第16話 自分たちの城
しずくに少し待ってもらい、俺は職員室へ足を踏み入れた。
するとちょうど部屋を出ようとしていた真宮先生と目が合う。
「あ、真宮先生」
「アキラちゃんって呼べ。殺すぞ」
「それはちょっと難しいんですけど……」
――――相変わらず理不尽な人だ。
「あの、職員室にコーヒーを淹れる道具ってありませんか?」
「コーヒーの道具?」
「コーヒーミルとか、ドリッパーとかなんですけど」
「あー……」
真宮先生の視線の先には、ケトルや、ティーパックなどが置いてあった。
どうやらインスタントコーヒーはあるようだが、お目当ての道具は見当たらない。
「……ねぇな」
「そうですか……」
「お前、学校でコーヒー淹れようとしてんのか」
「あ、はい……色々わけがありまして」
「……ちょっと待ってろ」
「……?」
真宮先生は壁にかかっていた鍵を持って、俺のもとへ戻ってくる。
「えっと……それは?」
「宿直室の鍵だ。あそこならコーヒーの道具が揃ってるかもしれねぇ」
「え、でもそこは用務員さんが泊まるための場所なんじゃ……」
「用務員が泊まるなんてのは、もうずいぶん昔の話だ。今じゃただの空き教室だよ。あたしもよくそこでタバコ吸ってる」
「駄目じゃないですか、それ」
確かうちの学校はどこも禁煙だったはず。
「細かいことを抜かすな。とりあえず、その鍵は放課後までに返せばいいから」
「……ありがとうございます」
宿直室を使わせてもらえるのはありがたい。
しずくは校内であまり目立ちたくないはずだし、人が近寄らない教室なら、比較的リラックスできるはず。
俺は受け取った鍵を握りしめて、職員室を出た。
「宿直室?」
「ああ、そこなら道具があるかもって」
俺はしずくを連れて、目的地へと向かっていた。
人気の少ない薄暗い廊下の先。
校舎の外れともいえるその場所に、宿直室はあった。
「一年以上通ってるけど、ここまで来たの初めてかも」
「俺もだ……開けるぞ」
少々ガタついた扉を開き、中に足を踏み入れる。
そこは畳の敷かれた部屋だった。
ガスコンロや電子レンジ、冷蔵庫などが置いてあり、押し入れのような物もある。
部屋の中心にはローテーブルがあり、その上には吸い殻の残った灰皿があった。
そんな古い物ではない気がする。
きっと真宮先生が吸ったものだろう。
よく嗅ぐと、少々タバコ臭い。
「使われなくなった割には、家電とかあるんだね……古いけど全然動くみたいだよ?」
「ああ、冷蔵庫も冷えてるな」
どれも十年くらい前の物だが、まだまだ現役といった感じだ。
フライパンなどもあるようだし、これなら食材次第で料理もできる。
「純太郎、これじゃない?」
「ん?」
コンロの下の戸棚を覗き込むと、そこにはミルやドリッパーなど、コーヒーを淹れるための道具が一式揃っていた。
驚いたことに、どれも手入れが行き届いている。
小さな傷などの経年劣化は見られるものの、汚れは一切見られない。
「大事に使われてたんだな……」
この手入れのされ方は、本当に大切に使われていた証拠。
これから俺たちが使うにしても、前の持ち主に恥じないような使い方をしなければならない。
「まあ、豆はないんだけどな」
「そうだね……」
一応、二人で部屋中を漁ったが、そこにコーヒー豆はなかった。
仮に見つかったとしても、おそらく賞味期限は切れていただろう。
コーヒー豆の賞味期限は、長くても一年ほど。
ものによってはひと月以内なんてこともあるため、出来る限り早く使い切るのが常識だ。
「明日はコーヒー豆を持ってくるか……ペーパーフィルターもあった方がいいな」
ペーパーフィルターのストックも見つけたが、いつからあるものなのか分からないし、念のため使わないほうがいいだろう。
衛生管理も義務の一つだ。
「今日は諦めるしかないか……はぁ、コーヒー飲みたい」
もはやしずくも立派なコーヒー好きだ。
こうなると、午後の授業には集中できないだろう。
俺もその気持ちはよく分かる。
「……気休めにしかならないかもしれないが、我慢したあとのコーヒーは美味いぞ?」
「それを聞いたら、なんだかやる気が出てきたよ。……それにしても、今後はこの部屋を自由に使っていいのかな?」
「いいんじゃないか……? 真宮先生は使えって言ってくれたけど」
「……それってさ、なんかめちゃくちゃワクワクしない?」
笑みを浮かべたしずくは、畳の上に寝転がった。
「ほら、純太郎も」
「……」
手招きされ、俺は彼女の隣に寝転がってみる。
学校にいるのに、思う存分手足を伸ばせるこの空間。
なるほど、確かにいいものだ。
「なんか、秘密基地みたいだな」
「いいね。じゃあここは、今日から私たちの秘密基地ってことで」
妙に照れ臭くなり、揃って笑い合う。
今日からこの部屋は、俺たちの城となった。
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