第3話:新たな関係と、感じる違和感

前回までのあらすじ:

 桜良は、バイト先であるカフェに向かう。高校生の時に空と行ったことのある場所であった。そこで働く及川 美咲おいかわ みさきは、桜良の年上で、桜良をかわいがっていた。

 バイト終わり、桜良は自分の病み垢に見知らぬ垢から個人メッセージが来ていることに気が付く。そのアカウントの名前はIFイフ。その人物からの丁寧な挨拶と「なんでも相談していい」という言葉に心が温かくなるのを感じながら、スマホを閉じたのであったーーー。


**********


 あっという間に6月の下旬に入った。あと1か月くらいすれば夏休みに入るということで、少しずつだけど学校内もにぎやかになってきた。


 それと同時に、廊下に貼っている軽音楽部のポスターもよく目に入るようになった。廊下ですれ違う人とかが、「軽音のライブ見に行くー?」とか、「何歌うんだろうねー」とか、いろいろ話している声が嫌と言うほど耳に入る。そういえば、授業の時に咲樹も、同じような話してたっけ。


「軽音のライブ見に行きたいんだけどさ、ちょうどその日バイト入っちゃって行けないんだよねぇ…」


 と、残念そうに言っていたことを思い出す。「桜良、代わりに楽しんできて!」とも。


 そんなことを考えていたら、手に持っていたスマホが震えた。なんとなくメッセージを送ってくる人に見当はついていたけど、通知欄を一応見ておく。


『いつもの場所で、最後の打ち合わせしよっか!』


 すぐに私も、『今向かってるよ』とだけ返す。「了解」というスタンプが来ているのを確認して、その「いつもの場所」に向かう。


**********


 少しだけ歩くうちに、その「いつもの場所」に着く。お昼時間だからか人でごった返しているけど、その彼の高身長と顔の良さで、人ごみの中でもすぐに見つかる。この学校の近くの景色が一望できる、窓際の2人用の席に座っていた。


「矢野原くん、お待たせ」


「そっちこそ、授業お疲れ様」


「ありがとう。えっと…今日で最後の打ち合わせだっけ…?」


「うん。ライブの本番が3週間後くらいだからね。もう完成させて、そろそろ本格的に練習入らないといけないから」


「そっか…。まあ、それもそうだよね」


「うん、ごめん…。桜良さんには少し負担がかかっちゃうかもしれないけど」


「全然、私はそんなことないから大丈夫だよ」


「そっか。それならよかった」


 矢野原くんは、本当に安心したように笑った。お互い、この後授業はないから、ゆっくり打ち合わせできる。


 5月上旬くらいから、こうやってずっと打ち合わせをしてきている。たまに矢野原くんのバイトの関係とかで打ち合わせできない日もあったから、これでおそらく5回目くらい。でも、今日でこの打ち合わせも最終日なのかと思うと、少し寂しくも感じる。


「あ、そうだ」


 何から話し出していいかわからずに黙ってしまっていると、矢野原くんの方から口を開いてくれた。


「よければなんだけど、軽音の練習見に来ない?」


「え?」


「せっかく桜良さんと一緒に作ってる曲だし、練習風景も見に来てくれないかなーと思って」


 少し照れくさそうに頭を掻きながらそう言ってくれた。


 たしかに、練習しているところは見に行きたい気はする。私が歌詞を書いて、矢野原くんがメロディーをつけたこの曲。断って機嫌を損なわないためにも、「行く」と口を開きかけた。


 だけど改めて考えてみたら、顔も名前も知らない人たちがいるところに行くということになる。それは…正直苦手だし、居心地がものすごく悪そうだ。


「ごめん…行きたいけど、バイトもあるしやめておく」


 何も考えずに口から出た言葉は、半分は嘘だった。バイトはあるけど、週末くらいしかないし。バンドの練習がある日は絶対平日だって前に聞いていたのに。


「そっか。残念だけど、バイトなら仕方ないね」


「うん…。本当にごめんね。せっかく誘ってくれたのに」


「大丈夫だよ。…よし、気を取り直して、最終チェック入るか!」


 矢野原くんは、本当に気にしていないように笑顔で答えてくれた。少し安心するような、だけどその笑顔で少しだけ苦しくなるような、そんな気がした。


 そんなことを考えている間に、矢野原くんは手際よくパソコンをバッグの中から取り出した。「イヤホン持ってる?」と聞かれて、私もバッグの中からイヤホンを取り出してみせる。


 それを見てうなずいて、またパソコンの画面に視線を戻す。さっきの話していた時とは違う表情の真剣さに思わず見入ってしまう。トン、とキーパッドを叩く音がして、パソコンの画面が私にぐるりと向けられる。


「これ、桜良さんに前回意見もらった部分直したバージョン。パソコン使った作曲あんま慣れてないし、ところどころおかしいところあるかもしれないけど、実際はちゃんと綺麗に曲になるようには調整できてるはずだから、ちょっと聞いてみて」


