第2話:自分への承認欲求

前回までのあらすじ:

 母に愛されているように感じない、専門学校1年生の清水 桜良きよみず さくら。朝起きると、いつも通り母は家にいなかった。薬の過剰摂取、オーバードーズをして、薬の写真をしっかりとインターネットに投稿しておく。外に出ると、2つ隣のマンションの部屋に住んでいる幼馴染、雪中 空ゆきなか そらに出会う。

 オーバードーズをしている自分に空を好きになる資格なんて存在しない、と思う桜良であったが、寒い中ココアをコンビニで買ってきて自分に渡してくれるところを見て、心が動いてしまう。しかし、すぐに自分の気持ちに蓋をする桜良なのであった……。


**********


 コンビニを出てまっすぐ行って、少し右に曲がったところ。そこが私たちの通う専門学校だ。他の専門学校がどんな大きさしているのかはわからないけど、うちの専門学校はそんなに大きくない。高校の時の友達に話したら広いねっていう子が多いし、通い始める前は広いところだなって感じてたけど、入学して3週間、慣れてしまったらもうそうは感じない。人間って、意外とすぐ慣れちゃうもんなんだな。



 私と空は同じ学科だけど、履修している科目は同じものもあれば違うものもある。だけどこの日の1時間目は同じだから、自然と一緒に教室に向かうことになる。

 私たちの1時間目の授業は、どの曜日も3階にあって、朝早くから足腰に深刻なダメージを与えにくる。エスカレーターがあれば違うんだろうけど、生憎そんなものは存在しないから、階段かエレベーターを使うしかない。エレベーターを使ってもいいんだけど、混んでるところしか見たことがないから嫌だ。そんなわけで、階段をゆっくり上っていった。足がだるい。なんで1時間目から階段をこんなに上らせるような階に教室があるんだろう。



 そんなことを考えながら歩いていたら、あっという間に教室に着いた。普通にいつも通り教室に入ると、すでに来ていた何人かの子が「おはよー」と挨拶してくれる。でも、別に仲がいい子たちということではない。話したこともないし、ただ一緒の授業を受けているというだけ。先週の作曲の課題で、私がめちゃくちゃ褒められていたのをみんな見ていたから、それが原因で、気持ちが悪いくらいに挨拶されるようになった。どうせその子たちも、私がオーバードーズをしているということは知らないくせに、笑顔で挨拶してくる。

 空はいつも通り、後ろら辺の席を選んで座っていた。特に誰かに話しかけるでも、話しかけられないでもなく、座ってすぐにスマホを見始めた。



 私も、前から5列目くらいの席にいつも通り座る。これくらいの席が、一番板書が見やすいし、何よりもなんだか居心地がいい。すると、後ろからパタ…パタ…と静かな足音が聞こえた。


「桜良―おはよー…」


 進堂咲樹しんどうさき。私の空の次にできた友達だ。いつもヘッドフォンを首から下げているくらいの音楽好き。だけどなんだか今日は、いつもよりも元気がないように見えた。


「おはよ、咲樹。いつもより元気なさそうだけど、どうしたの?」


 なんだかいつもよりも元気があまりないように見えて聞いてみたら、待ってましたとでもいうように私の方にバッと目を向けた。あまりの勢いのよさに、少しだけ体がびくっとしてしまう。


「聞いてよ桜良ぁ」


 咲樹も情緒が不安定なんだろうか(絶対私ほどではないけど)。少し表情が明るくなったかと思ったら、また寂しそうにふにゃあと表情がゆがむ。なんだか見てると面白く感じてしまって、ついつい口角が上がってしまう。


「中野先生の作曲の課題あるじゃん?全然うまくできた感じしないんだけどぉ…」


 と、しょんぼりという擬態語がつきそうなくらい寂しそうに言った。中野先生は、その作曲の課題を出す先生のことだ。かなり辛口評価だから、生徒の間でも好き嫌いがはっきりと分かれる。正直、私もそんな好きじゃない。実際、前に咲樹から直接聞いた話によると、その先生からいい評価をもらうことが一切ないらしい。かなりいいものではないと高評価はもらえない、のだとか。そのはずなのに、私は前回すごくいい評価をもらってしまった。理由はさっぱりわからない。


