第4話:君への自覚

前回までのあらすじ:

 授業が終わり家に帰ると、いつもはいないはずの母親が家に帰ってきていた。何も言えないまま、母に一方的に暴言を吐かれ、物を投げつけられる。母が投げつけたティッシュ箱がへこんでいるところを見て恐怖を感じ、自分の部屋に駆け込む桜良。

 一日のことを思い返すうちに、再び強いストレスを感じ始め、副作用が強いと言われる薬を買いに行き、「死にたい」という気持ちのまま飲んだ。せめて死ぬまでは優等生でいたいと思い体を動かそうとする桜良であったが、なぜかその場から動けなくなってしまっていたーーー。


**********


「え……?」


 驚きのあまり、思わず声が出てしまった。


 ベッドから、立ち上がれない…。なんで…?体に何十キロものおもりをつけられたみたいに、体に力が入らなくて、酷くだるい。サーッと血の気が失せる勢いで、恐怖が襲ってくる。どうしたらいいのかわからなくて、頭がパニック状態に陥る。頭を入試の時くらいフル回転させて、体のだるさが取れる方法を考える。


 寝転がったら、少しは体のだるさが取れるかも…。そう思って、体をパタリと横に倒した。だけど、ただ体がベッドに沈んでいくような感覚しかなくて、すぐに体を起こす。不思議なことに、横になっているところから起きるときは何もだるさがなくて、すんなりと起きることができた。


 …ということは、やっぱりさっきの立ち上がれない感覚は気のせいだったのかも…という考えに至る。そう思って、もう一度ベッドに両手をついてみる。だけどやっぱり気のせいではなかったみたいで、少しだけ体がベッドから浮いただけで、すぐにまたペタンと座る形になってしまった。


 さっき副作用に、倦怠感なんて書いてあったっけ…?さっきは飲むことしか考えてなくて、そこまでは全く見ていなかった。


 …もう一度、調べてみよう。そしたらもっと、副作用を調べられるかも。


 テーブルの上に置いてあったスマホは、手を伸ばせば何とか取ることができた。自分が飲んだ薬の名前と、あとはそれを飲むことによる副作用。それを調べられれば…。私の指が、液晶画面に触れる。キーボードに指を添えて、いつも通り打とうとした。


 だけどどうやら、副作用は倦怠感だけではなかったみたいで…。部屋が寒くないはずなのに、手が震えちゃう。手が震えて、うまく字を打てない。何度も打っては消して、打っては消してを繰り返す。ものすごく寒い冬の日に、薄着で外に出てしまった時と同じくらい…。


 その時、ある冬の光景が、ぼんやりと脳裏に浮かんだ感じがした。雪がうっすらと積もって白くなった道を、暖かな手で私の手が握られて…どこかに歩いていく様子。


「ねえ、待って、どこに行くの…?」


 誰かに問う、幼い女の子の声。


 そこまで来て、そのぼんやりとしたものは霧のように静かに消えた。


「……なに、いまの」


 違う世界に行っていたかのようにハッと我に返った。視線を下げて自分の手を見てみたら、自分で自分の手をぎゅっと握っていた。どこかで見たことあるような、聞いたことのあるような、景色と声。だけど、今度は頭の中に霧がかかっているように、全く思い出せない。


 ……なんだったんだろう。


「あはは……何考えてるんだろ、私……。これも副作用なのかな…」


 膝の上にあるスマホの画面は、当然暗転していた。もう一度つけて、震える手でゆっくりと、買った薬の名前と、「副作用」と打つ。


「…やっと打てた……」


 とりあえず、一旦一安心。ただ数文字打っただけなのに、すごい疲労感と、安堵感が心の中に広がった。


 画面をスクロールして、いろいろなウェブサイトを見てみる。「倦怠感」は書いてあった。だけど、どこのウェブサイトを見ても「倦怠感」とか「幻覚・幻聴」としか書いてなくて、「手の震え」なんて、どこにも書いていなかった。


 …そんなに、私のことを拒絶する誰かがいるのかな。きっと誰かが、私を一人ぼっちにするために他の人にはない副作用を体に起こして、いじめようとしている。1人にしようとしている。


「私はそんなに、生きてちゃいけないの……?」


 ベッドの上にうずくまって、座り直す。目頭が熱くなって、涙がこぼれてくる。……涙を流したいわけじゃない。泣きたいわけでもない。なのに、止まってくれない…。そんな自分にも腹が立った。ものすごい嫌悪感が私の中を満たしてく。気付いたらスマホをラグの上に投げつけていた。ゴトンと鈍い音がして、スマホが床の上に転がる。


 何分経ったんだろう。ずっと同じ姿勢でいたせいで、少しだけ体が痛い。心が少しずつ落ち着いてきて、涙も止まりかけていた。

 服の袖で涙をぬぐう。ぬぐって、ぬぐって、それでもまだじんわりと溢れてくる。


「その涙をぬぐった服、汚らしい…」


「なんであんたはいつもすぐ泣き止めないの!」


 …お母さんの声だ。頭の中でフラッシュバックする。涙をいつまでたっても流す私を見て、明らかに嫌そうな顔をするお母さん。


「なんで今更、思い出すんだろう…」


 ふとそんな言葉が口から出て、頬を涙が伝う。


「このままじゃ、ずっと変われないじゃん…」


 思わず笑えてきてしまうほどに、もう自分がばかばかしかった。昔から泣き虫だって言われて、涙を流したいわけで流しているわけじゃないって伝えても伝わらなかった。気づいたら、人前で泣けなくなった。私の涙は、汚いから。


