第17話 目標を掲げる

 また翌日の昼休み。

 俺はしずくと一緒に、再び宿直室を訪れていた。


「今日は家から豆とフィルターを持ってきたぞ」


「学校で淹れたてのコーヒーが飲めるなんて、贅沢だね」


 早速、準備を始める。

 コーヒーを淹れるために必要なミネラルウォーターは、しずくが買ってくれた。

 お湯を沸かしながら、ミルで豆を挽く。

 そしてペーパーフィルターをドリッパーに置き、沸いたお湯を注ぎ始めた。

 

「……」


 俺が集中しているのを察してか、頑張って口を押さえているしずくが見えた。

 その様子がなんだかおかしくて、思わずお湯を注ぐ手が揺れそうになる。

 しかし、こっちも歌原さんのもとで一年以上修行した身。

 心を乱した程度で、ミスるわけにはいかない。


「――――よし」


 ほぼ三分以内に注ぎ切ることができた。

 我ながら、なかなか上手くいったと思う。


「悪い、しずく。ソーサーを取ってもらえるか?」


「そーさー?」


「あっ……えっと、そこにある受け皿のことだ」


「あー! これソーサーって言うんだ」


 あらかじめお湯を入れて、温めておいたコーヒーカップを、ソーサーの上に置く。

 ちなみに、ホットコーヒーを淹れる際は、あらかじめカップを温めておいたほうがいい。


 コーヒーを注ぐと、部屋中に香ばしい匂いが広がった。

 

「いい香りだね」


「ああ、なかなか上手く淹れられたほうだと思う」


 俺たちは、部屋の隅に立てかけてあったちゃぶ台を持ってきて、畳の上に座る。


「「いただきます」」


 なんとなく手を合わせて、俺は淹れたばかりのコーヒーに口をつけた。

 強い苦味とわずかな酸味、そして深いコクが口内と鼻腔を駆け抜ける。

 

「美味しい……これ美味しいよ、純太郎」


「ああ、我ながら大成功かもしれない」


 だが――――。


 残念ながら、これでも歌原さんが淹れたものには及ばない。

 あの人が淹れたコーヒーは、深いコクを出しながらも、雑味が一切ないのだ。

 今日のコーヒーは深いコクを出すことには成功したが、雑味が一切ないかと訊かれるとそうではない。

 上品な苦味の中に、ほんのちょっと過剰な酸味を感じる。

 これこそが雑味だ。

 大成功とは言ったものの、俺はまだ、マニュアルを完璧にこなしたところで止まっている。


「豆、一粒一粒の個性を知る……か」


 難しいことこの上ない。

 しかし、確かなやり甲斐も感じる。


「……申し訳ないけど、私にはまだ、違いが全然分からないかも。マスターが淹れてくれたやつも、純太郎が淹れてくれたやつも、どっちもすごく美味しいよ」


「ありがとう……でも、俺はこのもう一つ先に行きたいんだ」


 再びコーヒーを口に含む。

 確かに美味い。

 歌原さん曰く、どこの喫茶店で働かせても恥ずかしくないレベルではあるそうだ。

 だけど、まだ足りない。


「俺は……人生で、これだけはやりきったっていうものが欲しい。だから、マスターと同じところに行ってみたいんだよ」


「……」


「――――なんて、急に語って恥ずかしいな」


 俺がそう言うと、しずくは首を横に振った。


「恥ずかしくなんかない。立派な目標だと思う。……純太郎はすごいよ。目標を立てて努力するのって、簡単にできることじゃないから」


「そういうしずくだって、めげずに頑張ってるじゃないか」


「そう、かな……そう言ってもらえると、なんだか安心するね」


 しずくは照れながら、コーヒーを口にする。

 

「今はさ、あのお店に通ってコーヒーを飲むっていう目標のために頑張れてる。でも、なんていうか……純太郎みたいに、大きな目標がないんだよね」


「大きな目標?」


「うーん……モデル活動で、これだけは絶対に成し遂げたいことっていうか……ほら、喫茶店に通うって、一日一日の小さな目標でしょ? モデルなら、たとえば――――海外でランウェイを歩くとか?」


 しずくは目を伏せ、寂しげに言葉を続ける。


「そういう目標が、私にはないんだ」


 そう言いながら、しずくは苦笑いを浮かべた。


「……見つからないからって、焦る必要はないんじゃないか?」


「え?」


 パッと顔を上げたしずくに向かって、俺は言葉を続ける。


「芸能界のことは分からないが……たとえば、モデルとして活動し続けることだって、立派で大きな目標だと思う。

 体型を維持することは仕事の一環だって言ってたけど、俺にはとても真似できない。しかもそれを何年も続けるなんて、立派な努力でしかないだろ?」


「……」


 しずくは、俺の話を真剣な眼差しで聴いている。

 

「あまり偉そうなことは言えないけど……まずは、目標を見つけることを目標にするっていうのはどうだ?」


「目標を見つけることが目標、か……いいね、それ。気に入ったよ」


 しずくは何か憑きものが落ちたかのように、にこやかに笑った。

 少しでも彼女の気持ちが晴れたのなら、口下手な俺も、努力した甲斐があったというもの。

 

「純太郎、私が目標を見つけることに協力してくれる?」


「もちろん。しずくのためなら、いくらでも協力する。なんたって――――」


「なんたって……?」


「友達だからな」


 俺の唯一の。


「……友達か。まあ、そうだよね」


 何故か肩を落としたしずくを見て、俺は首を傾げた。

 その時、宿直室の扉が勢いよく開かれる。


「おー、本当に淹れてんだな、コーヒー」


 そこには、いつも通り気怠げな顔の真宮先生が立っていた。


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