第3話:自分への絶望

前回までのあらすじ:

 桜良と空は、お互い同じ授業を履修していた。授業では、先生から告げられた作曲の課題の発表が。桜良はいつも通り発表し、先生から高評価をもらう。しかし、桜良の友達である進堂 咲樹しんどう さきが、いつもとは違う雰囲気で発表し、桜良はひどく動揺する。

 授業後、空がすでに教室を出ていることに気づき心が動く桜良であったが、気付かないふりをして次の授業の教室に向かう。その途中、空が友達の西丘 優日にしおか ゆうひと歩いているところを見かけ、話しかけられる。優日に「空の彼女?」と聞かれ、否定する桜良であったが、どこか違和感を感じてしまう。自分の考えがぐちゃぐちゃしていることにストレスを感じた桜良は、偶然見かけたトイレ内で再びオーバードーズをするのであった……。


**********


 2時間目の授業も、真面目なフリして聞いてるうちにすぐに終わった。教室を出てスマホの電源をつける。その間にいろいろと世界が進んでたみたいで、通知がズラっと出てくる。なんだか、私だけがこの世界で置いてけぼりになっているような気分だ。


 2時間目の授業の先生はすごくスマホに厳しい。だから、受講生はスマホの電源を切らなきゃいけない。切らずに通知音が鳴るもんなら、先生がすぐに話をやめて、犯人探しみたいに教室中を徘徊して、生徒一人一人を覗き込んでくる。


 ついでに、見つからないと授業は進まない。1回、スマホの電源消すのが嫌だったみたいで、間違って通知音を鳴らしてしまった人がいた。その人は頑張って隠そうとしてたけど結局見つかって、スマホを没収されていた。返されるのは授業が終わった後。反省文を書かされるだとか書かされないだとかっていうのは、あくまでもただの噂話。


 別に、私が故意で見てたわけではなく、私の前の席に座っていた人だったから、自然と視界に入ってしまっただけだ。自分とは縁の遠い話だから、他人事のように、先生から配られたプリントをただのんびりと読んでた。



 そんな、自意識過剰的なことを思ってしまう自分にも腹が立つ。さっき薬を飲んだはずなのに、もうすでに私の体はもっと、と次を求めてきていた。



 そんな感じで、スマホを見るのは1時間ぶりくらいだった。少し、液晶画面が眩しく感じるくらいだ。いろいろと、何が来てるのかとか確認しようかと思ったけど、途中でだるくなったからやめた。全部見ようとすると、目が疲れてしまいそうだから。


 だけど、全部左にスライドして消していくうちに、1つ気になるものがあった。


 空からのチャットでの連絡が入っていたのだ。


「授業早めに終わったんだけど、一緒に帰らない?」


 と、20分前くらいに来てた。

 ものすごく待たせてしまったことに申し訳なさを感じながら、「いいよ」とだけ返信しておいた。スマホをちょうど見ていたのか、すぐに既読がついて、「玄関で待ってる」というメッセージと共に、「疲れたー」と、犬の可愛らしさ溢れるスタンプが来た。そんなスタンプに思わずふっと口角が上がったけど、寒い中で待たせてしまっていることを思い出してすぐに玄関まで走った。


**********


「ごめん、空、お待たせ!寒い中ごめん……」


「桜良こそお疲れ様。昼だしあんま寒くないし、俺寒いの得意だし大丈夫!」


 と、右手の親指を立てて、ニッと笑ってこちらに向けてくる。

 でも、そんな右手は少し赤かったから、やっぱり寒かったんじゃないだろうか。待たせてしまったことに、少し罪悪感に駆られる。


「んじゃ、帰ろっか」


 空の言葉にうなずいて、隣に並んで歩きだした。


 帰り道、空の受けてる授業の話をたくさん聞いた。とはいっても、内容を教えてくれるというよりは、ただの愚痴に近いような形だった。


 音楽の歴史に関する授業を受けていて、先生の話が長くて退屈だとか、プリントもないからメモするのも大変だとか。そのくせテストに出るとか言ってくるとか。なんだか少し共感できるところもある気がして、ついつい私も笑ってしまった。


