第2章:君への○○

第1話:新たな承認と近づく影

第1章までのあらすじ:

 専門学校1年生の清水 桜良きよみず さくら。その幼馴染の雪中 空ゆきなか そらも、桜良と同じ専門学校に通っていた。

 桜良は、暴言や暴力を繰り返す母親へ強いストレスを感じ、オーバードーズを繰り返していた。ある日副作用が強いとされている薬を飲むと、体がひどくだるくなり、動けなくなってしまう。パニック状態に陥る中、空から電話がかかってくる。「抱え込みすぎるなよ」という言葉を機に、桜良の頭や心の中が温かくなり、体のだるさが取れていたのであったーーー。


***********


 副作用で体がだるくて動かなくなるということを知ってから、数週間が経った。あの時の空の優しい言葉は、その間もずっと頭の中にこびりついていて、なかなか取れなかった。空自身も、全く変わらず私に接してきたし、私も何事もなかったかのように関わった。


 そしてこの日も…。


「んじゃあ、今日も課題の確認からいくかぁ」


 中野先生が教室に入ってきて、いつものセリフを吐く。でも今日の課題は、いつもとは一味違った。


「今回は、テーマを決めさせてもらったからな。なんだったか覚えてるか?」


「夏!」 「夏でーす」


 少し間が空いて、何人かの女子とか男子が各々の態度で答えた。


 そう。今日の課題は、珍しく「夏」というテーマが決められていた。もうすぐ夏(とはいっても後2ヵ月くらいだとは思うけど)、ということで、先生が勝手に決めた。


「じゃ、さっそく発表していってもらうか。じゃ、今日は矢野原から!」


「え、俺からっすか?」


「ああ、そうだ。ほら、前来て準備」


「あ、はい…」


 思わず、矢野原くんだけではなく私までもびっくりしてしまった。いつも私からなのに、なんで今回は矢野原くんからなんだろう…。そんなに、私の演奏が先生好みじゃないんだろうか…。なんて劣等感がこみあげてきて、無意識にスカートをぎゅっと握る。


 そんなことを考えている間に準備が終わっていたみたいで、視線を向けてみると、ちょうどピアノの前の椅子に座り、弾き始めるところだった。


 緊張していないのか、深呼吸せずに、スッと弾き始める。その横顔の綺麗さに、思わず息をのんでしまう。やっぱり手の動きは繊細で、全く間違える素振りを見せない。


 でも、それ以上に驚くことがあった。これまでの発表では、ロックを思わせるような激しい曲調だったのに、今回は「夏」というテーマを思わせるような、涼しげな優しい音をしていた。


「こんな優しい音まで作れるんだ…」


 そう呟いてしまうほど、私の胸はその音に強く打たれていた。


 その時だった。頭の中に、散りばめられたパズルのピースのように、たくさんの言葉が思い浮かんできた。「またか…」と、自分で自分に呆れてしまう。いまだに、昔の癖が抜けていないことに今更気づき、静かにため息を吐く。


「よし、今回も上出来だ。さすが矢野原だな」


「ありがとうございます」


 いつもと変わらず大きな拍手が起きて、教室中がガヤガヤとにぎやかになる。矢野原くんの周りに座っている女子たちが、我先にと話しかけていく。それに全く嫌な顔一つせず、笑顔で対応している。私とは全く違う、明るい世界で生きているんだなと、実感させられる。


 そんなことを感じている間も、言葉たちは頭の中を自由に泳ぎ回っているようで、酷く気持ちが悪かった。今すぐメモ帳に書き殴りたいくらいに、授業に集中できなくなっていた。


「次、清水!」


 気づけば私の名前も呼ばれて、発表の出番が来てしまったようだ。


「がんばってね、桜良!」


 いつもと変わらず隣に座っていた咲樹も笑顔で応援してくれて、周りのみんなからもなんだか応援されているように教室中がにぎやかになった。


 だけど、全くダメだった。


 もうそのことばかり頭にあったせいで、全く発表にも集中できなくて、ミスタッチばかりして、せっかくの音が全部台無しになってしまった。演奏が終わった後、先生に「どうした?」と聞かれた気がするけど、何も答えられなかった。席から立った時とか、教室から抜けるときとかも、咲樹とか空に何か言われたような気がしたけど、何も聞きたくなくて無視してきた。


 ただ覚えているのは、授業が終わりの合図を機に教室から逃げるように飛び出して、今のこの場所に来ていたということ。演奏が終わった後、明らかに教室中がガヤガヤしていた。その音がすごく不快で、全部私に対する批判に聞こえた。それもふまえて全部不快で、逃げてきてしまった。


 やっぱり、ここ以外に私の落ち着ける場所なんて存在しない。入学したての頃にここを見つけて、何かあるたびに来ていた。ただのベンチだけど、あまり人が通らない、私にとっては秘密の場所のようなところだった。


 背中をベンチにもたれかけて、腕で自分の目をふさぐ。そしたら自然と少しだけ落ち着いてきて、バッグの中からメモ帳を取り出す。空いているページを開く途中、ここまで書いてきたたくさんの文字を見返す。


 全部、歌詞だった。昔から、自分の気に入った音を聞いてしまったら、さっきみたいに、頭の中に文字がちりばめられる。それを書き綴ったら、自然と歌詞になってしまうのだ。それが始まってしまったら、もう他の物事には集中できなくなってしまう。