「…わかった。ありがとう」


 矢野原くんと一緒に何度も練り直した歌詞を書いたメモ帳も開いて、パソコンの方を操作する。トトンとキーパッドを叩いて、音楽ファイルを開いた。


 パソコンにイヤホンをさして、自分の耳にもさす。すぐに周りの音はかき消されて、矢野原くんが作った曲が私の耳に流れてくる。


 ライブになんてあまり行ったことがないし、ピアノしか弾いたことがないから、正直良い曲なのか悪い曲なのかは判断しにくい。


 だけど、改めて自分の書いた歌詞と見比べてみると、楽器同士の音の高低とメロディーの良さが私の作った歌詞に合っていて、聞いていてわくわくするような曲になっていた。


 気づいたら、「これが実際に曲として楽器で弾かれたらどうなるんだろう」とか、「これを早く聞いてほしい」とか、いろいろ考えていた。


 終わる頃には、私はイヤホンを外して、思わず大きな声が出てしまっていた。


「すごい!最高だよ、!!」


 興奮気味で立ち上がってそう言ってしまってから、私の顔はものすごく熱くなった。紅仁く…矢野原くんを見ると当然びっくりしたように、目を見開いてこっちを見ていた。


「ご、ごめん……」


 相手からの視線も相まってか、どんどん顔が熱くなるのを感じて逃げ出したくなった。目が泳いで、相手の目を見れない。


 かなり沈黙の時間が続いた気がするけど、大声で笑う声に驚いて自然と顔を上げた。


「はー…ごめんごめん」


 そう言いながらも笑っていた。どういうことか全くわからずに、私はポカンとして相手の顔を見ることしかできなかった。


「いやぁ、やーーっと名前で呼んでくれたね!」


「……え?」


「いや、ずーっとここ最近一緒に作業してきたじゃん?だけどなっかなか名前で呼んでくれなくて、もどかしかったんだよねー」


 やっとだぁと、腕をぐっと伸ばして嬉しそうに笑う。そんな矢野原くんの様子にまだ状況を飲み込めず、唖然としながら見ることしかできなかった。


「何も気にせず、名前で呼んじゃってよ。


 急に優しい笑顔で顔を近づけてきて、さらにこれまでと違う呼び方をしてきた。そんなこと経験がないから、思わず胸がきゅっとなる。


 …だけど、素直に嬉しかった。名前で呼んでくれる男子なんてこれまでだって少なくて、みんな私のことを名字で呼ぶ人が多かったから…。


 でも、そういう人たちと矢野原くんが違うなら、私も……。


「……ありがとう。紅仁くん」


「…こちらこそ」


 少し驚いたような顔をしてから、またにっこりと笑った。紅仁くんのことは信頼していなかったわけではないけど、もっと仲良くなれた気がして嬉しくて、思わず私まで笑ってしまった。


「…あれ、紅仁じゃん」


 急に、紅仁くんを呼ぶ声がした。声が聞こえた方に顔を向ける。


「え、空?」


「おお、優日じゃん!久しぶり!」


「久しぶりだな、紅仁。桜良ちゃんが一緒なんて珍しいね」


「…まあ、いろいろあってな」


 紅仁くんの横には、優日くんと空が立っていた。紅仁くんと優日くんが仲良さそうに話している中で、私と空は置いてけぼり状態になる。思わず、空と目を見合わせてしまう。空の表情を見ると「どうしたらいい?」みたいになっていて、私まで困ってしまう。


「ああ、ごめん。2人とも知らなかったよね」


「うん…」


そんな私たちの様子を見て、優日くんが私たちに向き直る。


「俺と紅仁、高校の時からの付き合いでさ。紅仁、同じクラスだったんだっけ?」


「おい、なんで忘れてんだよ…。同じクラスだっただろ…」


「ごめんて。時々高校の時のこと忘れちまうんだよ」


「まあ、こんな感じで、優日とは高校の時からの付き合いってこと」


 自慢げにピースをする紅仁くん。2人の話している様子を見ても、ものすごく仲がいいんだろうなと感じる。高校の時と言っていたけど、昔から…幼馴染のようだとまで思ってしまう。


