第9話 人たらし
「そういえばさ、前に言ってた純太郎が作るナポリタン、注文してもいい?」
「ん? ああ、もちろん」
「やった。お腹ペコペコだったんだよね」
「少し待たせるけど、大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
俺は席を立ち、カウンターへ。
別のお客さんのコーヒーを淹れていた歌原さんは、俺が戻ってきたのを見て首を傾げた。
「あれ、どうしたの? コーヒーおかわり?」
「いや、しずくがナポリタンを注文したので、作りに来ました」
「おー、なるほどね」
俺はカウンターのさらに奥まったところにあるコンロへ向かい、材料とフライパンを用意した。
ピーマンやウインナーといった具材を炒めながら、表記時間よりも長めに茹でたパスタを入れる。
長めに茹でる理由は、麺がモチモチしてソースの味がよく絡むようになるからだ。
味付けの土台はケチャップ。
しかしそれだけだと味が単調になって飽きやすくなってしまうため、トマトペースト、ニンニクやコンソメを入れる。
そして軽く一味唐辛子。
ニンニクはチューブの物ではなく、実際にすりおろして使う。
手間だが、これをすることで上品な風味になるのだ。
「よっと……」
フライパンを揺れ動かしながら、パスタにケチャップたちを絡めていく。
満遍なく絡んだら、あとは香ばしい匂いがしてくるまで炒めるだけ。
塩コショウで味を調えたら、ナポリタンの完成だ。
味見して問題ないことを確認したら、皿に盛ってしずくのもとへ向かう。
「お待たせしました、ナポリタンです」
「おー……!」
「粉チーズもあるから、お好みでかけてくれ」
「ありがとう! いただきます!」
しずくはフォークでパスタを多めに巻き取り、口に運んだ。
思ったよりも豪快な一口に驚いていると、突然しずくの目が輝きだす。
「うまっ……」
そう言って、彼女はどんどんナポリタンを食べ進める。
夢中になって食べてくれるのは、注文を受けた身としてもかなり嬉しい。
ちょうど半分食べたくらいのところで、しずくは卓上にあった粉チーズをナポリタンに振りかける。
「あ~……これは幸せの味がするね」
しずくの食べるスピードが速くなる。
結局彼女は、最後までそのままの速度で食べ切ってしまった。
「ふー……美味しかった。ごちそうさまでした」
「美味かったならよかった。っていうか、足りたか?」
「正直もう少し食べたかったけど、これくらいにしておかないと体型維持ができないからね。夜はあんまり食べないように我慢してるんだよ」
「……プロだな」
「モデルの仕事は食事からってね……先輩モデルからの受け売りだけど」
「……」
モデルが食事を制限するというのはイメージ通りだが、果たして体は健康なのだろうか。
毎日働き詰めの彼女には、もう少し食べてほしいと思ってしまう。
彼女の頑張りを否定しているような気がして、口に出すことはできないが――――。
「自分で言うのもあれだけど、よく一年間もモデルとしてやってこれたなって感じ。正直、全然売れなくてすぐクビになるんじゃないかって思ってた」
「そうだったのか……そんな風には見えなかったな」
「元々容姿には自信あったけど、モデルで成功するなんておこがましいことは考えてなかったんだよ。だから最初はびっくりしたよね、目まぐるしいくらい仕事が入ってきてさ」
「……素朴な疑問なんだが、そこまで忙しいのに、学校を辞めようとは思わなかったのか?」
これだけ売れてしまえば、この先の人生なんていくらでもやりようがあると思う。
素人である俺は、表から見えることしか分からない。
だからそこに何か事情があるなら、聞いてみたかった。
「……無駄にはならないから、かな」
「無駄?」
「この先どうなるか分からないけど、たとえば事故で容姿にひどい傷を負って、モデルができなくなる可能性もあるでしょ? 学校も辞めて芸能界一本に絞っていたら、生きていく手段を失っちゃうっていうかさ」
冗談を言う時のトーンでしずくは語るが、話の内容は決して笑えるものではなかった。
「それにモデルとして活動するなら、学校に通っている経験って大事になると思うんだ。私のファンって、ちゃんと学校に通った人がほとんどなはずでしょ? だからそういう人たちと感覚が大きくズレないように、学校は通い続けようと思ってる」
「……やっぱりえらいな、しずくは」
しずくは目先のことだけではなく、ちゃんと未来を見通している。
忙しいなら辞めたらいいなんて、そんな簡単には考えていない。
この姿勢は、きっと簡単には真似できないだろう。
「ふふっ、純太郎に褒められると、やっぱり元気が出てくるよ。成果を褒められるのも当然嬉しいけど、頑張りを褒めてくれる人って中々いないからね」
嬉しそうに微笑むしずくを見て、俺は少し胸が痛くなった。
しずくは本当に頑張っている。
しかし周りの人間は、彼女に努力ではなく結果だけを求めているらしい。
仕事だからと割り切るしかないことは分かる。
ならばせめて、身近にいる者がその努力を褒めなければ。
「しずくが元気を出してくれるなら、いくらでも褒めるよ。他の人の分まで、一生褒め続ける」
「っ⁉」
――――しばらく沈黙が続いた。
そしてハッと何かに気づいたしずくが、スマホを見る。
「やばっ、またこんな時間」
店の時計を確認すると、もう二十一時がすぐそこまで迫っていた。
そろそろ閉める準備を始めなければならない。
「ま、またね! 純太郎! 明日は学校行くから!」
「あ、ああ……また」
会計を終えたしずくは、そそくさと店を後にした。
そんなに急いで店を出る必要もなかったんだが、何を焦っていたのだろうか。
「ふふふっ、純くんってば人たらしね」
「え?」
何故かニヤニヤしている歌原さん。
しずくが早々に出ていった理由には、俺が絡んでいるのだろうか?
――――ううむ、分からん。
◇◆◇
閉店時間を口実に、私は喫茶メロウを飛び出す。
優しく褒められた途端、胸がキューっと締め付けられるような感覚がして、思わず涙が出そうになった。
どうして彼は、こんなにも私が欲しがっている言葉をかけてくれるのだろう。
口下手なんて、絶対に嘘だ。
「ふぅ……落ち着け、私。きっと純太郎に他意はないんだから」
純太郎は、素直な気持ちで私を応援してくれている。
邪な感情で受け取るような真似は、彼に失礼だ。
(でも……さすがに“一生”って――――)
あの言葉を思い返すたびに、心臓が早鐘を打ち始める。
勘違いしてはいけないと言い聞かせても、私の頭はすぐに純太郎の優しい言葉で埋め尽くされた。
「純太郎が側にいてくれる人生か……」
毎朝コーヒーを淹れてくれたりするのかな。
私が人気モデルを続けられているなら、専業主夫になってもらうのもアリ?
でも喫茶店で働く純太郎は見たいしなぁ……。
「って、何考えてるの私……!」
頬を叩き、煩悩を払う。
「明日から、もっとがんばろ……」
これからも、純太郎に褒めてもらうために――――。
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