第7話 褒める

「大切にされてるね、純太郎」


 歌原さんがカウンターの方に戻った後、しずくはニコニコしながらそう呟いた。

 

「……ありがたい話だよ」


 彼女はいつもマイペースで、掴みどころがない。

 だから弟のように思われていたなんて知らなかった。

 決して嫌われてはいないと思っていたけど、まさかここまで大事に思ってくれているとは。


「お許しも出たし、これからもここで話せるね」


「……ああ、そうだな」


「あれ、もしかして嬉しくない?」


「いや、しずくと話せるのは嬉しい。けど、口下手が治るまで退屈させないか心配で……」


 俺がそう言うと、しずくはきょとんとした表情を浮かべた。

 そしてすぐにくすりと微笑む。


「大丈夫、私は純太郎と話してるだけで元気が出るから」


「そうなのか……?」


「純太郎と話してると、自己肯定感が上がるんだ。たくさん褒めてくれるからね」


 俺はしずくを褒めているのだろうか?

 申し訳ないが、心当たりがない。


「そこまで口下手とも思わないしね。むしろ会話のテンポがゆっくりで助かるよ。私の周りにいる人って早口でしゃべる人ばっかりでさ……特に事務所の偉い人とか、いつも捲し立てるように話すんだよね。おかげで意見も言えないよ」


「忙しいから早口になるのかな」


「そうなんじゃない? 歩くのも速くて、いつも急いでるって感じ」


 事務所にいるその誰かを思い出したのか、しずくはケラケラと笑う。

 彼女が笑っていると、なんだか俺も自然と笑顔になっていた。

 モデルになりたかったわけじゃないと言っていたけど、やはり彼女には多くの人を惹きつける才能があるんだと思う。


「……あ、そういえばさ、このお店って食事もデザートもあるよね?」


 しずくがテーブルに置いてあったメニューを開く。

 

