第8話 からかいたくなる顔

「やっぱりしずくってすごいよね! まさかドラマの主演になるなんて!」


「まだデビューして一年とかなのにね!」


 登校して早々、そんなクラスメイトの会話が聞こえてくる。

 教室内は、いつも通りしずくの話題で持ちきりだった。

 

(すごいな、しずくは)


 起きてその記事を読んだ時、俺は驚いた。

 

【大人気モデルの『SHIZUKU』、映画初主演であの『稲盛玲子』と共演】


 ネットニュースの一面は、そんな見出しでほとんど埋まっていた。 

 オーディションに受かったとは聞いていたが、まさか主演とは。


 ドラマの内容は、天才探偵と呼ばれる女子高生が、ポンコツ刑事と共に難事件に立ち向かう推理モノらしい。

 その主役の女子高生を、しずくが演じるようだ。

 ちなみに何かと騒がれている『稲盛玲子』は、検死官として主演二人に協力するレギュラーキャラと書いてある。


「でもネットでは結構叩かれてるぜ? モデルが女優なんてできねぇだろって」


「モデルが女優の仕事奪うなとか……ひっでぇ書き込みだな」


 男子たちの話している通り、ネットの書き込みでは、否定的な言葉が多く見られる。

 演技について語っているのは、まだマシなほう。

 ひどいものだと、人格否定するようなものまである。

 何も知らない人間からここまで言われてしまうのは、なんとも気の毒な話だ。


「実際さ、演技めっちゃ下手だったら、見るのしんどいかもね」


「分かる。友達だから逆にって感じ?」


「そうそう! 共感性羞恥が半端ないよね、多分」


「学校で会ったら顔見れなくなりそー」


 クラスメイトたちの発言も、ネットに負けず劣らず気分のいいものではなかった。

 当のしずくがこの場にいないからって、言いたい放題である。


 しずくが来ていないのは、絶賛話題沸騰中のドラマの撮影に出ているから。

 今後は撮影で来れないという日も増えるらしく、学校で彼女の姿を見るのは珍しくなってしまうかもしれない。


「いいよねー、学校休めてさ。マジで羨ましい」


 そんな誰かの嫉妬の声が、やけに耳に残った。


◇◆◇


「だぁ……疲れたぁ」


 ドラマ出演の発表があった日の夜。

 仕事帰りのしずくは、力なくソファーに寄りかかった。


「お疲れ様。ほら、コーヒー」


「ありがとう……」


 自分の肩を揉みながら、しずくは体を起こす。

 俺がテーブルに注文のコーヒーを置くと、彼女は「いただきます」と告げた後に口をつけた。


「はぁ……やっぱりこの一杯のために頑張ったって感じがするよね……」


「今日は一段と疲れてるように見えるな」


「うん……まあね。ドラマの顔合わせとか、制作陣への挨拶とか、色々やらなきゃいけないことが多くてさ」


 そう言いながら、しずくは盛大なため息をこぼした。


「オーディションでわざわざ私を選んだわけだから、制作陣の人たちは温かく迎え入れてくれたんだけど……他の俳優さんや女優さんは、正直何を考えてるのか分からなかったよ。みんな笑顔で挨拶してくれたんだけど、目があんまり笑ってない感じがしたっていうか」


「それは……怖いな」


「やっぱり女優でもない女が主役を張るってなったら、嫌な気持ちになる人はいるよね」


 その辺に関しては、しずくも割り切っているようだ。 

 確かに本業の人からすれば、面白くない話なのは間違いない。

 俺だってそっちの立場になったら、笑顔で受け入れるというのは難しいと思う。

 しずくに対して嫌な印象は抱かなかったとしても、ネットで騒いでいる人と同じように、演技に関しての心配をしてしまう気がした。

 

「ま、愚痴みたいな話は後にして……純太郎にさ、聞きたいことがあったんだよね」


「聞きたいこと?」


「夏に向けて水着の撮影があるんだけどさ、純太郎の好みはどっちかなって」


 そう言いながら、しずくはスマホを使って二枚の画像を見せてきた。

 片方は黒いビキニ。

 そしてもう片方は、水着というより――――紐?