「あー、そうだ」


 急に、空が立ち止まった。何か思い至ったかのように、口がポカンと開いている。


「どうしたの、空」


「勉強会とかするのどう?」


 「勉強会」。久しぶりに聞く、専門学校生にあまり合わないように感じる言葉に、言葉を発せずに空の方をじっと見てしまった。私がきょとんとしているのを見て、空も続ける。


「あ、ほら、俺のその退屈な授業のやつ、覚えろとかあの先生言ってたし、勉強しとかないとやばそうでしょ?」


「うん、まあ、たしかにそうだね…」


 呆気にとられた私を、手で頑張って説得しようと、空のそれが空気中をバタバタする。


「だから、桜良。勉強教えてください!」


 と、礼儀正しくお辞儀されてしまった。こんな深々とお辞儀されると、周りに何か変なことが起きているのではないかと誤解されてしまいそうだ。幸い、周りに人は歩いていなくてホッとした。


「いいよ、全然」


「ほんと?!ありがとう、桜良!」


 子犬が飼い主を見つけて尻尾をぶんぶんと引きちぎれんとばかりに振るかのように、空の顔がパアッと明るくなった。となると、場所を決めないといけない…。


「じゃあ、場所どこにしよっか…」


「うーん…空の家とかでいいんじゃない?」


「あー…」


 空の目線が、宙を泳いだ。空の家とはいっても、私が住んでるマンションの部屋の2つ隣りなだけだから、あまり私の住んでいるところと大きく差があるわけではない。幼い頃に数回、片手に収まる回数程度行った記憶が、うっすらと残っている。


「いやぁ、俺の部屋かなり散らかってるんだよね~…。だから、カラオケとかでいいんじゃない?」


 カラオケなんて行ったら、勉強会どころか遊んで終わりな予感はするけど、BGM以外は集中しやすい空間が整っているとこだから、最適だろう。


 …それよりも、空の部屋が散らかってるなんて珍しい。その昔、空の部屋でよくゲームとか、それこそ勉強して一緒に過ごしていたわけだけど、その時はとても整理整頓がされていて綺麗だった印象がある。少し違和感を感じたけど、ここでいろいろそこの部分を聞くのも違う気がして、一旦頭の隅に置いておくことにした。


 とりあえず、まだアルバイトのシフトの関係とか、学校の授業次第で予定がわからないということで、勉強会の日程は今後決めることにした。結局、マンションの同じ階までエレベーターで上がり、お互いの部屋のドアの前で別れた。


 鍵をすでに手に握ってたのか、空は私に少し手を振ってから、部屋の中に入っていった。私も、バッグの中から鍵を取り出して、カチャリと音を立てて回る。いつもより、鍵を回す感覚が重い感じがして、少し足も重くなった感じがした。


 …その予感は当たっていた。


 靴が置いてあって、あの人のものがあったからだ。いちばん見たくない、…会いたくもない人。…一瞬、思考が止まった。

 どうしよう。

 なんていえばいい?

 なんでこのじかんにいるの?

 だって、普段はこの時間にはいない。いるわけない。先週、同じくらいの時間に帰ってきてもいなかった。だから、今週も同じだと思ったのに。なんで?


 1つ深呼吸して、何もないフリを頑張ってする。玄関とリビングを繋ぐドアを開ける。当たり前だけど、お母さんが鏡に向かってメイクを直してるところだった。そうだよね、この後もどうせ仕事行って…。はぁ、考えたくもない。


「ああ、帰ってきてたのね」


 お母さんの声で、我に返った。ちらっとお母さんを見ると、メイクしながら目線だけこっちを向いていて、ちょっとだけ目が合った気がした。反射的に目を逸らしてしまう。幼い頃からの癖がずっと続いているんだな、と実感させられる。


「ただいまの一言もなしで、よくそうやって突っ立ってられるわよね」


「ごめんなさい…」


「……はぁ…」


 わざと聞こえるようにため息。これも昔っからずっと聞いている。メイクが終わったのか、メイク道具を片付けながら、まだ続ける。


「まあ、あんたなんかのブスにただいまなんて言われても、何も感じないけどね」


 私の方をしっかりと向いて、そんなことをサラッと告げてくる。口元は赤いリップのついた口で笑っていて、なんだか不気味で、怖いくらいだった。お母さんはまだ少しだけ笑い声を漏らしながら、メイク道具を片付けに行って、香水をまぶして戻ってきた。


 だけど、そんな中でもお母さんの動きから目が離せず、足がどうやっても動かない。動かしたくても、動けない。足だけ凍り付いて、地面とぴったりくっついてしまっているかのような感覚だった。


