第6話 ご褒美

「いただきます……!」


 コーヒーを受け取ったしずくは、恐る恐る口をつける。

 そして驚いた表情を浮かべ、歌原さんと俺を交互に見た。


「昨日飲んだやつと同じ……! 美味しいです!」


「よかった。あとはテーブルの方でゆっくり味わってね」


「はい、ありがとうございます」


「純くんも今はやることないし、一緒に座ってお話してていいよ。必要なら、コーヒーについてもう少し話してあげて」


 俺は一つ頷き、お言葉に甘える形でしずくと共にテーブル席へ戻った。


「私の淹れたドリップコーヒーとは、やっぱり全然違う……めちゃくちゃ奥深いんだね、コーヒーって」


「興味は持ってもらえたみたいだな」


「うん、すごく面白かったよ」


 気に入ってもらえて本当によかった。

 どんなに好きなことでも、やっぱり人に押し付けるような真似はしたくない。


「純太郎は、どうしてコーヒーにハマったの?」


「うーん……色々と経緯があるから、説明が難しいな」


「聞かせてよ、長くなってもいいからさ」


「……そういうことなら」


 俺は頭の中で話す順番を整理してから、口を開く。


「小さい頃、父さんがよくインスタントコーヒーを淹れてくれたんだ。最初は苦くて飲めなくて、ミルクと砂糖をこれでもかってくらい入れてから飲んでた」


 当時の父さんは売れない画家で、絵画教室の講師として働くことで生計を立てていた。

 母さんもパートで働いて、それでも少し貧乏ってくらいの家だったけど、平凡な家庭ではあったと思う。

 色々と変化が訪れたのは、俺が中学二年生の頃。


「父さんの絵が、急に売れるようになったんだ。海外の金持ちが、たまたま父さんの絵を気に入ったらしい。うちは一気に裕福になったんだけど、そのせいで親父の絵画熱が爆発しちゃってさ。『世界中の風景が描きたい!』って言って家を留守にすることが増えたんだ」


「アグレッシブなお父さんだね……」


「困った親父だよな。……別に親がいなくて寂しいとか、そういうことを思う歳じゃないからいいけど、あの甘ったるいインスタントコーヒーが飲めなくなったのは、ちょっと残念だったんだよ」


 そんなある日、俺は父さんの部屋にあった本を売るために、神保町に来る機会があった。

 その時たまたま通りかかった店が、この喫茶メロウ。


「コーヒーのいい匂いがして、なんとなく父さんのコーヒーの味を思い出して、気づいたら店に入ってた。そしたらマスターが俺に合ったコーヒーを淹れてくれて……ああ、そうだそうだ。思わず笑ったんだよ、その時」


「どうして?」


「父さんのコーヒーがめちゃくちゃ不味かったって気づいたから」


「ぷっ――――あははは!」


 しずくが噴き出すように笑う。

 

「父さんのはインスタントだし、違うのは当たり前なんだけどさ……ふと思ったんだよ、今度は俺が本当に美味いコーヒーを淹れてやろうって」


「……それがコーヒーにハマったきっかけなんだ。素敵な話じゃないか」


「そう言ってくれると安心するよ。話が拙くて悪い。昔から会話があんまり得意じゃなくて」


「そう? よく纏まってて分かりやすかったよ?」

 

 俺はホッと胸を撫でおろす。

 昔から口下手な自分がコンプレックスだった。

 こうして一つ一つ噛み砕きながら話さないと、すぐに要点がどこかに行ってしまう。

 

「……しずくは、どうしてモデルになろうと思ったんだ?」


「お、今度は私のトーク力を試そうって言うんだね?」


「いやっ……うん、まあ、そういうことでいいか」


「よし、じゃあ答えてしんぜよう」


 ドヤ顔をしながら、しずくは胸を張る。

 俺はそれを見て、彼女からわずかに視線をずらした。

 彼女ほどの美貌の持ち主が体を反らすと、色々目のやり場に困るから気を付けてほしい。

 とても直接言えやしないが。


「私ね、別にモデルになりたかったわけじゃないんだ」


「え……」


「街で事務所からスカウトされて、親からも応援するって言われて……なんとなく始めたって感じ。だから目標とか、そういうのはないんだよね」


「そうだったのか……」


「批判に負けそうになったのも、私が信念を持ってないからだと思う。さすがに一年も働いたらプライドは芽生えてきたけど、ずっと宙ぶらりんになってる感覚なんだよね」


 しずくはずっと、周囲と温度差があると言っていた。

 芸能界で達成したい目標がないから、心が追い付かないのだろう。


「でも、最近一つ目標ができた」


「それは?」


「このお店に来ること」


「……?」


 思わず首を傾げてしまう。

 この店に来ることと、モデルの仕事。

 それらがどう交わるのだろう。


「私ね、自分に一つご褒美を設けることにしたの」


 そう告げて、しずくはまた一口コーヒーを飲む。

 そしてそのコーヒーが入ったカップを指差した。


「仕事を頑張った日は、ここに来てコーヒーを一杯飲んで帰る」


「……」


「コーヒー代だって、毎日のように飲んでたら馬鹿にならないでしょ? このお店に通いたいなら、お金を稼がないといけない。だから私は、モデルで稼いで、ここにコーヒーを飲みに来る。お金がないから通えないって状況にならないようにすることが、私の目標だよ」


「……なるほど、確かにそれは立派な目標だ」


「でしょ? ついでに……ちょっとこれはおこがましいかなって思ったんだけど」


「?」


 しずくはどこか照れた様子を浮かべながら、言葉を続ける。


「今日みたいにマスターが許してくれたら、また話相手になってくれないかな?」


「それは――――俺はいいけど、お店的にはどうだろう……」


 しずくと話すのは楽しい。

 口下手な俺でも、しずくは温かく受け入れてくれる。

 まだ話した回数は少ないけれど、すでに俺はこの時間を好きになっていた。

 ただ、店に迷惑はかけたくない。


「別にいいよー? しずくちゃんが来てる時は純くんを貸せばいいんでしょ?」


 突然現れた歌原さんは湯気の立つカップを俺の前に置く。

 どうやら俺の分のコーヒーも淹れてくれたらしい。


「お客さんが多かったら難しいかもしれないけど、今日みたいな日だったら全然オーケーだよ。ある意味お得意様の接客っていうかさ」


「それは……」


「私、嬉しいんだよね。純くんがお友達と話してるのがさ」


「……?」


「学校の話とか全然してくれないし、ちょっと心配だったの。純くん引っ込み思案だし、いじめられてたりしたらどうしよ~って」


「さすがにいじめられてはないですけど……」


「そう? ならよかったぁ」


 心配のされ方が、なんとも情けない。

 俺が複雑な表情を浮かべているのをよそに、歌原さんは言葉を続ける。


「純くんは弟みたいなものだから、どうしても心配しちゃうの。だからしずくちゃん、純くんを貸してあげるから、こっちからも一つお願いしていい?」


「私にできることなら、なんでも」


「純くんの口下手を治す練習相手になってあげて? これは店主としてじゃなくて、純くんを大事に想うお姉さんからのお願い」


 そんな歌原さんの願いに対し、しずくは一つ頷いた。



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