「大丈夫だよ、それを言うなら私もそうだし」


「ほんとー?なら大丈夫かな。じゃあ、お隣失礼!」


 嬉しそうに笑って、私の隣の席に座った。「私の隣」というだけなのに、ものすごく嬉しそうにしてくれる咲樹が、ものすごく好きだった。



 思えば、出会った時からそうだった気がする。入学して1週間、この授業に遅刻して教室に入ってきたのが、咲樹だった。みんなの視線が集まる中であわてて席を探していたのか、ふと見つけたのがどうやら私の隣の席だったらしい。他にも空いている席はあったんだろうけど、いちばん最初に目に入ったのが私の隣だった(咲樹からの後日談だけど)。

 

 そこから仲良くなるのに、時間はかからなかった。授業が終わった後に、帰ろうと思って席を立ったら、咲樹から声をかけてくれた。


「急に隣座っちゃってごめんね!昨日新作のゲームに夢中になってたらいつの間にか深夜になってて…」


 予想だにしない、というか、ただのドジな理由に、私は思わず吹き出してしまった。そんな私を見てきょとんとした後、2人でしばらく笑い合っていたのを思い出した。その後はたしか2人でファミレスまで行って、いろいろ話した。話した内容は、すでに頭の中から消えているけど…。



 授業開始の合図のチャイムが鳴って、私の意識は現在に戻った。すでに、その辛口評価な中野先生が教室に入ってきて、いつも通り、「課題はやってきたか?」と少し上から目線な発言をする。もちろん、生徒からの反応はない。チラホラと小さくうなずく生徒を見て、中野先生はピアノの準備をてきぱきと進める。


「じゃあ、4月27日木曜日、今から課題のチェックをするぞ。まずは…清水からいくか」


 私の方向に目線が向いていた気がしたから嫌な予感はしたけど、その嫌な予感は綺麗に的中したみたいだ。ただ、自分が作曲してきたとおりにピアノを弾くだけ。ピアノなんて、昔から見ているし弾いているものだから、なんも困難はない。


 だけどやっぱりピアノの椅子に座ると、独特な緊張感が走る。教室の最前にあるから当たり前だけど、みんなの視線が私に集まっているのを感じる。深呼吸をして、終わると同時に一気に弾き始める。私の後ろに立っている辛口評価な先生がどんな表情をしているかはわからない。みんなから小さくまた歓声が起きているのが、ピアノの音の向こう側から聞こえた気がした。


 ああ、またかとしか思わない。別に嬉しいとももう感じなくなった。どうせ、オーバードーズをしているのを知ったら評価が一気に下がるのをなんとなく感じているから。


 あっという間に、私の課題発表は終わった。ぺこりと簡単にみんなに向かってお辞儀をして、拍手が起きる。顔を上げると咲樹と目が合って、すごい笑顔で拍手してくれていた。そんな彼女に、また少し口角が上がる。


「清水、相変わらず上出来だ。戻っていいぞ」


「ありがとうございます」


 一応簡単にお礼を言って、席に戻る。咲樹が小さい声で「おつかれ~」と言って、小さく手を振っていた。


「やっぱり桜良すごいね!私感動しちゃった!」


「ほんと?ありがと」


 小さい声でそんな会話をしている間にも、課題のチェックは着々と進んでいった。やっぱり中野先生の辛口評価が響いていて、しょんぼりして席に戻る人もいる。今のところ、私くらいの拍手をもらっている人はいない。


 先生の目線が再び、こちらの方に向いてきた。


「よし、次、進堂!」


「あ、はい!」


 のんびりと課題のチェックの流れを見ていたら、咲樹が呼ばれた。私と同じように、椅子に座って深呼吸をして、鍵盤に手を伸ばす。




 次の瞬間、何かが私の中で崩れた。咲樹の作曲は、すごかった。もう、言葉にもならない。先生も見てみると、珍しく目を少し見開いて、驚いている様子だった。いつもはもっと落ち着きのある音なのに、今回のは…。



 「



 あっという間に発表は終わって、拍手が私の時よりもはるかに大きく、歓声も大きく上がった。私はあまりにも呆気に取られて、拍手を忘れていた。先生の隣にいる咲樹と目が合って、急いで拍手をした。