「いつまで見てるの」


「あんたも私のことバカにしたいわけ?」


「そうよね、どうせ先週は同じ時間にいたわけじゃないから、なんでいるのとでも思っているんでしょう?」


「……いや、違う…」


 少ししか声が出ずに、絞り出せた声がたったそれだけだった。たしかに、お母さんの言うとおり、そう思う部分も少しはある。香水のにおいがきつくて、まるで私の周りの空気がかき消されていくみたいだった。うまく息が吸えなくて、苦しい。


 その間、私の視界にはずっとお母さんが入っていた。それが気に入らなかったのか、眉間にしわを寄せて、テーブルの上の物に手を伸ばした。


「見るな、ブスが!」


 そう叫んできて、私に当たるぎりぎりのところにティッシュ箱を投げてくる。思わず目をつぶったけど、幸い、今回は当たらなかったみたいで、痛みはどこにも感じなかった。ティッシュ箱をもとの場所のテーブルに戻さなきゃと反射的に思って、部屋中を必死に見渡す。


 ティッシュ箱は、意外とすぐに見つかった。だけど、元の場所に戻すことはできず、すぐに部屋に駆け込んで、ドアを閉めた。ティッシュ箱が、酷くへこんでいた。別に、今回に限ったことではないはずなのに、今日はものすごく、心が恐怖心で満たされていく感じがした。


 バッグを放り投げて、ベッドに倒れ込む。もう恐怖心に消えてほしくて、心の中で祈り続ける。枕に顔を沈めて、寝ようとする。だけど、祈り続けても目を閉じても、無理だった。恐怖心も消えない、寝ることもできない。


 起きている中で、バタバタとせわしなく動きながらお母さんが何か言っているのが聞こえた。


「あんなブス、なんで産んじゃったんだか…」


「はぁ…本当に、顔も見たくない」


 気づけば呼吸を止めていて、ようやく息を吸えた。だったら、さっさと死んでしまいたいくらいなのに。薬でも飲んで、忘れてしまいたい。。今なら、死んでしまっても別に構わない気がする。


 そう思った私は、気付けばバッグの中をあさっていた。だけどあさる中で、授業前に飲んだもので最後だったことを思い出して、またバタリとベッドに倒れ込んだ。


 今すぐに買いに行ってやろうかとも思ったけど、さすがにお母さんがいる中で外に出られない。まず、この部屋から出るのすら怖い。今すぐに足を動かす気力すらわかない。だけど飲みたい。


 薬買いに行けるまで、約2時間。今が3時くらい。あの人の仕事は5時から。2時間も待たないと、薬を買いに、この部屋から出ることはできない。そう思うと、この部屋が牢獄のように思えてきた。何も悪いことはしていないはずなのに、この牢獄に閉じこもって、ただ時が過ぎるのを待つだけ。


 その変わらない、変えられない事実に、思わずため息が出る。


**********


 バタンと、急にドアの閉じる音がした。体がビクッとして、私の目は覚めた。すぐそばにあったスマホを見ると、16:45と書いてあった。あの人が仕事にようやく行ったんだな、と、寝起きの頭でも理解できた。


 いろいろ考えている間に、気付いたら寝てたんだ…。まだなんだか頭の中がぽやんとしているけど、薬のことは忘れていなくて、今すぐ買いに行きたくなった。だけど、ふと考え直したら、今外に出たら仕事に行くお母さんと鉢合わせてしまいそうだなと気づいた。仕方なく、ベッドのふちに座って時間がたつのを待つことにした。


 そこから1時間くらいは、気付いたら今日の1日を思い返していた。咲樹のこととか、矢野原くんのこととか。…私なんかより、ずっと才能のある人たち。


 咲樹の音は……あの子の落ち着いた様子からは想像もつかない、激しくてどこか暗くて、少し怖いくらいだった。いつものあの子だったら、もっと高くて明るい、弾むような音なのに、今日のは…その真逆。


 …矢野原くんも、ロックを感じさせるような激しさだったけど、よく聞いてみると音と音が混ざり合っていて、繊細だった。手の方も見ていたけど、鍵盤を滑らかに動いていく指が正確で、繊細で…。


 けど……私は、そんな繊細さも、性格さも、何も出せない。そんな風に弾けない。


 2人よりも圧倒的に長くピアノ教室だって通っていたはずなのに。それくらいのこと、楽々私だってできるはずなのに。あの2人よりも、ずっと成績だって優秀。だけど、あの2人がやっていたようなことが、私にはできない。ピアノだけでも、勉強だけでもない。たくさんたくさん努力してきたはずなのに、なんでそれが私にはできないんだろう。