「か……からかってるだろ、俺のこと」


「あれ、バレた?」


「さすがにこんな水着は着ないって分かるって……」


 水着撮影は本当でも、さすがに十七歳の少女がこの紐で撮影することはあり得ないだろう。

 間違いなく周りの大人が止める。


「ちぇ、純太郎のスケベな部分が見えると思ったのに。……ねぇ、ちっとも想像しなかった?」


「……何を?」


「私がこの水着を着てるとこ」


 身を乗り出し、ささやくようにしずくは言った。

 まるで火がついたかのように、突然頬が熱くなる。

 思わず目を逸らした俺を見て、しずくはケラケラと笑った。


「ごめんごめん、まさかそこまで動揺してくれるとは思ってなくて」


「……意外と意地悪だな、しずくって」


「だって、純太郎って普通にしてるとあんまり表情が変わらないから、からかったらどうなるのか気になっちゃったんだよね」


「そんなに仏頂面かな……」


 確かに普段からよく笑うタイプじゃないけど――――。


「まあ冗談はこれくらいにして……水着撮影があるっていうのは本当の話。まだ決まったわけじゃないけど、そういう依頼はもう来てるんだ。でも、自分がみんなから求められているものがよく分からなくて……」


「求められてるもの?」


「うん。純太郎は、私に“えっちなこと”って求めてる?」


「ぶっ――――」


 思わずコーヒーを噴き出しそうになった。

 しかし、噴いたらせっかく淹れてもらったコーヒーがもったいない。

 俺は無理やり口を押さえ、コーヒーを死守した。


「やめろよ……急に」


「あー、うん、言い方が悪かったね。要するに、私はこれから水着姿でグラビアを飾る可能性があるんだけど、それってみんなが私に求めてることなのかなって」


「……」


 雑誌の表紙に、水着姿のしずくが載っているところを想像する。

 イメージするのは、先ほどの紐――――ではなく、黒いビキニ。

 俺も男だし、そういうものに興味がないと言ったら嘘になる。

 水着姿のしずくが表紙にいたら、思わず目を奪われるだろう。


 ただ、これは果たして彼女に求めていることなのだろうか。


「……しずくのそういう姿を見たがる人は多いと思う。でも、別に無理することはないんじゃないか?」


「その心は?」


「いろんなことを一度にやろうとするのは、多分よくないから」


 モデル業の他に、ドラマの主演が決まった『SHIZUKU』。

 ここで仮に水着のグラビアまでもが大きな反響を呼んでしまったら、しずくにはさらに多くの仕事が降りかかるようになるだろう。

 ファンはその活躍っぷりを喜ぶだろうけど、当の本人はすでにこんなに疲れているわけで。

 これ以上多忙を極めるのは、リスクしかない気がする。

 あくまで素人の意見だが――――。


「……至極真っ当な意見だね。反論の余地もない」


「そうか……?」


「先にはっきりさせておくけど、私は別にグラビアの仕事をしたかったわけじゃないよ。だからずっと迷ってた。自分がやりたいことではないけど、誰かが求めるならやった方がいいのかなって」


「……」


「でも、ようやく仕事を断る決心がついたよ。これも全部、純太郎がはっきり言ってくれたおかげだね」


 そう言って、しずくは笑みを浮かべた。

 どうやら役に立つことができたようで、俺は安心する。

 無責任なことばかり言った気がするが、しずくがそこに得るものを見出してくれたなら、それが一番何よりだ。


「あ、でも純太郎が見たいって言うなら、いつでも見せてあげるからね。私の水着姿」


「……」


 俺が硬直したのを見て、しずくは再び声を上げて笑った。

 

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