「ただいま~。緊張したぁ~」


「おかえり。すごかったね、咲樹」


「えへへ、そうかなあ。ありがと、桜良!」


 その笑顔が、初めてうざったらしく感じた。いつも、私の方が上だった。この作曲の課題も、テストの点数も。なのに、上をいかれた。私の方が優秀なはずなのに。

 だけど何よりも、私のこの感情が嫌だった。大事な友達なのに。咲樹は、大事な友達の「はず」なのに。私が勝手に劣等感みたいなのを持って、咲樹に腹を立てている。やっぱり私、最低だ。


「次、矢野原!」


「はい」


 次の人の指名で、ようやく意識が授業の方に戻った。だけど、まだなんだか胸のところがもやもやして気持ちが悪い。


「あ、矢野原やのはらくんだ。やっぱりイケメンだなぁ」


 そんな咲樹の言葉で、その「矢野原くん」を見る。他の人の時にはなかった、「がんばれー」とか、「やれやれー」とか。私の学科では人気者に値する人だ。まあたしかに顔は整っていて、高身長。女子から人気がありそうな顔してるなあなんて思う。前の作曲の課題の時、評価どうだったっけ…。


 その矢野原くんは緊張しないのか、椅子に座って小さく息を吐いて、すぐに弾き始めた。すぐに、教室の空気が変わった。みんなからも当然のように歓声が上がって、隣の咲樹も驚いたように目を見開いている。


「矢野原くん、すごいね」


「う、うん…」


 咲樹から言われても、正直、今の私には嫌味にしか聞こえなかった。さっきの咲樹の演奏があまりにもすごすぎて、だけど、今弾いてる矢野原くんもすごくて。私の演奏なんて、ちっぽけなものだったんだ。いや、演奏だけじゃない。「私」という存在が、ものすごくちっぽけで、不要な存在だと、音楽から言われているように感じた。



 コンサートの後のような大きな拍手でまた意識が戻った。咲樹に気づかれないように小さくため息を吐いて、拍手をする。劣等感の中でする拍手が、ものすごく気持ち悪いということに、今日初めて気づいた。



 その後、数人の後に空が呼ばれて、緊張気味に弾き始めた。空の音からは、相変わらず他の人とは違うものを感じた。どこか繊細で優しい、空そのもののような音がした。だけど、先生からの評価はやっぱり辛口で、しょぼんという顔文字のような顔で、席に戻っていった。私からしたら高評価なはずなのに、何が悪いというのだろう。



 あっという間にそんな感じで授業は終わって、咲樹は次の授業があるから、とすぐに席を立って行ってしまった。正直、咲樹に少しイライラしてきていたから、離れて正解だったかも。他のみんなも、ぞろぞろと教室を出ていく。私も次の授業があるから、と思って席を立って、教室の後ろの方…空が座っていた方を見た。だけど、すでに教室を出ているみたいで、その姿はなかった。


 少し、胸の奥が揺れたように感じたけど、気のせいだと思うようにした。




 幸い、次の授業の教室は同じ3階にある。ただ、少しだけ距離があるから歩かなきゃいけないけど。今日は、その授業さえ終われば学校での用事は全て終わりだ。

 ふと、視線の先に見慣れた人影があるのを見かけた。私の予想通り、その彼は声をかけてきた。


「あれ、桜良ちゃんじゃない?」


「あ、ほんとだ。桜良じゃん。次教室こっちだもんね」


「空に…優日くん」


 西丘優日にしおかゆうひくん。空の友達で、1週間前くらいに空が嬉しそうに紹介してきた子。



「桜良、友達できた!」


 子犬のように元気に、まぶしいくらいの笑顔で、優日くんのことを紹介してきたのを今でも鮮明に覚えている。その紹介してくれたのがちょうど昼休みの時間帯で、立ち話もなんだということで、一緒に大学の食堂に行って昼ご飯を食べることになった。

 同じ学科だけど、優日くんと面識があったわけではないから、最初はお互い緊張して、何も話せなかった。だけど、空が私との経緯とか(幼馴染だとか、一緒にピアノの教室に通っていただとか)いろいろ話してくれたおかげで、すぐに打ち解けた。つり目で、最初は苦手な感じな人かなと思ったけど、空の私との経緯を話す長話を真面目に聞いてくれるとことか、時々私に気軽に質問してくれるところとかから、ものすごく優しい性格だと思った。