ブー、ブー、ブー


 急に、どこからかバイブ音みたいなのが聞こえてきた。最初は幻聴じゃないかと思って、急いで耳をふさいだ。怖くなって、どこから音がしているのか部屋を見渡してみると、ラグの上に投げつけたスマホからだと理解した。


「なんなの、こんな時に…」


 ベッドの縁に座って、手を伸ばしてみる。届きそうで届かない。


 何度もチャレンジしてみるけど、届くことはなくて、頭からラグの上に落ちてしまった。幸い、ラグがクッション性のあるやつだったから、少し頭を打ってズキズキするくらいで済んだ。


「…まあ、ラグから落ちたくらいでは死ねないか…」


 気がついたらスマホのバイブ音は止まっていて、体から力が抜けるようにパタリとラグの上に倒れ込んだ。


「変に急いじゃって、バカみたい…」


 自分の腕で目をふさぐ。視界が真っ暗になって心地がいい。昔から、こうやると少し落ち着くような気がしていた。心の中の暗闇が少しだけ照らされるような感じ。だけど、それもごく数秒しか効果がない。すぐにまた暗い気持ちが心を満たしていく。


 ため息が出て、薬を意地でも飲み足そうかと思った頃、さっきのバイブ音が手の中から聞こえた。


「…うるさい!」


 そう叫んで画面を見て音を止めようとしたけど、止まったのは私の手の方だった。


「……空?」


 空からの電話なんて珍しい。いつも用があるときは大体チャットの方だし、電話なんてめったにしない。1年に1回するかしないかというくらい。何か緊急事態でも起きたのかと思って、急いで着信ボタンを押す。


「もしもし?そ……」


「あ、やっと出た!」


 名前を呼ぶ前に、空の大きい声で遮られる。電話越しのあまりに大きい声に、思わず「うるさ…」と言ってしまう。


「あ、ごめん!つい…」


 笑いながら答える声に、少しイラっとしてしまった。そのイライラを頑張って隠しながら、「どうしたの」と聞く。


「んー…何してるのかなと思って」


 と、少しだけ間が空いて答える声。


 てっきり、宿題の答えがわからないからとかで電話してきたと思っていたから、思わず吹き出して笑ってしまった。電話越しからも空の笑い声が聞こえた。


 今振り返ってみれば、昔からこうやって笑い合ってたな、なんて思う。何か空がドジをして笑って、私もそれにつられて笑ってしまう。そんな日々が楽しかったな、なんて。


……楽しかった?


思ってから始めて、過去形になっていることに気づく。今私が全く、何もかも楽しいと思っていないみたい。でも実際、そうなのかもしれない。何も、楽しいと思えなくて、死にたくなる毎日。



…いや、違う。今日だって、空が隣にいてくれてすごく心地が良かった。寒いのが苦手なくせに、外で私のこと待つなんかして。お金だってあまりないだろうに、ココアを2人分なんか買って。


「楽しくない」なんてことない。私は、本当は楽しく……。


「……ら!桜良!」


 ふと空の声がして、急いで耳にスマホを当てる。


「ん?どうしたの、空」


「お前こそどうした?急に黙りこくって」


 そういえば黙ってしまっていたんだと今更気づいて、急いで言い訳を考える。


「ごめん、少し考え事してて…」


「…そっか」


 少し沈黙があってからたった一言だけ返ってきて、また静かな時間が流れる。


 私から切ろうと思って耳からスマホを離そうかと思ったとき、空の呼ぶ声が聞こえて、急いで戻した。


「桜良、抱え込みすぎるなよ」


 想像もしていなかった言葉に何も言葉が出ずに、ただただ空の声を聴いていた。


「じゃ、課題やらなきゃいけないから。また」


 その後すぐプツッと切れる音がして、自然と腕を下におろしていた。


 「抱え込みすぎるなよ」なんて、聞いたことのない言葉。聞いたことのない優しい声色。


 頭の中がグルグルする中で、気がついたら体のだるさも、手の震えも止まっていた。ただ、さっきの空からの言葉が温かく、頭の中も、そして心の中も満たしていた。


 私が空への恋心を自覚するのは、もう少し先の話。


<「君の心を満たすもの」第1章:君との関係と心の温かさ Fin>










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「君の心を満たすもの」、ここまで読んでくださりありがとうございます。

この作品の作者、暁 夜星(あかつき よぼし)と申します。


最後に記したとおり、この物語の第1章はこれにて終了となります。次回からは、第2章が始まることになります。更新が、火曜日ではなく少し早まったり遅くなったりする可能性が高いです。あらかじめご了承ください。

この物語を、たくさんの方に読んでいただけているようで、非常に嬉しく思っています。ここから先の桜良や空、咲樹などの登場人物の先も、変わらず見届けていただけると幸いです。


 私も楽しみつつ、この物語を最後まで導きたいと思います。引き続き、「君の心を満たすもの」をよろしくお願いいたします。

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