第24話 襲来

「最近、雨多いねぇ」


 歌原さんは、外を眺めながらそういった。

 外は土砂降りの雨。

 梅雨だから仕方ないことではあるのだが、あまりにも多いと、さすがに気が滅入ってくる。


「雨宿りで来てくれるお客さんが増えるのはいいんだけどねぇ……はぁ」


「そういえばマスター、雨の日はあんまり体調がよくないって言ってましたっけ」


「そうなの……辛くて動けなーいってわけじゃないんだけど、こう肩が重いって感じ? だるーいみたいな」


「分からなくはないですよ、マスターの気持ち」


 世の中には、気象病という言葉がある。

 天候や気圧の変化によって、体調不良を感じる疾患のことだ。

 この疾患は、分からない人にはまったく理解できないらしい。

 

「でもまあ、こういうときこそコーヒーの出番だったりするのよねぇ」


 そう言いながら、歌原さんは俺にホットコーヒーを手渡してきた。

 

「ありがとうございます」


 受け取ったコーヒーに口をつける。

 強い香りと深いコクが、口から鼻にかけて広がった。

 

 コーヒーに含まれるカフェインには、気象病を緩和する効果があるとされている。しかし、人によってはその反対のことを主張しているため、鵜呑みにはしないでほしい。

 あくまで俺と歌原さんは、コーヒーで楽になるタイプというだけだ。


「そうだ、最近しずくちゃんとは上手くやってる?」


「しずくとですか? うーん……今のところ変わりないって感じですかね」


「ふーん……?」


 歌原さんが、意味深な視線を送ってくる。

 どうやら期待していた答えではなかったようだが、変わりないと言ったら変わりないのだ。

 昼休みは宿直室で駄弁って、夜はこの店で駄弁る。

 そういう生活が一ヶ月近く続いているのに、よく話題が尽きないものだ。


「……でも、一緒に出かける約束はしましたよ」


「え⁉︎ デートってことじゃん!」


 歌原さんは、どこか興奮した様子で、その言葉を口にした。

 やっぱり、これはデートなのか。

 勘違いしないように努めていたが、傍から見てもそう思うのであれば、俺の感覚は間違っていないのかもしれない。


 色々と考えすぎなのだろうか?

 今まで一度も異性と出かける機会なんてなかったから、こっちは何も分からない。


「デートって……どうすればいいんですかね」


「うーん……私も恋愛経験豊富ってわけじゃないし……高校生のときなんて、恋愛にまったく興味なかったしね」


 そう言いながら唸っていた歌原さんは、途中でハッとした。


「高校と言えば……アキラから聞いたよ。あの宿直室を純くんたちが使ってるって」


「あ、はい。マスターも高校時代に使ってたんですよね?」


「そうそう! こっそり忍び込んで、好き放題してたなぁ」


 昔を懐かしみながら、歌原さんはウェーブのかかった髪を指でいじった。

 

「昔は髪もこんなに長くなくて、ボブっぽかったんだよねぇ」


「真宮先生から、昔はやんちゃだったって聞きました」


「アキラったらそんなことまで……」


 歌原さんは恥ずかしそうに頬を押さえる。

 否定しないところを見るに、どうやら真宮先生の話は、まったく誇張していなかったようだ。


「別に誰かに迷惑をかけたってわけじゃないのよ? ほんとに」


「そこは疑ってませんけど……」


「……今とは全然違うけど、あのときはあのときで、すごく楽しかった。アキラったら、最初はブラックは苦いから嫌だとか言っててね? 飲めるようにするために、無理やり私が調教したの」


 あれ、迷惑をかけたわけじゃないって言ってなかったか?

 いや――――やめておこう、この件に触れるのは。


「純くん」


「は、はい」


「あの道具たちのこと、できるだけ大事にしてあげて。もうずいぶん古くなっちゃったけど、思い出がたくさん詰まってるから」


「……はい、もちろんです」


 歌原さんは、安心したように微笑んだ。

 俺は今、正式にあの道具たちを継承することができたのではなかろうか。

 なんとなくだけど、そう思った。


 そんな会話をしていると、入り口のほうから来客を知らせるベルの音が聞こえてきた。

 俺はすぐに対応に向かう。


「いらっしゃいませ、一名様でしょうか」


「ええ、ひとりです」


 そう答えたのは、若い女性だった。

 目深に帽子を被り、サングラスで目元を隠しているため、素顔は分からない。

 学生らしさはない。俺よりは年上ということか。

 

「かしこまりました、こちらの席へどうぞ」


 客をテーブル席へと案内する。

 マスターが反応しないということは、この人は新規のお客様ということ。

 

(そのはずなんだけど……)


 不思議と、どこかで見たことがある気がするのだ。

 しかも、かなり最近。

 

「このお店、客に合わせたコーヒーを出すと聞いたんですけど、それをいただけます?」


「え、あ、かしこまりました……」


 驚きのあまり、思わず口ごもってしまった。

 歌原さんの淹れ方について知っている人は、常連さんの中でも意外と少ない。

 わざわざ人によって淹れ方を変えているなんて話はしないし、そこまで興味を持って訊いてくる人もいないからだ。


「あの、お尋ねしたいのですが……その話は一体どこで……?」


「可愛い後輩から聞きました。……あなたのこともね」


「え?」


「確か、純太郎くん……でしたっけ」


 そう言いながら、女性はサングラスをわずかに下にずらす。

 あらわになった素顔を見て、俺は彼女が誰であるかを理解した。


「初めまして、稲盛玲子です……知ってくれてます?」


 

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