「桜良ちゃん、なんか久しぶりだね。元気にしてた?」


「久しぶりだって言っても、1週間前に会ったばかりじゃない?」


「あ、たしかにそれもそうだね。でも元気そうで何より」


 優しく私に微笑んで、「空~」と、隣にいる空を呼んだ。


「どしたの、優日」


「桜良ちゃんってさ、空の彼女?」


「…え?」


 空は、目を見開いて優日くんの方をじっと見ていた。




「そんなわけないじゃん」


 私の口から出た言葉は、否定するものだった。気がついたら否定していた。笑顔で、空の顔を見ずに否定した。


「…はは、そうだよね。ごめんね、急にこんなこと聞いて」


「ううん、全然」


「じゃあ私、授業あるから。また」


 そう言って、空の横を通り過ぎた。何か言われたような気がしたけど、わからない。空の顔は、どういうわけか見れなかった。見るのが怖かったのか、単純に見れなかったのかは、自分でもわからないけど、見ない方がいいように感じたから…だと思う。


『空の彼女?』


 優日くんの言葉が、もう一度頭をよぎる。実際、彼女ではない。だから、間違ってはいない。ただの幼馴染で、幼い頃から一緒にピアノ教室に通って、同じ小学校、中学校、高校を卒業して、この専門学校に一緒に入学した。だから、「彼女」みたいに、そんな特別な存在なわけではない。そりゃ、他の人と比べたら、少しは違う存在なのかもしれないけど、少なくとも「彼女」ではない。しかも、「そんなもの」になる資格なんて、私にはないから。オーバードーズしてるし…、それが知られたら…。



 …とはいっても、今日は朝からずっとそうだ。なんで空との関係に悩み始めたんだろう。コンビニの前で、仲睦まじそうな男女見たから?空がわざわざココアを2人分買って、私てくれたから?いや、違う。今日の私がおかしいだけだ。なんで?いつもはこんなことで悩むことなんて、何1つないのに。そう思うと、胸のところがムカムカして、気持ち悪くなって、イライラもしてきた。


 偶然、教室に向かう途中にトイレがある。急いで駆け込んで、個室の鍵をかけた。ここだったら、誰にも見られないし、監視カメラとかで見られてる、とかいうこともない。急いでバッグの中からペットボトルの水を取り出し、薬を取り出そうとする。今になって、朝に飲んだ分で最後だったことを思い出した。


 なんとか飲みたいと思って、バッグの中をあさりながら探す。すると、まだ薬が4錠だけ残っているものが、バッグ内のポケットの中に入っていることに気づいた。その4錠だけすぐに取り出して手のひらに乗せ、忘れずに写真を撮る。いつも通り投稿アプリに投稿もしておいた。背景が少し雑な感じがするけど、トイレだし仕方ない。


 少し深呼吸をして、水とともにまた流し込む。朝の時よりもぬるい水が食道を通っていくのは、やっぱり気持ち悪い。だけど、やっぱり勝つのは安堵感だ。誰かに包みこまれているような、ふわふわしたような感覚。


 改めてもう一度自分の投稿を見て、写真を再チェックする。自分の右手の中指の傷がまだ少し残っていることに今更気づいた。いつの傷だっけ…と思ったけど、すぐに思い出した。お母さんが料理をしない(するわけないけど)から、私が代わりに料理を作ったときに、包丁で間違って中指を切ってしまったんだった。料理なんて、慣れないことするんじゃなかった。実際、あまりおいしくなかったし。


 スマホの画面上部の時計を見ると、次の授業が始まる3分前になっていることに気づいた。さすがにやばい。優等生でないといけないのに、遅刻なんてしたら成績にどれだけ響いてしまうかわからない。さっきの投稿に「いいね」がついているのだけ確認して、すぐにスマホを暗転させ、個室から出て教室まで走った。



 その「いいね」の欄は、絶対、私がフォローしている・フォローされている垢の人がほとんどだ。「いいね」してくれた人で、私と同じように病み垢だとわかる人は絶対にフォローしている。大体そういう人はフォローを返してくれるから。もちろん、出会い目的とか、病んでないような人は、一切フォローしていない。興味ないし、そういう方が気持ち悪いと感じるから。

 だけどその時、フォローしていない垢が私のその投稿に「いいね」したことを、まだ気づかずにいた。

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