第20話 品評会

 喫茶メロウの品評会は、まず豆の段階で香りを確かめる。


「……どれもいい香り」


 全部で五つある器を、それぞれ嗅いでいく。

 俺も香りだけで品種を当てられるほど、洗練された感覚を持っているわけではない。

 なんとなくの違いは分かるが、しずくと大差ない感想しか出てこなかった。


「実際に、全部淹れてみましょうか」


 歌原さんは、目の前にあった豆を使って、アイスコーヒーを淹れてくれた。


「実はコーヒーって、名前のつけ方がすごく難しいの」


「どう難しいんですか?」


「ブルーマウンテンとか、キリマンジャロって分かる?」


「はい、名前は聞いたことがあります」


「少し詳しく話すと、ブルーマウンテンっていうのは、ジャマイカにあるブルーマウンテン山脈で栽培された、希少な豆なの」


「じゃあ……ジャマイカで作られた他の豆は……?」


「特別な名称はつかなくて、ジャマイカ産コーヒーって呼ばれることが多いかな」


「へぇ……!」


 ブルーマウンテンやキリマンジャロは、いわゆるブランドの名前だ。

 公正な審査を受けて、一定以上の基準を満たさない限り、このブランドの名前は名乗れない。


「名称のないコーヒー豆は、国名、地域名、農園の名前を組み合わせて呼ぶことが多いかな。でも、それだとちょっと呼びにくいから、どこの喫茶店もオリジナルの名前をつけてたりするのよ」


 喫茶メロウでは、客に合わせて豆をブレンドして出すことが多いため、メニューには『メロウブレンド』と書かれている。

 コーヒーは各喫茶店の看板メニュー。

 特にブレンドは、その喫茶店の個性が出る、いわば顔のような存在。

 ラーメン屋で言うところの、スープ。

 カレー屋で言うところの、ルーだ。

 喫茶メロウのブレンドは、歌原さんのこだわりが反映されて、かなり評判がいい。

 俺には、それが何よりも誇らしかった。


「ここにある五つの豆は、アイスコーヒー向けに厳選したやつだよ。焙煎度合いは、全部深煎り。ちなみに、しずくちゃん。深煎りって何か覚えてる?」


「深煎りは……えっと、確か焙煎時間が長くて、苦味が強く出るんですよね」


「そうそう。覚えててくれて嬉しい」


 花が咲いたような笑顔を見せる歌原さんを見て、しずくも嬉しそうに頬を掻いた。


「ちなみに、焙煎度合いは大きく分けて三段階だけど、正確には、ここまで段階分けができるのよ?」


 ライトロースト

 シナモンロースト

 ミディアムロースト

 ハイロースト

 シティロースト

 フルシティロースト

 フレンチロースト

 イタリアンロースト


 全八段階。

 これが、コーヒーの焙煎度合いである。


「お、多いですね……」


「全部覚える必要はないよ~。こういうのは、お店をやる人だけ覚えておけばいいんだから」


 改めて、俺たちはアイスコーヒーに口をつけていく。

 

 どれも強い苦味とコクを一番に感じた。

 すべてアイスコーヒーにぴったりな豆と言える。


「……すみません、ここまで全部同じに感じます」


 しずくが四杯目に口をつけた段階で、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「仕方ない。俺だって一年間修行したけど、まだまだはっきりとした違いは分からないからな」


「そうそう。大事なのは、いかに自分の好みに近いか、だからね~」


 歌原さんの言う通り、一番大切なことは、どの豆が自分の舌に合うか。

 この五つの中に限るなら、俺はもう決まっている。


「……あ、でもこれ美味しい」


 しずくが五杯目のコーヒーに口をつけ、そう呟いた。

 奇しくも、それは俺が、一番舌に合うと思った豆だった。 


「しずくも、それがいいと思ったのか」


「うん。苦味は強いんだけど、飲みやすい感じがして……私はこれが一番好き」


「俺も同じだ。マスターはどうですか?」


 俺が問いかけると、歌原さんは大きく頷いた。


「そうだねぇ、私もこれが美味しいと思う。……まあ『マンデリン』だし、ちょっと飛び抜けてるのは間違いないからね」


「そうか……どうりで美味しいと思いました」


 俺と歌原さんが肩を落としたのを見て、しずくが首を傾げる。


「マンデリンって……名前? ってことは、ブランドの豆ってこと?」


「ああ……そういうことだ」


「もしかして、ブランドの豆って……高い?」


「……」


 俺は、黙って頷いた。


 ブランド名がついている豆は、基本的に高額になる。

 限られた産地でしか作られていないのだから、当然といえば当然だ。

 これをそのまま使おうとすれば、今の値段でコーヒーを提供するのは、かなり難しくなるだろう。


「でも、これが美味しいのは間違いないんだよねぇ……」


 歌原さんは、かなり困った顔をしている。

 しずくでも分かるくらいの味の差は、決して無視できるものじゃない。

 コーヒーだけは妥協しないと、歌原さんは常々語っていた。

 ここでマンデリンを使わないのは、ポリシーに反する。


「……ありがとう、二人とも。ちょっと私、思い切ってみるよ」


 そう言いながら、歌原さんは俺たちの前で胸を張った。


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