 いつものシャーペンを、メモ帳に走らせる。風で伸びてきた前髪が邪魔してこようと、全く気にせず書いた。


**********


 しばらく書きなぐって、改めて見返してみたら、やっぱり歌詞ができあがっていた。頭の中の言葉は、何もなかったかのように消えていた。


「前からの癖、こんなとこでも残っちゃってるんだな…」


 独り言をつぶやいて、空を見上げる。私の気持ちとは裏腹に、気持ち悪いくらいに青空だった。


「うわ、すげえいい歌詞してんな」


「??!!」


 急に後ろから声がしてびっくりして後ろを振り返ると、矢野原くんが立っていた。私の顔を見て、手を上げて「よっ」とする。「よっ」じゃない気がするんだけど…と心の中で思わずツッコミを入れる。


「これ、清水さんが書いたの?」


 私のツッコミをよそに、矢野原くんはさらに続ける。あまりにもびっくりしすぎてうなずくことしかできないし、すっかりメモ帳を閉じ忘れていたことに、今更気づく。


「えっと…」


 そういえば苗字は知っていたけど名前を知らないことにも気づいて、戸惑っていると、矢野原くんが笑って私の隣に座った。


紅仁こうじ矢野原 紅仁やのはら こうじ。たしか、中野っちの授業で同じだよね?」


 その言葉に驚いて、また声が出なくなった。あの超辛口で苦手にする人が多い先生を、「中野っち」って…。


「ああ、あの先生、腹立つときあるでしょ?だから、いっそのことあだ名で呼ぶことにしてんの。俺の周りではもう浸透しちゃったみたいだけど」


 ニシシと、いたずらっ子のように楽しそうに笑う。その微妙な弁解になんて反応していいかわからず、ずっと膝の上で握っていたメモ帳に視線を落とした。


「あ、そうだ」


 私のメモ帳に向く視線に気づいたのか、矢野原くんは思い出したかのように言葉を発した。


「あのさ、作詞の仕事お願いしてもいいかな?」


「…え?」


 その急なお願いに、困惑してしまった。作詞の仕事?お願い?なんで私に?と、いろいろな疑問が浮かんでくる。


「その歌詞、俺めっちゃ好みなんだよね。ザ・俺のイメージ通り、って感じ!」


「い、イメージ通り…?」


 自分では気づかないうちに怪訝な表情をしてしまっていたのか、今度は矢野原くんが困惑したように「えーと…」と、どこから説明していいかわからなさそうに、頭をポリポリと掻いた。


「俺さ、バンドに所属してるんだよね。ほら、軽音楽部、この学校あるじゃん?」


 そう言われてみるとあったような気がする。周りのことは気にしたことないけど、廊下のいたるところに「新入部員歓迎!」とか、「一緒に音楽しようぜ!」とかみたいに、ポスターが貼られてるのは嫌でも目に入る。それを思い出して、「うん」とだけ返す。


「それで俺が所属させてもらってるバンドさ、いつもカバーばっかやってるみたいで。たまにはオリジナル楽曲やってみたいな、ってことになったんだと。先輩の間だけでね?俺以外全員、俺より先輩だから」


「オリジナル楽曲…?」


「うん。自分たちで曲作っちゃおうぜってことになったの。で、俺作曲は得意だけど作詞できねぇのに、『作曲できるんだったら作詞もできるだろ?』みたいな謎理論で、先輩たちに押し付けられたってわけ」


 内容はなんだか半分くらいグダグダしていて、理論的じゃなかったのに、矢野原くんの顔は楽しそうだった。きっと、なんだかんだ言ってその先輩方も矢野原くんのことを頼りにしていて、矢野原くん自身も楽しんでいるんだろうな。


「てことでさ、この歌詞にメロディーつけさせてもらってもいいかな?」


「……うん、わかった。いいよ」


 少し迷った挙句、人の力になれるならなりたいと思って、私は承諾した。


「本当に?!ありがとう!」


 少し暗めの表情だったのに、私の承諾の声を聞いてパッと表情が明るくなった。


「いや…こちらこそ、なんかありがとう」


「ほんっと助かるよ!じゃあ、これからいろいろ相談とかするかもしれないから、チャット交換しといてもいいかな?」


「うん。いいよ。しとこっか」


 お互いスマホを取り出して、QRコードを読み取って交換しておいた。ふと矢野原くんのアイコンを見ると、レトロ風にアレンジされたような、ギターの写真だった。


「あ、それ、俺の相棒のギター。俺ギター担当だからさ」


 私の考えを読み取ったように、矢野原くんは胸をそらしてドヤッとして説明してきた。


「ふふっ、なにそれ、変なの」


「あれ、これ変か?」


 少し古臭いような態度に思わず笑ってしまって、それにつられるように矢野原くんも笑う。


 笑いも落ち着いたころ、矢野原くんのスマホが急に鳴って、さっき説明していたバンドの練習に行かなければならないことになってしまった。「いったん完成したら連絡するね」と言って、私に手を振って急ぐように校舎に向かって走っていった。


「……初めて、作詞で人に頼られたなぁ…」


 そう呟いて、初めて自分がほほ笑んでいることに気づいた。


 すっかり話し込んでいて時間を気にしていなかったけど、何時なんだろうと思ってスマホを開いてみると、まだ昼を少し過ぎたくらいなんだと気づいた。


 それと同時に、見慣れない垢からフォローされていることにも気づいた。当然、まだフォローもしていなくて、プロフィールを見ると「病み垢」「自傷行為経験済み」と書いていて、難しいことを何も考えずにフォローしておいた。


 その時は、まだこれをきっかけに私の運命が大きく動かされることに気づかずに。


 その後は家に帰って、バイトに行く準備を着々と進めた。その間に、そのフォローした垢からメッセージが個別に届いていることに気づくのは、また数時間後のこと。

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