第18話 ちょっとした過去の話
「って、神坂までいるじゃねぇか。なんだお前ら、逢引か?」
「学校でそんなことするわけないじゃないですか……!」
俺は否定するが、真宮先生はそれを無視して畳に上がってくる。
そして白衣の内側から、隠してあったであろうタバコを取り出した。
「アキラちゃん、確かこの学校って禁煙じゃなかった?」
「お前ら二人とも細かいヤツだなぁ……この部屋使っていいって言ってんだから、タバコくらい好きに吸わせろ」
「むぅ……」
そう言われると、こちらも引き下がるしかない。
「……ふぅ」
窓を開けて、真宮先生はタバコを吸い始めた。
宿直室の窓は、校舎の裏側にある。
外には茂みもあるし、よそから煙を見られることはないだろうけど、ずいぶん大胆な犯行だ。
「なあ、恩着せがましくて悪いが、あたしのコーヒーも淹れてくれないか?」
「え? あ、ああ……俺の淹れたものでよければ」
真宮先生も、コーヒーが好きなのだろうか?
この部屋を使わせてもらうために必要なら、喜んで淹れるとしよう。
「ど、どうぞ……」
「おー、サンキュー」
先ほどの同じ手順で、一杯分のコーヒーを淹れた。
今更だが、教師に自分の淹れたコーヒーを飲んでもらうって、一体どういう状況なのだろう。
変に意識した途端、強い緊張が体に走った。
「……あー、美味いな」
その言葉を聞いて、俺はようやく肩の力を抜いた。
「美味しいよね、純太郎のコーヒー」
「あー、大したもんだ。ま、正直細かい風味とか分かんねぇけど」
そう言いながら、真宮先生はヘラヘラと笑う。
「さすがは
「弟子……あいつって、まさか」
俺がハッとすると、真宮先生はにやりと笑った。
「由美のところでバイトしてんだろ? お前の話は、あいつから聞いてるよ」
「マスターと友達だったんですね……!」
言われてみれば、歌原さんと真宮先生は同い年だ。
まさか二人が知り合いだったとは。
「由美とは中学から一緒でな。散々やんちゃもしたもんだよ」
窓辺に背を預けた真宮先生は、空に向かって煙を吐いた。
「え、あの優しそうなマスターが? 想像できないよ」
「真面目に働いてる今はそんなことねぇだろうが、昔はあいつもやんちゃだったんだよ。あたしよりも全然ワルだったね」
昔を懐かしむような表情を浮かべ、真宮先生は再びヘラヘラと笑った。
そういえば、俺は歌原さんの過去をほとんど知らない。
雑談の中で経歴くらいは聞いているが、人間関係とか、学生時代の話はしてくれなかった。
あまり語れるような過去ではなかったのなら、それも納得できる。
「あたしもあいつも、ここが母校でさ。この宿直室をたまり場にしてたんだよ」
「たまり場って……」
「よく勘違いされるんだが、ここをたまり場にしようって言いだしたのは由美だ。昼休みもコーヒーを淹れる練習がしたいとか言い出して、それ以来あたしは、ずっと試飲係をやらされてた。ほら、あいつも立派なワルだろ?」
俺はしずくと顔を見合わせる。
歌原さんたちも、俺たちと同じようなことをしていたらしい。
なんたる偶然。
いや、師匠に似てしまっただけか?
「ここにある道具は、全部あいつが使ってたもんだ。あいつに頼まれて、たまに手入れしてたんだけど……まだ使えたみたいで安心したよ」
「そうだったんですね……」
誰も使っていないはずの道具が、何故か綺麗だった理由が、これでよく分かった。
「バイト代で家電まで最新のものを用意し始めたときは、さすがに引いたな……おかげでまだ動いてるみたいだが」
「行動力すごすぎない?」
「やりたいことのためなら、労力を惜しまない女だからな、あいつは」
それにしても、若干やり過ぎだと思ってしまう。
しかし、その努力が今の歌原さんの実力に繋がっているのなら、すべて必要だったということだ。
「あいつがバイトを雇ったって話をしてきたときは、どうなるかと思ったが……御影なら大丈夫そうだな」
タバコを携帯灰皿に捨てた真宮先生は、俺の頭を指で小突いた。
表情が変わらないせいで分かりづらいが、どうやら褒めてもらえたらしい。
「これからも由美を頼むわ。結構バカだからさ、あいつ」
その声色は、まるで手のかかる妹について話しているかのようだった。
「そんじゃ、これからもこの部屋は使っていいから。その代わり、たまにはあたしにもコーヒー飲ませろよ」
「……はい、もちろん」
ヒラヒラと手を振って、真宮先生は宿直室を後にした。
「意外だね、アキラちゃんとマスターが友達――――っていうか、親友だったなんて」
「そうだな……」
俺は、改めて室内を見回した。
憧れの人が、自分の腕を磨いた場所。
きっとあの人は、四六時中コーヒーのことを考えていたのだろう。
俺も同じくらいの努力をしなければ、追いつくなんて夢のまた夢だ。
「しずく……これからしばらく俺の練習に付き合ってほしいんだけど、いいか?」
「もちろん! 学校でもコーヒーが飲みたいって言ったのは私だし、大歓迎だよ」
そう言いながら胸を張ったしずくに、俺は深く感謝を告げた。
気づけば、もうすぐ昼休みが終わる時間。
俺たちは慌てて昼食を済ませ、宿直室を後にした。
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