「おすすめってある? 今度来た時に頼んでみたいんだけど」


「ああ、それなら……ナポリタンとナッツクッキーがおすすめだな」


「ほうほう、その心は?」


「俺が作るのを任されてるメニューだから」


「……え⁉ 純太郎が作るの⁉ すごいね……!」


 食事メニューのうち、いくつかの料理とデザートは任せてもらえるようになっていた。

 特にナポリタンとクッキーはお客さんからの評判も良く、夕方に来る人からはよく頼んでもらえる。

 歌原さんはコーヒーを淹れるのは上手くても、実は料理はあまり得意ではない。

 そのため、俺が来るまではコーヒー以外のメニューが頼まれることはほとんどなかったようだ。

 本人としては、いまだにそれがちょっと悔しいらしい。


「じゃあ次に来た時に頼んでみるよ」


「意外と評判はいいから、楽しみにしていてくれ」


 そんな話をしていると、卓上にあったしずくのスマホが突然震える。

 メッセージアプリの通知のようだが、それよりも俺は時刻の方が目に入ってしまった。


「あ、お母さんからだ……って、もうこんな時間⁉」


 二十時五十五分。

 もう店を閉める時間だ。


「あっという間だね……全然話足りないや」


「話足りないくらいがちょうどいいんじゃないか? 次の楽しみができて」


「……それもそっか」


 帰り支度をし始めるしずくを見て、俺はアキラちゃんこと真宮先生から現代文のプリントを預かっていたことを思い出した。


「しずく、これ」


「あ、もしかしてこの前の授業のプリント?」


「真宮先生に頼まれてさ。あと伝言が一つ」


「伝言?」


「働きすぎて体壊すなよって」


「あはは、見かけによらず優しいよね、アキラちゃん」


 嬉しそうにしながら、しずくは俺からプリントを受け取る。


「ありがとう。働き過ぎかぁ……気を付けないとね」


「最近も忙しいのか?」


「あー……うん、実はさ、ドラマのオーディション受かっちゃったんだよね」


 そう言いながら、しずくは頬を掻く。

 めでたい話なはずなのに、彼女の顔はあまり嬉しくなさそうだ。


「昼間も言ったけど、私、別にドラマとか映画とか興味ないし……でも受かっちゃったからにはやらないといけないっていうか……辞退したくても周りに迷惑かけちゃうし……」


「大変だな……聞いてるだけで伝わってくる」


「同情してもらえるだけ嬉しいよ。同業者に言ったら嫌味って思われるし」


 ドラマへの出演は、人によっては夢の一つだ。

 それを嫌がっていると知られれば、しずくは間違いなく反感を買う。


「ま、やるからには頑張るけどね。そう決めたから」


「そうか……」


「やり遂げられたら、また褒めてくれるかな?」


「もちろん。俺でよければいくらでも」


「よかった。それならもっと頑張れるよ」


 しずくは俺の肩を指でつついてから、レジへと向かう。


「コーヒーごちそうさまでした。また来ます」


「はーい! いつでも大歓迎だよ」


 会計を終えたしずくを、俺は店先まで送ることにした。

 外に出て振り返った彼女は、上手なウィンクを決めながら、俺に向かって手を振る。


「それじゃ、また学校で」


「ああ、また」


 しずくが去っていく。

 何はともあれ、彼女が前向きになれたようでよかった。

 

「俺も頑張らないとな……」

 

 頬を叩いて気合を入れ直した俺は、店のドアにかかった『OPEN』の看板を、『CLOSE』にひっくり返してから店内に戻る。

 

「あ、看板ひっくり返してくれたんだ。ありがと~」


 礼を言いながら、歌原さんは俺を手招きする。

 何かと思ってカウンターに行くと、そこにはコーヒーを抽出するための道具が揃っていた。


「しずくちゃんと話して、もしかしたら純くんも燃えてるんじゃないかなーって思ってさ。久しぶりに淹れ方の指導してあげよっかなって」


「いいんですか⁉」


「うん。しずくちゃんを癒してあげられるようなコーヒーを淹れたいんでしょ?」


「……はい」


 歌原さんは、本当に人の感情を読み取るのが上手い。

 俺がしずくの努力に感化されていることも、一目でお見通しというわけだ。


「よし、じゃあ一個一個練習していこう。まずは浅煎りの豆からかな」


 用意してもらった豆をミルで挽く。

 尊敬している人に直接見てもらえるというのは、恐れ多くもありがたい。


 挽いた豆をペーパーフィルターに置き、先ほどの歌原さんとまったく同じ手順でコーヒーを抽出していく。

 そうして完成したものを、俺は歌原さんへ差し出した。


「試飲、お願いします」


「はい、いただきます」


 緊張で心臓がうるさい。

 手応えはあった。

 時間の誤差も少ないし、比較的お湯も細く出せたはず。

 

「うんうん……なるほどね」


 一口、二口と飲んだ歌原さんは、頷きながらカップを置いた。


「成長したね、純くん。一年前とは大違い。ちゃんと努力の成果が出てるよ」


「本当ですか!」


「雑味も少ないし、濃さもよく出てる。でもお店で出すなら、あと一歩ってところかな」


「あと一歩……何が足りないんでしょうか」


「元も子もないけど、経験かな。豆によって淹れ方が少しずつ変わっていくのは当たり前なんだけど、それとは別に、豆の状態によっても変えなきゃいけない部分が出てくるんだよね」


「豆の状態……」


「今の純くんの淹れ方は、きちんと理に適ってて、間違ってるところは一つもなかったよ。でも、人と同じで、どんな豆にも個性ってものがある」


 その個性というのが、豆の種類の話ではないということを、俺はすぐに理解することができた。


「同じ種類の豆であっても、保存方法や保存時間によって少しずつ変化するから、すべて同じ淹れ方が最適ってわけじゃないの。つまり、今目の前にある豆の気分を読み取らないといけないってことね」


「……なるほど」


 俺にはまだ、そこまでの変化は分からない。

 豆の個性、か。

 いつか分かる日がくるのだろうか?

 今のところ、豆が俺に語りかけてくれる様子はない。


「でも、こんなに早く豆の個性について教える時が来るとは思ってなかったなぁ……本当に、たくさん努力したんだね。えらいえらい」


「……ありがとうございます」


 歌原さんに褒められると、心がとても温かくなる。

 これからも頑張ろう。

 美味しいコーヒーを淹れるため、そして、しずくの話し相手として恥ずかしくないように。

 

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