第25話 しずくと玲子

「なっ……⁉︎」


 驚きのあまり、大きな声が出そうになった。


 大人気女優、稲盛玲子。

 まさに時の人である彼女が、目の前にいる。

 ていうか、今俺の名前を呼ばなかったか?


「あれ、違いました?」


「い、いえ! 確かに俺は純太郎ですけど……」


「ああ、よかった」


「可愛い後輩って、もしかして……」


「しずくちゃんのことですよ。純太郎くんのことは、あの子からたくさん聞いてます」


 そう言いながら、稲盛玲子は笑顔を見せる。


「しずくちゃんにこのお店のことを聞いて、ずっと来たいと思ってたんです。私もコーヒーが好きなので」


「そ、そうでしたか。ありがとうございます。コーヒーはホットですか?」


「はい、ホットでお願いします」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 落ち着かない心を抱えたまま、俺はマスターに注文を伝える。


「ホットコーヒーね、了解」


「あの……マスター、あのお客さん――――」


「芸能人の方でしょ? しずくちゃんと一緒にドラマに出てる」


「え、気づいてたんですか」


「雰囲気が違うもん。すぐ分かるよ」


 雰囲気とは一体なんだろうか。

 相変わらず歌原さんの感覚は理解できそうにない。


「お待たせしました、ホットコーヒーです」


「ありがとうございます」


「ごゆっくりどうぞ」


 コーヒーを届けた俺は、テーブルを離れようとした。

 しかし、ふと好奇心が芽生えてしまった俺は、その場で振り返る。


「あの……」


「? どうかしました?」


「しずくは、その……現場で上手くやれてますか?」


 なんてことを聞くんだと、自分で自分を殴りたくなる。

 いつもなら、客にこんな風に話しかけることはあり得ない。

 ただ、しずくから俺の話を聞いたという彼女なら、少しくらい話を聞かせてもらえるのではないかと思ったのだ。


「しずくちゃんはすごく頑張ってますよ。多分だけど、現場の中じゃ一番努力してるんじゃないかな」


「そうですか……」


「みんな初心者のしずくちゃんに引っ張られてる。先輩の俳優さんなんて、『久しぶりに自分が出た映画の演技を見返してきた』なんて言っちゃって……ベテランたちの意識を変えるなんて、なかなかできることじゃないんだから」


 稲盛さんは、苦笑いを浮かべていた。

 きっと、彼女は彼女で、他の俳優さんとの関係に苦労したことがあったのだろう。

 

「しずくちゃんの演技もすごくよくなってるし、全体的にドラマの質が上がって、視聴率もすごく伸びてるのよ」


 稲盛さんは、いつの間にか崩れた口調になっていた。

 しずくの話で、かなりテンションが上がったようだ。


 彼女が褒められているのを聞くと、やはり気分がいい。

 しかも同じ現場で仕事している、実力派大人気女優からのベタ褒めだ。

 そんな人から褒められるなんて、まさに自慢の友達というやつである。


「……ありがとうございます。しずくのことを褒めてくれて」


「ふふっ、やっぱり、純太郎くんはしずくちゃんから聞いてた通りの男の子ね」


「え?」


「優しくて、真っ直ぐで……すごくいい目をしてる」


 しずくは、俺のことをどう話しているのだろう。

 他にどんなことを言っていたか聞こうと思った瞬間、再び入り口のベルが鳴った。


「ちょ、ちょっと……! 玲子さん!」


 息を切らしながら現れたのは、しずくだった。

 稲盛さんは、その姿を見てお茶目に舌を出す。


「あら、もう来ちゃった」


「急に呼び出されたと思ったら、まさかこの店だなんて……純太郎に変なこと言ってませんよね⁉︎」


「言ってないわよ。しずくちゃんが、いっつも純太郎くんの話ばっかりしてるって伝えたくらい」


「変なこと言ってるじゃないですか!」


 顔を真っ赤にして怒っているしずくを見て、稲盛さんは楽しそうに笑っている。どちらかと言えばからかう側だったはずのしずくが、いいように遊ばれていた。

 大人の女性、おそるべし。

 

「まあまあ、せっかくだから話していきましょうよ。ほら、座って?」


「むう……」


 恥ずかしそうな表情で、しずくは一度俺のほうを見る。


「……ご注文は?」


「あ、アイスコーヒーで……」


「かしこまりました」


 俺は少し笑いそうになりながらも、マスターに注文を伝えるべくテーブルを離れた。


◇◆◇


「ほ、本当にどういうつもりですか、玲子さん……!」


 純太郎が側にいないことを確認して、私は玲子さんに問いかける。


「どういうつもりって……しずくちゃんがあまりにもこのお店の話をするから、気になっちゃっただけよ? 何か問題あった?」


「それは……ないですけど」


 そう、別に玲子さんに非はない。

 むしろ私のおすすめを聞いて、実際に足を運んでくれたのは喜ぶべきことだ。

 意味分からないことを言っているのは、私のほう。

 そんなことは理解しているけど、この恥ずかしさはどうにもならない。


「……なんて、ごめんね、意地悪して。このお店のコーヒーが気になってたのは本当だけど、しずくちゃんがいつも話してる純太郎くんが気になったのも本当だから」


「もう……! ……純太郎とは、他に何を話したんですか?」


「別に、まだほとんど話してないわ」


「本当に?」


「本当よ」


 自分で言うのもなんだが、玲子さんは私と同じように人をからかうことが好きだ。

 そしてどうやら、今はそのターゲットを私に定めているらしい。可愛がってもらっているのは事実だけど、遊ばれているのもまた事実。

 世間に広がる清楚可憐なイメージはどこへやら。

 実際の稲盛玲子は、共演者が手を焼くほどのいたずらっ子なのだ。

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