第23話 しずくの夜

「出かけるって……どこに?」


「映画館とか……水族館とか? 美術館って……デートスポットじゃないか――――あ、デートってわけじゃ……あれ、私ちょっと、必死すぎ?」


 しずくの視線が、あっちこっちに飛び回る。

 ここまで動揺している彼女を見るのは、初めてかもしれない。


「まあ……俺でよければ、一日くらい全然」


「ほんと⁉ じゃあ……収録が終わったら、すぐ連絡するから……一緒に計画立てよ?」


「あ、ああ……」


 これは、いわゆるデートの約束というやつなのでは?

 いや、でも、しずくは否定したし、そういうつもりではないのかもしれない。

 勘違いするな、俺。見当違いな期待は相手に迷惑なだけだ。

 火照った顔を冷ますべく、アイスコーヒーを呷る。


「ど、どうしたの? 純太郎」


「いや……喉が渇いてな」


「あー、夏だもんね」


 そう言いながら、しずくは外を見た。

 行き交う人々の格好は、すっかり薄着になっている。

 いよいよ七月が近づいてきているし、夏も間もなく本番といったところか。


「出かけるなら、やっぱり夏休みかな……」


「夏休みは空いてるのか?」


「空いてるよ。ドラマが終わったばかりだから、少しお休みもらうつもりだし」


「それならよかった……」


「よかったって?」


「最近ますます忙しくなってきたみたいだから、体が心配だったんだ」


 授業中に、しずくが眠気と戦っているところをよく見るようになった。

 こうして話しているときも、ボーっとしていることが増えた気がする。

 疲れが溜まっているのは明らかだ。

 それがずっと心配だったのだが、ゆっくり休める時間があるのなら、友人として少しは安心できるというもの。


「しんどいと言えばしんどいけど、まだまだ頑張れるよ。ご褒美も決まったことだしね」


 そう言って、しずくは得意げにウインクした。


◇◆◇


 家に帰ってきた私は、そのままベッドに倒れ込んだ。

 そしてすぐに、横にならなければよかったと後悔する。

 ドッと疲れが押し寄せてきて、瞼がゆっくりと落ちてきた。


「だめ……ちゃんとシャワー浴びないと」


 自分を奮い立たせて、無理やり体を起こす。

 日々手入れをしなければ、肌なんてすぐに荒れてしまう。

 モデルや女優として働くなら、これは欠かせない。


「……ひどい顔」


 洗面所の鏡に写る私の顔からは、生気を感じなかった。

 肌の状態はともかく、そもそも顔色があまりよろしくない。

 メイクで血色をよく見せているから、周りの人たちには気づかれていない……はず。


「でも、純太郎は気づいてたよね」


 あの心配そうな顔。

 間違いなく純太郎は私の体調を見抜いていた。

 

 少しずつ、私は今の生活に慣れてきている気がする。

 撮影が始まったばかりのときは辛くて仕方がなかったけど、ようやくこの生活リズムを体が覚えてくれた。

 最初からこういう生活ができたなら、こんなに疲労が溜まることもなかっただろう。

 

 ――――この疲れさえ取れれば……。


 そんな考えを、私は頬を叩いて追い出した。

 ドラマ撮影が終われば、ゆっくり休めるのだ。

 溜まった疲れがなんだ。弱音なんて吐いてないで、次の仕事に活かせるよう考えろ。

 何度も何度も、自分にそう言い聞かせる。

 

 やるべきことからやっていこう。

 

 私はシャワーで汗を流し、スキンケアと歯磨きを済ませてから、自室へ戻った。

 このままベッドに飛び込みたい。

 そう思いながらも、私はデスクにつく。

 鞄から取り出したのは、明日収録する予定の台本だ。

 キャストの人たちは、みんな役者を本業としている。

 私が中途半端な仕事をして、足を引っ張るわけにはいかない。

 

 すでに覚えている台本を、何度も見返して頭に叩き込んでいく。

 演技力も、現場での対応力も、まだまだ周りと比べることすらおこがましいレベルだ。

 ならばせめて、台本だけは完璧にしなければ。

 

「……ふぅ」


 最後のセリフを読み上げ、私は台本を閉じる。

 時刻は深夜一時を回っていた。

 もう寝なければ。明日は朝から撮影するため、五時には家を出なければならない。

 できることは、すべてやったはず。

 収録はあと二話分しかない。

 そう考えれば、ゴールが見えている分、些か気持ちが楽になる。


「終わったら……純太郎とデートか」


 約束を思い出すと、心がドキドキして、じんわりと温かくなる。

 純太郎は、いつだって私に元気をくれる。

 彼と過ごすことをご褒美にすれば、どんなに大変な仕事でも頑張れる。


「デート、何着てこうかな」


 早く寝たほうがいいのに、私はおもむろにクローゼットを漁り始めてしまった。

 どうせ大して寝られないのだ。

 今更少し寝るのが遅くなったところで、何も変わらない。

 それよりも、純太郎とのデートを妄想して、自分の心を奮い立たせるほうが重要だ。


 ――――今頃、純太郎はコーヒーを淹れる練習でもしているのだろうか。しているんだろうな、きっと。


 服を選びながらも、頭では彼のことを考えている。

 考えるまでもなく、私は純太郎のことが好きだ。


 私の気持ちを尊重して、寄り添ってくれるところ。

 夢に向かって日々努力しているところ。

 苦しいときに、いつも必ず褒めてくれるところ。


 あんな理想的な人、他にいない。


「絶対に振り向かせるよ、純太郎……」


 姿見に写った自分に、私はそう宣言した。 


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