してたら頭痛くなってくるわ……」
頭痛薬の瓶を出してきて、「これから仕事なのに……」とかブツブツ言って飲む。その後、私をにらんでから外に出た。閉まるドアの音が、どこか遠い音のように聞こえた。
それと同時に、私の中で何かが壊れた音がした。ネットか何かで見た、薬をたくさん飲めば、嫌なことを忘れられる……。そんな情報を信じた。
いや……信じたかった。信じるしかなかった。
パッケージには1回1錠と書いていたけど、4錠ほど出して飲み干した。
その後の快感を、何年も経った今でも覚えてる。嫌なことが吹き飛んでいく、不思議な感覚。幸せな感覚……。その感覚を覚えてしまってから、止めるという選択肢は、私の中から消えた。
でも、今考えてみたら……、オーバードーズさえしていなければ、こんなことにすらならなかったのかな。もっと他の、嫌なことを忘れる方法があったんじゃないかな……。
そう思ったら視界がぼやけて、頬に温かいものが伝っていく。
**********
「あれ、泣いてるの?桜良ちゃん」
紅仁くんの声で、意識が現在に戻る。無理やり顔をそっちに向けられて、反射的に勢い良く、手ではねのけた。だけど、紅仁くんが無言になったのに気づいて、嫌な予感がしたときには遅かった。
「お前…さあ…!!」
私の服の胸元を、勢いよくつかんでくる。痛い、苦しい、怖い。
「…もう、いいや。無理やりでも、俺と付き合ってもらう」
頬に伝ってたはずの温かさは、すでに消えていた。何も見たくなくて、瞼を閉じて、目の前を真っ暗にする。
もう、どうなってもいいや……そう思った
……はずだった。
ドサッと急に音がした。思わず驚いて、ほぼ反射的に目を開けた。そこには……
「………そ、ら……?」
そこには、空と、空の前で転んで、空をにらみつける紅仁くんの姿があった。
「でけぇ声聞こえたと思ったけど、やっぱりお前だったか。矢野原紅仁」
そんな空の声に、紅仁くんは何も言わず、ただにらみつけていた。空はそんな様子を見て、私に体を向けた。
「え、空、どうしてここに……?それに、メガネ………」
その空の姿を見て、私はそう言わざるを得なかった。いつもかけてるメガネはそこにはなくて、ただ優しく、目を向けているだけで温かく感じる笑顔が、そこにはあった。
「ああ…偶然学校に用があって…ね。あと、置いてきたよ。そんなの」
「そんなの、ほんとの俺じゃないから」
そう言って、また紅仁くんの方を向いて、私に背中を向ける。私は、何が起きているのか全く分からないまま、ただ目を向けるしかなかった。
「てめえ…ふざっけんなよ!」
そんな私たちの姿を見て紅仁くんは、明らかに怒っているような、低くて怒鳴るような声を出した。そして空にも、私にさっきやったのと同じように服をつかみにかかった。
「そ、そら……!」
私の体がようやく現状を把握して、空を助けたいと叫んでいた。
「桜良はいい!…絶対に、俺が、守るから」
「……っ…」
「空…だっけ?正義のヒーローぶってんじゃねえよ!」
そんなことを言われても空は何も抵抗せず、ただ紅仁くんに胸元をつかまれたまま、まっすぐと顔を向けていた。空の服に強く皺が寄って、紅仁くんの腕に力が入っているのがわかる。
「空…お前さ、わかってるわけ?」
「…何を?」
「桜良ちゃんは、オーバードーズしてんの!わかるよな?オーバードーズするなんて、他の人じゃやらねぇことだ、って!お前の幼馴染なんだろ?!わかるよなぁ?!」
「そんなことわかってるよ」
紅仁くんの耳をふさぎたくなるような言葉に被せるように、空はピシャリと、そう言い放った。
「……は?」
「桜良がオーバードーズしてることなんて、とっくに知ってる、って言ってんの」
私は驚くあまり、声が出なくなった。
空が、私の秘密を、知ってた……?どういうこと………?
「じゃあ、知ってたんなら……余計、なんでだよ!なんで……!!こんなやつとーーー!!」
「好きだから」
「………は?」
いたって淡々と答える空に、紅仁くんは意味が分からないというような眼差しを向けた。
「やばいことをしてるとか、俺が知ってたからとか、そんなの関係ない。一生懸命頑張って、努力して生きてる桜良に惚れたんだよ。好きになったんだよ」
「………っ…!!」
「お前とは、わけが違うんだよ!!」
聞いたことのない声を出して、紅仁くんの腕を力強く引きはがした。紅仁くんは何も言い返せない様子で、私の方をもう一度にらむように見てから、去っていった。
…この時間、何が起こっていたのか、私はよく理解できなかった。だけど体のどこか………いや……心は、ものすごく暖かかった。だって……
空の右手がずっと、私の左手を強く、優しく握っていたからーーー。
**********
夜中の1時半。私は、長年住んできたマンションの部屋のドアの前に立っていた。
「……さようなら。私の過ごした場所」
ゆっくりと、できるだけ音をたてないように、うっすらと明かりのついた階段を降りていった。
**********
大きめなバッグを持って、あらかじめ下調べをしておいた公園に着く。家から少し離れているけど、周りには街灯が比較的多くて、安全そうなこの場所。調べた通り、屋根がついたベンチのようなものがあって、そこで休もうと入口に踏み入ろうとする。
その時だった。
体が急に傾いて、体にひんやりとした感覚と、体の左側に鈍い痛みが走る。意識も遠のいていって、ようやくそこで自分が倒れたんだと理解する。そういえば最近、薬以外何も食べてなかったっけ……。
私…このまま死んじゃうのかな………。
…なんか、嫌だな……。
その時、私は初めて気づいた。自分がずっと本当は、まだ、死にたくなかったってことを。そしてそれは、空のおかげだ、ってことをーーー。
<第2章 君への気持ち。そして、逃走 Fin>
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