「それで優日…こちらは?」


 不思議そうな顔をしながら、紅仁くんが空を指さす。その様子を見て、優日くんが「あ、そっか」と、急いで説明する。


「紅仁は空のこと知らないよな。空は俺の友達で、桜良ちゃんの幼馴染ってところ……って、合ってる……よね?空」


「うん。合ってる。雪中空。よろしく」


「よろしく。俺は矢野原紅仁。…桜良ちゃんの幼馴染かぁ……すごいな」


「別に、なんもすごくないよ。桜良とは同じピアノ教室通ってただけだから」


「そうなんだ!だから2人ともピアノが上手いわけか…」


 なるほどねぇ……と、納得したように紅仁くんはうなずく。


「あ、そうだ!空くんさ、俺たちのライブに来ない?今度やるんだけど」


「ライブか……」


 空は、すぐにスマホを開いてスケジュールを確認しているのか、ぶつぶつとライブの日にちをつぶやいていた。


「あ……ごめん。バイト入ってる」


「そっか…それなら仕方ないね……。今度機会があったら見に来てよ」


「うん。あ、そうだ、桜良」


「え、どうしたの?」


 ほぼ私以外で会話をしていたから暇でスマホを見ていたのに、急に空に呼ばれて、反射的にスマホを閉じる。


「今週末の勉強会、場所ってカラオケでいいんだよね?」


「うん、大丈夫」


「了解。じゃあ、また今週末ね、桜良」


 空はそう言うと、軽く紅仁くんの方に会釈をして、食べ物の列の方に歩いていった。


「じゃ、俺も昼メシ食べてこよっかな」


「お、いってら」


「じゃ、またね。桜良ちゃんも」


「うん。また」


 優日くんも手を振って、空の方に歩いていった。


 いつの間にか後ろを振り返っていた空と少し目が合ったように見えたけど、すぐに逸らして、優日くんと一緒に歩いていってしまった。だけどその目はいつもと違って少し暗いように見えて、少し怖さすらも感じられた。


「空くんと仲いいんだね」


 気が付くと、さっきみたいに紅仁くんが私の方に向き直っていた。


「まあ…一緒にピアノ教室通ってたくらいだし、小学校から今までずっと一緒だったし…。腐れ縁ってやつかな」


 気づいたら、自分の口角が上がっていた。やっぱりどこか、空の話をするときとか、空と話している時は心が温かくなる。……ただの幼馴染だってことだけのはずなのに不思議。


「……そうなんだ」


 少し間を空けてそう言った紅仁くんは、またすぐに音楽の話に戻した。嬉しそうに話す紅仁くんと、また笑顔で話せている。この時間が、ものすごく楽しい。


 そう感じてはいたけど、どこか私の頭の中では、空への違和感が残っていた。


**********


「ただいまー…」


 いつもの重たい足取りで、家の玄関で靴を脱ぐ。


 …見知らぬ靴があることにも気づかずに。


「お、帰ってきたぞー」


 我が家にいないはずの男性の声が聞こえて、すぐに顔を上げた。


 ソファには全く知らない男性が座っていて、私の顔を見ながら、あの人…お母さんの名前を呼んでいた。


「あら、今日は意外と遅かったのね」


「う、うん…」


「ほら、緊張せずに、俺の方来て」


 見知らぬ男性にそう言われても、体は動かない。男性は最初は少し若そうに見えたけど、顔の皺などから、お母さんと同じくらいの年齢に見えた。


 誰?お母さんの名前をなんで知ってるの?誰?誰?誰?


 頭の中がパニックになって、体が変にこわばる。


「ほら、早く座りなさいよ」


 いつも私にする冷たい声で、私に耳打ちをする。なのに男性には愛想よく笑顔で、「今そっち連れてくから、待ってて」なんて、甘ったるい声を出している。ああ、気持ち悪い…。


 そんなお母さんに無理やりソファに座らされる。元々そんなに大きいソファではないせいで、男性とまあまあ近い距離で座らされる。


 近くに来て気づいたけど、あの人がつけてる香水の匂いとたばこの匂いが混ざって、気持ち悪くなってくる。


「俺、お母さんと付き合ってるんだよねぇ。ほら、美人さんだし、優しいし?」


「もう、そんなことないって言ってるじゃない!でも嬉しい♡」


 2人の会話を、ただ聞くことしかできないけど、1つだけわかることがあった。


 お母さんは、猫をかぶってる。


 …いや、今だけじゃなかった。前からこうやって男性を連れてきては、勝手に家に上がらせて、男性にはいい顔をして、いたって「いい母親」を演じる。そしてその男性の前では、私に対する態度も変わる。


「ねぇ桜良。1つ大事な話があるの」


「…なに」


「…これ、なに?」


 お母さんがため息をつきながらそう言ってテーブルの上に出したのは、私が飲んでいた薬の大量の殻。


 …そう。私がオーバードーズをしていた薬のごみが、ザラっとテーブルにさらけ出された。


「なん、で、これ…」


「俺が見つけちゃってさぁ。桜良ちゃんの部屋見てみたいなぁと思って入らせてもらったんだよねぇ。そしたらごみ箱の中におんなじものがいーっぱい入ってたから」


「ねぇ桜良、どういうこと?これ」


 男性とお母さんの目線が、一斉に私に注いでくる。


 男性が私の部屋に入ったってことがまず信じられないし、ごみが見つかった……つまりごみをある程度は漁ったってことも信じられない。意味が分からないことがありすぎて、頭が追い付かない……。


 ……何よりも…


 …ばれた。オーバードーズしていること…ばれた。


 部屋の中には入ってこないだろうと思って、今朝飲んだ分を部屋に無意識のうちに捨ててしまってたんだ…。


 もうここまで来てしまったら、言い逃れなんてできない……。


「まぁ、やっぱり言いたがらないわよね」


 お母さんが、諦めたかのように肩をすくめた。お母さんと男性が、予め決めていたかのように目を見合わせる。見逃してくれるかと思って、少しだけ心が緩む。


……だけど当然、そんなことはなかった。


「桜良、この家出て行ってくれない?」

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