 できないくせに、生きてる意味あるのかな。生まれ変わった方が、楽かな。生まれ変わったら、もっと、うまくできるようになるのかな。


 そう思い始めたら、なんだかじっとしてるのがムズムズ感じて、普段から使っているバッグをすぐに肩にかけた。玄関に行って、外に出る。もう何度もしているこの行動に、嫌気がさす。なんで生きているんだろう。なんで、同じことを何度も繰り返さないといけない?私は、生きていたくないのに…。


 そんなことをぐるぐると考えているうちに徒歩5分くらいのところにあるドラッグストアにすぐに着いて、いつもの足取りで、いつもの薬売り場に向かう。もう慣れすぎて、私の目はすぐにいつもの睡眠薬をとらえた。レジに向かおうと足の向きを変えた次の瞬間、ふとこの前ネットで見た情報を思い出した。



 という情報だ。もちろん、人による差はあるみたいだけど、人によっては、強い副作用があるみたいで。私の手は気付いたら、睡眠薬と咳止め薬、どっちも手に取っていた。本当はどっちも買いたいくらいだけど、どっちも買うのはお金が尽きてしまいそうだからやめた。


 ふと考えてみたら、睡眠薬は私の体にほしいものをくれない。副作用も、死も。ということは、私の体に合っているのは咳止め薬の方なのかもしれない。そう思うと、決断は早かった。


 店員さんはアルバイトなのだろう。酷く冷たい態度で、金額を提示して、お釣りを返してきた。なんだか、私がこの世界自体から拒絶されているように感じられた。そう思ってしまったら最後。消えてしまった方がマシなんじゃないかという考えが、頭の中から消えなくなった。


 帰宅しても、いくら部屋が真っ暗でも、電気はつけなかった。キッチンだけ電気をつけて、さっき買ってきた咳止め薬を急いで開ける。改めて、この薬の副作用を調べてみることにした。そしたら、「え」と思わず声が出てしまって、誰もいないのに口を手で押さえた。きっと私のこの声は、「困惑」ではなく「期待」の方が込められていた気がする。


 どうやら、飲んだ人ほとんど全員、何かしらの副作用がみられているようだ。それもかなり強いもので、見られるのは絶対、幻覚とか幻聴とか、そっち方面のやばさ。


 それを知ってしまっては、私の手は止まらなかった。もう「期待」の気持ちしかなくて、心臓の音がはっきりと、そしていつもより大きく、ドクドク言っているのが聞こえた。粒は思っていたよりも小さかかった。なんだか体がこわばって、最初は6錠しか出せなかった。だけど消えたい気持ちが戻ってきたかのように、最終的には、粒が15~20錠くらいは乗っていた。数えていないし、数えるのすらめんどくさい。どうでもいい。


 もう、咲樹のことも、努力も、お母さんのことも、全部忘れたかった。いっそのこと死んでしまってもいいくらいに。そんな気持ちが、私の体の中に薬を流し込んでくれた。


 飲んでからは、少しわくわくしながら部屋に戻った。今更ながら、副作用が怖いと感じるようにもなった。幻覚とか幻聴とか、聞いたことしかないし。けど、あるならあるで、別にいいかな。経験したことないことを経験するのはいいことだし。


 だけど、本当にもし、死んでしまったら…?死んでしまったらどうなるんだろうか。遺書とか、そういうの書いといた方がいいのかな。だけど、どこに隠すか、というところが微妙だったから却下。倒れそうになったら、救急車を呼べばいいんだろうか。でも、搬送される時とかに親を呼ばれていろいろ聞かれるのはものすごく嫌だったから、それもすぐに頭の中で消した。


 結局、飲んだばっかりだし、死ぬにも、薬が効いてくるのもまだ先だろうから、せめて死ぬ時までは、優等生でいようと思った。そういえば、2時間目の授業の宿題が出ているんだった、と今になって思いだした。教科書とか、ネットで調べれば簡単に終わりそうな内容だったから、さっさと終わらせてしまおう。


 最後の最後まで私は、優等生を演じる。演じ切ってみせる。


 そう思って、私は座っていたベッドから立とうとして、いつも通り両手をついた。


 だけど、足には全く力が入らず、私の体はそこから1ミリも動かなかった。

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